ー日常をくれて、ありがとうー
RBが鎮静剤で弱ったステイシスを抑え込むのに、そこから2時間を要した。
凄まじい攻防の末、なんとか無力化できた後、致命傷一歩手前の傷を負ったRBは担架で緊急医療室へ運ばれた。
一方のステイシスはエネルギー切れによる活動停止を確認されたのち、球状の檻、スフィアへと入れられ大人しくしていたのだ。
が、半日も経てば話せるほどにまでなり、近くで事務作業をしていた高部に暗い声で静かに話しかけていた。
《お父様……》
【なんだ? 今回のことについてならこちらの責任だ。気にする必要はない】
《アルマ、いつまでこんなこと繰り返せばいいの》
【そんなことを言うなんて珍しいな。すまないが、私にはお前に普通の生活を約束してやれん。それは前にも言っただろう】
《……》
ステイシスにはその返答が来ること自体予想できていたことだ。
だが、精神的に不安定な彼女は時たま思い出したようにそんなことを言う。
この現状を受け入れ、自分は一生生物兵器として扱われ、実験動物にされることを理解しているにもかかわらずだ。
自分は普通ではない。常識も、身体能力も、人としての機能まで常人とはかけ離れている。
そんな自分の面倒を見てくれているお父様には絶対の信頼と忠誠を置いている。
だが、時折無性に憎くなるのだ。お父様を含めた、自分を生み出した者たちが。
なぜ、物を考える頭と、それを蓄積する心を壊してくれなかったのか。
それさえなければ、純粋な兵器ならばそんなことを考えることもなかったはずだ。
普通の生活をしてみたいだの。体を好き勝手弄られたり薬を投与されるのが苦しいだの。
他の人間と、触れ合いたいだなどと。
血の通った確かな体温を持って自分に触れる人間などいない。
自分が触ることも許されない。
どれだけ泣いて喚いても、普通の日常とやらは手に入らないのだ。
常人なら、気が触れるような年月をそんな状態で過ごしてきた。
そんな……そんなステイシスにとって、祠堂雛樹という男は……。
……——。
耳をくすぐる小鳥のさえずり、風に揺れる新緑の木の葉、柔らかな日差しが少しずつ遠ざかっていく祠堂雛樹の背を照らす。
先ほど頭に置かれた手の余韻を感じつつ、むくりと起き上がってきたおかしな衝動に任せて走り出す。
「くおっ! おいおいなんだよ!」
「焦ってんじゃないわよぉ。首へし折るわよぅ?」
「はっは。そんな雑な体勢で折られるほど間抜けじゃあないんだな、これが」
雛樹の背に飛びついて、首に両腕を絡めて楽しげに話すガーネットにそう言いながらも振り落とすことはせず、そのまま歩き続けた。
なんとも嬉しそうな表情を浮かべたガーネットはそのまま雛樹の後頭部に口づけをした。
“ああ、そうだ。しどぉを初めて見たときも、こんな気持ちだった。こんな気持ちになると、唇を近づけたくなるんだわ”
雛樹は口づけされたことなど気づいてはいない。むしろ顔がぶつかってしまったため、謝ったくらいだ。
仕方ないなと雛樹は足を持ってそのまま背負ってやった。直に肌が触れ合う。
触れ合わせても死なない人間。
なんだかんだで優しかった人間。
生物兵器の自分に、普通の日常を与えてくれた男。
祠堂雛樹。しどぉ。
「軽いなぁお前。よく食べるくせに」
「持ちやすくてよかったわねぇ」
「鍛えるには物足りない重さなんだよな」
「くふふ、こんなのどかなとこに来てまでなに鍛えようとしてんのよぉ。ばかみたぁい」
「一兵士たるもの、自己鍛錬は欠かさずにって……。そうだ、夕食は何食べたいとか、あるか?」
「んぅー。おいしいものならなんでもいいわぁ」
「じゃあまた何か食べに行くか……」
「あ、しどぉの作ったおいしいものならなんでもいいわぁ」
「俺に作らせるのか。そんなに美味くないだろ、俺の料理」
「しどぉが作ったものなら、なんでもいいにするぅ」
「美味しくないのかよ……」
どうか。どうか、この日常が……兵器として朽ちる時がくるその日まで、続いてくれますように。