第二話@遭遇
程無くして北南原高校が見えてきた。
俺たちが今日入学するこの学園は割と街中にある学校で、学校のすぐ近くには大きな駅がある。
時間が時間ならこの学園の生徒たちが駅からこちらへ向かってくる構図が見れるのだろうが、遅刻組の俺たち以外の生徒がいるはずもなく……
そのことに多少不安を煽られ、立ち止まってしまう。
入学式に出ず、「遅刻しました」と言って教室に入っていく自分を想像して頭が痛くなった。
『入学式』と書かれた板が掛けてある正門を目の前にして尻ごむ俺を見て茜は「申し訳ありませんでした。」と頭を下げる。
続けて、
「私のせいで遅れたのですから、翔太様に一切の非はありません。お叱りを受けた場合は私が庇います。」
そう言うのだから、俺は慌てて頭を上げさせた。
「いや、お前だけが悪いわけじゃないだろ。」
「そうは言いますが実際、私は職務を全うできませんでした。いかなる理由があろうとその事実は揺るぎません。」
「そうかもしれないが、じゃあ何て説明する?メイドが起こしてくれなかったので遅刻しましたって?」
「それは……」
その場面を想像したのか言い淀む茜。
少しばかりキツイ物言いになってしまったのは否めない。悪いことをしたな、さっきも言ったとおり茜が悪いわけじゃないんだ。
かと言って、一概に俺が悪いと言い張れば彼女は変なところが頑固なので絶対に納得しないだろう。
よって喧嘩両成敗。
喧嘩じゃないが。
「そんな顔をするなよ。」
頭をくしゃくしゃと撫でてやると茜は照れて顔を赤らめ、されるがままだった。
茜は完全に納得したわけでは無い様だったが、それでも頷いてくれる。
「わかりました。けれど、何か言われそうな時は私に任せてください。」
「ああ。」
今のやりとりで気持ちも大分楽になり、俺は正門をくぐった。
芝の上を歩む。
学校の敷地内は全面、とはいかないが半分以上は芝生で覆われている。
これは生徒が怪我をする可能性を減らすために講じられた策だそうだ。以前は他の学校と同様、コンクリートだったらしいがそのコンクリートが所々欠損していたせいで大怪我を負った生徒がいたので、それ以来芝生になったのだという。
広範囲が芝生と言えど、お金持ち学校というわけではなく所謂普通の高校である。学科が三つか四つほどに分かれているが、自分が属する普通科以外はあまり覚えていない。
学科ごとに利用する棟が異なり、普通科は正門を通ってからから更に直進して突き当たる棟となる。
校舎はかなり綺麗で評判も上々、この学校を選ぶ生徒の理由の大半がそのことで占められているはずだ。
それはともかく。
「式が行われているのは体育館ホールのはずだよな?」
「ええ、そうです。私たち以外の生徒が見当たらないあたり、まだ式は終わっていないと思われます。」
「そうみたいだな。」
入学式は九時三十分から十時三十分までの一時間で行われる。
現在の時刻は十時二十分。
今から入学式の行われている体育館ホールへ行っても間に合うかどうか怪しいところだ。
それでも行かないわけにはいかないと、とにかく俺たちはホールへと歩を進めることにした。
ことにしたのだが、俺たちが歩く方向とは対向して新入生と思しき集団が流れて来るではないか。
多くの新入生は親が同伴で、新入生男女の組み合わせの俺たちは客観的に見てかなり目立つ。
彼らは入学式を終えて教室へ移動する最中のようだ。
自然とすれ違うかたちとなり、その際には一人も漏れず俺たちに目線をくれるので、どうも落ち着かない。
そんな中を引き返すのは憚られたので、あたかも体育館に用があるように装ってそのまま歩く。
「やっぱり駄目だったな。」
「間に合わないことは覚悟していたことです。心配すべきは今後の私たちの処置でしょう。」
「処置とはまた大袈裟だな。」
茜は本当に大したことのように言うが、実際俺たちが叱責を受けるというのは十分考えられる話だ。逆に言えばそれだけで済むと楽観視している。体調不良であったり、何かしらの事情であったりして欠席する生徒も恐らくいるだろう。出席していないからと言って入学が取り消しになったりすることは、もちろんない。
「ここがホールですね。」
辿り着いて中を覗くと、想像していたより広さはないと感じた。しかし建物の中ではぎっしりとパイプ椅子が並べられていたので、それら全てを取り払って再度見てみた時にはまた違った印象を受けるかもしれない。
けれど間違いなく中学校の体育館よりは規模はある。そのことに新鮮味を感じて、もう少し中に入ってみようか……と、思案したところで教師と思われる風貌の人物に声を掛けられた。
「やあ君たち。こんなところでどうしたんだい?皆もう、教室へ行っているよ。」
穏やかなしゃべり口で、顔つきもそれに比例したように穏和だった。男性で、年齢は五十後半ぐらいと見受けられる。
「すみません。少し事情があって、入学式に遅れたんです。それで今来たのですが、どうやら終わってしまっていたようで。」
茜が答える。
言い訳をした茜に、俺は心中で茜に賞賛の拍手を送った。
何もバカ正直に『寝坊しました。』と自白するのではなく、適当に言い逃れればよかったのだ。
初対面の人間に『事情』という言い回しを用いられた方としてはあまり踏み込み難い。且つ、茜自身にふてぶしさは全く窺えず、これでもかと申し訳なさを醸し出しているのが高ポイントだった。
その甲斐あってかは分からないが、その人は「そうか。なら行こうか。」と言って快く俺たちを先導してくれた。
「ところで、君たちは何組なんだい?」
「え?」
「クラスだよ、クラス……ああ、君たちは式には出られなかったんだね。館内の壁際にクラス分けの紙が掲示されていて、閉式後に各自で確認することになっていたんだよ。」
「すみません、少し中を覗いたのですが気付きませんでした……。」
「いやいや、致し方ないよ。」
クラスが分からなければどうしようもない。もう一度戻って見て来るか?
茜に目を向けると彼女は頷き、ほんの少し頭を下げて言った。
「私が確認してくるので少々お待ちください。」
「ああそうかい?では、待つとするよ。」
先生の言葉を受けて茜は「では。」と行ってしまった。
彼女を待つ間、手持ち無沙汰になってしまう。面識の無い人と一緒にいると、何を話せば良いのかと会話のネタに困るのでそわそわしていると彼の方から話しかけてくれた。
「彼女は、最近の子にしては随分と礼儀正しいね。」
感心するように言うものだから俺は、当たり前だ、と思った。
茜は俺が小学生の時から俺に仕えている。当時は何もかもが拙くて、まるでおままごとの延長のようなものだった。
それが今ではメイドというのが板について、しっかりとしている。
それまでの道のりを間近で見てきた俺は彼女の苦労と情熱、覚悟を痛いほど知っていた。
ま、今でもポカをする時もあるが可愛いものだ。
「……そうですね。彼女は良くやってくれていると思います。」
含みのある物言いに先生は「ん?」と首を傾げるが、あまりこの部分には触れられたくはないので話題転換する。
「先生の名前をお聞きしても?」
いきなり話題を変えられたことに戸惑う先生だったが、すぐに答えてくれた。
「そういえばお互いに名乗っていなかったね。僕は岡本。数学を担当していて、今年は1年3組の担任をすることになっているんだ。」
「俺は井澤翔太です。で、彼女は御崎茜。」
「翔太君に、茜さんか……よし、覚えたよ。」
目を閉じてうんうんと頷いている岡本教諭。動作が一々真面目な人だ。
しばらくして、そろそろ茜が戻って来るころかなぁ……と、ホールの方へ目をむけようとしたところで微かに声が聞こえてきた。
しかもそれは平和とは掛離れた物騒なもので、俺は少々興味を惹かれてしまう。
耳を澄ましてみる。
「……いい加減……ろよ!」
「文句……あい……わ。」
うーん……聴力には自信があるのだが、よく聞き取れない。
それでも聞いたところ男子生徒が複数と、女生徒が一人ということはわかった。
このまま待ち惚けしていても暇なので行ってみることにする。
「どこへ行くんだい?」
さきの声を聞き拾えなかった岡本教諭が訊ねてきた。
無理も無い。相当な訓練と経験がなければあの音を拾うことは不可能だし、俺ですら完璧に聞き取れなかったのだから。
「少しお花を摘みに。」
俺は正真正銘男だが、少しばかりこの真面目な人物に冗談を言いたくなった。
「お花って……君は女子かい?」
苦笑いを浮かべる岡本教諭を背にして声元を目指す。
トイレというのはもちろん口から出任せだ。
ホールの方角へ歩き、その途中にあるトイレと体育倉庫との間の狭い通路を進む。
やたらと埃っぽくて思わず咽てしまった。
「誰だ!?」
どうやら彼らに俺の存在が露見してしまったらしい。
最初のうちは傍観に徹して、その後は状況に応じる算段だったのだが……仕方が無い。
細く、通路とは言えないような通路を抜け、なんちゃって裏庭的な場所へ出た。
言い争っていた人物たちの顔を見る。
まず、男は二人。二人とも髪を茶に染めていて、耳にはピアス。チャラい系男子というやつだ。
……そして一人は手にカッターナイフを持っていた。
そして女を見て最初に思ったことは、美人だ、ということ。
容姿、プロポーションともに優れ、なんとも落ち着き払った雰囲気を漂わせていた。
「誰?誰も来ないと思ってこの場……所を……」
目が合う。
瞬間、彼女は驚愕の表情を浮かべ口元に手をおいた。
なんだ?俺の顔に何か付いてる?
俺は自分の顔をペタペタと触ってみるが、これと言って異物の感触はない。じゃあなんだ?
「何だお前ら?知り合いか?」
「こいつの味方なら、容赦しないぜ?」
彼らも彼女の尋常ならぬ反応に気付いたのか、俺を彼女の仲間だと思い込む始末。
容赦がどうのこうの言っているあたり攻撃を加えるつもりだったのか。そのカッターナイフで。
到底、男女の高校生が繰り広げる光景では無かった。
「おいおい……勘弁してくれよ。」
「うるせー!」
二人の目は血走っていて、とても会話が成立するような様子がなかった。
「刃物まで持ち出して……っと」
カッターをもった男が突進してきた。
何を言っても無駄……か。ここはある程度大人しくさせるしかないな。
「いてててて!」
突進をかわし、右手で男の腕を捻り上げた。落ちていくカッターナイフ。
空いた手を男の鳩尾に叩き込んだ。
「っかは」
声にならない声を上げた男。
「てめえ!」
横から二人目が来るのは分かりきっていたので、くいっと悶絶する男の腕を引き衝突させる。
そこまでのダメージは無かったようだ。すぐに立ち上がり再び俺を襲おうとするが、その前に背後に立つ少女が男の首根っこを掴んで静止させた。
「あなたたち、私に用があったんじゃないの?」
「い、今はこいつが先だ!離せっ!」
「駄目よ。」
そう言って男を押し倒し、頚動脈を圧迫する。男は数秒はもがいていたが、やがて気を失った。
男が気絶してこの場には俺と彼女二人。だと思っていたのだが、さっきまで鳩尾の痛みで蹲っていた男がよろよろと立ち上がっている。
「くそっ……うあああああああ!」
奇声を発しながら猛突進する男。もちろんその手にはカッターがある。
「やれやれね……」
にも関わらず、冷静さを欠かさない少女。
なんとなく分かる。こいつには武術の心得がある。
その証拠に彼女は男の袖と、胸倉付近を掴み一本背負いなる業を繰り出していた。
受身も取れず、背中を強打しいよいよ失神した男。
少女は、ふぅ、と一息ついて
「あなた。お名前は?」
と、聞いてくるので答えるべきか逡巡したがやがて「井澤翔太。」と名乗った。
名前を口にした途端、彼女は口を曲線に描き玩具を見つけた子供のように目を輝かせた――ように見えたがすぐになりを潜め、元のクールな無表情に戻ってしまった。
「じゃあね翔太君。また近いうち必ず会えるわ。」
そう言い残して去って行ってしまう。
俺はその背中が見えなくなるまで彼女を呆然と眺めていた。
何だったのだろうか……
疑問は尽きないが、ここにずっと立ち尽くしていてもしょうがない。そこに倒れる男二人がいつ目を覚ますかも知れないしな。
「殺されなかっただけマシと思ってくれよ。」
人に刃を向けたんだ。殺されても文句は言えまい。
それでも俺が手を下さないのは、こいつらが俺の脅威には決して成り得ないから。
だが、次は殺す。
俺は気を失っている男たちを置き去りにして茜と先生が待つであろう場所へ引き返すことにした。