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不死の王 禁呪の娘  作者: 緋ノ原
第1話 召喚
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3. 異邦人

 軽く深呼吸をして、いま居る部屋を見回してみる。

 基調は白と金と灰青。蔓草や貝殻をモチーフにした内装と調度品が目につく。建築はよくわからないけれど、ロココ調だったか──フランスを取材したテレビ番組で観たような雰囲気だ。装飾が多い割に品よく落ち着いていて、つい、ぼんやりと見蕩れてしまった。


『おい、ギルヴェルク』

 不機嫌そうな男の声が頭に響く。わたしはベッドのうえでおすわりをしている強面の狼に向き直った。

「どうして、わたしをギルヴェルクって呼ぶの」

『おまえはギルヴェルクにしか見えないからな』

 なぜかわたしはギルヴェルクという男の姿になっているらしい。

「ギルヴェルクって誰?」

『ヴァンパイアだ』

 さっきまで見ていた悪夢のままだ。厭な予感しかしない。

「さっき言ってた、ショウカンシテギコンってなに?」

『おまえを異世界から召喚し、ギルヴェルクの身体に偽りの魂として憑依させた──という意味だ。解るか?』

 異世界召喚。憑依。どこのライトノベルだ。わたしは頭を抱えた。

「まさか、わたしは異世界に召喚されて、ギルヴェルクという名前のヴァンパイアの身体に取り憑いてる状態っていう意味じゃないでしょうね?」

『ほう? うまくまとめたな』

 黒い狼は牙を剥いて喉を鳴らした。絶対、馬鹿にされている。

 たしかに言葉の意味は解った。けど、いきなりそんなファンタジーな現実なんて納得できない、したくもない。

 なにしろ、昨日は彰吾にフラれて、結衣にやけ酒をつきあってもらって、家に帰ろうとした──そのあとの記憶が、まったくないのだ。もしかして、これは宿酔が見せる悪夢の途中なのか。

 おそるおそる自分の胸に手をあててみた。Cカップあったはずの胸がぺったんこで堅い。上に指をたどると、ちゃんと自分のものだと感じる喉仏のでっぱりがあった。

 夢にしてはリアルすぎる。

 はあーっと、ため息を吐いてうなだれると、意識しないようにしていたアレが視界に入ってしまい、あわてて顔をあげると、今度は狼の金の眼と視線が合う。

「あんまり見ないでよ。恥ずかしい」

『男の身体など、さして恥ずかしいものでもないだろう。処女でもあるまいし』

 つい、ぴくりと肩が動いてしまった。

『……おまえ』

 いたたまれず、視線をそらす。

『それはまあ………………災難だったな』

 狼の視線が微妙に揺れた。悪かったわね、処女で。

 ──あのときの彰吾の声が脳裏を掠めた。

「だ、だから! この身体が裸なのがいけないのよ。ふ、服、服を着ればいいのよ!」

 厭な記憶を振り払うように、勢いをつけて立ち上がったところで硬直した。

 ぶらん、って、なにコレ。ぶらん、って。

 思わず、手でおさえちゃったじゃない。せっかく見ないようにしていたのに、無駄に存在を主張しないでほしい。

『ぷ……ッ、ははッ!』

 股間を両手でおさえたまま、おろおろしているわたしのまえで、狼がふさふさの身体を小刻みに揺らしている。

「ちょっと! 笑わないでよ! コレ、本気で恥ずかしいんだから」

『だがな……う……ぷぷッ! その見た目で……っぷ!』

 天蓋つきのベッドからシーツをはぎ取って全身に巻きつけると、それを見た狼が爆笑した。

『おっ、おい、やめろ! ギルヴェルクのなりで胸まで巻くのは……気持ちが悪い、うぷっ』

「乙女には胸毛とかいろいろ……恥ずかしいのよ。バカ!」

『……乙女……ッ!』

 乙女がツボに入ってしまったらしい。目尻に涙まで滲ませている。このヤロー、渋い美声のくせになんでそんなに笑い上戸なのよ。

「そういえば、あなたは何者?」

 狼がフンと鼻を鳴らした。

『俺はギルヴェルクの契約獣だ』

「契約、獣?」

『ギルヴェルクが戻るまで、奴の肉体を守護すると契約した。意味は解るな?』

 肉体を護る──。

「……わたしを召喚したのって、ギルヴェルク?」

『ああ』

「ギルヴェルクはいまどこにいるの? いつ戻るの?」

『わからん』

「わたしは、戻れるの?」

『さあ、な。ギルヴェルクに訊け』

 思わずため息が零れた。

 ……どうしよう。

 うっすらと滲む視界のなかで、金色の瞳が揺れる。あんなに笑っていたくせに、どうしてこんなに哀しそうなのだろう。知らず、彼のふさふさした顔に腕を伸ばしていた。

『……む?』

「とりあえず、当分の間、よろしく。狼さん」

 わたしは黒い狼の首周りを両手でわさわさと撫でた。ここをマッサージするみたいに撫で回すと、昔、近所で飼われていたコリーはいつもうっとりと目を細めてくれた。狼の毛皮の外側はコリーよりずっと硬いけれど、内側はやっぱり柔らかくて気持ちがいい。

「うーん、ロッキーと同じ! もふもふだね!」

『なんだ、そのロッキーとかいうのは』

 金の眼を気持ち良さそうにうるませながら、狼が不機嫌な声を出す。

「ご近所さんの犬」

 狼の喉が低く鳴った。

『俺は犬じゃないと言っているだろう』

「そんなの、知らない。わたしだって男じゃないし、なのに男になってるし、いきなり知らない部屋だし、意地悪な狼には思いっきり笑われるし」

 言いながら、狼の耳のうしろを撫でてみると、大きく尻尾が揺れるのが目に入った。

「ここ、気持ちいい?」

『……ふん、別に』

「あーあ、ロッキーは素直に喜んでかわいかったのにな」

 狼はうんざりしたように息を吐いた。

『そんな軟弱な犬と一緒にするな。俺のことはフェンリルと呼べ』

「フェンリル? あなたの名前?」

 たしか、北欧神話に出てくる魔狼の名前だ。

『そうだ。ギルヴェルク』

「やめてよ。わたしはギルヴェルクじゃないって、知ってるくせに」

 フェンリルの金の眼をじっと見つめた。

「わたしの名前は水川秋都。秋都あきつって呼んでよ」

 黒い狼は静かな眼でわたしを見つめたまま、鼻に皺を寄せて、哀しみとも憐れみともつかない貌をした。

『いいか、よく聞け。いまのおまえは誰が見てもギルヴェルクだ。ギルヴェルクはこの世界で冷酷なヴァンパイアとして知られている。弱さを気取られるな。俺以外の者のまえでは常にギルヴェルクらしくふるまえ。侮られれば、また殺される』

 また殺される──ぞくりと首筋が粟立った。

 心臓を刺された記憶が浮かんだ。剣で貫かれたのに、血が飛び散ることも、死ぬこともなかった。ただひたすら痛かった。野犬に自分の手足を喰われるのを呆然と眺めた。頸を斬り落とす鈍い音。痛くて痛くて、張り裂けそうなのに、みんなが自分を憎んでいて、死を望んでいるのがわかって、怖かった。

 そう、あれは──夢じゃ、なかった。

『わかったな。ギルヴェルク』

「だけど、わたしは……」

 違う。ギルヴェルクじゃない。もう、あんな想いをするのは厭だ。

 フェンリルが、いつのまにか濡れていたわたしの目元を静かに舐めていた。ざらりとした感触。

『俺はギルヴェルクが戻るまで奴の肉体を守護すると契約した。意味は、解ったんだろう?』

 それは、彼が守護するのはギルヴェルクの肉体だという意味だ。フェンリルには憑依した《わたし》を護る義務はない。

 わたしはのろのろとうなずいた。

『そうか。なら、隣の部屋に行け』

 フェンリルはわたしから見て右側にあるドアを鼻で指し示した。

「なんで?」

『おまえ、ずっとそのままでいいのか?』

 狼はシーツ姿のわたしを上から下まで眺め回してから、牙を剥いて笑った。

『隣はギルヴェルクの衣裳部屋なんだが』

「……そ、そんなものがあるなら早く言ってよ! この性悪オオカミ!」


 そしていま、待望の服を身につけたわたしは、全身を映す大きな鏡のまえにいる。

 とにかく必死で下着を探し出し、いかにも男性物らしい形のそれを複雑な気分で穿いた。存在を主張するアレを左右どちらに収めようか迷ったところで、フェンリルに忍び笑いをされ、また一歩、男の階段を昇ってしまった気がする。とりあえず、これで動くたびに重心をもっていかれるアレが気にならなくなる、はず。

 あとは、豪勢なワードローブから一番シンプルなドレスシャツと黒いズボンを選んだだけなんだけど。


 なにコレ。

 このギルヴェルクとかいう男はとんでもない男だった。


 蒼みがかった銀色に煌めく長い髪は肩先でゆるやかに流れ落ち、アーモンド形の黒目がちな瞳はルビーを思わせる透き通った赤。肌理こまやかな膚は蒼褪めた白磁のように滑らかで、唇はうすく酷薄そうなのに卑しからぬ品のよさがある。優美なのに甘過ぎない絶妙に男らしい華麗な顔容。大きさも造形も極上繊細なパーツがあるべきところにぴったりおさまったシンメトリーな美貌が、鏡の中からこちらを見つめていた。

 ためしにちょっと微笑ってみる。

 ぞくりとした。なにコレ、この異常なフェロモン。

 中身がわたしなのに、なんで微笑っただけで、どうして男の色気全開になるの、この美形。

 顔だけじゃない。長身で肩幅のある、いかにもスーツの似合いそうな体型。膝下の長い脚、腰は高く、頭は小さめ、首は長すぎず細すぎない、絶妙なバランス。洋画だろうがパリコレだろうが、これほどバランスのいい男は見たことがない。

 なのに、この男、ギルヴェルクはとんでもなく残念な男だった。

 ──悪役なのだ。

 貴族的な気品さえ漂っているのに、この男は腹黒凶悪、狡猾無情、傲岸不遜、唯我独尊、復讐のために惨殺されても文句はいえない極悪非道の冷酷な悪役にしか見えない。しかも、途中で主人公に殺されるような半端な小悪党ではなく、諸悪の根源たる魔王役に相応しき美貌の男、それがギルヴェルクだった。


 そして──ギルヴェルクは本当に人々から憎まれて、惨殺されたのだ。


「フェンリル」

『なんだ、ギルヴェルク』

 黒い狼のふさふさの首すじにそっと触れた。一瞬、ぴくりと震えたけれど、彼がそのまま動かなかったので、やわらかな毛皮をゆっくりと撫でた。

「どうしても、ギルヴェルクのふりをしないとダメ?」

 首を撫でられたまま、フェンリルは顔をあげて目を細めた。

『俺はギルヴェルクの契約獣だ。ギルヴェルクとしてふるまう限りは、おまえを守護しよう』

 深みのある男の声が、胸に響いた。

 正直、また泣きそうだ。逃げ出したい。あんなふうに憎まれて殺された冷酷なヴァンパイアのふりなんて、のほほんと生きてきた二十歳の女子大生には絶対無理だと思う。

 でも、ふさふさの狼が目元をぬぐってくれるなら。

「わかった。少し、がんばってみるよ……俺」

 ああ、鏡の中のギルヴェルクにはなんて不似合いな台詞だろう。ダメだ、ダメすぎる。

『照れるな。多少失敗しても、おまえは不死身だ』

 フェンリルがゆさゆさと尾を振って笑った。

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