第三話@偽る
「随分と長いお手洗いでしたね。」
俺が戻ると、そこには既に茜がいた。
「悪い待たせた。」
「いえ、私もついさっき戻ったところです。」
「そうか。それで俺たちは何組だった?」
「......」
当然の疑問を口にする俺だが、しかし茜は俺の質問を聞いている素振りも見せずに俺の体をしげしげと眺めていた。
やがて口を開く。
「そんなことより翔太さ――」
俺は慌てて茜の口を手で覆った。
「っむ!?」
いきなりで茜は驚きに目を見開く。
しゃべっている途中でしかも俺が結構強めの力で口を押さえたため、茜の舌が俺の手を舐めてざらっとかぬめっとかは分からないがとにかくそんな感触がした。
「バカッ。学校じゃ様を付けるなって言ったじゃないかっ。」
「ふぉ、ふぉうしふぁけありふぁふぇん。」
小声で話す俺に茜も小声で返す。何と言っているかは理解できないが恐らくはごめんなさい的なことを言っているのだろう。
手を離してやる。
「気を付けてくれよマジで。」
顔を赤く染めて、はぁはぁ、と息を整えている最中の茜に釘を刺し俺は存在を忘れかけていた先生を向く。
「すみません。遅くなってしまって。」
一瞬ぽかーん顔の岡本教諭だったが、我に返って「気にしないでくれ。」と笑って言ってくれた。
どちらかと言うと、俺たちの方が気にしないでと言いたい……
「はぁ、はぁ……んんっ。それでは翔太。」
「何だ?」
息を整え、真剣な表情を浮かべる茜。
「大丈夫でしたか?」
茜は俺の傍へ来て、俺の目を見つめて心配気に言う。
あいかわらず察しが良い。茜は俺が彼女に黙って何かをする時も、怖いことに俺の行動を把握していることがままある。
それによく自分の服を見てみれば、さっき通った通路でかぶった埃が多く付着していた。これを見ればただトイレに行ったのではないことは見当がつく。
「ちょっと、言い争う声が聞こえたから見に行ってみただけだよ。」
「また余計なことに首を突っ込んで……」
これみよがしに溜息を吐く茜。
事情はできるだけ説明したい。ただしここで、あった事の始終を話すのは躊躇われた。すぐ傍には先生がいるから。
だから俺は掻い摘まんで話すことにする。
「行ってみたら男子二人と女子一人が何か揉めててさ。」
「大丈夫だったのかい?」
「ええ。心優しい俺が穏便に仲を取り持ってやりましたよ。」
多少、ほんの少しだけ事実を曲げた上に自分を誇張したことは認める。だが茜、その顔はやめろ。
ほっ、と安心する仕草をする岡本教諭を見ていると茜に袖をくいっ、と引かれた。距離が近い。
「嘘をつかないでください。本当はどうされましたか?」
「男二人、ボコボコにして放置してきた。」
「……まさかとは思いますが、本当に?」
「しょうがないだろ……相手は刃物を持ってたんだ。やらなきゃこっちがやられてた。」
ボコしたのはほとんどあの女だが。
「生徒が凶器、ですか……ただ事では無さそうですね。」
そう言って深く考え込む茜。
茜の言うとおり、尋常ではない事態ではあった。しかし、さっきの女生徒の様子を見ていると、彼らとの接触のような事態は珍しいことではないのだろうと思えた。根拠は、その女生徒は慣れているのか自然体そのもので、緊張感や恐怖を微塵も感じなかったこと。
「それで、どうします?」
「どうするって……俺はこのことにこれ以上関わるつもりはないよ。」
俺はそう言うのに、茜はそれでも訝しんだ目で見つめてくる。
何だその目は。
俺が文句を言おうかと思ったと同時に、茜はふっと微笑んだ。
「信じさせて頂きます。決して無茶をなさらぬように。それと――」
茜はずいっと俺の方へ更に接近してきて耳元で囁く。
「翔太様。もし、翔太様に危害を加える者がいたなら、私はその者を絶対に許さなかったでしょう。」
声は鋭く尖って、悪魔的で、目は普段の彼女のものとは思えないほど冷たかった。
「私に手を汚させないで下さいよ。」
「わかってる。」
茜は俺の返事を聞くと頷き、離れた。いつもの彼女。
俺は安堵に胸を撫で下ろした。
いつまでもここで立ち止まっている場合じゃないな。
こそこそと二人で話していて先生を待たせてしまっていたので、申し訳無い。
先生へと目を向けると、腕時計で時間を確認していて「そろそろ行こうか。」と歩き始めたところだった。
それに俺と茜は続く。
今度こそ元来た道を辿り、普通科棟の付近にある靴箱に到着。そして、バックから上履きを取り出し、さあ履き替えよう……と、そこで動きが止まる。
結局俺は何組なんだ……
茜に声を掛けようと口を開きかけたところで茜が「三組です。」と教えてくれた。
三組か……ということは、俺の担任は岡本先生ということになる。
柄にも無く、何故か運命めいたものを感じてしまった。
「おっ、ということは君たちは僕のクラスの生徒というわけだね。運命を感じるな。」
彼も俺と同じことを思っていたようで、確かに、この学校へ来て最初に言葉を交わした先生が担任になるというのはそれなりにすごい偶然かもしれなかった。
「ですね。一年間宜しくお願いします。」
俺が頭を下げると茜もそれに倣う。
「こちらこそ宜しく。」
そして俺たちは教室へ向かった。
教室へ入ると、既に何人かの生徒はグループを作り話に花を咲かせている。
もちろん全員がというわけではなく、まだどうして良いかわからずに自分の席から動いていない者もいた。
最初は出席番号順に席に着くことになっているようなので、俺は二番と紙が張ってある席へ腰を下ろしてから茜を見ると、道具を自分の席へ置いてからこちらへ向かって来たところだった。
「茜、昨日忠告したことは覚えてるな?」
「はい。先程は、その、ちょっとあれでしたがもう大丈夫です。」
「ならいい。」
茜はたまにミスをするが、同じ過ちを繰り返しはしない。その点は心配しなくてもいいだろう――多分。
「翔太も気を付けて下さいよ。所々抜けてるところがありますから。」
「お前に言われたくない……それと、学校では口調はもう少し柔らかくしてくれ。」
「宜しいのですか?」
心なしか嬉々とした様子で確認をとる茜。
あからさまに顔には出ないが俺には分かった。
「嬉しそうだな。」
ニヤニヤと突っ込む俺に茜は気まずそうに視線を逸らした。
「あ。」
声を漏らす茜。
周りを見ると大半のクラスメイトがこっちを見ていた。
「……ではまた。」
「ああ。」
迂闊だった。
入学初日に男女が仲睦まじそうに話している光景は、少々物珍しいかもしれない。しかも茜は人目を惹く容姿を備えているのだから、より目立つ。
学校では茜との接触は控えるべきだろう。とは言っても、メイドと主人という関係上それは難しいので何か対策を考えなけらばならない。
これからの学校生活に頭を悩ませていると、岡本先生がクラス全体に着席するよう指示を飛ばして最初のホームルームを始めた。