赤い髪の男3
「裏切り者って言ったわ……何、あれ」
和泉は赤い男を見た。
「放っておけ。筋違いの話だ」
と赤い男が言った。
和泉は首をかしげた。
「筋違いって? っていうか、あなた誰なの? さっきも土御門の霊気って言ったけど、私の事を知ってるの?」
「知ってる」
「え、あの……どこかで会いましたっけ?」
赤い男は少しだけ笑って、
「薄情だな、もう忘れたのか」
と言った。
「はあ?」
「しばらく公園には行くな。もの凄い勢いで悪霊どもが増えている」
「増えてるって?」
「土御門を放逐された霊気を狙って、悪霊どもが集まっている。イズミの霊気は上等だからな。とびっきりのごちそうになる」
「ごちそうって、あたしが狙われてるって事?」
「そうだ、その上、十神のクソどもが、見当違いの怒りでイズミに狙いを定めている。イズミの周囲に余計な怒りの霊気が充満している。それが悪霊どもを刺激して活発化したらしい」
「じゅ、十神って……賢ちゃんのところの?」
「そうだ」
「ど、どうして賢ちゃんの式神があたしを狙うの?」
「それは……つまり、イズミがワカを裏切った、とあいつらは思っているからだ」
赤い男は少し言いにくそうにそう言った。
「そっか……そうだよね。皆が怒るのもしょうがない」
それは事実だ、と和泉は思った。
あんなに守ってもらったのに、裏切って逃げ出したのはあたしだ。
『その通りさ!』
と声がした。顔を上げると、空中に大きな銀猫の顔があった。
瞳孔の部分がにゅっと細くなり、シャーッと牙を剥きだしている。
空にはみるみる暗雲が広がり、昼だというのに辺りは薄暗くなった。
「老いぼれ猫め! 失せろ!」
と赤い人が叫んだ。
「……お前、赤狼だね!! お前まで若様を裏切るつもりか!」
「え……赤狼君なの?! 生きてたの?」
赤い男は和泉の方を見てから、
「何とか再生した」
と言って笑った。
赤狼は立ち上がって、
「失せろ、銀猫」と言った。
人間の身体のその上に赤い狼の姿がゆらっと立ちのぼった。
大きな大きな赤い狼は牙を剥いて銀猫を威嚇した。
「くっ」
銀猫が怯んだ。
「覚えておいで! 若様を裏切った事を絶対に許さないからね!」
「笑わすな、近所のカラスや犬猫を使ってイズミを脅かすくらいしか能がないくせに」
銀猫は悔しそうな表情をしてから消えた。
「赤狼君、再生したんだ……よかったぁ」
和泉は赤狼を見上げた。
「泣くな」
と赤狼が言って和泉の頭を撫でた。
和泉はぼろぼろと涙をこぼした。
「うん、よかった、よかったぁ」
「イズミのおかげで再生できた」
「え?」
赤狼は和泉のバッグについているキーホルダーに触れた。それはあの時、赤狼が自爆した時、和泉の元に飛んできたわずかに残った赤狼の尾。和泉はそれをキーホルダーに加工していつも持ち歩いていた。
「俺達のような者は輪廻転生の輪から外れている。だがその分生命力は強い。些細なきっかけさえあれば再生できる。時間はかかるが、少しでも破片が残っていればそこから復元できる。イズミの側に置いてもらって、イズミの極上の霊気を吸収して、無事に再生できた。だがイズミでなければもっと時間がかかっただろうし、最悪は元の形を取れない奇形種か意識もない悪霊になってしまう場合もあった。元の形に再生が出来たのはイズミの霊能力のおかげだ」
「そうなんだ……よかった。賢ちゃんも喜んだでしょ?」
「……」
赤狼はぷいっと横を向いた。
「赤狼君?」
「あの男の所には戻っていない」
「どうして?」
「主従の契約が切れたからだ」
「主従の契約……」
「そうだ、死んだ時点で式神としての契約は切れる。再生した後の俺は自由だ」
「そう……なんだ」
「これからはイズミの式神になろう」
「え! あたしの?」
「そうだ、これからは俺がイズミを守ろう」
「ありがとう……でも、赤狼君まで皆に恨まれるよ……あたしが賢ちゃんを裏切ったのは本当なの」
「かまわん。式神は契約でつながれた同士だというだけだ。仲間ではなく、恩も義理もない。老いぼれ猫はやたらに飼い主に懐いてるようだが、所詮、俺達の間にあるのは契約だ。見知った者でも、主従関係によっては敵味方に分かれて殺し合う。俺達はそういう存在だ」
赤狼はとても冷たい顔をしてそう言った。
次の瞬間、赤狼は人間の姿ではなく、赤い狼に戻っていた。
「本当に赤狼君だ……」
赤狼は頭を和泉の腕にすりすりとすりつけた。
ふわふわの真っ赤な毛皮は相変わらず柔らかくて、暖かかった。
「モ、モフモフだ」
和泉はまたこみ上げてくる涙をこらえきれなかった。
赤狼の毛皮にぽつぽつと和泉の涙が落ちる。
「泣くなと言ってるだろう」
「うん」
「では主従の契約を」
「契約って……?」
「左手を」
と赤狼が言ったので、和泉は左手を差し出した。
「痛っ……痛いじゃん」
左手首に傷が出来た。赤狼の牙が和泉の腕を噛んだのだ。
血が出る。
「てててて」
赤狼は和泉の血をぺろっと舐めてから、
「我の命かイズミの命がつきるまで、イズミの式として守護する事を誓おう。もし誓いが破られた時は、我の身体に入ったイズミの血が毒となりて、我を殺すだろう」
と言った。
「ちょ、そんな物騒な」
和泉が目を丸くして赤狼を見た。
「契約とはそういう物だ」
「そう言えば賢ちゃんが言ってたわね。主従関係は厳しい契約で結ばれてるって」
赤狼はぷいっと横を向いて、
「あの男の事はもう忘れた」
と言った。




