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序幕『彼らは日々錬金術師に振り回される』

*書籍化に伴いヒロインの名前が変わりました。クオリ→エルシニア


*ヒロインの名前が変わりました。クオリ→エルシニア

一章のほうも、順次修正していきます。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 ――ゴゥンゴゥンゴゥン。

 遠くから聞こえる大機関の音。それはこの大英帝国首都、大機関都市(メガエンジン・シティ)ロンドンを支える三つの大機関のうちの二つの音だ。

 そのうちに一つである第一大機関ファースト・メガエンジンは、先日起きた事故――あるいは反社会的活動(テロリズム)とも呼ばれている――により、機能を停止しており、現在は第二(セカンド)第三(サード)大機関がその不足分を補うために過剰稼働している。そのため、普段ならば音遠くに聞こえるはずの第二、第三大機関の駆動音もこの通りというわけである。

 しかし基本設定以上のエネルギーを生み出すために過剰稼働している大機関は、その稼働率に比例する形でこれまで以上の煤煙を生み出してしまい、ロンドン上空の灰色雲は一層分厚く、舞い散る灰の量もこれまで以上となった。

 結果、ロンドン各地では第一大機関停止の原因究明と、その復旧を求める声は日毎増していた。

 そして、その元凶――即ち、大機関停止の原因の最たる人物はと言うと……――


「ふーむ……トバリ、この組文字型問題集(クロスワード)の問題の答え、判るかね?」


「――お前、暇し過ぎだろ?」

 かちゃりとティーカップと焼き菓子(マフィン)をヴィンセントの執務机の上に置きながら、トバリは呆れ顔でそう悪態吐く。

 そんなトバリに向け、ヴィンセントは「何を言う!」と不満げに眉間に皴を寄せ、組文字型問題集を手に取りトバリに突き付けた。

「何処か暇そうというのかね? 見ての通り、私はこの難問集を解くのにこの頭脳を費やすのに忙しいのだぞ?」

「俺が知る限り、過去最高に無駄な頭脳の使い方をしているな」

 ヴィンセントの訴えを適当に流して、トバリは来客用長椅子に腰を下ろして自分のカップを傾ける。輸入品の希少な自然栽培された茶葉の風味など、トバリには然して違いも判らないが、それでも自然とこの茶が美味いと感じながら、手製の焼き菓子を齧り、言う。

「もう少しその類稀なる頭脳を有効活用しろよ、我が雇い主様(マイ・オーナー)

「しているじゃあないか。今まさにね」

「悪ぃな。まったくそんな風に見えなかったよ」

 ごろりと長椅子に寝転がりながら応じるトバリに、ヴィンセントは不満げに眉を顰める。

「だからこそ、私は私の持ちえる知識の凡てを掛けて、この問題集全三八六問の回答に全力を尽くしているのではないか」

「いや、間違いなく全力を尽くす部分に間違いがあるようにしか思えねぇから」

 憤然と告げるヴィンセントの言葉を一蹴するトバリ。だが、おざなりな返事をしてから数秒。彼はヴィンセントが発した言葉を改めて頭の中で反芻し、意味を噛み砕く。そして、頭の後ろで組んだ腕枕に沈めた頭を持ち上げた。

「――…お前、今なんて言った?」

「というと?」視線鋭くするトバリの問いかけに、ヴィンセントは口角を持ち上げながらそう応じた瞬間、トバリは自分の中に生じた疑念を確信へと変えた。

「質問の意味をしっかり理解しておきながらはぐらかすんじゃねぇ。何だよ、全三八六問って」

 言いながら、トバリは長椅子から身体を起こしてヴィンセントの取り掛かっている組文字型問題集を覗き込む。先程はしっかりと確認しなかったが、ヴィンセントが挑んでいる組文字型問題集は、其処等の雑貨屋で販売されているような物とは一線を画するものだった。

「……お前、なんだこれ?」

 トバリは剣呑な雰囲気を纏いながらヴィンセントにそう訊ねる。すると、ヴィンセントはこともなげに答えた。

「ご覧の通り、組文字型問題集だ。問題は、《《その答えの全三八六文字が手紙の文章になっている》》――ということなのだがね」

「何処のどいつだよ、そんなまどろっこしい手紙作ったの!」

「私の友人だよ」

「んなことは想像が付く……内容はなんだ? まさか季節の挨拶とは言わねぇだろ?」

「それは勿論だとも」

 溜め息をつくトバリに、ヴィンセントはその猛禽の如き双眸を鋭く細めて見せ――そして、にこりと微笑んだ。

「実は英国政府からの依頼で、大機関を修理できそうな人物との交渉をしていたのだよ。最近、第二、第三大機関の過剰稼動や煤煙問題で何かと五月蝿いだろう?」

「そりゃあな。毎日ロンドンの何処かで民衆運動(デモ)が起きてるくらいだ。ついでに言えば、普段以上に灰が降るし、大機関から排出される蒸気の量も莫迦みたいに増えてやがる。おかげで洗濯物が乾きやしねぇ」

 この住居(ホーム)の家事の大部分を担っているトバリとしては、頭の痛い話である。目の前の頓珍漢(ヴィンセント)の洗濯物は別に後回しでもいいが、問題は女性陣だ。二人存在する同居人たちの苦言が、日毎に増しているのが厄介だった。そんなに文句があるなら大衆用自動洗濯機関ウォッシング・エンジンと大衆用自動乾燥機関(ドライ・エンジン)の利用を強く勧めたい限りである。下着だけはきっちり其方で洗っているのだから、自前の服もそうして貰いたい。

 尤も、考えることは誰もが同じで、民衆の多くが自前での洗濯を諦め挙って駆け込んでいるらしく、大衆用自動洗濯機関も乾燥機関も、長蛇の列が出来上がっているとか。洗濯(クリーニング)屋は嬉しいを通り越して完全に許容量過多(キャパシティオーバー)になっていて、文字通り悲鳴を上げる始末。ついにはロンドン各地の洗濯屋が自主休業(クローズド)の看板が釣り下げるようになっているくらいだ。それ程に、ロンドンの洗濯事情は困窮に瀕しているのである――という話は、一旦置いておき。

「――で、その交渉は上手くいっているのか?」

「流石に大破した第一大機関についてはすぐにはどうにもならないそうだが……どうにか第二、第三大機関のほうの機能向上するための改修はできそうだと――いう話になったよ」

「そりゃあ嬉しい報せだな。是非民衆の連中にも伝えてやれよ」

 にやっと口の端を持ち上げるトバリだったが、対するヴィンセントの表情は晴れなかった。

「――という話になったわけなのだが……なにやら緊急事態(トラブル)が起きているらしい」

「そいつは穏やかじゃないな……で、話してる間も進めているその組文字型問題集と今の話に、何の関係があるんだよ?」

 首を傾げるトバリに、ヴィンセントはこともなげにこう言うのだ。

「――というところまで解読できたのだがね。その緊急事態の内容が、今も判らぬままなのだよ」

 トバリが怒号を上げたのは、次の瞬間だった。

「お前ら錬金術師の頭はどうなってんだよ! なんで救援要請にこんな迂遠でしかねぇ暗号使うんだ、ド阿呆!」

 憤慨するトバリは、引っ手繰るようにヴィンセントの取り掛かっている組文字型問題集を覗き込んで――その表情を曇らせた。そして思わず「なんだこれは?」と零してしまう。

 その組文字型問題集の出題は実に奇妙だった。自然化学、地質学、工学、物理学、生物学、遺伝子工学などの専門的知識を必要とする学術問題があったかと思えば、労働者階級だって知っていそうな謎掛け。かと思えば、未解明問題に関連する――まさに様々な分野の知識の対応(アプローチ)を求められるようなものばかりだ、ということくらいしか、トバリには判らなかった。

「……誰だよ、こんな至上命題の塊みたいな問題集を作ったやつは」

 人も殺せそうな程険しい表情を浮かべるトバリの疑問に対し、ヴィンセントは実に得意げに、まるで我がことの様に胸を張って答えるのだ。

「彼は我が古き同胞――古今東西のあらゆる分野に長けた、奔放な錬金術師の代表格。全能の知恵者にして、万象の観測者。時に【万能の貴公子】等と呼ばれている存在だよ」

「なぁにが貴公子だ。偏屈者の間違いだろ。ったく……」

 トバリはそう言い捨てると、組文字型問題集を手に持ったまま踵を返すと、床を踏み鳴らしながら執務室兼来客室であるこの部屋を出ていく。

「ミス・リーデルシュタイン! じゃなくて……ああ、くそ。おい、エルシニア、いるか!」

 そして廊下を闊歩しながら、彼は同居人の一人の名を叫ぶ。すると、丁度トバリが開け放ったままの執務室の向こうにある部屋の扉が開いて、其処から美しい蒼銀の髪を二つの三つ編みにして揺らした娘が顔を出す。

「――そんな大声を上げなくても聞こえていますよ、ミスタ・トバリ」


 エルシニア――エルシニア・アリア・リーデルシュタイン。


 ヴィンセントを始めとした、錬金術師たちの闘争――あるいは狂気に巻き込まれた、数奇な運命を辿る娘だ。

 その背に――あるいはその身体のうちに、人にはあらざる鋼鉄(クローム)蒸気機関(エンジン)で作られた生体兵器|《剣翼機関(ヴァルキュリア)》を、実の姉の手により埋め込まれながら、気丈に、優美に、あるいは冷然と振舞う淑女(レディ)である。

「どうかしたんですか、ミスタ・トバリ?」

「知恵を貸せ、エルシニア」 

 単刀直入に用件を告げるトバリに、エルシニアは「はい?」と意味が判らず首を傾げた。そんな彼女に向けて、トバリは組文字型問題集を突き付ける。

其処の莫迦(ヴィンス)の愉快なお友達が、大層面倒臭い手紙を寄越しやがったんだよ。解くの手伝え」

 トバリの簡潔過ぎる説明に耳を傾けていたエルシニアは、組文字型問題集とヴィンセントを交互に見据えると、凡てを察した様子で呆れたように嘆息一つ。

「どうしてこの人たちは面倒なことを好むのでしょうね……」

「まったく以て同意見だよ」

「――どったの?」

 諦観の籠った科白を吐く二人の背に、覇気の欠いた声がかかる。二人は揃って視線を声の主へ向けた。

「リズィか」

「ん。よ」

 眠たげな眼差しで、酷く短い言葉で応じる小柄な少女に、エルシニアは彼女が何と言おうとしたのか察することができず首を傾げた。隣のトバリはというと、呆れ気味に眉を顰めて寝ぼけ眼の少女の頭をガシガシと撫でて言った。

「『おはよう』くらいちゃんと言えよ。いや、そもそも今まで寝てたのか……」

「うん。ぐっすりさ」

「もうお昼も過ぎているんですが……」返答に困ったエルシニアが微苦笑する中、リズィはトバリの中衣(ウェストコート)をくいと引っ張った。

(メシ)

「せめて食事とか、昼食って言えよ。淑女(レディ)ならな」

 トバリの苦言に、リズィは「意味一緒じゃん」と唇を尖らせる。「わーったよ」とトバリは面倒臭そうに髪を掻きながら、手にしていた組文字型問題集をエルシニアに手渡した。

「悪ぃが、其処の莫迦(ヴィンス)と、問題解いてくれ。俺はこの腹ペコ(ハングリィ)のために飯の支度をするよ」

「役割分担ですか?」

 組文字型問題集を受け取りながら、エルシニアはそう言って不敵に、そして奇麗に微笑んだ。対して、トバリは口の端だけを器用に持ち上げて、お世辞にも品が良いとは言えない笑みを浮かべながら「応とも(Yes)」と答えた。

「アンタは頭脳労働(ナゾナゾ)。俺は肉体労働(クッキング)――判りやすいだろ?」

「そうですね。私の女性としての沽券が損なわれることを除けば――ですが」

「代わるか?」

 それこそ、意地悪く笑ってトバリはエルシニアに問うと、彼女はその端正な顔を不満げに歪ませて、

「……任せますよ」

 エルシニアの返事に、トバリは「そりゃ重畳」軽く手を振って見せ、そのまま住居の調理場へと向かうのだった。


      ◇◇◇


「アタシは――」

「行ってもつまみ食いするだけでしたら、こっちで少しでも頭を捻って下さい」

「えー、アタシ孤児だけど?」

「誰も専門的な問題を解けとは言いませんよ。ただ、問題の中には、子供が遊ぶ謎掛けもあるみたいですので、其方のほうだけでも見てみて」

 トバリの後に続こうとしたリズィを捕まえて、エルシニアは執務室へと入る。対座にリズィを座らせ、エルシニアは長椅子に腰を下ろして組文字型問題集に目を落とした。

 そんな彼ら彼女らのやり取りを愛用の執務椅子に座り眺めていたヴィンセントはというと、実に楽しそうに口元を綻ばせていた――のだが、

「――伯爵」

 と、エルシニアが視線を組文字型問題集から逸らさぬままに名前を呼んだ。

「何かね? エルシニア」

 ヴィンセントは紅茶入りのカップを傾けながら応じると、彼女は組の字型問題集に硬筆を走らせながら言った。

「解きますよ」

「はっはっは。なかなかやる気ではないか」

「それはもう。偏屈者集団のアルケミスト――ですがその蓄積された知識は本物です。その一端に触れると思えば、面倒という気持ちも忘れますよ」

「……トバリといい、きみといい、なにか錬金術師(われわれ)への当たりが強くないかね?」

「自分の胸に手を当てて、普段の自分の言動を振り返れば答えは自ずと判るのでは?」

 エルシニアの淡々とした言葉に、ヴィンセントは回答に困って肩を上下させ――重い腰を持ち上げる。

「――ふふ。優雅な昼下がり、君たちと謎解きというのは中々心躍るひと時ではないか」

「ミスタ・トバリの前でどうぞ同じ科白を。短剣(ナイフ)が飛んでくると思いますよ」

 言われて、ヴィンセントはその情景を想像しようと暫しその場で目を閉じ黙考し――直ぐに自分の行動の過ちに気づき目を開いた。「まじめにやれ」というさっきの乗った科白と共に、銃弾もかくやの速度で自分の顔の真横を短剣が通り抜けて行く未来が、やけに現実感を伴って脳裏に描けてしまう。

「――あれ、結構怖いのだがね……」

「慌てて回避しないのは賢明ですよ。見ている限り、寸での処で(ギリギリ)当たらないように投げているみたいですし」

 その意見にはまったく同意だった。ヴィンセントでは到底反応できない速度で飛来するトバリの投擲短剣(スローイング)は、彼の粗暴な言動からは想像し難い精緻且つ絶妙な投擲技巧(コントロール)によって制御されている。そのため、一見して直撃軌道(コース)にあっても、何もしなければ命中することは決してないのだ。

 ――尤も、それは当てようと思えばどれだけヴィンセントが逃げようとしても命中させてしまえるという事実の裏返しなのだが……まあ、深く考えるのは止そう。

 ヴィンセントは咳払いをして強引にこの話題を終わらせた。そして何事もなかったかのようにエルシニアの対座に腰を下ろす。来客用長椅子にごろりと寝転がっていたリズィが、足だけを畳んでヴィンセントの座る場所を作った。

「ふふ。お気遣いに感謝するよ、リズィ」

「うん。感謝して」

 寝転がったままにやりと笑う少女の姿に、ヴィンセントは口元を綻ばせる。

「なぁぁぁに和やかなお爺ちゃんと孫みたいなやり取りしてんだ、お前ら」

 そんな彼らに対し、配膳(トレー)を手にいつの間にか戻ってきたトバリが、呆れた様子でそう零した。

「ごはん?」

「すでに寝る体勢に入っている奴いるのか?」

「いるでしょ」

 寝転がるリズィの様子を見てそう言ったトバリに、リズィは真顔でそう返す。返事の代わりに溜め息一つ零したトバリは何も言わずに配膳に乗せていた大皿をテーブルの上に置いた。皿の上にはパンの間に葉野菜や炒めた卵、薄切りのハムを挟んだサンドウィッチが盛られている。付け合わせに複数の調味料で味付けしたマッシュポテトを添えたサラダ。そして玉葱の(オニオン)スープまで用意されていた。

 それを見るや、リズィは「おおう」と目を輝かせた。そしてトバリが並べている間にも早速サンドウィッチに手を伸ばして食べ始めてしまう始末。

待て(ステイ)の出来ない犬ってこんな感じだよな」と軽口を叩くトバリは、手早く自分の分を取り皿に分ける。そしてエルシニアの隣に腰を下ろし、そのまま目を閉じて手を合わせ――そして何事もなかったようにサンドウィッチを頬張りながら、視線を組み文字型問題集へと落とした。

「進捗は?」

「まだ一〇分も経っていないのに進捗も何もないですよ。七問が精々です」

「一〇分で七問が精々とは、流石は未来の碩学様」と、皮肉を放つトバリに、エルシニアはむっと唇を尖らせ、「ならば貴方がやってみては?」と半眼で彼を見据えながらペンを差し出す。すると、トバリは僅かに汚れた指先をぺろりと舐めてから無遠慮にペンを受け取って、

「今見ている限り、判るのはこれと……これと、これだな」

 と、組み文字型問題集にペンを走らせた。その筆速には澱みがなく、トバリはすらすらとペン先を走らせて三問の問題の解答を終える。

 怪訝に眉を顰めるエルシニアが彼の回答に目を通し、そしてその目を見開いた。驚愕の表情でトバリを振り返る彼女の様子に、ヴィンセントはくつくつと失笑する。

「――初歩的とはいえ哲学者に対する言及問題。十九世紀初期の英国都市部で起きた未解決事件の容疑者の名前。それに人体工学の起源留意点の一つの名称……ふむ。トバリよ、最後の回答は君らしい嫌味だ」

 ヴィンセントの揶揄に対し、トバリは「なんのことだか?」とト素知らぬ顔でスープを啜っていた。そんなトバリを、エルシニアは鬼気迫る形相で睨みつけている。アカデミアで人体工学を専攻している学徒であるエルシニアにしてみれば、これは屈辱以外の何物でもないだろう。しかも直前に嫌味を込めてペンを差し出した分、この意趣返しは痛烈な一打だったに違いない。

 エルシニアは暫くトバリを睨みつけていた。しかし其処は理智的な女性である彼女は、大きく吐息を零して冷静さを取り戻――

「本当に良い性格をしていますね、ミスタ・トバリ」

 したりはしなかったらしい。サンドウィッチを一口齧った後、彼女は穏やかな笑みを浮かべながらそんな言葉を発したのだ。そして、対するトバリはというと、口元を僅かに綻ばせ、澄まし顔で言葉を返した。

此方(こっち)が浅学と決めつけて、厭味ったらしくペンを差し出すなよ。わざとらしい挑発のおまけまでしたんだ。意趣返しされたくらいで目くじら立てるなよ」

「其方こそ、何時私が貴方を浅学と決めつけたと言うんですか? 被害妄想も甚だしいですよ」

 言葉の――皮肉の応酬が繰り広げられていた。そして、それは徐々に熱を帯びていく。

「それはそれは失礼致しました。碩学候補様が相手と思うと、《《わたくし》》如きでは無知も当然と、悲観してしまいまして……ご無礼をお許し頂きたく存じます」

「そ・れ・が! 嫌味ですよ、ミスタ・トバリ。何故今この瞬間だけ奇麗な英国英語キングスイングリッシュで話すんですか。普段は労働者階級訛り(コックニー)でしょう」

「だから言っているだろう? 碩学候補様が相手となれば――」

「喧嘩がしたいのでしたらお相手しますけど?」

 いよいよ満面の笑顔を浮かべたエルシニアが殺意の乗った科白を発すると、トバリは普段通りの意地の悪い笑みを浮かべた。

「血の気が多いな。それじゃあ淑女(レディ)とは呼べないぜ?」

「前提として、私を淑女と呼ぶ気がるんですか?」

 睨み合う二人の様子を他人事のように見守るヴィンセントの隣で、延々とサンドウィッチを頬張り続けていたリズィが、漸く視線をサンドウィッチから二人へと移し、

「――二人とも、仲良しだね」

 と、抑揚のない声音で一言投じた。途端、二人は視線を互いからリズィへ向けて、

「「――仲良しじゃない」です」

 と、声を揃えた瞬間――ヴィンセントは耐え切れなくなり破顔した。

「ふはは! いやはや、息ピッタリではないか!」

 と、言って手まで叩くものだから、途端に二人の矛先はヴィンセントへと注がれる。

「何がそんなに愉快(たのし)いのですか、伯爵?」

「つーかお前は何暢気に昼食(ランチ)してるんだ? 握るのはカップでもパンでもなく、ペンだろ。ペン!」

「君たち、私を非難するのに全力過ぎやしないかい?」

 二人の言葉に思わず眉を顰めるヴィンセントだったが、二人の対応は冷ややかだった。

「日頃の行いだろう?」

「ご自身の責任でしょう」

 二人の逡巡なく放たれる言葉は真に迫っており、ヴィンセントは「一応、君たちの雇い主なのだがねぇ……」と肩を落とす。そんなヴィンセントに、リズィは最早何個目かも判らないサンドウィッチを頬張りながら「伯爵、頑張れ(ファイト)」と囁いた。パン塗れの声援に、ヴィンセントは苦笑するしかなかった。

 そうしている間に、幾つかを食べ終えたトバリが溜息を零す。

「――しかし、俺は門外漢だから専門分野はお手上げとして……エルシニア、あとどれくらいなら解けそうだ?」

「すべての問題に目を通しているわけではないので、まだ何とも。ですが一割解ければ御の字というところじゃないでしょうか。私も専門分野以外は素人同然ですし」

「じゃあ結局、ヴィンセント(この莫迦)頼りってことか?」と、ヴィンセントを指さすトバリに、エルシニアは「そうなりますね」と溜息交じりに首肯する。そして、

「そもそもどうして英国政府はこの人にそのような大事な仕事を依頼したのかが謎です」

「……私は一度、君たちの中の私の評価をじっくり聞きたくなっているところだよ、二人とも」

 散々こき落される状況に眉を顰めて苦言するが、彼らの耳には届くことがないらしい。それどころか、彼らは剣呑な眼差しでヴィンセントを見据えて、

「無駄話をしてないでさっさと解けよ、【万能の貴公子】とやらが作った問題集をよ」

 とまで言う始末。

 ヴィンセント・サン=ジェルマンは「おや?」と思った。もしや、この住居(ホーム)上下関係(ヒエラルキー)における自分の立ち位置は、実はかなり低いのではないだろうか? という疑問が、彼の明晰な頭脳に浮上する。いやいや、そんなはずはあるまいと、ヴィンセントは自分自分の中に浮き上がった疑問を否定しようと首を横に振る。しかし、どれだけ有り得まいと自分に言い聞かせても、その疑問が自分の中から払拭されることはなかった。日頃からの彼らの自分に対する接し方が、否応なしに彼の推察に現実味を帯びさせていく。これはこの辺りで一度家主として、雇い主としての威厳を見せつけるべきだろう。

 其処までヴィンセントが考えた時である。

「――のさぁ」

 と、気だるげな声が、ヴィンセントの意識を思考の海から引き戻した。そして彼の――彼らの視線は、声の主である少女に向けられる。

 サンドウィッチを口に銜えてもぐもぐとするリズィが、半眼で皆を一瞥したのちに組文字型問題集を手に取ってパラパラと頁を捲った後、全員に見せつけるようにしてある頁を開き、言った。

「――これ、答え付き」

「「「……」」」

 リズィの指摘に、三人は彼女の示した頁を見た。其処には確かに、各問題の答えが密に記されている。

 暫く、三人は何一つ言葉を発することなくじぃぃぃっとリズィが示した頁を眺め続けた。やがて、トバリとエルシニアが揃って肩を上下させ、深い――本当に深いため息を零したのを見て、ヴィンセントは〝ああ、これは大変だ〟と思った時には、既に手遅れだった。

 ――チャキ、と。

 あるいは――ガチャンと。

 金属の擦れる音が二つ、ヴィンセントの耳朶を叩く。あまり見たくないのだが、それでもこの双瞳にて(うつつ)の有様を目さねばならないだろうと、無意味に自分を奮い立たせて視線の先には、短剣を振り上げたトバリの姿と、機関型拳銃(エンジン・ハンドガン)を突き付けるエルシニアの姿があって――

「――これだから錬金術師(うさんくさい連中)はよぉ……」

「――連絡方法(メッセージ)が迂遠な手段の上に、こんな結末(オチ)ですか……」

「おおう、二人とも。そんな物騒なものを手にしてどうしたのかね?」

 憎々し気に囁かれた二人の声に、ヴィンセントは背中に冷たいものが伝うのを感じた。それでもヴィンセントは、努めて余裕の風体を装いながらそんな苦し紛れの言葉を発してみたが、それはこの場においてなんの意味も持たなかった。

 彼のその場しのぎの軽口に対する返答はというと、

「――ヴィンス!」

「――伯爵!」

 憤慨の怒号が飛び――そして投擲された短剣と、銃声と共に放たれた銃弾だった。




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