賢ちゃんと和泉と生首
土御門賢は変な奴だ。
もちろん、変な奴だなんて叫ぶのは心の中でだけにしておかないといけないのは分かっている。もしそんな事を考えているのがばれたら土御門和泉は一族郎党に袋だたきにされるだろうし、そうなったら、父親は会社をクビに、母親はスーパーに買い物に行くのにも道路の隅っこを歩かなければならないだろう。
だけど賢は本当に変な奴でおまけに意地悪なやつだ。
不細工ではないが、とにかく山のように大きな体はデブなので、顔もパンパン。分厚い眼鏡をかけていて、それを外したら細い眠そうな眼をしているだけだ。その上に性格は最悪意地悪だ。勉強が出来るという長所はあったが、それも学校に通う間だけのこと。社会に出れば愛想がよく、融通のきく、足回りの軽い計算高い男が得なものだ。
賢は全くそういう男ではない。
仕事はそこそこにしかしない。退社時間には一番にいなくなり、飲み会などの行事にも一切参加しない。
課長にどんなに睨まれても、どこまでも我が道を行く態度を崩さないのは立派だけれど。
そんな男に恋人がいるわけもなく、会社の女の子の嫌われ度は今の所、庶務課の課長に続く二位だ。ハゲデブチビセクハラ大王の課長に続くなんて、二十八才独身男子にしては不名誉すぎるんじゃないだろうか。
「つっちー、だんなが呼んでるわよお」
つんつんと和泉の脇腹を小突いて、同僚の小池美香子が囁いた。
「だんなじゃない! そういうのやめてくれるっ!」
和泉は美香子を小突き返した。
どこのキャバクラでバイトしてるんだろうってくらい盛り上がった美香子のお姫様ヘアーはスプレーで固まりすぎてヘルメットみたいになっている。
「だって、同じ土御門さんじゃん」
面白くも何ともない。いつまでもそういうジョークで笑うのは課長くらいの親父年代かと思ってたら、ここにもいた。和泉は美香子を睨んでから立ち上がった。
営業二課の入り口に立っている土御門賢の所まで行くと、
「デブ、俺に弁当を届けさせてんじゃねえ」
と不機嫌そうに言ってから弁当カバンをばんと和泉に押しつけた。
「あ、そうだ、今日忘れてきたんだ、ありが……」
「アホ」
と余計な一言を言ってから賢は去って行った。
「何、あの態度、ああいう余計な事を言うから感謝しようって気にならないのよ!」
忘れた弁当を持ってきてもらって本当はありがたいのだが、賢はいつだってああいう態度だ。
土御門和泉、賢とは親戚同志になるので同じ名字なだけで決して夫婦ではない。親戚とはいっても賢は土御門家の本家頭領だが、和泉はその一族の枝の枝の枝のほんの先っぽほどの末端の土御門なので、本来なら賢様、頭領様、と頭を下げてお仕えする立場だ。実際はもうそういう時代ではない。たまたま家が近所で、同い年、幼稚園も学校もずっと同じで幼なじみという存在だ。和泉は地元の短大を出て今の会社に就職したのだが、賢は都会の有名大学を首席で卒業したわりには就職浪人で、あちこちの会社を転々としたあげく、去年と和泉と同じ会社に入って来たのだった。賢は最初からやる気はなさそうで、会社の人ともうまくやっていこうなんて気は全然みられなかった。
珍しい名字が同じで親戚だってことはすぐに周囲にばれてしまい、あげくの果てに夫婦だとか言われてからかわれる。やる気のない賢への苛立ちからよその課長にまで嫌味を言われる和泉の立場。この会社でやる気がないのなら、よそで働けばいいのだ。
確かに不況だが賢は日本で一番偏差値の高い大学を出ているのだから、もっといい職場がみつかるだろう。
いや、本当は賢には本業がある。会社員などしなくても、本業に精を出せばいいのだ。 真面目にサラリーマンをやる気もないのに、どうしてこの会社に入ったのだろう。
なんて事を和泉が弁当を前に考えていると、二オクターブ上がった美香子の声がした。
「井上く~ん」
ふと顔を上げると営業二課のホープ、井上良介が通った。社長の甥っ子だという噂の井上良介は背がすらっと高く、細身で、切れ長の眼が素敵なハンサムだ。誰かとは違い仕事態度はきわめて真面目。同僚や先輩達への態度もよく、好感度は上がり調子だ。特に社長の甥というのは得点が高い。美香子をはじめとして女子社員には狙われている。
和泉も彼に好感はあるがどうも競争率の高い競技には参加したくない性質だ。日曜日のディズニーランド、連休の温泉には行く気になれない。だから井上も遠くから眺めているだけだ。もちろん、自分に自信がないわけじゃない。そんなにブスでもないと自分では思っている。
賢はよく和泉をデブと言うけど、そんなに太ってるわけでもない。巨乳だから太ってるように見えるのよ!!
井上は美香子に笑顔を見せた。きらっと光る白い歯がまぶしい。
何だか井上の顔は疲れているような感じがした。
「どうしたの? 何だか疲れてない?」
と和泉が聞くと、
「そうなんですよ。最近、変な夢ばっかみて」
と井上は苦笑した。
「あんま、寝てないんだ?」
「ええ、まあ」
井上が立ち止まる所にはわらわらと女子社員が寄ってくる。次から次へと話の輪に入ろうとするから、強気でいかないとはじき飛ばされてしまうのだ。でも、その時、背後から何か声がしたような気がしたので和泉は振り返った。後ろには腕組みをした美香子が女子を睨んでいた。
「何か言った? 今」
「言ってないわ」
「そう?」
和泉は周囲を見渡した。時計の針は十二時を指していて、皆が休憩モードに入っていた。 部屋の中ではあちらこちらで雑談が始まっていたし、外食組はそそくさと外へ出かけようとしている。井上が同僚と一緒に外へ出たので、集まってきた女子も再びわらわらと散って行った。
和泉も自分のデスクで賢に持って来てもらった弁当を広げた。手作りと言えば聞こえはいいけど、母の手作りなわけで。卵焼きにウインナー、鮭の切り身に筑前煮。父親の弁当がメインだからその残り物で構成されているのは仕方がない。これで昼食代がかなり浮いているはずだし、健康の為にも弁当持参に限る。しかしそのせいで外食組とは一線を引いてしまい、井上の情報をキャッチするのも、美香子が散々吟味した後で彼女の機嫌がいい時にだけ教えてもらえるという程度。これでは井上の目に止まるはずもない。
それは分かっているが、毎日、八百五十円もの昼食代を捻出するのも惜しい。
基本的にケチなのは自分でも分かっている。
ピンクのでんぶでご飯の上にハートを書いた若手愛妻弁当持参組や、茶色一色で統一されている古妻弁当持参のじいさま達と部屋でもぞもぞと弁当を食べるのが毎日の事だ。
しかし今日は何だか様子が違った。
給湯室でお茶をいれる。自分のをいれるついでに弁当組にもいれてやるのがほぼ日課だ。 中には当然のような顔をするあつかましいじいさんもいれば、何度も何度もすみませんと言ってくれる礼儀正しい二十代の男の子もいる。
急須に茶葉をいれて、ポットの湯を急須に注ぐ。それぞれの湯飲みに茶を注いで盆に乗せて、営業二課の部屋へ戻った。
ん? 和泉は目を凝らした。井上のデスクの椅子に誰かが座っていた。制服を着ている女子社員だが。何か変だ。和泉からは背中しか見えないのだけれど、やけに猫背だ。長い髪がばらばらと背中にはりついている。
それを見た瞬間に自分の背中から腕にかけてがぞわっとなった。一瞬で全身に鳥肌がたった。何故だか見てはいけないものを見てしまったと思った。
その女子社員は全く動きもせずに、ただ井上の椅子に座っているだけだった。時々よその課の女の子が用事ついでに井上を覗いていくので、その類だろうと思われるが、椅子に座ってみるとはなかなかの度胸だ。中にはシャーペンやボールペンを盗んでいく者もいるのだから、椅子に座ってみるなんてのはまだましかもしれない。
和泉は気を取り直して盆の上の湯飲みを皆に配って歩いた。最後に残った自分のマグカップを持って机に歩いて行く。和泉の席は井上とは対角線上に離れている。間に人が座ればなかなか井上の顔を見るのも難しいのだが、昼休みなので誰もいなかった。
誰かが弁当を食べているくちゃくちゃという下品な音と、じいさんの咳払いと、携帯電話から流れる音楽の音が聞こえていた。それだけだ。椅子から立ち上がる音も、気配もしなかった。なのに、和泉が弁当箱の蓋を開けた瞬間に、
「ね」
と声がして、目の前に女の顔があった。
「ひっ」
目の前のデスクトップのパソコンのすぐ側に女の顔があった。長い髪がパソコンの画面にはりついていた。