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三幕『青薔薇の淑女は斯くして語る』Ⅱ


 終業の鐘が鳴り、教授が「もう、チャイムですか。仕方がない。では、今日のところは此処までにしましょう」という科白を合図に、その時間の講義は終了した。

 つつがなく終わりを迎えた講義を聞き終えた私は、悠々と講義室を後にする。

 簡素な中着の懐から懐中時計を取り出して、現在時刻を確認する。講義終了予定時間からおよそ一分が経過していた。

 歩きながら、今日の予定を再度確認する。午後に受講している講義はない。かと言って、研究室に足を運ぶような用事はない。今の時期は次の考査機関に向けて資料を読み込み、論文の材料を集めるのが通例だ。

 勿論、私もまた、その例に漏れない。ただ――他の皆と違う部分があるとすれば、彼女は既に充分な資料を蓄えているくらいだけど。

 そんなことを考えながら、私は廊下を歩く。まるで物語に登場するような古城のような作りをした長い廊下を踏破し、中庭に抜けた。

 時間は丁度お昼時で、テラスのあるこの中にはでは昼食を取っている学徒がちらほらと存在していた。

 見ていたら、自分もお腹が空いてきたような気がして苦笑を零す。

 どうせ午後の予定はないのなら、このままアカデミアの外に行ってランチにするのもいいかもしれない。

 ――なんて、考えていた時だ。



「あー、もし。そこの青い髪のご令嬢は、ミス・リーデルシュタインでよろしいかな?」



 不意に声、掛けられて。

 私は何気なく足を止めて、声のしたほうに視線を向けた。


 ――誰だろう? 私の名を呼ぶ人なんて、そうそういないはずなのに。


 そんなことを考えながら振り返って――そして、私は自分の失態を悟った。

 思わず、息を呑んで立ち尽くしてしまう。

 視線の先。渡り廊下の柱に、背を預けるようにして佇む人影。

 見覚えは――あった。

 ただし、アカデミアでではない。

 彼と出会ったのはアカデミアの外。イーストエンド近くの集合住宅の三階で。

 長めの黒髪と、その間から覗く切れ長の双眸の青年。身を包む紅い外套も記憶に新しい。


 ――だけど、どうして彼がこの場所(アカデミア)に?



「――どうして? って顔してるな。ミス・パーキンソン。いや、ミス・リーデルシュタイン嬢よ」



 ――……どうやら正体もバレているらしい。


 私は内心で焦りを感じながら、それでも努めて冷静を装って柔和な笑みを口元に浮かべた。


「あの……誰かと勘違いしていませんか? 私は――」


「――クオリ・アリア・リーデルシュタイン。アカデミア所属二期生(セカンド)。専攻は機関工学と機関物理学。専門分野は汎用性機関工学だっけ? よくもまあ騙くらかしてくれたな。アンタがうちに来た時、取り換えっ子妖精の話をしたが……驚いた。まさにアンタがそれだったとはな。依頼人と尋ね人の名前を入れ替えるなんて、恐れ入ったよ」


 唐突に、そして滔々と。軽い足取りでこちらに近づきながら、まるで世間話のように言葉を連ねる彼に、私は思わず後ずさる。

 すると、彼は足を止めて――代わりに底意地の悪そうな笑みを口元に浮かべて見せた。


「ははっ。その反応を見る限り……どうやらアンタがあの時の依頼人――とみて間違いないか。言葉遣いや髪型は変えても、その髪の色はなかなかに目立つしな」


「……なんの、ことでしょうか」


 ニタニタと笑う彼を警戒しながら、私は一歩後退しながら尋ねる。すると、彼は大げさに肩を竦めながらため息を零す。


「別に責めようってわけじゃない。まあ、責めたい気持ちはあるけど……俺は所詮雇われの身(アプローブ)で、今回はただの報告役(メッセンジャー)として依頼主に会いに来たってだけだし」


 そう言って欠伸をする青年を注視する。様子を窺う。猛獣ネコを警戒する、小動物ネズミのような慎重さで。


 少なくとも、彼から害意らしいものは感じられなかった。


 不満や苛立ちはあるようだけど、それはまあ仕方がないと私も思う。私が彼の立場だったら、間違いなく同じような態度を取るだろうし。


「……報告役、ですか」


「――(イエス)。これを依頼主に渡せ、ってのがうちのご主人様のお達しでね」


 そう言うと、彼は赤いコートの懐から一通の便箋を取り出して、私へ差し出してきた。

 彼のその行動に、思わず私は辟易とした気持ちになる。


「……それは報告役ではなくて、配達係(ポスティーノ)では?」


 受け取りながらそう一言だけ注意してみた。

 しかし彼は、「――どっちだっていいさ。届けるのが言葉か手紙かの違いだし」と、興味なさげにそっぽを向きながらニヤリと笑う。

 なんというか――使い見どころのない人だ。まるで道化師ピエロを相手にしている気分になる。こっちの気分などお構いなしに、疎ましい笑みを浮かべる大道芸サーカスの道化師。

 私は口の端だけを器用に持ち上げている彼から視線を外さず、手渡された手紙を開く。

 そして手紙の内容を見た瞬間、私は言葉を失った。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 ――ミス・パーキンソン。いや、名前も判らぬ婦女子(ネームレス・レディ)へ。

 これは招待状である。

 貴女の真意が知りたい。腕の立つ護衛を、この手紙と共にお送りする。

 是非彼と共に、今一度我が下に参られたし。


                ヴィンセント・サン=ジェルマンより


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 手玉にとれる――などとは思ってはいなかった。相手は歴史に名を連ねる怪人だ。僅か十数年しか生きていない自分が、彼の慧眼を欺けるなんて考えはなかった。


(……だけど、そんな考えすら甘かったのかもしれない)


 まるですべてを見透かしているかのような手紙の文面に、私はそんな戦慄を覚えてしまい、呆然と立ち尽くしてしまう。


「おいおい……そんな庭の真ん中に突っ立てちゃあ、通行の邪魔だぜ?」


 声と共に、視界に陰りができた。

 いつの間にか彼が――紅衣の彼が、上から覗き込むように私の手に握られている手紙に視線を向けていた。

 不意打ちの距離だった。

 気づいた時もう、彼はそこにいて。

 彼は、呆れたように顰め面になってこう言った。


「なんだよ……ヴィンスの奴、端からアンタを信用してなかったみたいだな。いや、この文面だと、疑ってかかってた――って感じか」


 私に――というよりは、自分に言い聞かせているような物言いで、彼は一人その場で納得したような。あるいは、諦めたような溜め息を一つ零した。

 そして視線を私に向けて、


「――さて、どうするよ。俺としてはアンタが自分の足で事務所に来てくれると嬉しいんだけど?」

 にやにやと、意地の悪い笑みを浮かべてそう訊いてくる。まるで裏路地にいる破落戸のような笑みに嫌悪感を覚え、私は彼を睨みつけながら尋ねた。


「……もし、厭だと言ったら?」


「――無理やりにでも」


 ――カチャ、っという金属が擦れる音。


 僅かに視線を動かして、彼の手を見る。彼の手――左手の先に握られているのは、恐らく短剣の柄だ。

 実力行使も厭わない、ということなのだろうか。だとすれば、随分と狭量である。


「――……力ずくで女性レディ連れていく(エスコート)というのは、紳士にあるまじき行動ですね?」


「残念だが俺は英国人じゃない。だから莫迦真面目に紳士を気取らない」


「貴方の雇い主は、無理強い(そういうこと)が嫌いだとお見受けしましたけど?」


「時と場合によりけりだろ。臨機応変(ケース・バイ・ケース)って知らないのかい、学生さん(バチェラー)


 取りつく島もなく、彼は淡々と、そして簡潔に言葉を返してきた。しかも露骨な悪意と皮肉のおまけつきで。


(さて、どうしたものでしょうか……)


 私は彼を睨みながら考える。睨もうと思っているわけではないのだが、彼の言動が自然と私の視線を鋭いものにさせて、結果的にそうなっているだけだけど。


 返事は決まっている。


 元々、近いうちに足を運ぼうとは思っていたのだ。依頼とはまた別の用向きがあったから。

 だけど、彼にそれを伝えて、彼と共に伯爵なる人物に会いに行くのは、なんだか釈然としないというのも本音で。

 そんな風に私が考え込んでいると、彼はまた呵々と笑った。

 そっと、コートの内側に忍ばせていた手を晒して。

その手をコートのポケットに無造作に突っ込んで。


「――勿論、実力行使は最後の手段だよ。最も、アンタには必要なさそうだが」


 不意にそんな言葉を口にして、彼はふらりと歩き出した。

 紅いコートの裾を翻して、私の横を通り過ぎる彼。

 思わず、私は振り返ってその姿を目で追った。

 その間に、彼は私とは違う誰かに目線を向けて「いつまで遊んでるんだよ、行くぞ」と声を掛けていた。

 一体誰に? と思っていると、遠くから「あーい」という返事が飛んでくる。見れば、帽子を被った朱色の髪の少女が、トコトコと彼に歩み寄っていき、半分だけ開いた眼で彼を見上げ、形ばかりの敬礼をしていた。


「うい。来たよ」


「いや、そもそも此処、遊ぶ場所じゃねーから。あとその手に抱えているやつは下ろせ」


 呆れ気味に言って、彼は少女が片手で抱えている動物型機関人形(アニマロイド)――アルマジロ・ロボを指さした。確か機関技巧科の学生たちが作っている作品の一つで、アカデミア内に自由に放逐されているやつだったはず。


(まさか持って帰ったりはしないですよね……)


 今の自分の置かれた状況すら忘れて、心の中でそう突っ込んでしまう。幸いにも、少女は「えー」と口では文句を言いながら、ゆっくりと抱えていたアルマジロ・ロボを地面に下ろしていた。解放されたアルマジロ・ロボは、排熱機関からぷしゅー!と蒸気を吐き出して走り去っていった。


「逃げられてやんの」


「むぅ」


 からかうように指摘する青年の言葉に、少女は不満そうに頬を膨らませていた。その情景だけ見ていたら、仲の良い兄妹か何かに見えるのだが――実際そう見えているのか、何人かの学生がほほえましそうに見ている――生憎、彼の生業を知っている私は、そんな風には思えない。

 ただ、彼をじっと見据える。

 少女とひとしきり言葉を交わした後、彼は視線だけ振り返って。


「さーて――行く気、あんだろ? なら、さっさと行こうぜ。お嬢さん(レディ)


 にぃ、っと。口の端だけを器用に釣り上げて。

まるでこっちの考えなんてお見通しという風にそう言って。


(……人の心を見透かしたように言わないで欲しいのですけど)


 私は釈然としない気持ちを抱えたまま、だけどもう悩むのも莫迦らしくなって――


「――しっかりエスコート、できるのですよね。ミスター」


「お望みならば、我らが女王陛下クイーン・ヴィクトリアよりも大切にお連れするぜ?」


 意趣返しにと嫌味を零せば、彼は軽口を叩いて返し、恭しげに頭を下げて見せたのだった。




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