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六幕『抱えるものを演者は曝けて』Ⅰ



「――はい、どうぞ」


「……ありがとうございます」


 小さく会釈しながら、私は夫人――ハドソンと名乗っていた――の差し出したカップを受け取る。湯気の立ち上る紅茶の香りが鼻腔をついて、私は小さく吐息を零した。

 そして、記憶を振り返る。この部屋で目を覚ます以前――そう。あの工場の地下で起きた出来事を。

 最後に覚えているのは――そう、あの光景。

 揺れる長い金髪に、感情の一切が宿らない冷淡な蒼氷の双眸。

 艶やかな唇を真一文字に結んだ少女の姿。

 ホーエンハイム・インダストリー最高経営責任者、ティオフィス・ホーエンハイム――またの名は、パラケルスス。

 これまで何度も何度も探し回った相手だった。あの伯爵と並び、歴史に名を遺す錬金術師。

 ロンドンのアカデミアを拠点にし、学会などを通じて欧州各地を転々として、その足跡を辿れども辿れども見つけることのできなかった存在。


(漸く……見つけたと思えば、これですか)


 手が届く場所に姿を現した――なのに、手が届かない。

 声が届く距離まで近づけた――なのに、声は届かない。

 圧倒的なまでに、絶対的なまでに、彼我の距離は遠い。手を伸ばそうとも、声が嗄れんばかりに叫んでも、どれだけ望もうと、辿り着くことができない。


 どうして! どうして! どうして!


 誰にともなく訴えるように、私は心の中で強く叫ぶ。

 足掻いて足掻いて、漸くといったところで邪魔される。

 特に今回は、あの女性だ。

 白い髪の、極東の衣に身を包んだ奇怪な、女の姿をした、血の海の中でほほ笑む怪物――〈心臓喰い〉と呼ばれる都市伝説の怪物にして、|人にして、人ならざる鋼鉄の怪物マンマシーン・インターフェイス創造主(パラケルスス)が真の意味で生み出さんとしたレヴェナント。


(あれが、私と同じ施術(こと)をされた存在……?)


 脳裏に過ぎるのは、喜々とした表情で血の海の中を踊る女の姿。思わず、ぞっとする。

 少なくとも、私はこんな身体になることを望んではいなかった。人のようでありながら、だけど絶対に人ではない部分を宿したこの身体。

 鋼鉄(クローム)の翼と小型化された蒸気機関(エンジン)を内側に宿した、異形の身。

 何度、この身体を憎んだことだろうか。

 何度、この身体を殺そうとしたことか。

 だけど適わなかった。どうすることもできなかった。干渉術式によって書き換えられた私の身体。単に肉体に蒸気機関を組み込むのではなく、それよりももっと深い部分に組み込まれていて、ただの外科手術程度ではどうにかなるものではなくて。

 だから、探し続けた。私の身体をこんな風に作り替えて、私から家族を奪ったあの狂人を。


「あと少しなのに……」


「何が、あと少しなんだ?」


 私の零した科白を拾う、誰かの声。

 いや、誰か――ではなかった。私が向けた視線の先に立っているのは、血に染まったようなコートに身を包んだ、黒い髪の若者。


 ――ツカガミ・トバリ。


 伯爵が雇っている腕利きのレヴェナント狩りにして、〈血塗れの怪物(グレンデル)〉の名を持つ彼だった。

 彼は私に剣呑な視線を向けると、共に降りて来たらしいワトソン医師と、部屋に招き入れたハドソン夫人に席を外すように頼んだ。

「込み入った話があるし、こっちの仕事に関わる内容だから」と添えると、ハドソン夫人は首肯で応じて部屋を出て行った。ワトソン医師のほうは渋った様子で、


「目を覚ましたばかりだ。あまり無理はさせないほうがいい」


 彼を見据え、そう苦言する。対して、彼は苦笑を零しながら言った。


「それはこのお嬢さんの出方によるさ。まあ、なんかあったら声を掛ける。それまでは外にいてくれや」


 彼の言葉に、ワトソン医師はなおも渋い顔をしながら、仕方がないと言った様子で嘆息し、部屋を後にする。

 扉が閉まり、部屋に二人きりになった――そう思った次の瞬間には、もう目の前にいた。

 煙るような速さで腕が迫り、胸倉を摑み上げられる。

 喉元に添えられているのは刃。

 彼の手に握られているは抜身の短剣で、その切っ先がぴたりと突き立てられている。

 冷徹な眼光が瞳を覗く。口元には先ほどまで浮かべていた軽薄な笑みは消え失せ、代わりに張り付いているのは――無貌。


「――答えろ、クオリ・アリア・リーデルシュタイン。あの金髪の娘(おんな)は何者だ? お前の知っている限りのことを吐け。でなければ……」


 その先を物語るのは、喉元の冷たい感触。冷徹で無慈悲な刃が――僅かに食い込んだ。

 僅かに痛み。突き立てられた短剣が、浅く皮を貫く。


(……本気、ですね)


 突き立てられた刃の感触から、その刃に込められた力加減から、私はそう悟った。

 そうすると決めたならば、この青年は一切の躊躇いなく刃を振り抜き、私の首を掻っ切るだろう。眼光、言気、刃、そして纏う気配がそう知らしめる。


 ――敵なら、容赦はしない。


 そう物語る殺気を前に、僅かに息を呑む。それでも尚、自分の中の動揺を悟られぬ様、私は屹然とした態度で問う。


「……何故、そんなこと知りたがるんですか? 貴方には――」


「――関係ない、とでも言うならそいつは勘違いだ。あの小娘はセンゲとつるんでやがる。あの二人の間にどんな繋がりがあるのかは知らないが、最低でも持ちつ持たれつ(ギブアンドテイク)なのは間違いないだろ。なら、無関係とは言えない。だからこそ、俺の敵に手を貸す奴のことは出来うる限り知っておきたいってわけだ」


 私の問いを遮って、淡々と語る彼。私は胸元を摑む彼の腕を取りながら、逆に尋ねた。


「むしろ、私の方が貴方に訊きたいくらいですね。あの白い髪の女性と、随分仲が良かったみたいですが?」


 どうせはぐらかされるのだろうと思いながらも、そう尋ねる。

 相手の詰問を躱す方法は、相手が答えを窮する問いをすることだ。今彼が最も聞かれたくないであろうこと。それを狙い澄ましての問い。だが――


「あいつの名前はトガガミ・センゲ。俺の古くからの知り合いだよ。俺の家族を含めて、一族郎党皆殺しにして雲隠れしやがった。俺はあいつを探して、遥々ロンドンまでやって来たってわけだ」


 あっさりと――。

 思っていたよりも遥かに気軽に、彼は〈心臓喰い〉の情報を吐いた。

 彼のその返答は、正直予想もしていなかった。少なからず誤魔化すなりはぐらかすくらいすると思っていたのに、まさかこうも簡単に情報を開示して来るなんて。

 意図が、読めなかった。

 どんな思惑を以て彼が容易に語るのか――其処に秘められている彼の真意が、私には判らない。

 そんな風に戸惑う私を見て、彼はしてやったりとでも言いたげに口元を綻ばす。


「どうした? すっげー戸惑ってますーって顔してるぜ。俺がお前に奴の情報(こと)を教えるのがそんなに不思議か?」


「……ええ、その通りですね」


 彼の科白に、私は素直に首を縦に振った。


「軽口以外の何かを口にする生き物だったんですね……」


「……ったく。どいつもこいつも、人をどんな風に見てるんだか……」


 そう言って、彼は溜め息を零した。

 そして「それに、もう一つ」言いながら、胸元を摑んでいた手がぱっと離された――と思った次の瞬間、私の身体が反転する。

 強く壁に押し付けられ、背を彼に向ける形になった。

 何をするつもりなのか――そんな疑問を抱いたのと同時、振り返った先で青年が私の背に手を伸ばすのが見えた。


「ちょ、何を……!」


 非難の科白。

 しかし、それは性的な危機感から来るものではなく――もっと根本的部分から来る忌避。あるいは恐怖。

 知られてはならない。触れさせてはいけない。

 それが誰であろうとも、たとえ自分が愛する者であったとしても、決してこの身体のことを知られるわけにはいかないという、私が定めた自分自身へのルールだった。

 だが彼は此方の言葉を無視し、無遠慮に私の背に手を伸ばしてくる。


「ひっ……!」


 今度こそ、悲鳴が漏れる。

 毅然としなければいけない。

 冷淡に、冷徹に、彼の行為を咎めなければいけないのに。

 抑えつけている力は強いが、決して振り解けないほどではない。振り解いて、その顔を張り飛ばしてしまえばいい。

 そう思っているのに、言い聞かせているのに、彼の視線の先にある物の、彼が今まさに触れようとしている物のことを考えると、上手く自分を制御できなかった。

 いやだ。

 触らないで。

 お願いだからやめて。

 見られたら。

 触られたら。

 やめて。やめて。やめて!

 そう、心の中で強く懇願する。

 だけど、もう遅い。

 彼の手が服越しに、私の背に存在している部位に――人体には有り得ない金属が埋め込まれている部分に触れた。

 そして触れながら、彼が問う。


「教えろ。こいつはなんだ? マンマシーン・インターフェイス……センゲは呼称()んでいた。あんたの背中から現れたクロームの翼……あれはあいつのと同じ代物なのか? なら何故、それがお前の背にある?」


 問いに込められる感情はなんなのだろう?

 背に備わる鋼の部位に触れて、彼は何を思っているのか?



「――……お前は一体、何者だ?」



 その問いかけに込められている感情は、何?

 忌避か? 

 好奇か?

 それとも――畏怖か?

 貴方もまた、私を化け物と……そう呼ぶのか?

 そんな疑惑が何処からともなく浮き上がる。

 考えるな。そんなことにはなり得ない。そう自分に言い聞かせると同時に、心の底から嫌だと感じた頃の記憶が蘇る。

 自分の身体を見据える眼差し。

 私の身体に埋め込まれている異形を知った者たちの眼差しは、いつだって驚愕と畏怖だった。

 奇妙なものを見るような。

 悍ましいものを見るような。

 気味の悪いものを見るような。

 そう――まるで化け物を見るような、恐怖と忌避の眼差し。


(違う……!)


 記憶の中の、誰のものとも知れない眼差しに請う。


 ――そんな目で私を見ないで。


 ――私を、化け物なんて呼ばないで。



「……私は――」


 視線だけで振り返り、答える。



「――化け物なんか、じゃない」



 黒髪の間から覗く、血のように赫い瞳とぶつかった。

 剣呑で、まるで射抜くような眼光だ。

 これまで出会ったどんな視線よりも鋭く、凶暴な視線だ。

 だけど――そこには私の恐れていた感情は見受けられなかった。

 忌避もなく、好奇もない。

 侮蔑もなければ、畏怖でもない。

 僅かな困惑に――安堵のような吐息を零しながら、彼は言う。


「そうだな……アンタは化け物なんかじゃないさ」


「へ……?」


 我ながら――我ながら、なんと間抜けな声を上げたのだろう。彼の瞳を見据えながら、私は忘我したようにその場にへたり込む。

 同時に、彼が微笑――いや、微苦笑する。そして、


「化け物ってのは、封神血族(おれたち)みたいな連中のことだからな……」


 何げない、本当に何げない動作で、彼は寸前まで私に向けていた短剣で、自分の首筋を一撫でした。


 鮮血が迸る。


 一文字に裂かれた首から、深紅の液体が零れて行く。

 悲鳴も上げる間もなかった。

 ただ驚くしかできなかった。

 立ったまま平然と零れる自分の血を見下ろしている彼が、徐に首筋を拭い――傷口を見せた時、その時こそ、私は声を上げたのだ。


「……傷……が……」


 あるべきはずの傷痕(モノ)は、何処にもなかった。

 今さっき、目の前で切り裂き、血が流れた場所にはもう、何もない。

 いや、よく見れば――本当に注意して、意識してその箇所を見れば、確かに傷痕はある。真新しい刀傷。鋭く裂かれた皮と肉の痕跡が、確かにある。

 だが、それは私が見ている目の前で、確実に薄れていっている。塞がり続けている。凄まじい速度で彼の傷は塞がって行き――そして、私が驚きのあまり言葉を失っている間に、綺麗さっぱりなくなってしまったのである。


〝治癒〟――いや、それは最早〝再生〟と呼ぶに値する次元の現象。そんなもの、とてもではないが人間の持ち得る力ではない。


 それはもう人外の領分。

 人ならざる存在の領分。

 即ち――


「化け物って言うなら、こういうことを言うもんだろ?」


 と、自分で切り付けた首筋を撫でながら、彼が自嘲する。

 あるいは、私の身体の異常などなんてことはないという風に。

 ――人間と機械の融合マンマシーン・インターフェイスという、人間の身体に対しての機関機械を埋め込み(マシン・インプラント)により誕生したという、今尚世界を見ても手が届いていない奇跡の一端である人の枠を超えた存在(わたし)を前にして、彼は言うのだ。

 なんだ、その程度か――と。

 そんな彼の態度に、私はどう応えればいいのか判らず視線を彷徨わせ、言葉を探し――そしてようやく小さな声で、



「……ありがとう」



 そう告げた。

 言葉を口にすると同時。私の中で、何かが融解する。

 それはきっと、わだかまりとか、敵愾心とか――意味もなく彼に向けていた何か。

 いや、多分それは、ずっと抱いていた物だ。彼にだけではなく、誰であっても抱いていた恐怖感。



 ――どうか、私を化け物と呼ばないで。



 それはこんな身体になった日から。

 あるいは、この身体を見て初めてその言葉を投げつけられた時から抱いていた、私のささやかな祈りだった。

 それを彼が汲み取った、というわけではないのだろうけれど、それでも。

 彼を見る。黒髪の間から覗く薄朱の瞳は、訝しげに細められていた。その視線が〝何を言ってるんだこいつは?〟と言外に物語っているように見えて。

 だけど、もうその視線を不愉快に思うことはなかった。

 ただほんの少しだけ、悔しく思った――ただ、それだけのことだ。





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