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八幕『選ばれた対抗神話』Ⅳ



「大機関を干渉術式で操り、自分の護衛兼盾にするとは……いやはや、その豪胆さやまさに驚嘆の一語だ。素直に賛辞を贈ろう。ミス・アリステラ」


「それはどうもありがとうございます。偉大なりし三賢人、サン=ジェルマン伯爵にそう言って貰えるとは、光栄の極みです――それでまさかそんなことを言うがためだけに現れた、などとは言いませんよね」


「無論だとも。私とて、そこまで暇人ではあるまいよ」


 アリステラの問いに、ヴィンセントは鷹揚に頷く。彼はクロームの足場をかつかつと歩きながら、僅かにトップハットを目深に被って、静かに問う。


「一つ、君に聞きたいのだ。その君の胸に煌く石――賢者の石に宿っていた男はどうなったのかな?」


 するとアリステラは「そんな判り切った質問をするなんて」と、ヴィンセントを鼻で笑った。嘲笑以外の何物でもない微笑を浮かべ、機関の魔女(アリステラ)が答える。


「彼の言葉を借りるなら、私の身体を乗っ取ろうとしたときに、逆に私に虫食まれて、殺してしまったわ。何か言いたいことがあったのなら、ごめんなさい。もう、貴方の言葉が届く場所に彼はいないわ」


「そうか……」


 アリステラの言に、ヴィンセントは被っていた帽子を手に取って胸に当て、瞑目し、思い馳せる。

 嘗て――

 嘗て、一度は同じ道を志した男。医師にして、科学者にして、錬金術師であった男だ。賢く、聡明であり、頭も切れる――何よりも探求心と研究意欲に富んだ男だった。

 世界の各地を変遷し、後世に残る偉業を数多くなし、名声を、賞賛を受けた男だった。時に不名誉な罵倒を受け、背鰭尾鰭のついた伝説に捻じ曲げられた人物像。だが、それらを耳にしようと目にしようと、彼は不変の探究心で〝叡智〟を目指した。

 人造人間を作り上げた男。

 賢者の石を作り上げた男。

 錬金術という、この世界の化学の発展の祖となった技術の申し子。

 そして叡智を求めるが故に、あらゆるを犠牲にすることを辞さなかった狂信者。

 テオフラトゥス・フォン・ホーエンハイム。偉大なりしパラケルスス。

 古き仲間。

 志を共にした同胞。

 最後は相容れぬが故に道を違えたものの、ヴィンセントにとってパラケルススは敵対者であると同時、尊敬するに値する友人だった。

 故に、ヴィンセントは瞑目する。黙祷を捧げる。それに値する傑物だったのだ。

 その死を悼まずには、どうしてもいられない。

 そして、


「どうしたの伯爵? もしかして、彼の死を惜しんでいるの? 敵対することを選んでおいて、相克することを選んでおいて、その癖に、死んだと知れば哀悼の意を示すの? 本当に、可笑しな人たち。ミスター・トバリといい、貴方といい……どうして、敵対を選んでおきながら悔やむのかしら?」


 彼を葬った少女が、心底(しんてい)から意味が判らないと言う様子で問うのだ。ヴィンセント・サン=ジェルマンは、そんな少女の問いに、瞑いていた瞳を開き、その猛禽の如き双眸でアリステラを見て――微笑する。


「どうして――そう思うのは、君が一度として対等と思える相手を得たことがない証明だよ、ミス・アリステラ。私は彼に相応の敬意を払っていた。例え袂を分かち敵対する道を選ぼうともね。いやむしろ、敵対するからこそ敬意を忘れないのだ。互いの意見をぶつけ合い、何方(どちら)も譲り合えない――それは敵対であり、同時に互いを認め合っての結果だと私は思っているよ。だから私は彼を――パラケルススに敬意を払い、彼の死を悼む」


「そう――それは、とても素晴らしい考えですね、伯爵。尤も、私には理解に苦しむ思想だけれども」


 少女は嘆息する。本当に意味が判らないと、うんざりとしたように。


「そうだろうな。君には、恐らく永劫に理解できないだろう」


 そんなアリステラの姿勢(すがた)に哀れみを覚えるべきか、諦観を抱くべきかは判らなかった。だが、自分のするべきことを、ヴィンセントは熟知している。

 ヴィンセントは苦笑と共にアリステラを見る。

 彼女は小首を傾ぎながら、大機関の手の上で此方を見下ろしながら、


「それで最初の質問に戻るのだけれど――相対する相手を失った貴方は、一体何をしに現れたの?」


 そう問うてくる。

 ヴィンセントはやれやれと肩を竦め、そして不敵なほほえみを返した。

 パラケルススがいなくなろうとも、ヴィンセント・サン=ジェルマンの行動理念に変わりはないのだと告げるように。

 パラケルススはいない。このロンドンを恐怖に満たし、叡智へといたろうとした男はもういない。


「君こそ、不思議なことを訊くじゃあないか。決まっているだろう?」


 だが――




 ――それ以上の何かを以ってして、このロンドンを――果てには世界すら飲み込もうとしている存在が眼前にいるのなら。




「――無論、君の邪魔をするためだとも」


 ヴィンセント・サン=ジェルマンは相対する。人々を脅かす狂える進化主義者マッドサイエンティストから、無辜なる人類を守り、脅かすに連なるものたちを討つ。そのためならば、どんなことだってしよう。

 それが嘗て、叡智を夢見て古き同胞(アルケミスト)と道を共にしいた者の務めだ。

 ヴィンセントを見下ろすアリステラの表情が僅かに歪む。ほとほと困ってしまったと言う風に眉を顰め、うんざりと肩を落として。


「――本当に、誰も彼もがそう言って邪魔をしたがるのね。つまり、それはそれだけ私を認めてくれていると言うことかしら?」


「ふはは。面白いことを言うじゃあないか。残念ながら、君を認める要素も、敬意を払う意味もない。ただ、否定するのみだ。機関に魅入られし娘よ。私は、君をまた、君を否定するとも。人は、常命の存在だ。生まれ、育ち、泣いて、笑って、死んでいく――そんな当たり前の在り方こそを、私は(たっと)ぶ」


「千年を生きる伯爵様が言うと、酷い皮肉だわ。上から目線もいいところ……何度も言っているからもう薄ら寒い科白に思えるけれど、言わせて貰うわね。サン=ジェルマン伯爵――退場を、お願いするわ」


 アリステラが右腕を掲げた。彼女の身体に走る光の帯線(ライン)が明滅する。干渉術式の励起発光――彼女が干渉術式を起動した証左。さあ、何が来る?

 火弾(クラフト)か、氷鑓(マクスウェル)か、雷撃(オイゲン)――それとも、大機関の巨体が齎す強烈な物理攻撃か。

 脳が瞬時に次の展開を予測する。しかし、ヴィンセントの予想を裏切り、火弾も氷鑓も雷撃も襲ってはこない。代わりに起きたのは、足元の崩壊。

 干渉術式による分子結合の崩壊だ。足場を構成する鋼鉄が、砂のように瓦解して消滅する。足場を失ったヴィンセントは、重力の手に捉われ自然落下していく。

 しかし、錬金術師は慌てることなく対処する。

 自らもまた干渉術式を起動し、重力を制御。落下速度を軽減し、階下の足場に着地をし――そこに、追撃が襲い掛かる。

 周囲の壁や部屋を構成する配管や瓦礫が、四方八方から迫って来たのだ。数は無数。ヴィンセントの干渉術式では、それを防ぐ手段はない。元々戦闘は得手としていない彼にとって、《干渉機関》という高度な演算機関を持つ彼女相手では、分が悪すぎる。


「ふむ……」


 ヴィンセントは肩を竦める。だが、彼は慌てることもなきれば、諦めているわけでもない。単純に、防御も回避も不要なのだ。

 何故なら――彼には優秀な護衛(ガード)もいれば、仲間もいる。

 ヴィンセントに迫る無数の瓦礫の間に、紅と青の影が飛び込み、


「――疾ッ!」


 紅の影が、その両手を揮い、青い影の手の中で、無数の銃声が鳴り響く。

 斬撃と銃撃が、ヴィンセントと襲おうとしていたアリステラの干渉術式を薙ぎ払っていく。


「おいこらヴィンス、横着しすぎだろ。いつでもお前の護衛をしてるわけじゃないんだぜ、こっちは!」


「ご無事ですか、伯爵!」


 二人がそれぞれに声を上げてこちらを振り返る。そんな二人の視線を一身に受けながら、ヴィンセントは微笑と共に首肯を返した。


「ああ、無事だとも。ありがとう、ミス・クオリ。トバリ、私は君を信用しているのだよ。こういう時こそ、君は私を助けるとね」


「その心は?」鮮血色の爪と、鎖付きの短剣を手にし油断なく構えるトバリが問うてくる。


「私は君の雇い主だからだ。ビジネスライクだろう?」


 いつぞや彼が言って来た言葉をそのまま返すと、彼は皮肉げに口の端を釣り上げて「なるほど、納得だよ。くそったれめ」と零した。

 そんな彼の反応に苦笑を零し、ヴィンセントはステッキを手に立ち上がり、声を高らに告げる。


「さあて、役者は揃ったようだ。そろそろ幕引きに向かうとしようじゃないか」


「あら、いいわね。それには私も賛成するわ、伯爵。それで――貴方たちが退場(ロスト・オブ・デッド)してくれると思ってもいいのかしら?」

 大機関の掌の上で、アリステラはヴィンセントの言葉に同意を示しながらそう問うてくる。勿論、ヴィンセントは首を横に振って異を唱えた。


「それこそ、まさかだ。我々が退場することなどあり得ない。だが、かと言って君が退場するわけでもない。私はただ、その煩わしい|機械仕掛けの理不尽な存在デウス・エクス・マキーナに対して、一石を投じるだけだ」


「簡単に言うじゃねーか。あの大機関(デカブツ)に、どう退席願うんだ?」


 ヴィンセントの言葉に、トバリは茶々を入れた。言葉にはしないものの、隣に立つクオリもまた、視線で尋ねてきている。

 ヴィンセントは苦笑を零し、答えの代わりにそっと左手を彼らの前に差し出して見せる。その手には、トバリに手渡した小型の通信端末に似た、小さな釦が一つだけ付いた機械が握られていて。


「簡単だよ。これを――こうするのだ」


 ヴィンセントは、にやりと笑いながらその釦を押した。



 その瞬間――凄まじい衝撃と共に、爆音が辺り一帯を呑み込んだのである。



 次々と、まるで連鎖するように爆炎がそこら中から噴き出して暗闇の地下を照らし出していく。

 立っていられないほどの衝撃と振動の中、ヴィンセントは悠然と佇んで教学に目を見開くトバリたちを見回して、さも当然の如く満面の笑みを浮かべて言ったのである。



「言っただろうトバリ。派手に壊す――それだけだよ」








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