賢ちゃんと和泉と生首4
もちろんその日は仕事にならなかった。和泉は退社時間まで、椅子に座ったまま呆然としていた。美香子が帰り支度をしながら和泉の顔をのぞき込んで、
「どうしたの? 難しい顔しちゃってさ」と言った。
「ねえ」
「何?」
美香子は化粧ポーチから鏡を出して、化粧の具合を確かめていた。
「今日、お出かけ?」
「ま、ね」
「ふうん、ねえ、島田先輩の家、知ってる?」
美香子の手が止まり、和泉をまじまじと見た。
「どうしたのよ? 今頃、島田先輩の事なんて」
「お線香でもあげにいこうかなと思ってさ」
「人事にでも聞けば教えてくれんじゃない?」
美香子は気のない返事をした。
「そっか、そうね。聞いてみる」
「じゃ、お疲れ様」
と言って去って行く美香子を和泉は見送った。
結局、井上と一緒に去って行った島田先輩は会社には戻らなかった。井上の予定表に直帰と書いてあったのでそのまま一緒に帰ったようだ。そういえば井上は最近夢見が悪いと言っていた。確かに自殺霊に取り憑かれているんじゃさぞかし怖い夢を見るだろう。島田先輩はずいぶんと井上を恨んでいるみたいだ。
パソコンの電源を落とし、カバンを持って立ち上がる。明日も先輩は井上と一緒に現れるんだろうか、また和泉のパソコンに出没するんだろか。
はあ、とため息をついて、エレベーターに乗り込むと、
「辞める決心でもついたのか?」
と声がした。顔を上げると、賢が奥に立っていた。
「つくわけないじゃん。辞めないわよ」
「へぇ、そう。再就職、難しかったら嫁にでも行けば? 相手がいないか」
「大きなお世話よ。相手はいくらでもいます」
「そうですか」
「この間だってね、R社の営業とコンパでラインID聞かれちゃって。R社って評価いいのよね。高給取りだし、結婚には……あ、そんな事より、聞いてくれる? 少しだけ意志の疎通があったのよ」
エレベーターには上階から乗ってきた他の社員もいたので、島田先輩の名前を出すのは控えた。
「嫌だ」
賢は短くそう答えた。
「俺には関係ない」
「ちょ、ちょっと。それはあんまり冷たいじゃない! 話くらい聞いてくれてもいいじゃない! ねえ!」
「断る。R社の営業にでも聞いてもらえば」
チンとエレベーターが一階に到着すると、賢はそそくさと去って行った。
「な、何よ。あれ」
会社を出るとまだ気温は高く暑い。
七月になったばかりの街は樹木の葉が青々として、突き刺す日差しがまぶしい。空気も新鮮で空も高く青い。初夏の晴れの日ってどうしてこう初々しいのだろう。
この季節に行き交う人々は、カラスや野良犬や猫までもが生き生きしているように映る。だけどお盆が過ぎる頃にはそれらの姿も疲れて、体を引きずっているように見えるのは何故なんだろう。
和泉は美味しいと評判のパティスリーでケーキをいくつか箱詰めにしてもらった。それを手土産に久しぶりに賢の家へ行くつもりだ。
関係ないなんて冷たいセリフを吐かれてこのまま引き下がるわけにはいかない。一族の者が困っていれば助けるのは総領の役目のはず。
土御門家は千年も続く、古くは竹取物語でかぐや姫に求婚した五人の皇子の中の一人安倍御主人からの血筋であり、平安時代にはかの陰陽師安倍晴明を排出した一族の末裔なのである。だから土御門賢は、例えグータラ社員でも、性格も容姿もキモメンだとしても、一部の民衆には異常に尊敬されている。末端であるうちの両親は金魚の霊さえ視えないのだが、それ故に異様に賢を尊敬しきっているし、盆と正月の一族の集会には皆が皆、賢の顔を見にやってきては、土下座でもしそうな勢いで彼を見つめる。
年頃の娘のいる家では賢の嫁にとプッシュを忘れない。賢には弟が二人いるが、この二人も嫁入りのターゲットにされてるのはもちろんだ。霊能力の高い子供を産むのが土御門の娘の宿願のようになっている。その為には三兄弟のような霊能力に優れた土御門に嫁ぐのが理想だ。
そして実際に賢には島田先輩の姿が見えて、その霊魂をはじき飛ばしてしまうほどの霊能力が備わっているのだ。
和泉に島田先輩が視えるのは末端といえど土御門の血筋だからと思われる。まあ、霊魂が見えたところで和泉に出来るのは飛び上がるくらいに驚くぐらいで、なんの利もないのだが。