祈祷祭2
『この……時を……待って……いた』
と低く太い、弱々しい声がした。
その声は和泉にしか聞こえなかった。
「まさか……」
と和泉がつぶやいた。あのしわがれた憎悪に満ちた声には覚えがある。
薄ぼんやりとした顔が二つ、三つ、浮かんでいる。
細々とした霊が寄り集まって、かろうじて存在しているだけだ、という感じだった。
大きな悪霊の影に隠れていたのだろう。
『今度……こそは……』
「加寿子大伯母様、そんな姿になってまでまだ私を? どうして賢ちゃんがあなたを消滅させてしまわなかったか、分からないんですか? 長い時間をかけてもまたあなたに人として生まれて来て欲しいから……」
と和泉が言った。
『……今度……こそ』
言葉も通じないようだった。
最後の瞬間に燃え尽くす花火のように、その細々とした霊は和泉の方へ飛びかかった。
「和泉!」
と赤狼の声がした。
和泉は悲しそうな顔で手を差し出した。
和泉の手の平から丸い緑色の球体が現れた。
それはふらっと和泉の手を離れ、空へ浮かび上がった。
霊がそれにつられて空へ舞い上がる。
その中の一体だけが和泉の方へ顔を向けたが、他の霊に引っ張られる。
悔しそうな顔で抵抗していたが、他の二体に引っ張り負けて空へ上がって行く。
緑の球体はふらふらと宙を舞い、霊はそれにつられて後を追う。
和泉の霊気はご馳走だ。
ご馳走を追いかけてふらふらと霊が空を舞う。
やがてご馳走は下降して行った。
それを追いかける霊。
下降した先には賢がいる。
「やはり恨みを捨て切れないのか……恨みで身を滅ぼすほどに、あの人に惚れてたのか」
と賢がつぶやいた。
もう自分が何者であったのかさえ思い出せなくなっている加寿子の霊はふらふらと賢の前に降りて来て、一瞬、不思議そうな顔をした。
そしてくわっと大きな口を開いて、賢の左肩に噛みついた。
「賢兄!」
「賢様!」
と悲鳴が上がった。
悪霊となった加寿子の口からは牙が見え、最後の力を振り絞って賢の肩に牙が食いついている。
「まー兄!」
「大丈夫だ」
賢は痛そうな顔もせず、右手で加寿子を引きはがした。
「キキッ」と加寿子の口から音が漏れた。
そしてそのまま哀れな悪霊を握りつぶした。
「賢ちゃん……」
和泉は自分の席で加寿子の霊が賢の肩に食いつくのを見ていた。
賢が肩に食いついた悪霊を握り潰した瞬間に、公園内の空気が変わった。
暗雲と重々しい空気がさっと晴れて、元の青空が広がってきた。
さわやかな風が通り、暖かい午後の日差しが戻ってきた。
祈祷祭の終了だった。
「賢ちゃん、大丈夫かしら」
と和泉がつぶやいた。
「あれくらい、どうという事もないだろう。それに……」
と赤狼が言った。
「それに?」
「余計な心配はしてやるな。側にいてやれないと決めたなら、放っておいてやれ。和泉の心配は次代のプライドを余計に傷つけるだけだ」
と赤狼が冷たく言った。
「うん。そうだね」
と和泉は小さく言って、うなずいた。
「だが上手くいったな。この二ヶ月でかなりコントロール出来るようになったな」
「うん、赤狼君のおかげよ。ありがとう」
和泉が自分の霊気を小さい球体にしてそれを放出する、というのはかなり難しい技だった。自分で霊が祓えない和泉の防御を上げる為に赤狼が考えた技である。
自分の霊気をコントロールし、街中を徘徊する浮遊霊くらいは追い払う事が出来たならば、それは和泉の自信につながる。
赤狼の修行は厳しかったが、とりあえず和泉は自分で自分の霊気を動かす事が出来るようになった。
「帰ろうか」
「ああ」
がたがたとあちらこちらで片付けをする音がし始めた。
椅子や祈祷に使用した壇を撤去しなければならない。
和泉は最後に一度だけ賢の方を見て、そして、彼らに背を向けた。
人型になった赤狼が和泉の車椅子を押して歩いて行った。
「ちえっ」
と、賢が舌打ちして、
「あいつ、イケメンだな」
と言った。




