そしてその日の夕ご飯
そしてその日の夕ご飯。
「姫様、そろそろ夕餉のお時間ですよ」
「もう?」
夕餉は、後宮の食事室で、後宮の厨房が作る妾妃用の料理を出して欲しいとあらかじめ頼んである。ナタラの分も。二人で試食するためだ。王太子と正妃の食事は王宮の厨房が担当するのが基本だが、今後、女の子達が集ってきたら俺の食事はこちらをメインにするつもりだ。もちろん皆とおなじものを食べる。
ああ、楽しそう!
「姫様、お顔、緩んでます」
「え?……では食事室に行きましょう。やっぱり、風呂場の改築は必要みたいね」
とっとと話題を変えて歩きながら相談する。
ミーシャの部屋は見てないが、特別仕様だと思われる五部屋にはバスルームが付帯していた。だからミーシャの部屋はそれより豪華だと推定できる。残り十数部屋は共同風呂となるらしい。その共同風呂は、猫足のバスタブがいくつか並んでいるだけの板の間で、およそ風呂場とも思えない作りだ。これはセイダロンも似たようなものだから予想の範囲内。
「一部屋に寝台がいくつ入るか測らなくてはね」
ランクに差がある部屋の割り振りは頭の痛いところだ。妾妃の部屋には続き間で侍女部屋と衣装部屋もある。それが特別仕様となるとさらに何部屋も連なる。
「お部屋は寝るだけの用途でよろしいのですか?」
侍女部屋のように、とナタラは続け、食事室の扉を開けた。
「そうね。いっそ大きな部屋は作業部屋やレッスン場やらに………したほうがいい」
途中で声がひっくり返ってしまった。なぜここに居る、王太子。この食事室は広いから、奥の方まで目が届くのに時間が要るんだよ。
「失礼いたしました」
ナタラが礼を取った。中に人が居るとは思わなかったからノックもせずに開けたのだ。普通、王太子が居れば近衛の騎士がいるものだが、ここは後宮だったと思い直す。じゃあ侍女はどうしたんだ、侍女は! 扉前で一人ぐらい待機してなきゃいかんだろうが。ミーシャも居ないが、ここで何をするつもりだ? まさか一人で食事か? 今朝は、ラブラブカップルはこっち(後宮の食事室)で食べればいいと思ったが、実際見てみるとどうにも簡素で学食っぽく、あっち(王太子夫妻の食事室)を選んだのも仕方なしと納得していたのに。
などと入口付近で戸惑っていると、いくつか廊下を走る足音が響いた。とっさに道を空けるのは前世からの習性だ。
「ご無礼をいたしました。妃殿下」
避けようとする俺を押しとどめて、恭しく頭を下げたのは、王太子の侍女。王太子より遅く来るのはおかしくないか? の疑問が顔に出ていたらしい。後ろから息せききって付いて来た侍女長が胸に手を当てお辞儀した。まだ肩が上下に揺れている。
「遅くなりました。お食事の準備が、整いまして、ございます」
俺に言うな。王太子はあそこだ。目線で示していたら、廊下の向こうにもう一団体が見えた。ミーシャの侍女とご本人らしい。全体的にばたばたしている。急遽決めたことが丸わかりだ。
そこまでして、なぜ、ここで食事するかな。なぜ、この時間にするかな。
それでも表面上はにこやかに、そそと手前の席に着いた。王太子とは部屋の幅と同じ距離ほど離れている。あからさまだとは思ったが、誘われたわけでなし。
「妃殿下、あちらへ」
同席してくださいと、上目遣いで訴える侍女長には悪いが、それは無視して、ミーシャ嬢のご入場に併せて立ち上がる。
「ご機嫌うるわしゅう、ミーシャ様」
「は、はい、ご機嫌」ふぅ「うるわしゅう」ふっ「り、リグレットノア様」はぁ。
息切れしながら、それでもきょろきょろと王太子を探している。
あっちだ、あっち、とこれも視線で示してやる。ミーシャは安堵の表情になり、辞去の挨拶もせずに、さっと踵を返した。そこまで奇麗にケツを向けなくてもいいだろうに。まあ、俺は構わんけど。女のすることはたいがい許せる。博愛主義だし…っと、王太子が睨んでいるので、視界に入れないように席を二つほど移動した。まったくめんどくさいヤツだ。
結局、あの状況では、ナタラと同席して試食するなどということはできず、俺は食事室で一人ぽそぽそと食べ、ナタラも厨房脇の控室で食べ、後で意見交換するという非効率な事態に陥った。やはりと言うべきか、俺とナタラでは食事の内容が違ったが、王太子が同席するのであれば、厨房の判断もやむなしと思う。半端なく離れていたがな。
まだ後宮は巡り足らないが、歩き疲れてきたのでそろそろ戻ろうと足を部屋に向けつつ、ナタラとの打合せも続行。
「姫様、もう少し風通しのよろしいお部屋もたくさんありましたよ?」
「主役は私じゃないから、いいの」
「それにしても、姫様が浴場の隣の部屋などになさらなくたってよろしいのに」
「後宮のほとんどの部屋は仕事部屋になるでしょうし、場合によっては私の部屋が物置部屋になることだって覚悟してるからいいのよ」
寝るだけだからどうでもいいんだ。問題は風呂だ風呂。改築したら番台も作ろう。そこに意味はないが、男のロマンはある。
「集ってくる方々がどのような方かもわかりませんのに……」
ナタラが前方の人影を認めた途端、口と足をピタっと止めた。
王太子、俺はおまえにロマンは感じない。例え廊下で熱烈キスシーンを演じてくれようとも。
俺たちは夕食後にまた後宮を巡っていたんだ。おまえ、もしかしてずっとここに居たのか? ずっとそれか? 唇腫れないか? 部屋に入れないわけでもあるのか?
「違う道に」
ナタラは、俺の袖を引くが、ここはミーシャの部屋前で、後宮の一番端となり、すぐの扉が後宮と王宮を隔てている。そこを過ぎれば王太子の部屋で向こう隣が俺の部屋だ。ここで違う道を選んだら、王宮正面から入り直さなくてはならない。ものすごく遠回りになる。そんなことをするぐらいなら横を抜ければいい。廊下に寝そべって励んでいるわけでなし。たいしたことはない。
今回は俺が折れるが。
この問題は早急に片付けておくべきだろう。後宮で所構わずコレをやられたら女の子達が気の毒だ。ひとまずミーシャを後宮から離宮へでも移せばいいかな? いや、それだと後宮を開いておく大前提が崩れてしまう。正妃の部屋をミーシャに与えるのも同じ理屈でダメか。これは困った。
「姫様、しっかりなさってください」
ぐいぐいと袖を引かれて、はっと我に返った瞬間に王太子と目が合った。
………笑ってる。
見られて喜ぶ変態だったか。いっそこの変態の方を後宮から排除するか…本末転倒になるな。それなら公共の場は抑えてもらって、二人の時だけにしてもらうとか? それでは変態じゃない。フツーだ。変態としての燃料が切れてしまうかもしれん。だったら、その都度俺が見に行くのはどうだ? 俺の方が変態みたいになるが。
「姫様…」
「大丈夫よ、このまま部屋に戻りましょう」
後できちんと話合おう。今は疲れた。でも、公務でなきゃ喋らないのに、話し合ってくれるだろうか? これって公務になるのか? ほんと色々めんどくさいヤツだ。