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二幕『奇妙な依頼が齎すもの』Ⅱ


 女性が去ってから暫くして。

 先に沈黙を破ったのは、青年――トバリのほうだった。


「――結局、自分の素性はほとんど話さなかったな。あの女。名前だって、本名なのか怪しいもんだ」


「ふむ。なんとも魅力的な響きだな。正体不明の美人学者……神秘的ミステリアスだ」


「冗談を言ってる場合かよ……」


 滔々と、まるで芝居の科白のように言葉を口にする紳士――ヴィンセントに向けて、トバリは辟易したように嘆息をした。しかしてヴィンセントは余裕の態度を崩すことなく、悠然と執務机に寄り掛かりながら言う。


「勿論冗談ではないよ、トバリ。私は真剣そのものだ」


「尚更に性質が悪いな……で、何者だと思う?」


「ミス・リーデルシュタインの友人であり、自らもアカデミア所属の学生と言っていた。別段嘘をついている様子はなかったな。アカデミアの学生であるのは間違いないだろう。ただし……友人であるかは、怪しいがね」


「その根拠は?」


「――これだ」


 言って、ヴィンセントはトバリにあるものを差し出した。トバリは無言でそれを受け取る。ヴィンセントが見せてきたのは、つい先ほど女性が置いていった篆刻写真である。

 一見して、怪しいところはない。十代後半の女性――件のクオリ・リーデルシュタインが一人で写っている写真である。

 そう。別段怪しい点はない。

 もし、問題があるとすれば、


「……人物画というより風景画だな」


 写真を見てふと感じた違和感を零すと、ヴィンセントは我が意を得たりと言わんばかりに合いの手を打ち、「見事だ!」と声を上げた。


「そうだ。友人の写真というわりには視点が可笑しい。友人を撮影したというものではなく、彼女に気づかれないようにしながらこっそりと撮ったものに、私には見える」


「なーるほど」ヴィンセントの説明に、トバリは納得したように肩を竦める。「隠し撮りか。とてもオトモダチのすることじゃあないな」皮肉を零しながら写真を目の前の名が机の上に投げると、同時に別のもの――開いた新聞紙がヴィンセントから差し出された。


「それにだ――君が差し入れてくれた新聞に、気になる記事があったのでね」


「記事ねぇ」


 差し出された新聞を受け取り、トバリは新聞に目を通す。

 そこには『ロンドン病院の闇。実験棟から相次いだ悲鳴の正体とは?』という小さな見出しで書かれた記事があった。


 新聞の日付は一昨日のもの。三日前の夜遅く、ロンドン病院付属研究施設から多数の悲鳴が聞こえたという通報が複数あった。しかしロンドン警視庁(スコットランドヤード)が調査したところ、実験棟の中に怪しい点はなく、『問題なし』と判断した――と書かれている。


 だが、


「これが怪しい、ってお前は思っているわけか」


「当然だろう。論争の最中にある新理論の研究者がロンドン病院に行き、行方知れず。関連性を疑うのは当然だ」


「まあ、言いたいことは判るけどよ……、どうするんだ?」


 暗に『依頼をこなすのか?』と尋ねてみれば、「勿論、調査するとも」と、間髪入れずにヴィンセントは答えを返した。彼は軽快なステップで部屋の片隅の置かれたコート掛けへと歩み寄ると、インバネス・コートに袖を通し、帽子掛けにひっかけていたトップハットを手に取って頭に被せた。

 外行の際の彼の姿だ。どうやら外出するつもりらしい。

 なんて他人事のように感じながら、ソファに背を預けた姿勢で彼の様子を傍観していると、紳士は壁に立てかけてある愛用の杖を携えながらこちらを振り返り――


「そういえば、我が事務所の花たるリズィは何処(いずこ)に?」


 リズィ――先月の頭くらいからこの事務所に住んでいる朱色の髪の少女だ。トバリと同じ居候にして、この事務所の一応メンバーである。


「あいつなら手紙を出しに行かせた。お前がため込んでたやつな。ついでに買い物に行かせたよ。暫くは帰ってこないだろ」


 あと、間違いなく道草を食っているだろうけど、それは言わないでおいた。あれはあれで、なかなかに顔が広いらしく、知り合いも多い。出掛ければまず夕食までに帰ってくることはない。


「ふむ。レディと出掛けられるかと思ったのだが……残念だ。ではトバリ、書置きを残して我々は出掛けるとしよう」


 さして残念がっている風には見えなかった。その上ついでみたいに自分に同行を求めている。しかもその言い方は、まるでトバリが同行するのが当たり前のような物言いだったので、トバリは半眼でヴィンセントを見据えながら確認した。


「あー……ヴィンスよ。まるで俺が行くことを前提に話を進めているな、アンタ」


「なんだ。では行かないとでも?」


「……いや、行くけどさ」


 首を傾げるヴィンセントの姿に、トバリはそう言いながら盛大に溜め息をついた。

 何せこの男。永劫を生きる怪人にして、伝説の存在たる錬金術師サン=ジェルマン伯爵は、請負屋などを経営しているくせに、全くと言っていいほど荒事に向いていない、見た目通りの壮年の紳士でしかないのである。

最も、それは身体的な能力の話であって、ご自慢の錬金術やらを用いればその辺の破落戸如きに負けるとは思わないが……今回は行先が行先だ。ついて行かない、というわけにもいかないだろう。

 トバリはもう一度、今度は諦念のこもった嘆息を零しながら立ち上がり、自身も彼に倣って愛用の紅いフーデットコートを取った。


「で、何処に行く?」


 袖を通しながら、一応確認する。

するとヴィンセントは、「決まっているだろう」と、口の端をにやりと釣り上げながら言った。



「この都市で最も危険な区画――そう、ホワイトチャペルだ」




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