第6節—巨大企業センチュリオンテクノロジー—
進行を再開したヘリの隊列は摩天楼の間を抜け、方舟都市部の中でも一等巨大な施設の敷地へと向かっていった。
空を進んでいるというのに、とんでもないセキュリティシステムが敷かれており、静流が何回か自分のID照合を管制室に願い出ているところも聞いていたため、センチュリオンテクノロジーと言われる企業の大きさと秘匿性の高さは身にしみてしまっていた。
大企業では、外部に漏らすわけにはいかない情報が存在する施設等は外から見えないよう、常時光学迷彩がかけられていたり、地下シェルターで囲われていたりするらしい。
センチュリオンテクノロジーではとある理由で、その秘匿部分が他企業に比べて遥かに多いという。
雛樹はというと、ヘリの発着上に着いた頃にはもうぐったりとしていたものだ。どれだけ止まったり進んだりを繰り返すのだと。
ようやく地に足が着いた時には酔って目を回してしまっていた。
ここは、センチュリオンテクノロジー、中央軍部区画、格納庫。
戦艦アルバレストの格納庫も相当な広さがあったが、ここは次元が違う。開けた視界はどこまで続くんだというほどの奥行きに、空を連想させるほど高い天井。
そこに取り付けられた白色光を発するラインは眩しいほどに格納庫内を照らしていた。
言うなれば、巨大なドーム施設を高層ビル並みの高さまでにしました。それだけの規模はあるだろう。
だが、その広大な格納庫に整然と並べられた見たことのない兵器の群。
量産型の二脚機甲、先鋭的なデザインの固定砲台。何かの力場を発生させるような装置に、歩兵の携行火器。
巨大なハンガーには、巨人とも揶揄される二脚機甲の携行兵器が悠然と掛かっていた。
「室内のはずなのに風を感じる……」
「ああ、換気の為の送風機が稼働しているからな。量産機の燃料補給でもしているのだろう。……あそこに見えるのがそうだ」
アルビナに、指で示されたところをみると、なるほど確かに並んだ量産型二脚機甲に青く光るチューブが繋がれている。
その横を、コンベアに乗って進んでいる静流の機体、ブルーグラディウスは格納庫の中心部で一度止まった。
そこで、軍服のジャケットを羽織った静流がコクピットから離脱したのを遠目に見ていると。
なんと、静流の機体は搬入エレベーターに乗せられ下の階へ消えていってしまったのだ。
「“あれ”はあまりに特殊な兵器なのでな。平常時はああして格納しておくのさ」
「へぇ……。兵器ってのは……いつでもどこでも行使でき、かつ破壊効率が良く、量産が可能ってのがいいと聞いたことがありますけど」
「はは、普通のものならな。だが、あれは対ドミネーター用に開発されている極めて繊細な兵器だ。この先、人類を存続させていくには必要不可欠な戦力になっていく」
「予定……ですか。まあ、歩兵がどうあがいてもあの怪物には歯が立たないですからね」
遠くを見るような目で、しかし飄々とそう言う雛樹の横顔を横目で確認したアルビナは口角を上げる。
歩兵がどうあがいても? “この子はこれっぽっちもそんなこと考えちゃいない”。
この青年が所属していた部隊に、そんなことを言う人間は……自分を含めて一人としていなかったのだから。
「ふ、随分と緊張させてしまっているようだ」
「?」
そんな二人の元へ、近づいてくる影。
周りが囲まれていない開放的な四輪駆動の小さな車に乗せられて、結月静流がこちらへ到着したのだ。
「お待たせして申し訳ありません。行きましょうか」
静流が乗ってきた格納庫内移動用車両に乗りこんだアルビナと雛樹。
今から向かう場所は……そう、“隔離施設”だった。
「……」
「申し訳ありません、ヒナキ。仮の戸籍登録が完了するまであと1日は必要なのです。その間に疲れた体を休め、明後日の入隊試験に備えてください」
「入隊試験?」
センチュリオンテクノロジー本社の地下に存在するここは、あらゆる災害から人々を守る……または、この施設で起きた想定外の災害を隔離するためのものだ。
その施設の一角にある厳重に閉ざされた金属扉の前で、静流とアルビナはこのことについての説明を進めていた。
「そのほとんどがバーチャルリアリティシステムを使用した仮想戦闘だが、適性試験も含まれている……が、他ならぬこの私が推薦状を書いているんだ。よほど悪い結果でなければまず心配いらん」
「本来の入隊試験はあなたが受けるものとは比べものにならない量があるんですよ。仮の戸籍登録も、母が申請したので優先的に通してもらってるのです」
「俺だけを特別扱いして大丈夫ですか。フェアじゃないように思えるんですが」
「君は我が部隊に必要な人間だ。……それに、かつての戦友を放ってはおけんな」
そう言ったアルビナに対し、恥ずかしそうな笑みを浮かべた雛樹。そして、どこか疎外感を覚えた静流。
静流は、母と肩を並べて戦場に立ったことがない。だが、4歳しか違わない祠堂雛樹は、かつて母と肩を並べて、死線をくぐってきたのだ。
その事実が、どこか自分の心に突き刺さる……と、共に。
雛樹が無事入隊試験を突破すれば、“憧れの兵士”と同じ戦場に立てる。
その未来が、静流の心を高揚させた。自分と同じ制服を纏い、同じ武器を携行し、同じ任に就く。幼い頃見た憧れの背中。今度は上司として、自分の胸を貸すことになるのだろう。
「部屋の中には、戦闘試験で使われるシュチュエーションが登録されているデバイスがある。それを確認し、入隊試験に備えるといい」
「頑張ってくださいね、ヒナキ」
「ああ……えっと。期待を裏切らないようにはする」
その会話を最後に、開かれた扉の中へ姿を消してしまった雛樹。
残ったアルビナと静流はというと……。
「さて、結月静流少尉」
「は、はい。なんですか、アルビナ大佐」
「事後報告がまだだったな。聞かせてもらおうか。仕置部屋でな」
「あの……すいません。私が至らなかったのは認めます。ので、お仕置きだけは……」
「だめだ。来い」
「……! ……はい」
そうして、祠堂雛樹が方舟に根を張るための準備は着々と進んできている。
彼は彼で、良くしてくれるアルビナ、そして静流の期待に応えるために、拘束されている間、体の鈍りを少しでも取れるように、かつてしていた訓練メニューを思い出し、実行し過ごした。
穴ぐらのようなこの隔離施設の中、軟禁されることになって二日。
センチュリオンテクノロジー所属軍隊、その入隊試験の日がやってきた。
《センチュリオンテクノロジー、入隊試験を開始します》
センチュリオンテクノロジーに所属する兵士の、トレーニングセンター。格納庫並みの規模があるその施設の一室。
雛樹は黒無地に青いラインが入った自社製運動着を身にまとい、棒立ちになっていた。
なんだこれは、命のやり取りをするわけでもないのに。試験ってこんなに緊張するものなのかと雛樹は頭の中でぐるぐると考えてしまった。
浮ついた足をしっかり地面に固定しようと奮闘している間に試験が始まってしまう。
まずは適性試験という名の身体能力測定。短い時間での瞬発力、判断力、動体視力に反射神経を確認された。
60分とはいえ、これだけの時間の中にとんでもない数の測定科目を入れられたものだ。
「っは……はぁ……大船って……どこ」
いつか言われた、大船に乗ったつもりでいろという言葉を思い出し、思わず愚痴ってしまうくらいには体力を削られてしまった。
だが、地獄はこれからだった。5時間という、とんでもなく長い時間をかけて行われた持久力と精神力を試す科目。
常人なら発狂するのではないかというハードワークを……。
「はぁ……長かった……」
の、一言を。飄々と立ったまま言い放って、渡されたドリンクを一気に飲み干していた。
その様子を見て、試験官は目を丸くしていたのだ。そして言う。
「あのメンタルの強さには目を見張るものがありますね……。はっきり言って異常です。このメニューは3時間継続してこなすことができれば合格ラインなのですが」
すっかり体の固さが取れた雛樹は、次の科目に備えて準備運動を始める始末。様子を見ていたアルビナと静流は……。
「静流、お前はいつ膝をついた?」
「……私は、4時間弱でした。気を失って倒れたところまでは憶えています」
「第一試験後の方が疲労の色が見えていたくらいだな……。体の凝りがほぐれたというところか。だがまあ、この私が推薦しているんだ。あれくらいこなしてもらわんと困るが」
「いえ……現役士官でも完遂するのが難しい項目だったんですよ……」
「あれを士官と一緒にするな。お前はかつて、奴の何を見てきたんだ」
「……」
適性試験は終えた。センチュリオンテクノロジーという巨大企業、その軍部に所属するには、やはり並々ならぬ身体能力が基礎となってなければならないという意味を持つ試験だったのだろう。
だが次は、身体を使う試験ではない。頭、神経を使うものだ。
バーチャルリアリティシステムによる、仮想現実の中での戦闘試験。様々なシチュエーションが試験に出てくるということだったが、この二日間。
いや、デバイスの使い方がわからず散々迷い、実質1日だったのだが、戦闘シュチュエーションは頭に叩き込んできた。
仮想現実に、己の体を投影するため、ヘッドギアのような機器を頭に取り付けられた。
そしてデータ収集用の電極も取り付けられた。
仮想空間など味わったことのない雛樹は終始困惑しっぱなしだったのだが……。
「体を実際に動かすわけじゃないって……どうなってる? ええと、入隊試験官?」
不安な気持ちを拭えず、機器を取り付けられた状態でそう口にした雛樹だったが。
《体験してみればわかります。より現実感を持った夢だとでも言っておきましょうか》
機器を通して伝えられるその言葉にますます不安になってしまう。
《では、スピリットダイブを開始します。カウント、3、2、1……》
ぐんと体が前方に引っ張られる感覚。機器の装着感が無くなり、解放されたような気分にさせられた。だが、体の重さは残っている。
青い光に包まれた視界。電脳世界の中へ潜り込んだような心細さと、青い粒子による不快感。
瞬間、意識を切られたかと思うと……圧倒的な現実感を伴って覚醒することになった。
「……なんだここ」
枯れた太陽の光、そこら中に転がった瓦礫の数々と、コンクリートのみでできた廃墟。
どこぞの荒野を思わせる寂れた土地の一角に、雛樹は呆然と突っ立っていた。
……——。
「彼の状況をモニターしてください、玉城准尉試験官」
「……了解いたしました。少々お待ちを……」
祠堂雛樹が仮想現実世界へ入った直後の事、外で様子を見ていた静流とアルビナに、放送での呼び出しがかかった。
《軍部連絡、軍部連絡。アルビナ・パヴロブナ・結月大佐、結月静流少尉。企業連合からの監査官がお見えです。至急、司令部第一応接室へお越しください》
そこからもう一度繰り返されたその放送に、アルビナ大佐は舌打ちし……。
「思ったより早かったな……」
「ヒナキの件で、でしょうか? 早すぎませんか」
「ジャックスか……ドブネズミが。行くぞ、少尉。少々厄介なことになるやもしれん」
「……しかし」
どうしてもヒナキの様子を見守りたかった静流はそこで渋るも……アルビナはそれを許さなかった。
雛樹ならば問題なくクリアしてみせるという確信があったのもあるのだろうが……。
放送での呼び出しに応じることになる。イレギュラーである入隊試験を請け負った男性兵士……玉城試験官に後のことは任せて、アルビナと静流はその場を離れていく。
去り際に、振り向いて見せた静流の不安な表情を横目に、玉城試験官がコンソールに向かって“少々淀みのある様子”で手を動かした。
……——。
「こんなところ……説明にはなかった筈だぞ?」
昨日、デバイスで確認した戦闘試験の場所にこんな荒野の中の廃墟めいた場所は確認できなかったはずなのだ。
確認できていたのはその全てが、この海上都市内と思われる、工場や、オフィスビル、メインストリート、民家などだった。
ここはどう見ても本土の風景じゃないか。いや、自分が本土出身のために趣向凝らしてくれたのか?
ありえない話ではない。この試験はアルビナが無理を言ってねじ込んだものだ。多少のイレギュラーは自分自身にも降りかかるであろうことは大いに考えられた。
《戦闘試験を始めます。始めるにあたり、すぐ隣にあるモニターから、メインアーム、サイドアーム、爆薬などの特殊装備を選択して下さい》
「……この浮いてるのから選べばいいんですか」
《はい、言葉で指示してもらえればこちらで展開させますが》
なるほど、自分の常識の範疇を超えたことの中にいるというのはこういうことかと変に納得し、とにかく試験をパスするため大げさに驚くことはやめておく。
(相手もわからないのに武器を選ばせるのか……)
この殺風景な景色の中に、わずかにちらつくノイズを気にしながら、自分のすぐ隣に浮いている武器選択モニターからめぼしいものを探す。
当たり前のことだが、そのほとんどが見たことも聞いたこともない上、どう使うのかもわからないものばかり。
(フォトンノイドマシンガン……? 実弾銃じゃないのか信じられない)
だが、カテゴリーに存在する実弾銃の欄に目を通しホッと一息ついた。
この海上都市には流通していないであろう、見慣れた銃器が雁首そろえていたのだ。
「……よし」
メインアームに無骨なタンカラーアサルトライフル。サイドアームに45口径ハンドガン、そして三本のナイフと手榴弾2つを選択した。
驚くことに金属の冷たい触感、ずしりと肩に来る質量も感じられる。もはやここは現実ではないかと思うほどに。
《では開始します。全ての目標を制圧して下さい。表示されているメーターが100パーセントに達すれば制圧完了。クリアとなります》
(意外と単純だ。テロ制圧とかやらされるのかと思ってたけど)
《カウントスタート、3、2、1……》
開始。
巨大なノイズと共に現れた、人間よりふた回りほど大きいくらいの黒い体表の人型。
ドミネーター。ランクα。タイプヒューマノイド。
それも一体ではない。ぐしゃりと景色を歪め、次々と出現するドミネーター。
嘘だろう。“こんなものが出現するなんて聞いていない”。
だが、やるしかない。困惑の色を隠せないながらも、雛樹は小銃のスライドを引き、弾薬をチャンバーへ送り込み、行動を開始した。
……——。
「ふん、祠堂雛樹の即時引き渡し……か。予想通りの内容だったな」
「センチュリオンテクノロジー社が企業連加盟企業でないから、力技で拒否できましたけれど……なぜ、企業連はあんなにヒナキを……」
呼び出しに応じて応接室に向かった静流とアルビナを待っていたのは、センチュリオンノアの各大企業を結束させる役割を担う“企業連合”からの使いだった。
えらく長い前口上を省き、簡単に言うと“祠堂雛樹の身柄引き渡し”が主だった要件だった。ステイシスが反応を示した理由を解明したいとのことでだ。
アルビナも静流も、そちらの事情など知るかと一方的に一蹴することができ、今。
雛樹のいる試験場へ戻ってきたのだが……。
すでに、ヒナキの試験は終わっていて、結果が出ていた。
モニターに浮かぶ、制圧失敗の文字。入隊試験……不合格。
入隊拒否の烙印を押された彼は、汗をだくだくと流しながらVRシステムの前で膝をついて頭を垂れていた。金属質の床に落ちる数滴の汗。肩は辛そうに上下している……。
「嘘……」
口に手を当て、目を見開き放心する静流と……。
「……そうか、鍛錬を怠ったな、坊や」
少しばかり失望した表情を見せるアルビナ。制圧率、48%。いくら慣れない環境の中とはいえ、装備は充実していたはずだ。制圧率が8割を超えていればまだ不慣れの所為にできたが、5割を切っているとなれば話は別だ。
幾ら何でも“低すぎる”。
「彼の身体能力には目を見張るものがありましたが、肝心な実戦がこれでは入隊許可は出せません。アルビナ大佐、静流少尉。申し訳ないですが……」
「ああ、いい。気にするな……あの子はこれくらいでへこたれはしないさ」
薄い笑みを浮かべたアルビナは試験官、玉城准尉に手のひらを向け、制止した。
玉城試験官はふと静流の方を見やる。あまり気にした素振りの無いアルビナとは対照的に、あまりにひどい絶望の表情を浮かべる彼女の横顔に驚いた。
気丈な彼女が、こんな生気のない表情を見せることが今まであっただろうか。
「そんな……馬鹿なことが……」
ここに配属される前の、士官学校上がりの自分ですら9割を超える制圧率を出していた“対人戦闘”試験だったはずだ。どう転んでもCTF201の兵士が失敗するようなものではなかった。
「……ッ」
「静流少尉!?」
弾かれたように突然走り出し、雛樹のいるVR訓練室へ飛び込んだ静流は、膝をつく彼に走り寄り……。
「はぁ……はぁっ……悪、い。だめだった……」
「……ヒナキ。まだ、動けますね?」
「……? ああ。意外と体は疲れてないから問題なく……」
ただ、体調は何故か悪いが。あの、視界にちらつく青い粒子を近くに感じるとよくない。悪寒と、自分の中の何かが異物に置き換わるイメージが頭に焼き付けられているようだ。
体調が悪いことは伝えないことにし、静流の言う言葉を素直に受け入れ、返答した。
「ならばです、ヒナキ……」
「……ん?」
「今すぐ、私と手合わせしてください。現実で、実際にです。遠慮なしの組手をお願いします」
真剣な眼差しでそう言ってきた静流に、雛樹はただただ目を丸くした。
静流のその申し出から一時間の休憩ののち、雛樹は試験会場を離れ、今も兵士たちが鍛錬しているトレーニングホールへと向かわされた。
そこで待っていたのは、長く艶やかな黒髪を後ろで束ね、そのグラマラスな体にぴったりとフィットしたノースリーブの腹出しシャツに軍服のカーゴパンツを身につけた結月静流だった。
露わになった腹部、その見事なまでのくびれにうっすらと割れた腹筋がやけに扇情的ではあるが、そんな様子を晒している静流は至って真剣な表情でこちらを見てくる。
「随分やる気だな、ターシャ。準備運動は十分したか? 肉離れになっても知らないぞ」
「ええ、ヒナキ。ちなみに、あなたを踏みにじる準備もできていますので」
「はは、言うようになったもんだ。精々頭踏まれないように頑張ってやるさ」
先ほど、試験に落ちたためか雛樹は十分に言い返せないでいた。
訓練していた男性、女性兵士たちが新人玄人問わず、次々とギャラリーとして集まってきた。
それもそのはず。センチュリオンテクノロジー軍部、その高嶺の花が何処の馬の骨とも知らない男と模擬戦闘訓練を行うというのだから見逃せるはずがない。
(いい感じにギャラリーが集まってきましたね……)
これは、静流の計算通りだった。この観客の中、雛樹のポテンシャルが発揮できれば上層部にも話がいくはず。どこまでの効果はあるかわからないが……。
雛樹を再びこの部隊に引き入れるチャンスが訪れるかもしれない。その可能性に賭けていた。
だが、呆気なく自分に雛樹が敗北した際は……負かせた際は、もう諦めるしかない。VR訓練を低い制圧率で落とした雛樹には、はっきり言って勝てないはずはないと自分では“思ってしまっていた”。
これは可能性の低い賭けだ。
「結月少尉が本土人と模擬格闘だって? 信じられないな……」
「どうも、アルビナ大佐お墨付きの男らしいが。どうだかな、見てみろ。あの頼りない風貌」
ギャラリーの中にはそんな言葉で雛樹を貶す者が大半だった。そして、軍部の中でも抜群のプロポーションと美貌を誇る静流の模擬戦闘を見たいがために集まったのも、大半。
そしてその一部に……。
「あれが元CTF201所属の兵士なのか? 若すぎるだろう」
「どうも、その頃は少年兵として所属していたみたいね。実力の底は浅いはずよ」
噂で聞いた、青年の話。半信半疑の中、興味本位で来ている者もいた。
(……VR訓練の内容を聞いた時、ヒナキはその時の事がなぜか“ハッキリしない”と、覚えていませんでした)
休憩中に聞いた試験内容。なぜ失敗したのか聞こうとしても、雛樹の記憶がなぜか“曖昧”で、わからなかったのだ。
記憶が曖昧になる……それは、本土で意識不明の重体だった雛樹に、【青い粒子、フォトンノイド】で治療を施した時にも表れていた症状だ。
ただ一つ、気になった雛樹の……“青い光を近くに感じると気分が悪くなった”という言葉。
センチュリオンテクノロジーに保存されている、フォトンノイド絡みの、データ化された文献を調べると、あった。
フォトンノイドに強い拒絶反応を示す人間が、稀にだが存在すると。その時、体に現れる症状……それは。
(記憶障害……)
他にも記述はあったようだが、それ以降はロックされていて確認できなかったのだ。
元々、バーチャルリアリティシステムには“フォトンノイドは使用しない”。
“何か”が目的で、干渉させない限り……。
(やはりヒナキの試験をしっかり確認しておくべきでしたね……。玉城試験官は通常のものと言っていました。確かに履歴を確認しても、通常の試験を行っている風でしたが……“履歴など、いくらでも捏造できるでしょう”)
雛樹が受けた試験、その試験官に対し多大な猜疑心を抱きながら、静流は模擬格闘場へ一歩踏み出した。
「さあ、これをつけてください。試験終わりだからといって手加減はしませんよ、ヒナキ」
「ああ、わかってる」
飄々とした態度の雛樹に、ヘッドギアを渡す静流。
静流自身は、青い粒子を使用した目に見えないシールドを要所要所へ纏わせて、直撃を受けても大事無いようにしている。一方の雛期には、青い粒子による副作用を懸念してヘッドギアを渡したのだ。
残念ながら、今の彼に一切の危機感を感じない。かつて憧れた兵士を組み伏せてしまう日が来たのかもしれない。いや、組み伏せられる自信がつくほど、自分は強くなったのだと自覚はしている。
それほどまでに、鍛錬は積んできた。時に挫折し、軍部を辞めようと思ったこともある。母に泣きついたことも。
その成果で、彼を負かす事が出来れば大満足だ。次は彼の番。私の背中を見て、死に物狂いで強くなってもらわないといけない。
「ん……なんか視界に入り込むな……鬱陶しいからこれいらない、つけなくていいか?」
「はっ? あの……幾ら何でも私を甘く見過ぎではないですか。下手に入れば頭蓋骨にヒビを入れる事になりますよ」
不満そうにヘッドギアを場外に放る雛樹に呆れながらそう言った静流だったが、雛樹は拾いに行くことをしなかった。
ギャラリーの話し声の中にも出ている話題なのだが、静流は特殊二脚機甲パイロットである以前に、優秀な戦闘兵である。
と、いうより雛樹に憧れ、一人の兵士として強くなることを願った静流にとって、特殊二脚機甲のパイロットの肩書きなどおまけでしかないはずだったのだ。
近接格闘の実力などは千単位の兵士がいる軍部の中でも、女だてらに上位に入る実力なのだ。
「へ? いいさ。当たるつもりはないから。あれ……もしかして当てられる気でいたのかね」
「はぁ!?」
静流のボルテージが異様な上がり方を見せた。キョトンとした顔でそんなことを言う雛樹に対して、何かとんでもなく大きなやる気が湧き上がってきた。
「あー……ヒナキ? 冗談で言っているんですよね? 軽口ですよね? そうですよね?」
「ん? 冗談……こんな場で冗談なんて言えないさ」
「えへ……あはは、俄然やる気になってきました。もう知りませんよ……とても、怒りました。負かした暁には、その睾丸握り潰して差し上げます」
「私に負けるような弱者の子種は絶やさねばなりません」などと、小声で言いながら、小さく構える静流に対し……雛樹は相変わらず目を丸くしながら猫背気味に突っ立っていた。
「いやまあ、基本どこ潰されようが構わないけど。そこだけは勘弁してくんないかね。とても痛そうだ、大の男が泣きわめく姿なんて見たくないだろ」
とても困ったような表情でそんなことを言う雛樹。だめだ、これは。本気で言っている顔である。試験に落ち、試験に疲れ、精神的にも身体的にも消耗しているはずだというのになんだこの余裕はと、静流は思った。
「いいですか、雛樹。決定打はシステムが判断します。三度の決定打をたたき込めれば勝利です。……言っておきますが、私は俄然本気です。後悔しないように」
「本気じゃないとアルビナさんに怒られるんだろ? あの人はそういう人だ」
「……的外れもいいとこです……!!」
向かい合った静流と雛樹に対し、模擬戦闘訓練の始まりの合図である電子音が鳴り響いた。
ギャラリーはさらに湧き、ちょっとした歓声の中で静流は自分の中の怒りと雛樹を超えた自分を見せるため、隙だらけの雛樹へ肉薄した。
先手を仕掛けて“きてくれた”その静流を見て、雛樹は口角を上げた。
(案外熱くなりやすくて助かるぜ……ターシャ)
己から攻める静流を二階の席から見ていたアルビナは、小さく呟いた。『馬鹿者が……』と、そう一言。
無駄な力が一切入っていない静流の構えから繰り出される、鞭のようにしなる拳での打撃。隙を無くし手数を増やすため、最小限の動きで一度に雛樹へ打ち込もうとした。
だが……。
「ふっ!!」
「おお、危ない危ない……」
鳴り響く破裂音。最後の肘を使った一撃も、右手のひらで受けられてしまった。
ことごとくがギリギリで捌かれる。いや、連撃中に間合いを絶妙に変えられ、動きを止められてしまい、思うように打ち込めないせいか。
「今度はこっちの番だな、ターシャ……」
(目つきが……変わった!?)
死んだ魚のような目から、一気に獲物を狙う獣のそれへと。肘を掴まれたまま動けずにいたが、背筋に走る悪寒と本能が鳴らす警告音に突き動かされ、力技で振り払い半歩、間合いを開けた。
直後伸びてきた、正中線……喉を狙った、第二関節まで曲げた手のひらでの鋭い突き。これは、防御のため構えていた左手で受け、弾くことができた。
……できた、と思っていた。この突きがまさか、防御の左手を絡めとるためのものだったとは。
「くぅっ……!?」
「捉えたぞ、振り払えるかッ?」
これ以上下がることを許してはくれない。絡め取られた手を引かれ、逆に距離を詰められた。
だが、これはうまくすればカウンターのチャンスだ。相手が間合いを詰めている時、自分もまた、間合いを詰めているのだから。当たり前のことだが、ここで体勢を立て直せるか否かで、初めの一点が決まる。
腕を引かれて、地面を離れた右足が膝からつき上がり、つま先が空を切りながらヒナキの側頭部を目掛けて弧を描く——……。
この起死回生のカウンターは決まる。湧き上がる歓声と共にそれを確信したのだが……、次の瞬間。雛樹の姿が上下逆転していた。
背に強い衝撃を受けたと共に、仰向けになり高い天井を見上げていたのだ。降り注ぐ照明の光が眩しい。
「とりあえず、一本か? すごいな、どうやって判定してるんだ」
「……そんな」
判定システムがモニターにポイントを表示する。馬鹿な、投げるつもりだったとしても、確実に足が届くほうが早かったはずだ。いや……軸足にしていた左足、くるぶし付近に痛み。
軽く足払いされて体勢を崩され、蹴りを無力化されたのかと気づき、歯軋りしてしまう。
悔しい。自分から仕掛けておいて、この有様とは……。
ギャラリーは静まり返っている。大の男を物ともせずノックアウトしてみせる静流がこの扱い。
彼女は尉官になってから、部下、または同階級を相手にした模擬戦闘で負け知らずだった筈なのだ。
あの男の練度はなんだと、不穏な空気すら感じられた。
試合はまだ終わってはいない。起き上がりざまに雛樹へ蹴り見舞うが、回避された。
このあと、30分に及ぶ凄まじい攻防のあと、静流は雛樹へ攻撃を当てることはできるが決定打を当てることができず……。豪快な後ろ回し蹴りを一撃もらい、最後は鋭い足払いで転倒させられた後、背後に滑り込むようにしてきた雛樹の腕が首に回されて……。
「……参り……ました……!」
こうなれば、首をかき切られるか折られるかしかない。白旗を上げるしかなかったのだ。
模擬戦闘終了の電子音が鳴り響き、ギャラリーがどよめき始めた。それは、わかっているからだ。あの結月静流が一切手を抜いていなかったのを。
雛樹は立って居住まいを正すが、静流はまだ立てないでいた。そんな静流の正面に回り、立たせようとして手を差し出そうとした。
「……ふっ、ぐ……ッ」
が、恨めしさを見せるジト目にいっぱいの涙を溜め、頬を紅潮させた静流に驚き、たじろいでしまった。
自分自身への失望からのものなのだろうが、雛樹は自分に向けられた怒りのものだと勘違いをし、焦ってしまった。
これは“ネタばらし”をせざるを得ないと判断した雛樹は、気取った態度を捨て、兄のような柔らかい表情を向けた。
「ターシャ、お前が使う近接格闘術には昔、随分ズタボロにやられてたんだ」
「昔……です、か」
「ロシアの軍事格闘術システマをベースに、アルビナさん独自の改良が施された殺傷術。アルビナさんのは積極的に先手を打てるように改良されてて、かなり前衛的な型に仕上がってた」
まだCTF201に、アルビナが所属していた頃。雛樹は鼻水と涙で顔をべちゃべちゃにしながらも、彼女に鍛錬されていた。
泣こうが喚こうが止められなかったので、早々に心を殺し立ち向かっていた頃を思い出す。
「ただし、弱点はそのままだ。原則である動きを先回りして阻害してやれば、対処できるんだよ。まあ……それこそ死ぬような思いしながら、何百回と動き見たり受けたり攻めたりした上でのことなんだけどな」
遠い目をしながらそう言う雛樹の、差し出された手。その大きくてゴツゴツとした、男らしい手に惹かれるように握りに行き、立たせてもらった。
「……私はあなたに一度も届かなかった」
「そりゃそうだ。まだ頼れる兄貴分でいたいからな……って、試験に落ちた人間が言うことじゃないか」
背中を向けて、天井を見上げながら頭を困った風にぽりぽりと掻く雛樹。彼の背中はあまりにも広く、遠い。もう何年も前に見た、母アルビナの近接格闘術。静流自身のそれも母から教え込まれたものだとはいえ、そんな遥か昔の経験をここまで鮮やかに生かし、負かすことができるだろうか。
雛樹は、鍛錬を欠かしてなどいなかった。そう確信する。遠くで見ていたアルビナも同じ意見だろう。だからこそ……。
雛樹が落ちた入隊試験。疑惑の目を、そこに向けることができるのだ。
……——。
「はい、はいこちら玉城。ええ……言われた通り、VRシステムにフォトンノイドを干渉させました。あなたの言った通り、記憶の欠損が見られます。しかし……聞いていませんよ。“二脚機甲用ドミネーター制圧訓練”で、一人の兵士が制圧率4割強の数字を叩き出せるなど。CTF201は彼にどのような訓練を……はい。わかっています、詮索は無し……ですね。しかし、慌てて本社サーバーからランクΓのBOTを構築したので、改竄の痕跡が残ってしまった可能性が……ええ、可能な限り消去しましたが」
雛樹の入隊試験の合否を請け負った、センチュリオンテクノロジー所属、玉城准尉。彼は試験が終わった直後、雛樹と結月少尉の模擬格闘など見向きもせず、一人、個室で何者かと連絡を取っていた。
「報酬は後ほど……ええ。この後、この件に関する私の記憶も消去します。報酬のことを除いてね。狡猾? いえ……あなたほどでは……企業連合兵器統制局局長、高部総一郎さん」
この方舟全土の兵器の管理、または監視をしている企業連合兵器統制局……そのトップである、局長、高部総一郎。その男と、玉城試験官が通信していたのだ。
《結月君には悪いが、祠堂雛樹をセンチュリオンテクノロジーへ置くわけにはいかなくてね……》
「理由は聞きませんが……これだけ危ない橋を渡らせたんです。報酬には期待しても?」
《ああ、任せておきたまえ。私は今、機嫌がいいのさ。桁を一つ、足しておこう》