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英国幻想蒸気譚 -project FOLKLORE-  作者: 白雨 蒼
一章:ブラッドレッド・フォルクール
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五幕『智者は知られざる世界をその慧眼に見る』 Ⅰ


 ――ゴゥンゴゥンゴゥン


 どんな事件が起きようと、どんな事態が進行しようと、大機関の音が何処からともなく鳴り響き聞こえてくる。それがロンドンだ。

濃霧に満ち、夜も深まって、あと数時間もすれば朝が迎えるだろう刻限。


 ウェストミングスターのメリルボーン地区。其処の通り(ストリート)の一つ、ベーカー街。ボロボロの少女を背負って辿り着いた頃にはもう、トバリと言えどその貌に疲労に色を濃くしていた。

 それでもどうにか歯を食いしばって、目の前の扉を――B211の扉を、家主に申し訳ないと思いながら乱暴にノックする。

 対応は意外と早かった。恐らく慣れているのだろう。なにせ部屋を貸している相手が相手だけに、この場所を訪れる人間は枚挙に暇はなく、時間だって関係なしの遠慮なしな人間ばかりだろうことは、容易に想像がつく。

 時計の秒針が一周するよりも先に、家主の女性、ハドソン夫人が扉を開けると同時、トバリはらしくないなぁと思いながら安堵の吐息を零した。


「夜分に失礼、ハドソン夫人」


「あら。貴方は確か先生の――」


「ええ、ワトソンの友人……みたいなものかな。悪いんだけど、怪我人がいてね。彼を起こしてきてくれないか?」


 珍しい来客に目を丸くするハドソン夫人に向け、トバリは背負っている怪我人を――クオリ・アリア・リーデルシュタインの姿を晒した。あちこち大小問わず傷だらけになった少女の姿を見たハドソン夫人は途端に血相を変え、「さあ、入って。すぐに先生を起こしてくるわ。その子は私の部屋に運んで頂戴」と慌ただしい様子で部屋に取って返し、階段を上っていくのを見送りながら、トバリは周囲に目を配りながらそそくさと夫人の部屋に入る。


 部屋に入ってすぐの、手近にあった来客用長椅子の上にクオリを下ろすと、トバリはそのまま自分が纏っていたコートを乱暴に脱いだ。


 せっかく新調して日も経っていなかったというのに、早くもズタズタになった紅いコートを見て溜め息を吐きつつ、トバリは自分の身体をあちこち見回した。


 服の破れ目に血は滲んでいるが、覗く肌にはもう、傷らしい傷は殆どない。センゲの大刃に切り裂かれ、貫かれた箇所に残っているのは、せいぜい擦過傷程度の怪我だけだ。

 我が身のことながら、実に常軌を逸した回復力である。センゲの言葉を借りるならば、腐っても封神――と言ったことろか。


(……散々あいつらのことを化け物って罵ったけど、俺も似たようなものだよな)


 溜め息を零しながら、その視線を自分の身体から横たわる少女へと向ける。恐らくあの機関兵器を展開したせいなのだろう。衣類の背中部分は大きく破れ、背中が殆ど露出していた――のだが、気になるのはその肌ではなく、肌の上に浮き彫りになっているもの。


 鋼鉄でできた留め金(ボルト)。そしては薄っすらとだが、よく観察すれば確かに判る類の手術痕。若い女の身体には似合わない物々しい痕跡に、トバリは僅かに目を細めた。


 クオリ・アリア・リーデルシュタイン。


 アカデミアの学徒であり、我らが請負屋に駆け込んで来た、青い髪の奇妙な依頼主。

 最初はさして気にも留めるような存在ではなかった。名を騙って面倒を持ち込んで来た厄介者。その程度の認識。別段気に留めることもなく、仕事(ビズ)が終わればそのうち忘却する――そのはずだった人物だが、


「アンタはアンタで、いったい何者なんだよ……」


 最早、軽視できる領分はとっくに過ぎていた。今回の仕事において、この女の立ち位置は既に依頼主だけではなく、問題の一翼を担った存在だ。ましてトバリにしてみれば、彼女は自分の宿敵たるトガガミ・センゲと同じ肉体を機関化した存在マンマシーン・インターフェイスである。

 本来ならば尋問し、力づくで知っていることを吐かせるべき相手だ。だが、あの時。金髪の少女――確かヴィンセントたちにはパラケルススと呼ばれていた――が現れた時の、クオリの必死な形相かおと声が脳裏に浮び、舌打ちする。


「――姉さんを返せ、か……」


 姉とは一体、誰のことなのだろうか。人質か。それともあのパラケルススと呼ばれたものに捕らえられているのか。あるいは――レヴェナントに作り替えられた者のことなのか。


 考えたところで埒が明かない。


 彼女の目が覚めたら直接問い質せばいいだろう――そう考えを纏めた頃、部屋の扉をノックする音がした。「どうぞ」と短く返事をすると、ハドソン夫人が扉を開け「先生、こちらです」と連れ立って来たその人物を部屋に招き入れる。


 入って来たのは、片足を引き摺った長身の男だ。深夜なのだから当然寝ていたのだろう。寝間着姿の上に夫人同様ナイトガウンを羽織ってやって来たその男は、トバリの姿を見るなり驚いたように目を見開いた。


「トバリ! 此処で何をしている?」


「随分ご挨拶じゃないか、ワトソン先生。ハドソン夫人に聞いていないのか? 怪我人を連れて来たんだよ」


「なんだって? ああ、そうか。もしかして君が怪我をさせてしまったのか?」


 男――ジョン・H・ワトソンは、トバリの言葉に怪訝そうに眉を顰めながらそう尋ねて来た。トバリは「お前が俺をどういう風に見ているのか良く判ったよ」と零しながら、長椅子に横たわるクオリを指さし、言った。


「そうじゃねーよ。依頼主だ。お前たちが以前丸投げした仕事の、な」


「どうして依頼人が怪我をするようなことになるんだ……」


「いろいろあったんだよ。で、彼女には諸々の事情があって、普通の医者のところには駆け込めなかった。口が堅くて、且つ詮索しないでくれそうな医者と言ったら、お前しか思いつかなくてね。別件でお前の相棒にも用事があったから、これ幸いとやって来たってわけだ」


普通の医者には(、、、、、、、)?」


 トバリの説明を聞いていたワトソンは神妙な顔つきで、倒れるクオリに視線を向けた。


「診れば判るさ――頼む」


「勿論だ。医者として、怪我人を診ないわけにはいかないからな」


 トバリの頼みを快諾し、ワトソンはすぐにクオリの元へ駆け寄りながら、「お湯と清潔なタオルを用意してください」とハドソン夫人に声を掛けた。夫人はすぐに頷くと、言われたものを用意するべく部屋を後にした。

 その間に、ワトソンは患者の怪我の具合などを確かめるべく、彼女の身体を注意深く観察し――そして気づいた。


「これは……なんだ?」


「〝新理論〟――って言えば判るか?」


 トバリの口にした言葉を聞いたワトソンは「莫迦な!?」と素っ頓狂な声を上げて振り返った。


「あれはまだ発表されたばかりの、理論だけの技術だ。成功したなんて話は聞いていないし、そもそも学会で問題視されて半凍結状態のはずだろう?」


「だけど、それをやっていた奴がいる。発表されて間もない頃から。あるいは発表されるずっと以前から密かに……な」


「そんなことが、人体を機関化など、本当に可能なのか」


「よく言うぜ。お前だって厭というほど目にしただろう。人が鋼鉄の怪物になる瞬間を。人の身体の中から、やたらとデカい機関兵器があふれ出る姿を。レヴェナント――あれだって、似たようなものさ。人のままに留められるか、人であることを無理矢理捨てさせられるかのな……」


 彼もまた、この都市に蔓延る鋼鉄の怪物――レヴェナントの存在を認識している者の一人である。

トバリの言葉に、ワトソンは言葉なく俯いた。そして沈痛な面持ちで「そうかも……しれないな」と悔しげに零し、


「大体の事情は判った。確かに、これでは普通の医者では門前払いされるだろうな。身体が非公式の技術で機関化している人間なんて、どう扱っていいのか判ったものじゃない」


「任せていいか?」


「勿論だ。と言っても、怪我自体は普通の怪我だからな。普通の治療を施せばいい」


 トバリの問いに、ワトソンは苦笑しながら頷いて、医療鞄から道具を取り出し始めた。


「君はどうする? 頑丈なその身体では医者いらずだろう?」


 からかう風にそう言ったワトソンに、トバリは肩を竦めて鼻で笑った。


「ワトソン先生は皮肉もお上手なことだな。俺は別の用事を済ませてくる」


 言いながら、トバリは視線を頭上に向けた。自然、ワトソンもその視線を追うように天井を見上げる。

 天井――正確にはこの部屋の上の階に住んでいる住人がいるであろう辺りに視線を注ぎ、「いるだろ?」と尋ねる。

 ワトソンは「勿論」と頷いた。


「彼は基本引きこもりだ。事件があれば飛び出していくが、此処最近は彼の興味を惹く事件もない。まず間違いなくいるはずだよ。私やハドソン夫人が寝ている間に、抜け出していなければ――だがね」


「オーケー。それじゃ、不本意だが会ってくるとするか。先生、患者さんを宜しくな」


 ワトソンの言葉に納得しながら、トバリは振り返らずに手を振って部屋を後にする。

 去っていく背を見送りながらワトソンは、


「また薬を皮下注射しているかもしれない。様子が可笑しかったら、その時はすぐに呼んでくれ」


 そう声を掛けたのだった。




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