赤い髪の男2
「和泉、じゃあ、お母さん仕事に行くから戸締まりには気をつけてね」
「うん」
「何かあったらすぐ電話してね」
「うん」
ばたばたと出かけて行く母親を和泉は見送る。
この年まで専業主婦だったのに、母親はパートに出るようになった。
父親の収入で暮らせない事はないけど、和泉の将来を考えて少しでも貯蓄がいる、と思ったのだろう。
事故の保険金や慰謝料等でまとまった金は入ったが、それも一生暮らせるほどではない。一人娘で他に頼る係累もない和泉の為に最近、家では節約ブームだ。
和泉を残して先に死んでしまった後の事を考えて、少しでもお金を残そうと母親はケチケチになってしまった。家も車椅子で動きやすいようにリフォームする予定だった。
でも、年をとったらどうなるんだろう。
老婆になっても一人でここで生きていくんだろうか。
たった一人で、朝起きて、朝ご飯を食べて、昼ご飯を食べて、晩ご飯を食べて、寝る。
そんな生活が何十年も続くんだろうか、時々、そう考えて和泉はたまらなく寂しくなる。
お昼過ぎに携帯が鳴る。
三十秒くらい鳴って切れる。
一日に一回だけだ。
電話は一日一回だけだけど、メールは山のように来る。
読んでないメールが後からのメールに押されて、消えていくほど来る。
「食事をちゃんとしろ」とか「道路はよく見て渡れ」とか変な一文が多い。
だが、暇つぶしになるから時々は読んでいる。
「陸が」で終わってる時があって、続きが気になっていたら、「イグアナを拾ってきた」と後から続編が届く。
一度だけ和泉が「もうメールしないで」と返したら、「俺の勝手だ。ほっとけ」と返ってきた。
一日の終わりは十二時頃に、「会いたい」という一文で締めくくられる。
「会いたくない、会いたくない、会いたくない」
とつぶやいてから和泉は眠る。
毎晩、枕カバーが濡れるから冷たくて嫌になる。
眠ると賢の夢をみる。
何故だかみんな小さくて小学生くらいだ。
別荘とか、海とか、山とかいろんな所に連れてってもらった思い出がごっちゃになっている。いつも賢は意地悪で、和泉に浮遊霊を突きつけて遊ぶ。
和泉は泣きながら逃げ出して、そのまま賢に会えなくなる。
探しても探しても賢はいなくて、賢の名前を呼びながら走る。
足が重くてうまく前に進めない。
そのまま真っ暗な中で一人途方に暮れる。
そんな日は朝起きた時に泣いている。
近くに大型のデパートがあって、その屋上にペットショップがある。
平日はエレベーターも混んでないので、散歩がてらそちらへ足を伸ばす事もある。
小さなペットショップだが、犬や猫、インコ、亀や爬虫類もいる。
そこでもふもふの仔猫を見るのが和泉の楽しみだが、その日は何かが違った。
店内に入った瞬間に「ぎゃんぎゃん」と犬が鳴いた。
猫は皆そろってふーーーーーっと毛を立てて背中を丸めた。
インコも「キューーーーーーー」甲高い声で叫んでから激しく羽ばたきした。
「え」
和泉が入り口で立ちすくむと、店員が寄ってきて睨むように見た。
和泉が何かしたように疑っているのは確かだ。
下手な言い訳をする前に、和泉は店を出ようと思った。
動物達は仇に会ったように吼えたてる。
進行方向を向いたまま車椅子をバックさせようとした時、
「やかましい!」
と大きな声がした。びっくりして口から心臓が出そうになる。
振り返ると、赤い男がいた。
「この店の犬猫どもはしつけもされてないのか!」
と赤い男が言った瞬間に、店内の喧噪がぴたっと止んだ。
赤い男は店内をぐるりと見渡して、動物達を睨みつけた。
驚いたのは、犬も猫も尻尾を身体の下に巻き込んでぶるぶると震えだした事だ。
インコが羽根をたたんで身体を傾けているし、亀は手も足も頭も引っ込めた。
赤い男が店員を睨むと、
「た、大変失礼しました」
と震える声で言った。
「こんな臭い環境で飼い慣らされてりゃ、おかしくなるのもしょうがないな。行こう」
と赤い男が言って、和泉の車椅子を後ろに引いた。
「え、あの」
店の外に出たが、和泉は車椅子を押されてそのまま進むしかない。
赤い男は屋上の端っこに置いてあるベンチまで車椅子を押して行った。
そこへ座ってから和泉に、
「あそこに何か視えるか?」と言って東の方を指さした。
「え?」
振り返るといつもの公園の城跡が見える。デパートの屋上から見たら、こんもりとした小さな森に見える。
その森の真ん中に城跡があって城壁などが少しだけ残っているが、その城跡の上空に黒い雲がかかっている。
「黒い雲が見えますけど」
と和泉が言った。
「少ずつ大きくなってきている。上等の土御門の霊気に気がついたようだ」
と赤い男が言った。
「え、どういう……」
赤い男がふいと目をそらしたので、つられて和泉もその方向を見た。
ペットショップの前にサークルを出して、その中へ犬を入れてある。
客が自由に触ってもいいようなサービスだ。
客に触られるストレスを考えて、子犬ではない中型犬だった。
その犬が普段ならとても届かないサークルの上を飛び越えて和泉の方へ走ってきた。
あっという間に和泉が座っている方へ走って来て飛びかかった。
「きゃっ」
と和泉が言った瞬間には赤い男の足が犬を蹴り飛ばして、犬はキャイン、キャインと鳴いてコンクリートの上に転がった。
向こうの方から店員が駆け寄ってくる。
店員は転げた犬を抱き上げて、赤い男を見た。
蹴り飛ばされたのは見ただろう。文句を言いたそうな顔だった。
「文句でもあるのか」
と赤い男が言った。
「足の不自由な女の子に犬をけしかけて、訴えてもいいんだぞ」
「い、いいえ、申し訳ありません。まさかサークルを飛び越すなんて」
と店員が慌てて言った。
「どうする?」
と赤い男が和泉に向かって言ったので、
「え? いえ、別に、いいです」
と慌てて和泉が答えた。
店員がぺこぺこと頭を下げながら犬を抱えて店の方へ戻って行く。
店員の背中とこちらを向いた犬の顔。
ぐったりとしていた犬の目がかっと見開き、
「裏切り者! 許さない!」
と言った。




