第5節12部—泥沼の白兵戦—
折れた骨が神経を傷つけ、凄まじい痛みが走る。しかし、その痛みに任せて体をねじり右腕を振るった。
飛燕の筋肉質な足を掴み、力ずくで折れた腕から離させたあと、仰向けのまま蹴りをくりだし押し返す。
「……っそ、タフだなこいつ!!」
想像を絶する痛みを与えていたはずだ。それでもなお戦意を失わず、立ち上がってきた。
雛樹の目はまっすぐ自分を見ている。後方にある銃を取りに走ろうとすれば瞬時に飛びかかられ、致命傷を与えられるだろう。
雛樹はその多大なダメージを蓄積していることから、腰を少し折り、前かがみになりながら敵を見据えていた。戦意はまだ残っている。だが、満身創痍だ。
スマートに相手をねじ伏せる事など不可能だろう。
ステイシスを取り返すには、目の前の男をなんとかするしかない。ならば、食らいつくしかない。相手が力尽きるまで。
先に足を踏み出したのは雛樹からだった。体力の限界が近い。長丁場になれば圧倒的に不利と考えたからだ。
それに対し飛燕はほくそ笑む。復帰直後の雛樹の初撃は、掌底による顎への打撃。あまりに小さく速い、それこそ刺すような一撃。
停滞した空を割く音すら聞こえてきたその一撃をかわし、戻ろうとした腕を絶妙なタイミングで捕らえた。
「そらァ!!」
瞬間、雛樹の視界は上下反転した。投げられたのだ。
だが、金属の床に背から叩きつけられる直前、足で着地し勢いを殺した。
今度はこちらの番だとでも言うように、雛樹は飛燕に手首を掴まれつつも腕を握り返し腰に力を込めて、上半身を起こしざまに放り投げた。
それに対し、飛燕は受け身を取れなかった。勢いをつけた己の体を壁面に叩きつけ、視界がひどく揺れ、耳が鳴る。
そこへ、雛樹の打撃が叩き込まれる。ここぞとばかりに腹、顔面に拳を叩き込み、下段蹴りで膝を付かせた後、トドメと言わんばかりに右拳を顔面へ向けてくりだした。
しかし、それは力無く上げられた手によって止められ……。
「……調子こいてんじゃあねェよォクソガキィ……!!」
万力のような力で右拳を締め上げられ、雛樹は低いうめき声をあげる。このまま拳が砕けそうな握力を受けているため、目の前の男が立ち上がるのを見ていることしかできなかった。
「そのままおとなしくしてろや……!!」
雛樹の拳を掴んで捕らえたまま、空いた手で連続して雛樹を殴打する。腹を殴られ、胴がくの字に曲がり。頬を殴りつけられ、首が半回転し切った口から溢れた鮮血が地面に弧を描く。
蹴り足で飛燕を突き飛ばすまで続き、相当なダメージを負った雛樹はおぼつかない足元を確認もせず後退。
壁に背をつきずるずると体を滑り落ちさせた。
「そろそろ死んだほうが楽なくらい体ァやっちまってんじゃん! っはは!」
口から、頭から血を流し、折れた左腕を右腕でかばいながら壁にもたれかかる雛樹を横目に、飛燕は銃を取りに向かう。
拾い上げたそれはズシリと重たく、そして確かな安心感をもたらした。
と、その時、船体が大きく揺れた。ガツンと、下から突き上げられたかのような衝撃。
その衝撃で艦内設備が所々破損した。雛樹のすぐそばで断裂したスチームパイプから、超高温の蒸気が音を立てて吹き出した。
赤く光り警告するアラート音とランプ。
それは紛れもなく非常事態を告げていた。
「チィ……無理やり浮上させる気じゃん、方舟の奴ら。無茶しやがんぜ」
柱に身を預けつつ銃のスライドを引き、弾薬がチャンバー内に正しく収まっているのを確認して揺れる床の上を歩く。
この揺れた床の上で、確実に当てられる距離まで歩を進めていった。