06、閑話休題果たされず
セーマがクロトクの街の騎士団員達から受けた話は、城の竜学者達の学者魂を呼び起こすには充分過ぎた。
夜遅くに城に帰ったセーマは、何ヵ所かの街の様子を視察し終えて満身創痍な様子だ。数枚集まった暴食竜の鱗をダグラスと学者達に献上すると事切れたように倒れてしまった。
「どうするか…」
執務室で眠り始めたセーマをソファに横たえ、マリオンを呼んだ。間もなく、仕事終わり間近なのかと疑いたくなるような糊のパリッとしたお仕着せ姿の侍女が現れる。
「ご用でしょうか」
「仕事終わりにすまないが、セーマに何か食事を用意してくれ」
「畏まりました」
「ついでに私に茶も頼む」
「はい」
「ついでに…」
「私も同席せよと申されるのでしょう?」
「ああ、頼む」
「畏まりました」
気の利くマリオンは溜め息を隠さずチラリとセーマの姿を映し、厳しい視線でひと睨みを利かせてダグラスに頭を下げた。
(もう少し柔らかな笑顔を見せれば可愛いげがあるものを…)
「侍女に可愛いげは必須事項な訳ではありませんよ、ダグラス様」
「確信犯とは可愛い性格じゃないか」
「女性への賛辞にしてはお粗末な言葉を渡すのも、ある種の性格か才能でしょうか?」
「む…」
口数の減らないマリオンとの小気味良いやり取りは嫌いではないが、どうやら少々腹の虫の居所は悪いらしい。
大人しくマリオンを下がらせて、セーマの寝息を数えて待った。規則正しい呼吸は、疲労が深い事を物語っていた。
***
「いやー、すみません」
一眠り後にガシガシと頭を掻いて謝るセーマの姿に、ダグラスは苦笑して手を振った。
「よい、別に気にしておらぬよ。お前は私の名代として過分な働きを見せてくれているからな」
マリオンが用意した軽食を味わうセーマをそのままにさせ、ダグラスは澄ました顔の侍女に話を向けた。
「マリオン、リィリースの様子はどうだ」
自分で淹れた紅茶を味わうマリオンは、伏せ気味だった睫毛を震わせてダグラスを見る。
「そうですね…“鱗”は大分剥がれました。私達も入浴の介助時に対火炎竜スーツを着ないでも対応出来るようになりました」
「ほう…それでは私が対面出来るのも近いようだな」
「ええ、まだ多少の臭いは残っていますが。あれは最早染み付いてしまった体臭かもしれません。ですが、うなじ部分の鱗が頑丈で中々剥がせないのです。リィリース嬢も柔いところをしつこく触られるのがお嫌いなようで、あまり芳しい成果は出せていません」
「それなら、侍女が押さえ付けてガッと一期に剥がすとか…」
「貴方、それを自分がされたらどう感じます?」
口の中に入れたハムサンドを咀嚼しながら提案するセーマを冷ややかな視線で一蹴するマリオンは、呆れたと言わんばかりに首を振る。
「やっと顔を突き合わせてのコミュニケーションを始められたと言うのに。態々構築中の友好関係にヒビを入れたくないのですよ、侍女達は」
「その様子だと…やはりか」
今度はダグラスが厳しい表情を浮かべる番だ。察しの良いマリオンは肯定の頷きを返して言葉にする。
「はい、やはりリィリース嬢は“言葉を知らぬ赤子”のようです」
「そうか…」
「こちらの言葉や、態度をよく観察しておいでですから、ある程度の意志疎通は可能かと思われます。閉じた会話、イエスかノーかを選ぶ判断力は確認出来ています」
「万事休すだな。リィリースには一通りの教養を与えるべきか…」
「ダグラス様」
ふと、マリオンが姿勢を正してダグラスを見据える。
「教養以前の問題が山積みです」
「そう…なのか、やはり…」
「ええ、やはり、です」
難しい顔付きの二人を見るセーマは、ゴクンと紅茶を飲み干して首を傾げている。
「例えばどんな問題が?」
「リィリースは、体ばかりが大きい赤子だ。人としての価値観を持ち合わせていない」
ダグラスの言葉を引き継いだマリオンは肯定しながらセーマに語る。
「食事の作法ひとつにおいても、彼女はナイフとフォークを扱えず手掴み…または餌付けされる事を望むのです。加えて野性動物並みに警戒心も高く、私を含めた顔を覚えた数人の侍女からの手解きしか受け入れようともしないのです。女性としての恥じらいも持たない彼女が、何度裸で浴場から逃げ出そうとしたか」
「それは…本当に万事休す…」
「困ったな」
不浄の塔で一人きりだった代償は、あまりに大きなものだったと、三者三様に溜め息を吐いた。
「ところでマリオン、餌付けとは?」
「いわゆる、あーんというあれですね。リィリース嬢の無垢な瞳で見上げられると堪らないらしく侍女達がこぞって餌付けに群がっています。食事の時間はちょっとしたイベントのようなっていますよ」
「ペットのような可愛がり方だな…」
「いえ、そうではなく…」
淡々と抑揚のないマリオンが、カップをソーサーに置いて何かを思い付いたらしい。
「そう言えば、敢えて聞かないのかと思っていたのですが。ダグラス様はリィリース嬢の外見に興味はないのですか?」
「人ならざる姿を思い返せば…人のかたちをしているならば造詣は別に重視しない」
「世の女性への侮辱になりますから、そのような発言は今後お薦め致しませんね。因みに、リィリース嬢は可憐な姿をしていますよ」
「へー!見たいなそれは!」
リィリースの外見に食い付いたセーマを無言の圧力で黙らせるマリオンだって、気迫は背負っているが美しい類いの人間だ。涼しげな目元とすらりした面立ちは冷酷さを匂わせるが、冷静さを纏う中に揺れる感情は実に豊かに動く。それを知った人間には、魅力的な人物に変わりはない。
「ともかく、です。リィリース嬢は貴方のお隣に侍るに値する外見をしております。厄介な貴族を閉口させられるでしょう」
「そうか…」
「ですから…ダグラス様は私共に一言命じればいいのです。リィリース・エヴァルガを無謬であるダグラス・ネロ・ナイトベルグの傍に侍るに値する淑女に育てよと」
「ああ…そうか、うむ…そうだな」
焦れるように急かすマリオンの物言いに、ダグラスは思い出したように苦笑して腕を組んだ。
「私共は、貴方の手となり足となる為にここに居るのです。それをお忘れとは言わせませんよ」
「いや、そうだな。そうであった。お前達が優秀な働きを見せるから、命じる事など久しく思い当たらなかったよ」
マリオンの言い分は城中の使用人達の総意と言っても過言ではない。
少し、忘れていただけだ。
「少し、忘れていただけだ」
あんまり皆がダグラスと気安く接してくれるから、自分が無謬であることをふとした瞬間忘れてしまう。自らも皆と同様の人間なのだと錯覚を起こす程。
立場はこんなに、違うといいのに。
「マリオン、リィリースを教育してくれ。私の隣に居て誰も文句の付けようのない、完璧な淑女に」
「御心の侭に」
安心したように息を吐いたマリオンが求める無謬を演じ、ダグラスは二人のやり取りを見守っていたセーマを呼ぶ。
「さて、今度はお前の報告を詳細に聞きたい。この鱗、少々面白いぞ」
セーマが持ち帰った暴食竜の鱗を人差し指と中指で挟むダグラスは、ニヤリと楽しげに笑ってみせた。
「この鱗、共鳴しているぞ」
ダグラスの言葉に、二人は目を見開いて互いの顔を見合わせた。