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土御門ラヴァーズ  作者: 猫又
第一章
8/107

賢ちゃんと和泉と井上

 翌日の金曜日は井上も島田先輩も朝から姿を見なかった。スケジュール板に出先の場所をいくつか書いてるので、外回りで会社に戻る暇もないのだろう。節電で冷房の設定温度が二十八度に決められているので、そう涼しくもなかったが、外回りの人よりはよほど快適だ。和泉は自分の椅子に座って、頼まれた見積書などの清書をしていた。

 和泉の後ろに座っている美香子が椅子ごとすいーと滑ってきて、

「聞いた?」

 といきなり耳元で言ったので、和泉は驚いて飛び上がった。

「な、何よ。いきなり!」

「幽霊が出るんだって」

「幽霊?……島田先輩の?」

「はあ? 何それ、島田先輩かどうかは知らないけどさ、幽霊が出るんだって」

「ど、どこに?」

「一階の女子トイレ。残業で遅くなった子が見たって」

「幽霊を?」

「そう、その子の前に一人確かに入って行ったのに、その子が中に入ると誰もいなかった」

「ふーん。見間違いじゃないの?」

「最初はそう思ったらしいんだけど、何人もそういう子がいてさ。昼休みなんかに話のネタにしてると、私も私もって話になったらしい」

「へえ」

 どうやら島田先輩ではないようだ、と和泉は思った。入ったはずの人間がいないというのが問題で島田先輩のように見るからに奇っ怪な様子ではないようだ。島田先輩の姿はゴキブリよりも驚く。生前はきちんとしていたのに、そんな姿になってしまったのが惜しいなと思う。

「どうして幽霊といえばトイレなんだろうね?」

 と和泉が言うと、美香子は、

「気になるのはそこ?」

 と言ってからまたすいーっと椅子ごと離れて行った。

 それから井上の姿も見なかったし、島田先輩に脅かされることもなかったが和泉は仕事が忙しく残業になってしまった。大急ぎで仕事を片付けてから、私服に着替え、和泉は帰りに一階のトイレを覗いた。

 ここは社内の人間だけではなく、他社の人間も利用するのでビルの中で一番奇麗なトイレになっている。個室が右に二つ、左手に三つある。そして手洗い場はシミ一つない奇麗な鏡と蛇口が三つ。個室は一つだけ使用中だった。何の音もしないまま、すぐに扉が開いた。出て来た人物は、井上だった。

「井上君……」

 井上はうつろな目でかくかくとしたぎこちない動きだった。トイレの扉に肩があたり、バランスを崩し、足下がよろける。和泉の呼びかけは耳に入っていないようだった。

 顔色は悪く、そして額から多量の血が流れていた。上着は着ておらず、ワイシャツが乱れていた。スーツのズボンははいているが、靴も靴下も履いてなかった。裸足で濡れた床の上を歩く。そして、和泉の横をすり抜けてトイレから出て行った。和泉はすぐに追いかけたが、トイレから出た時点でもう井上の姿はどこにもなかった。

「ここのトイレには道がついてる」

 と背後から声がして、井上を見た瞬間よりもびっくりして和泉は飛び上がった。

「賢ちゃん」

 振り返ると賢が立っていた。やけに汗をかいていて、タオルで首筋を拭っている。

「道って何?」

「霊道ってやつ」

「もしかして、霊が通る道って事?」

「ああ」

「そっか、だからこのトイレには幽霊が出るって噂が……え、じゃあ、今の井上君も?」

 この時だけはさすがに賢も気の毒そうな顔をして和泉を見た。

「お前、うかつに声をかけるなよ。憑いてくるぞ」

「死んじゃったっていうことなの?」

「そうだろ。あれだけ姿がはっきりしてるってことはどこかでくたばってるだろうな。本人は自覚なさそうだけどな。お前、妙な事に首を突っ込むなよ。すぐに憑かれて自分がこの道を通る事になるぞ」

 そう言い捨てて賢はせかせかと和泉に背を向けて歩き出した。

「うん」

 井上が死んだ……信じたくはないけれど、賢が言うなら本当にあれは井上の霊が迷っているのだ。どうして死んじゃったのだろう、事故にでもあったのかしら、と思いながら賢の後を歩いていると、大きな背中に当たった。

「ふが、急に止まらないでよ」

 賢が立ち止まって凝視している先を見ると、井上が立っていた。会社の大きな正面玄関で立ってこちらを見ている。そのすぐ側を社内の人間が帰っていくが、誰も井上の姿には気がつかないようだ。井上と賢、和泉だけが止まっていた。井上の視線はうつろで、ゆっくりとした動きできょろきょろと何かを探している。 そして和泉達に気がついたようだ。ぎこちない動きでこちらに向かって歩き出した。

 ずいぶん昔に仁に聞いた事がある。 

 行き先のない霊魂や迷った浮遊霊などが賢のような霊能者を見つけると光を見つけたと思うんだそうだ。賢の存在が一筋の光に見えて、そして寄ってくるのだそうだ。彼らはどこへ行けばいいか分からずにさまよっていて、賢の光に引き寄せられてくるらしい。

 井上はふらふらと歩いてこちらに近づいてきた。

「せっかく一度は霊道に入ったのに、どうして迷い出たんだ?」

 賢はそうつぶやいた。

「あのまま、他の連中についていけばちゃんとした場所へゆける」

「でも……四十九日まではこっちにとどまるんじゃないの?」

 と和泉は素朴な疑問を口にして、賢の方を見た、つもりだった。

 だが、突然、賢が消えた。


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