暗中摸索の狂詩曲
「ボクのこと、覚えていて……くれますか?」
「……ああ」
ここで電話すれば、Dメールが届いて世界線が移動する。
「女の子だったボクのこと、覚えていて……くれますか?」
「……ああ」
俺はまた、仲間の思いを犠牲にして前に進む……
「たった4日間だけ恋人だったボクのこと、覚えていて……くれますか?」
「……ああ」
ルカ子の指が、俺の指に重なり……発信ボタンを――
「さようなら。 ボクの……大好きな人――」
俺は……!
「ダメだっ、できない――」
俺には、もう出来ない……
まゆりのためと、誰かの思いを踏みにじるのは……
「岡部さん。」
「!?」
二人の唇が重なる。
それは悲しく、儚い……
「もしも……ですよ?」
ルカ子は俯きながら語る。
「ボクが、男の子に戻っても……ボクの事受け入れてくれたらなーって――」
涙を浮かべながら俺に微笑む。
「それならボク、男の子に戻っても平気です。」
これは、ルカ子なりの俺への励ましなのだろう。
世界線が変われば、俺以外の人達の記憶は残らない。
だから、俺は……
「ありがとう、ルカ子。」
この思い出も、背負っていかなくてはならない。
そして……
最初で最後の共同作業を行う。
二人で一緒に発信ボタンを――
”その時、世界は歪んだ”
『暗中摸索の狂詩曲』
8月15日(土) 午後6時40分
――重ねられていた、温かい手の感触が。
強烈な目眩とともに、俺の指の間からすり抜けていった。
それは世界線が移動し、RSが発動した証拠である。
そこは変わらず神社の境内。
けれどもう、俺の身体にしがみつく”彼女”の感触はない。
ゆっくりと、振り返った。
「……?」
ルカ子が不思議そうに首を傾げる。
その顔に、涙はない。
胸が、張り裂けそうな錯覚に陥る。
そう、これが俺が背負っていかなければならない罪。
それをこらえて――
「なぁ、ルカ子」
「はい?」
「お前は――」
一瞬、躊躇した。
けれど、意を決して。
「男、だよな?」
「……そうですけど」
そこに”彼女”はすでにいなかった。
いるのは”彼”。
女の子のような可愛らしい顔立ち。
巫女服がよく似合う。
だが、男だ……
そう、ただ――
”元に戻っただけ”
「お前は、俺のこと……好きか?」
「えっ、いきなり、なにを……」
「……好きか?」
”男に戻ったら……岡部さんへのこの気持ち、封印しなくちゃいけないから……っ”
”ボクが、男の子に戻っても……ボクの事受け入れてくれたらなーって”
分かってる。
俺は……知っている。
「……」
この答えで、俺にも区切りがつく。
本当に、俺は卑怯者だ――
「…きです」
「え……?」
「――大好きです。」
8月16日(日) 午前9時00分
この日、俺はラボのソファーで目覚めた。
携帯を開くとまゆりからのコミマに行ってくるとのメール。
どうやらルカ子も一緒に行ったようだ。
身体を起こすと節々が痛んだ。
まぁソファーで寝たらこんなものだろう。
それよりも、俺はこの世界線の状況を把握しなければならない。
この、大きく変化してしまった世界を。
とりあえず昨日の時点で判明している状況を整理しようと思う。
まず、るか子の母親のポケベルにDメールを送った。 これは間違いない。
俺の予想では、これで、今まで通りDメールを取り消す事が出来ると思っていた。
しかし、予想とは違い世界は大きく変わってしまった。
大きく違う点はこうだ。
牧瀬紅莉栖、桐生萌郁はラボメンになっていない。
これは俺の携帯のアドレス帳から消えている事、ダルやまゆりが知らないと言っていた事からも明白だ。
更に、電話レンジ(仮)はゲルバナ現象のみでDメールを送った事は無いようである。
ドクター中鉢タイムマシン開発成功記者会見自体が行われず、あの日はラボにいたようで、当然紅莉栖も日本に来ていない。
当然のごとくIBN5100も柳林神社には無かった。 そもそも奉納すらされていないようだった。
桐生萌郁がいないのは秋葉にIBN5100が存在しないためではないだろうか?
ここで、俺に楽観的な考えが浮かぶ。
この世界線は、おそらくαを越えてβとはまた違った大きな分岐の世界線なのではないか?
つまり、この世界線ではまゆりは死なないのではないか?
ここまで根本的に違うとそう考えたくなってしまう。
しかし、だ。
フェイリスの場合も秋葉が大きく変化したにもかかわらず変動値はそこまで高くはなかった。
結局、現在の変動値を確認するためにもダイバージェンスメーターを確認するしかないのだ。
そのために、俺はこれから鈴羽の家に向かうと予定しているのだ。
これで、今後の方針もはっきりするだろう。
8月16日(日) 午前12時00分
「あ……ぁぁ……」
運命は常に俺に立ちはだかった。
「ない……?」
場所は間違えるはずはない。
なじみの場所では無いにしても、さすがにそんなミスはしない。
しかし現実にそこは……
――ただの空き地だった
これでダイバージェンスメーターの確認は不可能になった。
いや、もしかしたら鈴羽はこの世界線では別な場所に住んでいるのかもしれない。
しかし、それを探しているほど俺には時間は無い。
なんせタイムリープマシンは無いのだ。
まてよ……
鈴羽はSERNのディストピアを止めるためにIBN5100入手のために未来からきた。
そして、おそらくだがこの秋葉原にはIBN5100は無い。
結局無駄足だったのではない?
そんな事は無い!
これで現状把握ができた、全てをマイナスに考えてはいけない。
今の俺には切り札はない、慎重に行動するんだ!
そう、まゆりを救うんだ!
8月16日(日) 午後3時00分
「あ~、オカリンだ~ トゥットゥルー♪」
「よっ!」
「よっ! じゃないよ~、もうコミマ終わっちゃったよー」
メールで絶対に見に来てという内容道理来たのだが、どうやらもう終わりのようだ。
ルカ子もいつもの私服に着替えてしまっている。
「るか君のコスプレ大人気だったんだよ~」
「悪いな、用事に時間がかかりすぎた。」
右手で頭を掻きながらそう言い返した。
るか子は疲れたのか俯いたままだ。
おや?
「なぁ、ルカ子」
「は、はい!」
驚いたようにるか子は答えた。
「お前、いつも使ってる髪留めはどうしたんだ?」
――ビクッ!
ルカ子の身体が一瞬震えた。
「じ、実は……昨日落としちゃったみたいで……」
今にも泣きそうな顔で答える。
その姿を見て、あぁ、やっぱりいつものルカ子だな、と思ってしまう。
「そうかぁ、なら新しいのを買わないとなぁ。」
「え……?」
ルカ子は驚いた顔で俺を見ている。
まゆりも何かを言いたげに俺を見つめている。
「ほら、俺が新しいのを買ってやるさ。」
「は、はい……」
「妖刀・五月雨と同じくお前の覚醒の必要なアイテムとなろう、フゥーハハハ!」
あぁ、鳳凰院凶真をするのも久し振りな気がするな。
「ボク、先に帰りますね。 それと、後でお話があるのでラボで待ってますね。」
「あ、あぁ、分かった。」
そう言ってルカ子は先に歩いていってしまう。
「オカリン……」
「どうした、まゆり?」
「まゆしぃも先に帰るのです。 オカリンはるか君とゆっくりお話するのです。」
「ん? 分かった。 気をつけるんだぞ。」
この時間に家に戻るのならば特に危険も無いだろう。
今までは、俺が一緒にいて巻き込まれるというパターンがほとんどであったわけで、もしかしたら今度こそは……
しかし、今までそんな淡い期待は砕かれてきたはずだ。
今度こそは、という考えは危険だ。 せめて家まで送ろう。
「まゆり! 家まで送る!」
「も~、オカリンは心配性なのです。」
とりあえず時間までは傍にいよう、そう決めた。
8/16(日) 午後8時40分
結局、ラボについたのはこんな遅くなってしまった。
どうしてもまゆりの事が心配で、ついつい長居した結果だ。
俺が危惧していた事は起こらず、何もかもが平穏であった。
「ルカ子、怒ってるだろうな。」
ラボの明かりが点いているのは外からでも確認できる。
律儀に俺が来るのを待っているのだろう。
俺は階段を登り、ラボの入り口のドアを開けた。
いつもと変わらない風景。
何か物凄く懐かしい感じがするな……
この世界線ならばきっと……
見慣れたソファーにはルカ子が座っている。
「岡部さん、お帰りなさい。」
「遅くなってすまないな。」
「いえ、大丈夫です。」
そう答えるルカ子の表情はいつになく硬く感じた。
俺はルカ子の隣に座り、話ってなんだ?っと尋ねてみる。
「岡部さん、あの時の返事……まだしてくれてませんよね?」
あの時……?
いつの事を言っているのだろうか?
俺がタイムリープする前の話なら厄介だぞ……
「私の気持ちは言いました。 岡部さんはどうなんです……?」
あぁ、あの時か。
あれはただ確認のためだった。
そこまで深く考えていなかった。
でもルカ子にとっては、それは重要な言葉であったんだな……
――でも、俺には
「俺は……」
”男に戻ったら……岡部さんへのこの気持ち、封印しなくちゃいけないから……っ”
分かってる! お前の気持ちは痛いほどわかってるんだ!
「俺は……お前の気持ちに、答える事はできない」
”ボクが、男の子に戻っても……ボクの事受け入れてくれたらなーって”
今の俺では、それは出来ないんだ。
俺の器は、所詮その程度なんだ、ルカ子……
口でしか取り繕えない糞野朗だ。
こんな俺じゃお前を幸せにはできない。
そもそも俺は、この世界のお前を知らないのだから……
「そう、ですよね…… ボク、男ですもんね。」
その言葉が俺に突き刺さる。
かつての俺は、ルカ子に”それがどうした”と言った事があった。
「でも、これでやっと……」
ルカ子が涙を必死にこらえているのが分かる。
「……」
「ありがとうございます……」
そう言って、立ち上がるとフラフラと歩き出す。
今の俺に、かけてやる言葉はなかった。
――さよなら
そう、言われた気がした。
「ルカ子……?」
顔を上げた時には、ルカ子は既に駆け出していた。
何故だろう……
ものすごい嫌な予感がする。
俺は急いでルカ子の後を追った。
8/16(日) 午後9時50分
ルカ子はどこにもいなかった。
秋葉原中を探し回ったが、ついに見つける事はできなかった。
途方に暮れた俺は、神社の境内を歩いていた。
どうしてこうなってしまった……?
今更後悔しようが何かが変わるわけでもない。
キラッ
手に持ったライトの光で何かが反射した。
「なんだ?」
反射した光の原因を拾い上げる。
それは見覚えのあるものであった。
「これは、ルカ子の髪留めじゃないか!」
こんな所に落としていたのか。
道理で見つからないわけだな。
ふと気づいた。
髪留めが落ちていた場所の土が不自然に盛り上がっているのだ。
その不自然さが俺の興味を引いた。
自分でも不思議なくらい気になるのだ。
近くの木の根元にたまたま置いてあったスコップを拾い上げる。
さくっ……さくっ……
無心にその土を掘り続ける。
さくっ……さくっ……カン!
何か硬い物が当たった感触がする。
「これは……タイムカプセル?」
出てきたのはアルミ製のカプセルだった。
過去から未来へのメッセージ。
「確かにこれも、タイムマシンだな。」
ふと、自虐的に呟いてしまう。
中身はっと……
カポッ!
それはいとも簡単に開いた。
中に入っていたのは古ぼけた紙だった。
おそらく昔に書いた、未来の自分へのメッセージだろう。
残念ながら、世界線を移動してきた俺には知るはずもない物であった。
「これはルカ子の字か?」
ルカ子が書いたらしきメッセージが目に入る。
っ!
”倫太郎さんと結婚したいです”
今の俺には痛い言葉だった。
「分かってる! 分かってるんだ!」
つい叫んでしまった。
ルカ子の気持ちは痛いほど分かる。
しかし、俺は受け入れられないんだ!
俺には無理なんだ!
「くそっ!」
紙が辺りに散らばる。
1枚の紙が手元に落ちる。
”この思いを忘れてはならない”
「うっ!」
この、感覚は……!
そう、何かに……そうだ、RSの発動と同じだ!
「うぁぁぁ!」
しかも今までにないほど強烈な痛み。
「ぁぁぁぁ!」
痛みに耐えられずに俺は叫んでいた。
ふわふわとした感覚に全身が支配されている。
ここは……どこだ?
まるで現実味を帯びていないように風景は色褪せていた。
俺は確か……
先ほど起きた事を思い出す。
RS発動時のような痛みが走ってそれから……
薄っすらと二人の子供が目に映る。
一人は、紛れも無い、過去の自分。
もう一人は、おそらくルカ子だろう。
「いいかルカ子、お前はもう我が実験体となった!」
「実験体、ですか……?」
「そうだ、大事な実験体だ!」
「……」
「つまりだ、大事な実験体だからこそ他の奴らには指一本触れさせん!」
「岡部さん……」
「フゥーハハハ!」
これはおかしい。
この過去はおそらくこの世界線の俺の記憶だ。
今までの経験上、自分が知りえる記憶以外は存在しないはずだ!
「答えが知りたいか?」
「!?」
驚く事に、過去の自分が話しかけてきたのだ。
さっきまでいた過去のルカ子は消えている。
「まさか、子供の自分に話しかけられるとは非常識だな……」
「はぐらかさなくてもいい、お前の疑問に答えてやる。」
過去の自分は真剣な眼差しで俺を見据えている。
その視線には歳相応の子供っぽさは微塵も感じられない。
「これは、リーディング・シュタイナーの力の一つ、記憶のバックアップ機能による現象だ。」
「どういうことなんだ!」
「本来ならRSはその世界線の記憶を保持する事はできない。
それはお前も分かっているだろ?」
「あぁ・・・」
そんな事は分かっている。
もう一人の自分はさも得意げに言うが、それは俺も分かっていることだ。
しかし、記憶のバックアップ機能というものは知らない。
「記憶のバックアップ機能、それは俺たちは無意識のうちに行っている。
それも色々な形でだ。」
そんな事があったとは・・・
「この世界線ではタイムカプセルという形でバックアップがなされた。
それをお前が読むことによってその機能が発動された。」
それがこの痛みか・・・
「そしてお前には2つの選択が用意されている」
「二つの選択?」
「この記憶を受け入れるか、拒むか。 その選択だ。」
もし受け入れた場合、俺は俺でいられるのだろうか・・・
「さあ、どうする?」
俺は……
タイムリープマシンはもう無い、これは一度だけの選択。
「俺は……記憶を受け入れる。」
「承知した。」
っ……!
今までに無い痛みが俺を襲う。
凄まじいほどの記憶の奔流が頭の中を駆け巡って行く。
俺は……俺は!
「はぁ……はぁ……」
気づくとタイムカプセルの中に入っていた紙を握り締めて棒立ちの状態だった。
額から汗が滴り落ちる。
ガサッ……
近くの茂みで物音がする。
「ルカ子!?」
俺は急いで駆け出した。
「ルカ子……」
急に目の前を走っているルカ子が足を止めた。
「……どうして?」
ルカ子が振り向く。
「私はもう……」
その瞳は涙で濡れている。
未だに頭の中はあらゆる情報が交錯し、俺に苦痛を与える。
だが……
「ルカ子……」
「あきらめたくない……でも」
「ルカ子!」
俺はそのままルカ子を抱きしめる。
「ぁ……」
力強く抱きしめてしまえば、壊れてしまうように錯覚するほどのか細さ。
ルカ子の身体は震えている。
「俺は……」
そう、今なら言える。 全てを知った今なら。
「俺は、お前を愛している……」
「っ……! 岡部…さん……」
ぶるるるる!
その時だった。
黒いワゴン車がこちらへと突っ込んでくる。
俺の脳裏にまゆりが車に轢かれる姿が思い出される。
ドンッ!
俺はとっさにルカ子を突き飛ばした。
「岡部さん!」
そうか……こういう事だったのか……
俺は、全てを理解した。
8/23(日) 午前11時30分
俺は病院のベッドで新聞に目を通していた。
隣でルカ子がりんごの皮を剥いている。
「どうぞ、倫太郎さん。」
「ありがとう、ルカ子」
綺麗に切られたりんごを自らの口に運ぶ。
あれから1週間。
俺は軽症で済み、明日には退院する事ができるそうだ。
俺とルカ子はあれ以来付き合い始めた。
まだおぼろげな記憶もあるがお互いうまくやっていけている。
「うまいな。」
「お父さんが倫太郎さんに持って行きなさいって。」
「なるほど、それは退院したらお礼を言いに行かなきゃないな。」
手に持っていた新聞をテーブルに置き、ベッドに横になる。
「少し休む。」
「お休みなさい、倫太郎さん。」
そう、これが俺の選択だ。
"天才少女 牧瀬紅莉栖 青森行の夜行バスの事故にて死亡"
――新聞の見出しにはそう書かれていた。
完