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傾国の乙女と朔の国  作者: 茶月ちゃこ
出会い編
2/16

02、上げずに落とす、嗚呼無情

注意!

不快指数上昇です。

大丈夫ですか、大丈夫ですね?

 転送陣を発動させるには多大な魔力を要する。その為、力の節約を余儀なくされていたダグラス・ネロ・ナイトベルグはその役割をセーマに任せる事にした。


 一瞬の強い光の後、無事に黎明の国との国境付近に転送を確認し、陣から一歩踏み出した時に彼は即座に鼻腔を魔力で蓋をした。要は見えない鼻栓だ。


 「ふぐぉっ、がっ!」


 背後でセーマが悶える声がしたが、気にせずに進む事にする。


 「お、待ちぐだざっ、うべぇっ」


嘔吐(えず)くか喋るかどちらかにして欲しい。耳障りな音に耳栓までしようかと思ったがそれは思い改め歩みを止めてセーマを見る。この場所で口を開いてはならない事を彼はよく知っている。


 「ごのまま、向がうのでずが?」


 鼻を摘んで話すセーマに頷いて肯定を表すと、優秀だが高貴な自分に仕えるには人格に問題が多々ある部下は一気に顔を青くした。


 「ざ、先に!ごぢらに派遣じだ部下に確認を取っでがらの方が安全でず!」


 確かに。

 ダグラスは考えた。この鼻腔を攻める強烈な暴力の中、暗中模索するのはナンセンスだ。候補の娘がどこに居るのかも分からぬまま歩き回れる程この土地は生易しくはない。


 「さっさとしろ」


と、声には出さず視線で伝える。

 セーマは鼻を摘んだまま魔機と呼ばれる魔力を介して遠方に居る者とも連絡の取れる物を取り出して先にこちらで調査をしていた部下に繋いだ。


 「もじもじっ、おーい!」


 だが、反応はない。

 セーマは一方的に繋いだ魔機に今こちらにダグラスが来ている事や娘が居る場所を教えろと喚く。すると、魔機を通して部下が見ている風景が送られてきた。それは一瞬の事だったが、ダグラスには十分過ぎる情報と言えた。


 「あ、」


 セーマは一瞬だけ見えた風景に言葉を無くしたが、彼は次に向かうべき場所へと歩き出した。


 魔機は本来、魔力の貯蓄量に比例して使用できる機能が変わってくる。一般的な使い方は音声のみの通話が主だが、貯蓄量が多い者は相手に映像を送る事も可能なのだ。

 今の映像を見た限りで言えば、絵画のような映像を送った部下は、この一瞬に魔力を使い果たしたという事になる。

 魔力は一度に使える最大の使用量を越えると枯渇し、使用した者は意識を飛ばす。

 魔力の自然補填は気を失った状態で早くても数時間、長くて数日が掛かる。帰路でこの哀れな部下を拾って行く事をセーマに視線で告げると、どうやら得心したのか大袈裟に肩を落とした。転送に費やす魔力もコストパフォーマンスはよろしくない。


 そんな事よりも、今は一刻も早い件の娘の元へ辿り着きたい。ダグラスを突き動かす動力はそれのみだった。


 「よりにもよって、大元…」


 やっと鼻栓をしたらしいセーマの嘆きは最もだった。ここから数里離れた場所に小さな村もあったはずだからだ。現在地よりはこの暴力的な悪臭は和らいでいるであろう村に目的の娘は居ない。

 悪臭の起因、例の塔にその娘は居るというのだ。


 (これが試練と言うのなら…!乗り越えて娘に会って見せる!そして城へと必ずや連れ帰る!)


 ダグラスは力強くそう心に誓った。


 だがしかし、その決意は塔を目前にした時早くも心が折れ掛けた。右手に握っていたステッキに力を込めてその暴力、否。絶望と形容するのが生温い程の強烈な悪臭が彼を襲った。

 セーマはと言えば、余りの衝撃に蹲って嘔吐いている。先刻から出し続けていた為、もう胃液しか出ていない。きっと食道は焼け爛れ、暫くはまともな食事も取れないに違いない。哀れなセーマには、この件が片付いたら休暇を与えねばなるまい。


 見上げた塔は醜悪、それが最も似合う形容詞だった。黎明の国との境にあるのは、底の見えない深い崖だ。塔は、その崖の先に建っている。

 朔の国が国として機能し始めた頃からそこにあったこの塔は、歴史的建造物としての価値はあれど、この悪臭により酔狂な者でも絶対に訪れたりしない。断言出来る。朔の国王であるダグラス・ネロ・ナイトベルグ本人ですらこの塔を訪れた事がないのだから。


 崖の周りには生物の気配は一切感じられない。あるのは、山の様に積み上げられた悪臭の元である物体が発酵し、立ち上る湯気とそれらに群がる蝿と蛆。

 足元を見るとペースト状になったそれらがベットリと彼の靴底に付いている。この最悪の環境下に彼の求める娘が居るというのか。


 「セーマ」


 ふと、塔の入り口付近に倒れる人影を見付けてセーマを呼んだ。根性だけは人一倍ある部下はヨロヨロと覚束無い足取りで人影を確認しに行く。どうやらこの付近に派遣した部下だったようだ。セーマは簡易転送陣を展開して意識を失っている部下を城へと転送した。真っ青な、今にも死にそうな顔色のセーマは、それでも主の元に舞い戻って次の指示を待った。


 「娘を探すぞ」


 短く告げ、塔の入り口にある呼び鈴を押したが反応はない。どうやら壊れてから久しいらしい。仕方ないと、意を決してドアを開けた。


 もう鼻栓など無意味だ。塔内に一歩踏み入れた時の足裏に感じる感覚で一気に身体中に悪寒が走り、鼻を通り直接脳味噌を無理矢理かき混ぜられる感覚に吐き気が治まらない。

 娘と会い見えるのが先か、彼とセーマがくたばるのが先か。それ程に切迫した状況だった。


 「ぐっ…」


 吐く。

 慌てて口元を押さえようとしたが純白の手袋は例の物で汚れていた。そのままでは口に近付けられない。そして、朔の国王が嘔吐する醜態は晒せないと、誇り高き無謬の彼はせり上がる体の要求を耐えきった。


 「リィ、リース!リィリース・エヴァルガッ!」


 たどたどしい赤子が喋るような言葉の羅列を叫び、彼は娘の名を呼んだ。


 しかし、返事はなかった。


 「っ、何処だ!」


 背後のセーマに苛立ちをぶつけようと振り返ったが、彼の目に飛び込んで来たのは真っ青な顔で意識を飛ばす寸前の哀れな青年だった。


 「クソッ!」


 悪態を付いた彼はセーマをその場に置き去りにし、塔内を足早に歩いた。

 早く娘を見付けなければ。

 それしか頭になかった。


 ぐちゃりと練るような耳障りな足音を響かせていると、塔内の一階中央付近に月の光が射し込んでいる場所に辿り着いた。

 この場所に例の物は降ってくるのか、付近には真新しい物が散乱していた。


 「……、…っ!」


 辺りに漂う空気に目をやられ、潤んだ視線を走らせていた彼の視界に人影を捉えてハッとした。

 目を凝らすと何かを呟きながら作業をしている。その人影よりも幾分大きなスコップを両手で動かし、谷底に向けて山のように盛られた物を投げ棄てている。


 「リィリース・エヴァルガ」


 彼の呼び掛けにピクリと反応したその人影が、こちらを向く。

 月明かりに照らされたその全貌を確認した彼は絶句した。


 どんなに不細工だろうと、汚らわしくとも、彼に選り好むなど頭に浮かべる余裕もなかったはずだった。そんな彼が、絶望したのだ。


 「お前が、リィリー、ス…なのか…?」


 早計過ぎたのだろうか。城で、リィリース・エヴァルガ以外の娘がリストに追加されるのを待つべきだったのだろうか。彼の思考が後悔で染められていく。


 コクンと、人影が頷いた。


 「お前が…そう、なのか…」


 絶望だった。

 やっと見付けた彼の唯一の希望が絶望だったのだ。しかし、躊躇している猶予はなかった。


 「お前に会いに…来たのだ。私は、ダグラス・ネロ・ナイトベルグ。お前の一族にこの塔…不浄の塔の管理を申し付けた、ナイトベルグだ」


 彼の言葉を聞き取った人影は、持っていたスコップを落とした。ベチャ…と、不快な音が聞こえる。そして、慌てて人影が膝と頭をそれらに埋めて彼に服従を示そうとした所で叫んだ。


 「やめろ!もう糞尿に触るな!」


 ビクリ、と人影が動きを止めた。

 相変わらず屋内外に放たれる悪臭は気分をただひたすらに降下させていくばかりで、彼は一刻も早くこの娘の条件の是非を問いたいのだ。

 潔癖症ではなかったはずだが、限度を越えた不浄に晒されたままでは気が狂いそうだった。


 「再確認するが、お前が、リィリースだな?」


 眉間に寄り続けた皺に汚れていない部分で触れながら彼は人影に問い掛ける。やはり返事は肯定の頷きだった。


 次の質問は、否定してくれないだろうか。そんな思考を持て余しつつ彼は口を開いた。


 「正直に…答えよ。お前は清らかなる乙女か?」


 自らが神に等しい彼がこの時ばかりは願わずにはいられなかった。


 が、返ってきたのは先程と同じ動きの頷きだった。


 「そうか…」


 大きな溜め息を吐きたかったが、吐き気を我慢しながらでは無理な所業だった。その為小さく息を止め、目を瞑ってやり過ごす。


 「お前に、新しい仕事を与える」


 もう、腹を括らねばならない。一時の苦痛を耐えられねば、朔の国は滅ぶのだ。


 「リィリース・エヴァルガ。お前の血を私に捧げよ」


 無謬の人の唯一の食糧、それは清らかなる乙女の血であった。無謬であり続ける為のその糧は、本来ならば厳重に管理されている。

 しかし、不幸な事に乙女はあらゆる生物の最下層に位置するランクにある。乙女を過ぎた女に宿る免疫力を持たぬ乙女は、些細な事ですぐに死ぬ。風邪で熱を出して死ぬ事もある。食事中に物を詰まらせ死ぬ事もある。

 そして今回は流行り病が朔の国中を襲ったのだ。


 途方もない人数の乙女が死んだ。

 そして、辛うじて生き残った処女を探さねばならぬ事態に陥ったのだ。


 そうして、やっと見付けたのだ。

 彼の命を繋ぐ唯一の糧を。


 「私と…共に来るのだ」


 鋭い視線を向けた先、リィリース・エヴァルガと言う娘、らしき人影が気持ち悪く体を小刻みに揺らした。パラパラと、全身にこびり付いた排泄物が零れて落ちる。


 何故この娘なのか。

 彼は絶望を隠さずに顔を歪めた。それは、この不快な環境下に置かれて気を狂わせたからだったのかもしれない。本来ならば泣いて喜ぶべき収穫だったはずなのだから。


 「まずは、お前の本来の姿に戻さねばならぬな…来い」


 人影の返事を確認しないまま、彼は元来た道を戻り始めた。人影は忙しなく周囲を見渡し、排泄物に埋まるスコップに手を伸ばし掛けて踏み止まる。先程のダグラスの叫びを思い出したようだった。


 「早くしろ!」


 自分を呼ぶ声に大袈裟に驚く人影は、観念したのか小さな歩調でダグラスの後を歩き始めた。


 「最悪だ」


 早く城に戻り、風呂に入らねば臭いが体に染み付いてしまいそうだ。

 後ろに付いて来る自分より頭二つ分小さな人影は、一体何度風呂に入れねばならぬのだろうか。

 首だけを後ろに向けた彼はやはり絶望するしかなかった。


 手足は細いが、大柄なスコップを扱っていた為かそれなりに筋肉を付けている。女騎士達よりは細そうだ。

 しかし、胴体や頭を隠す程こびり付いた排泄物のお陰でまるで化け物のような風貌だった。どこまでが頭でどこが首なのか。それすらも曖昧な姿をしている。

 これの血を喰らわねばならないのだ。乙女の柔い首筋に噛み付く為の牙がざわついたのは仕方がない事だ。


 もし、この娘がドラゴンの如く硬い鱗のような肌をしていたならば、ダグラスの牙は折れずに済むだろうか。

 そんな考えを巡らせながら糞尿を踏み締めて、入り口付近で未だ蹲っていたセーマに気付けの意味と苛立ちを込めてステッキで鳩尾を抉る。


 「帰るぞ」


 短い言葉に生まれたての子馬の如く震えながら立ち上がったセーマは、彼の背後で落ち着かない様子で立つ化け物の姿に目を見開いた。


 「なっ、あ、うほぁっ!?」


 彼と化け物を交互に見る仕草が鼻に付いて、再度ステッキを振り上げると、慌ててセーマは転送陣を展開し始めた。


 「チッ」


 魔術の展開中の不用意な干渉は事故に繋がり易い。それを見越したセーマの行動は休暇を取り上げる材料になり得そうである。


 「帰ったらまずは…風呂だ」


 「畏まりました、ダグラス様」


 セーマが転送陣に魔力を送り、一気に体が浮く感覚を覚えて、彼は溜め息を吐いた。転送陣の中の清浄なはずの空気はやはり、最悪だった。

タグにう○ち系ヒロインと追加しようと迷って踏み留まりました。分かりやすいと思うんですけど、いかんせん…ねえ…。


次回以降全年齢版に向けちょっと長めに修正時間をいただきます。

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