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◇第十二ヤンデレ タイプ(和服美人)

 どうにか二本投稿達成!思ったより疲れました……。


 それから今回は何時ものヤンデレ愛劇場とは少しだけ未来の話……田上達が大学生時代の話となります。

 白くてさらさらの新雪が道に降り積もり、風が激しく吹き荒れて身が凍えるような寒さの中、僕、小岩(こいわ) (じん)は狭いながらも暖かい暖房があると知っているアパート内の自屋に入ることも無く、アパートの軒下で寒風を堪えて吹きずさむ外にいた。


 何故、事前に午後のニュースで見て現在の気温が氷点下であるマイナス2度と把握している中、自宅に入らずわざわざクソ寒い玄関前で長年の使用による劣化で防寒機能が大分薄れたジャンパーだけを唯一の防寒具とし歯を鳴らす程に凍えてていると言う、端から見ればマゾヒストにしか見えないような事を僕がしているかと言うと、理由は自分でも思い返せば悲しくなるくらいに単純で

 

 『店の経営が厳しくなったから君、今月で辞めてね?』と、まるで世間話でもするかのように半笑いで言う店長の一言で、高校時代から大学までの五年間ずっと有給すら殆どと取らず、週に何度も残業をしてまで貢献していたバイトをクビになってしまった僕はらその鬱憤を晴らすように近所のチェーン店の居酒屋で元・バイト先から受け取った雀の涙のような金額の退職金を使って安い酒を飲み、散々愚痴を言いながら帰宅した所でジャンパーのポケットに入っていた部屋の鍵が無くなっている事に気付き、僕は部屋に入れず、こうして成す統べめなく玄関前で凍えているのであった


「さ、寒っ!!」


 と、そんな僕に大自然までも意地悪でもしているかのように元々激しかった吹雪が一際強烈に、周囲が一瞬ホワイトアウトしかかる程に激しく吹雪き、瞼に風に乗った雪が激突すると僕は思わず悲鳴と共に僕が着ているボロいジャンパーの袖の中に両手を突っ込んだ。そうした所で実際に暖まるかどうかは怪しいが、やらないよりはマシと言うかそんな慰め程度の事でもしなくてはとてもやってられなかった


「どこなんだよ……僕の部屋の鍵……」


 今、こうして玄関前で震えている僕ではあるが、勿論はこうなる前に決して何も対策をしなかった訳ではない。十分程前、吹雪が起こる前は僕は無くした鍵を探して自分が飲んでた居酒屋、帰宅した時のルート、そして嫌々ながらも元・バイト先を巡って歩き回っていたのだ。しかし、それでも鍵を見つける事は出来ず、自宅前で一休みしてから今度は交番にでも訪ねてみようと考えていた所で狙っていたようなタイミングで起きた吹雪に見舞われ、身動きがとれなくなってしまったのである


 しかも悪い事は重なるのか、アパートの大家は旅行で不在でありマスターキーも無い。アパートで僕を部屋に招き入れてくれる程に交流のある住民は留守。おまけに携帯電話は充電切れで知人や友人に助けも呼べない。と、まさに僕は打つ手が無い絶望的な状況に立たされていたのだ


「あぁ……暖かいおでんが食べたいなぁ……」


 寒さのあまり意識が少し白ばむ状況の中、無意識に暖かさを求めるあまり、僕の脳内には温かく昆布出汁のきいたおでんがよぎり、気づけば自然と僕の腹は鳴り始め涎までもが流れ始めていた。思い返せば居酒屋では矢鱈に衣が分厚いくせに中身は小さい揚げ物しか食べておらず、酔いが覚めかかり、鍵を探して散々歩き回った僕の腹は空腹を訴えはじめていたのだ


「寒さに空腹、おまけに疲労……はは、冗談でもなく凍死するかも……なぁ……」


 徐々に意識が薄れる中、僕はこの状況の中では自分で言っても冗談にならないような事を呟くと、アパートの冷たいコンクリートの壁にもたれ掛かったまま力無くズルズルとそのまま崩れ落ちる。もはや、疲労でその場に立っていられる程の力が僕の体には残されていなかったのだ


「さ、寒い……誰か……!」


 いよいよもって深刻に不味い所まで来ているのか、体が満足に動かず落ちていく瞼も開きそうに無い。絶望が僕の心の中を支配していく中、無駄だとは思いながらも最後の力を振り絞り僕は声を上げて助けを呼んだ



「あの……大丈夫でしょうか?」


 意識が暗闇へと落ちていく中、僕の耳には雪を踏みしめる音と、僕を心配する驚くほど澄んだ美しい女性の声が聞こえてきた



 柔らかく優しい温もりに全身が包まれ、心地よいまどろみの中に僕はいた


「んん……ふわぁ……」


 夢心地のような意識で僕が寝返りをうてば鼻孔からは、どこか落ち着いた感じがする良い匂いが入り込み、僕は気持ち良さのあまり大きくあくびをし


「……って、どこだここ!?」


 その香りが明らかに自室のものとは違っていたことに気が付くと一瞬でまどろみは彼方へと飛び去り、僕は勢いのままに飛び起きた


 寝起きでぼやける目を幾度もまばたきしながら周囲を観察してみると、僕がいるのは上品な色の漆喰の壁と少し古いデザインの電気ストーブ、い草の良い匂いがする新しい畳が敷き詰められた落ち着いた雰囲気の和室だった。

 更に良く見ればこの部屋を客間としても使っているのか部屋の畳や床の間に家具は勿論、入り口らしきふすまにさえ汚れ1つ無く、天井の紐付きの電灯の光を受けてうっすらと輝く床の間には赤い牡丹が描かれた立派な掛け軸が飾られてある。

 そして、僕はそんな部屋の中央辺りに敷かれた、僕が自室で使っている煎餅布団とは大違いのとても柔らかい一組の布団に僕は着なれた普段着の姿で寝かさせれていたのだ。


「ここは……一体?」


 部屋全体こそ清潔で落ち着いた僕の好きな部屋ではあるが、全く見たことの無い空間に僕は戸惑いを隠せず、部屋のあちこちに視線を向ける


「入りますよ、よろしいですか?」


 と、その時、軽く部屋の外からふすまを叩く音と、聞き慣れないが澄んだ美しい女性の声が聞こえ、僕の視線は直ぐ様そこに向けられた。


「……ど、ど、どうぞ……?」


 突然の女性の声に少し迷いながらも咄嗟に僕は寝崩れて皺が出来ていた服を正し、寝癖がついていた髪を部屋にあった姿見でどうにか直すと恐る恐る声をふすまに向けて声をかける。と、その瞬間、静かな音を立てふすまが開く


「よかった……意識が戻られたのですね」


 そこから姿を表したのは廊下に上品に腰掛けて、紺色の着物姿で綺麗な黒髪を後ろに結い、心底僕の無事を安堵しているように美しい笑顔で優しく僕に微笑みかけてくれる一人の美しい大人の女性だった


「あ、あなたは……は?」


 女性の持つ大人特有の妖しい、しかし何処か清楚さのある色気に僕は内心でドキリとさせながらも何とか掠れそうな声で女性にそう尋ねる


「あぁ……申し訳ありません。家にあげておきながら、私、名乗り忘れていましたね……」


 僕の言葉を聞くと女性はそう言って苦笑し、滑らかな動作で部屋にあがると僕の眼前で畳に座り、静かに頭を下げる


「私は、伊都月(いとづき) 玲奈(れいな)。この近くで小料理店を営業しております」


「……っ! ど、どうも玲奈さん……小岩尋です」


 そんな女性、いや玲奈さんの丁寧な自己紹介に一瞬、圧倒されて静止した僕は気付いた瞬間、慌ててお辞儀を返して玲奈さんに自己紹介を返そうとしたが、慌て過ぎたのか僕のお辞儀は勢いが良すぎて玲奈さんに土下座をしているような不格好な形になってしまった


「ふふ、あなたは……尋さんは私の家のお客様ですからそんな遠慮は必要ありませんよ?」


「あっ……」 


 そんな僕を見て玲奈さんは少しだけ笑うと、そう言って優しく僕の背中を撫でた。服越しにでも感じる玲奈さんの手は温かく、なおかつその手つきは非常に心地よく滑らかに僕の背筋に沿って動き、僕はそのあまりの心地よさに思わず声が漏れてしまった


「そ、そう言えば僕は何故に玲奈さんの家にっ!?」


 そんな珍事を誤魔化すように僕は慌てて土下座もどき状態から素早く起き上がると、咄嗟に玲奈さんに尋ねた


「あら、覚えていませんか……尋さんは大分、意識が朦朧とされていましたもんね……」


 僕の言葉を聞くと玲奈さんは顎に手を添え、悲しそうに顔を歪めながらそう言った


「失礼ながら私の視点で物を言いますと、店の食材を調達して帰路を歩いてる途中、私がアパートの軒下で苦しそうに倒れている尋さんを見つけのです」


「そ、そう言えば……」


 そう語る玲奈さんの話を聞いた瞬間、寝起きなのを含めて霞がかかっていた僕の記憶が閃光のように一気に蘇る。クビにされたバイト、無くした鍵、凍えるような寒さ、そして……


「……す、すいません玲奈さん! 本当にすいませんっっ!!」


 全てを思い出した瞬間、僕は迷わず玲奈さんに今度こそ完全な形の土下座をした。


 当然だ、玲奈さんのような大人でしかも綺麗な女性に僕のような、不細工では無いと信じたいが格好良いとは間違っても言えない無いような何処の誰とも知らないような男の面倒をみさせるなんて世間の目は許しはしないだろう。それに僕自身も自分の間抜けに玲奈さんを付き合わせてしまう事に罪悪感が半端ではない。


 そう僕が脳内で想った時には既に僕の体は自動的に近い形で土下座を決めていたのであった


「じ、尋さんっ!? どうか頭を上げてくださいっ!!」


 そんな僕の行動に玲奈さんは面食らったらしく、慌てて止めるように僕に告げてきた。が、そんな事では僕の気が済む筈はない。構わず土下座を続ける


「せめて事情を……事情を話してください……」


 結局、おろおろした様子の玲奈さんがそう言うまで僕はずっと頭を下げ続けていたのであった



 そして、それから数分後


「なるほど……それは、大変な苦労をされましたね尋さん。私が見つけて良かった……友人に手伝って貰って尋さんを運んだんですが、その甲斐がありましたね」

                       

 僕の話す事を1つ1つ丁寧に聞いて行き、その全てを耳にすると玲奈さんは目を閉じ、そう言って静かに頷いた


「い、いえいえ……半分は自業自得みたいなものですし……それで玲奈さんにめい……」


「尋さん」 


 そんな玲奈さんの優しさすらも申し訳無く感じてしまった僕が再び頭を下げようとする、と、不意に玲奈さんが動いて右手で僕の肩を押さえるとじっと視線を向けてきた


「私は、夫……いえ正確に言えば私に夫婦になると誓ってくれた方ですが、彼が亡くなってから男性を家にあげるのは久方ぶりで……はしたない女と思うかもしれませんが尋さんが来てくれた事で少し嬉しいと感じているのです……」


 玲奈さんはそっと僕に囁くように言うと、ふと僕に優しく微笑みかける


「私は、尋さんとの出会いも1つの運命の巡り合わせと捉えています……出来うるならもう少し、尋さんとこうして話していたいと思うのですが……私のこの頼みを聞いては頂けないでしょうか?」


「わ、分かりました……もうしばらく厄介になります……。玲奈さん」


 その一言で僕はすっかり玲奈さんに降参し、苦笑しながらそう言うと、もう少しだけ玲奈さんの親切に甘える事を決めた。……正直、正面から視線を合わせてからのあの笑顔は卑怯だと思う


「まぁ……それは何よりです。見知らぬ家で戸惑われるかもしれませんが是非ゆっくりしていってくださいね」


「は、はい……ありがとうございましゅっ……」

                      

 僕の返事を聞くと玲奈さんは満足そうに頷き、再び優しく微笑み返す。そんな玲奈さんのまるで年齢を感じさせない、少しだけ子供のようにも見える無邪気な笑顔に胸の高鳴りを悟られないよう、出来うる限り努力しながら言葉を返した


「そこで尋さん、実は許可を貰って急なんですが私から1つ提案がありまして……」


 そんな風に見るからに挙動不審な僕を見ても玲奈さんは特に動じた様子も無く、静かに語り始めた




 一週間後、矢鱈に体がでかくて本当に警察官かと疑う程に雪道をまるで気にしていないようなワイルドにパトカーの運転をする男性警察官によって紛失したと思っていた僕の部屋の鍵が届けられ(部屋の施錠事態は業者に既に開けて貰っていた)、僕は何となく安心した時、僕は新たなる働き口を手に入れていた


「あぁ尋さん、その洗い物が終わったら人参を3本ほど輪切りに……あと面取りもお願い出来ますか?」


 着物の上から白い割烹着、頭には三角巾を着け先程から真剣な表情で魚の煮物を作っていた玲奈さんが、一瞬だけ表情を緩めると流し場にいる甚平姿の僕にそう声をかけてきた


「は、はいっ……!」


 僕は玲奈さんに出来うる限り早く返事を返して了承すると、既に洗い終わりに近かった数本のビールジョッキについた泡を一気に、かつほんの僅かにでも洗剤が残らないように水道から流れる水で洗い流すとジョッキを逆さにして流し台に並べて置き、続けて調理台の下にあるニンジンを取り出して表面についた砂を同じく水道水で流して洗い始めた。


 そう、先程語った僕の新しい働き口こそが、僕が厄介になった玲奈さんの自宅からすぐ近くにあり、僕が来るまでは玲奈さん一人だけで切り盛りしていたと言うこ、敷地こそ決して広いとは言えないが、店内の客席にある年代を感じるような椅子や木の机、座布団は汚れ1つ無く、飾られた古そうで小さいくせに妙に偉そうな壷や舞子の姿をした綺麗な竹人形が、どこか店全体に落ち着く雰囲気を漂わせるような小料理店『足羽(あすわ)』である。僕は玲奈さんに助けられた当日の玲奈さんからの提案で、六日前からここで働かせて貰えるようになったのだ。


「よっと……ほっ……」


 たった今、ニンジンを洗い終えた僕は早速、良く研がれた包丁を手に取りニンジンを輪切りにすると面取り、つまりは輪切りにしたニンジンの角を取っていく。僕が親元を離れて大学生活を送る中で趣味程度に料理をしていたことが役に立っていた。


「ふふ……やはり尋さんを、このお店に雇ったのは正解のようでしたね」


 そんな風に僕がニンジンを切っていると煮魚を作り終えたらしく少し一休みしていた玲奈さんが僕の包丁を動かす手際をじっくり見ながらそう言ってきた


「いえいえ玲奈さん、僕なんて大した事はありません。こんな事は誰にだって出来る事ですよ」


 僕は包丁を動かす手を止めないようにしながらも玲奈さんに苦笑しながらそう答える。おそらくは上手いこと誉めようとしてくれるのだろうが、僕自信があまり誉められていない為にくすぐったくて仕方がない


「あら尋さん、私はそう答える尋さんだからこそ雇って正解だと思ったんですよ?」


 僕の言葉を玲奈さんは、すっかり手慣れた様子でそう言いくるめると楽しそうな笑顔で再び料理を作り始めた


 ちなみに最近になって知ったのだが、こんなに落ち着いて大人の余裕と冷静さを兼ね備えてる玲奈さんだが、その年齢は未だに二十後半代でしか無く、僕とさほど年齢は離れていない。その上で玲奈さんは僕が今までに見てきた同世代の女性達より明らかにランクが違うと言えるまでの輝きを持ち、普段着で着ている着物が見惚れてしまいそうな程に似合う和風の美人であるから大したものだ


「まぁ……頑張るか」


 玲奈さんの先程の僕をからかうような行動には面食らってしまうが、それを差し引いても、死にかけていた自分を助けてくれただけでは無く、新たな職まで与えてくれた玲奈さんを裏切りたくは無い。そう、改めて決意すると再び作業を始めた。まだまだ時間に余裕残されているが仕事が早くて困るような事は無いだろう。そう考えると包丁を動かす手も少しだけ早くなったような気がした



「さすがだ……この煮付けは正に完璧な仕上がりとしか言えない。また腕を上げたな」


「うふふ、新人の子が入っていつもより気合いが入ったかもしれないわね」


 事前に予約していた時間ぴったりに店を訪れた、玲奈さんとはまた違う美しさと持つ長い黒髪、そそめモデルのようなスタイルを持つ女性……確か名前は予約名簿に間違いが無ければ草部(くさかべ)さんだ。ちなみにさっき、草部さんをモデルのようなスタイルと表したが玲奈さんも腰や首のくびれは決して負けてはおらず。胸の正確なサイズ値こそは草部さんに一歩劣るだろうが、それは結果的に玲奈さんの着物姿を邪魔する事無く逆により美しく魅せる事になっていた。


「あぁ、ごめん。お茶のおかわりを頼めるかい?」


 と、僕が玲奈さんと楽しそうに話す草部さんを見ていると草部さんの隣に座っていた男性、草部さんと話す雰囲気と二人の薬指のペアリングからして、十中八九草部さんの夫の人物が空になった湯飲みを僕に向けてきた


「す、すいません……すぐに……」


 その声を聞いた僕は慌てて、お茶が入った急須を手に取りゆっくりと草部さんの夫の湯飲みに湯気が立つ温かいお茶を注ぐ。この小料理屋足羽は完全予約制で今、現在店内にいるお客さんは草部さん達だけなのが助かったが油断してはならない。これが一般の飲食店なら先程の僕のようにぼさっとしていたら怒鳴られてしまっただろう。もっと努力くなくては


「……君、どうやら思い悩んでいるようだな色々と」


「えっ…………?」


 と、そんか僕の態度に気が付いた草部さんの夫はどこか懐かしいような物を見るような目で僕にそう僕に告げ、僕はその突然の声に驚き、思わず仕事中なのも忘れてお茶を入れ終え、急須を持ったままの状態で固まってしまった


「あぁごめん、少しだけ君の目が昔の俺に似ていたもんだから、つい気になって声をかけてしまってな。驚かせてしまったようだね」


 そんな俺の様子を見て草部さんの夫は小さく苦笑すると、表情を戻し、自分の右胸に軽く手を当てた


「俺は、草部 (きよし)職業は作詞家。隣に座ってるのは俺の妻の志那野だ」


「私が志那野だ、よろしく尋くん」


 澄さんの自己紹介に続いて、草部さん……もとい志那野さんは一旦玲奈さんとの会話を止め、何故か僕の名前を呼び、軽く微笑みながら挨拶をしてきた。それに続いて慌てて僕も頭を二人に下げて自己紹介をする


「ど、どうも……小岩尋です……」


「それで尋くん、一つだけ俺からアドバイス……ような物を言っても良いかな? 勿論、ただの客の一人言だと思って聞き流してくれても構わないけど」


 軽く笑って、そう前置きすると澄さんは僕が注いだお茶が入った湯飲みを一口だけ飲み、思い返すように目を閉じると静かに口を開いた


「悩んでもいい、何度も悩んでその分自分を見つめ直す事が出来るんだ。そして、そうやって悩んで困った! という時に助けてくれる人がいるなら、その人を大切にするんだ」


「困った時に助けてくれる人? ですか……」


 僕が復唱するように呟くと、澄さんは「そうだよ」と頷きながら答えた


「君の事は何分、今日会ったばかりで分からないけど……少なくとも俺は昔、困った時はそうやって助けてもらったんだ」


「おいおい澄……照れるじゃあないか」


 そう言うと、澄さんは隣に座っている志那野さんに視線を向ける。視線を向けられた志那野さんは、ふっ、と口角を吊り上げて笑みを浮かべ


「例え、人前で私を誉めた所で……君を力一杯抱き締めて、熱い口付けを交わして、そのままベッドで一夜を過ごすくらいしか私はしないぞ?」


「!?」


 日常会話をしているかのように軽く、そして平然とそう澄さんにそう言ってみせ、その余りの内容に僕は危うくまだ熱いお茶が中に入ってる急須を手から落としそうになった


「あらあら……」


 その一方で玲奈さんはまるで動じた様子は無く、顎に手を当て、微笑ましい物を見るように微笑みながら志那野さんと澄さんを見ていた


「おい志那野……お前って奴は……!」


 志那野さんの言葉を受けると澄さんは、身をプルプルと震わせて志那野さんを睨み付ける。が、その頬は怒りでは無く、恥ずかしさで赤く変わりあまり迫力は感じられない


「あぁ……すまない、私とした事が話の流れを邪魔してしまったようだな澄……」


 が、そんな澄さんの言葉を受けると志那野さんは何処か芝居がかかったような口調で頭を抱えながらそう語り始めた


「勿論、ただで許して貰おうなんて思ってはいない。この罰は澄、君の手で夜にベッドの上で……」


「結局はそれが目的なのかよ!」


 志那野さんが言いかけた所で、堪えきれなくなったように澄さんが叫ぶ


「何を今更、愛するものに一分一秒でも構って貰いたいのは当然だろ? それに澄よ、私達しか客がいないとは言えここは一般軽食店だ。その店内であまり大声を出すのはどうかと思うが……」


「お前はそれが顕著過ぎるの! あと、大声出すのは他でも無い志那野のせいです! 大体、昔から……」


 澄さんの言葉を受けてもまるで動じずさらっと言い返す志那野さん。それに対して澄さんは更に語調を強めて叫ぶが志那野さんはそれを、のらりくらりとやり過ごしてしまう。そんな、賑やかなやり取りは終わりを見せず志那野さんと澄さんは玲奈さんが次の料理を持ってくるまで続け


「志那野と澄さん、良い夫婦で羨ましいわ……」


 玲奈さんは、寸分も調理する手を休めないながらも二人を見守り、優しく微笑む


「玲奈さん……」


 一見、暖かな玲奈さんの笑みの奥に僕は、自分が手にいれる事が出来なかった夫婦の触れあいを渇望しているような暗く、寂しい感情が僅かに見えた気がした



「一体、僕はどうすればいいんだ……」


 仕事終わりの夜、残雪が残る自宅への帰路を歩きながら僕は途方に暮れていた。


 僕が二つも大きな恩を受けている玲奈さん。たったの六日間だが玲奈さんと店で働いてるうちに、今日訪れた志那野さんと澄さん達以外にも何人かの客も訪れたし、その人達と玲奈さんが話しているのも見てきた。が、それでも今日が初めてだった。玲奈さんがあんな寂しいそうな表情を見せるのは


「どうすれば玲奈さんの力に……」


 心の中で願った事を口に出して呟きながら歩く。だからと言って解決法がそう都合良く思い浮かぶ訳も無く。呟きは人通りの少なくなった街で誰にも聞かれる事もなく、暗い夜空に吸い込まれていった


「あれぇ? 尋先輩じゃあないですかぁ」


 と、そんな時僕の耳に聞き慣れた、聞きなれてしまった聞いただけで不愉快になるような、対して隠そうとせずもこちらを馬鹿にしている口調の声が聞こえてきた


貴山(たかやま)……!」


「尋先輩おひさしぶりっす~」


 僕が軽く睨み付けながら振り向いても、その男、貴山 (かじ)は平然と笑いながら茶色に染めた髪を靡かせ僕にわざとらしく格好付けたお辞儀をしてみせた


「貴山、何か僕に用でもあるのか?」


「いや~先輩がうちの仕事を辞めたお陰で俺は大忙しで、店長からも『君の力に期待してる』何て言われちゃうから、期待に応えようと今の今まで残業していたんですよ……ところで先輩は何ですか、残り少ない金をみみっちく使いながら今までぶらついてたんですか?」


 僕が少しイラついた様子で訪ねると、貴山は何故か急に得意気な顔で僕を貶めつつ自慢話を始める。僕は、以前と変わらないその高山の様子に内心で小さく舌打ちをした


 昔から、正確に言えば貴山が僕の前の仕事場に入って新人として入ってきた貴山の面倒を見させられるようになってから、この他人を見下す性格から僕は貴山が好きでは無かった


「……一応、さっきまで仕事してたよ。運良く新しい仕事場に雇って貰ったからな」


「へぇ、そりゃ先輩を雇った人は余程のお人好しか見る目が無いんですね……」


 無視すれば十分くらいは言われそうだったので、大分気乗りしないながらも僕が説明すると、貴山はわざとらしく鼻を鳴らしながら哀れむような視線を作ってみせた


「だって、そうでしょ? 先輩みたいな五年間必死で働いていたアルバイトをクビにさせるようなのを雇うなんてねぇ……お人好しでも見る目が無いのでも違うなら、あとは馬鹿かな?」


「お前……!」


 僕の事はたとえ貴山から言われたとしても堪える。しかし、僕の恩人である玲奈さんを馬鹿にする事だけは許す事が出来ない。気付いた時には僕は怒りのまま貴山に詰め寄り、その胸ぐらを掴んでいた


「あれあれ~先輩、正しい事を言ってる俺に暴力を振るうんですか? それって暴行罪ですよね? なら俺が先輩殴っても正当防衛ですよね?」


 途端に貴山はニヤニヤと笑いながら懐に手を突っ込みメリケンサックをちらつかせる。


「っ……く!!」


 その瞬間、怒りで沸き立っていた頭が急速に冷え、僕は咄嗟に胸ぐらを掴んでいた手を緩めて貴山を解放する


「(落ち着け……こいつの思い通りに動いてたまるもんか!)」


 冷静になった頭で思い返せば、これは昔から貴山が自身の嫌いな相手を始末する時に得意とする方法だった。こうやって好き放題やって相手を怒らせ、先ほどの僕のように相手が怒って掴みかかったり高山に殴りかかったりした瞬間、弱そうな相手ならば『正当防衛』だと笑いながら散々に殴ったりしていたぶり

 強い相手ならば几帳面な事に事前に証拠を取っておきいかにも自分が無実な被害者だと言うのを、これまた事前に自身が媚を売り、信頼を得ていた発言力のある上司に泣き付き相手を社会的に抹殺する。そうやってあいつは自分の邪魔をする奴を全て排除していっていたのだ。


 しかも、先程までの貴山の態度を見てれば分かるとは思うがそれ対する罪悪感は欠片も無いらしく。女の子達の前で武勇伝のように得意気に語ってあるのを見たことがある 



「……ちぇっ、殴る覚悟もねぇのかよ。弱虫チキン野郎」


 僕が自分の思い通りに動かなかったのが面白く無かったのか、そこで貴山はずっとにやけた顔を浮かべていた顔をしかめると僕を乱暴に突き飛ばすと、舌打ちと共に大きくため息を付いた


「あ~なんか覚めちゃった……先輩といつまでも話している程俺も暇人じゃないんで、もう帰らせて貰いますね。機会があったら、また暇人の先輩と話してやってもいいですよ」


 すると貴山は僕に背中を向け、そんな言葉を言いながらさっさと僕の前から立ち去っていった


「はぁ……」


 去ったふりをして僕が背中を向けた瞬間に貴山が何か仕掛けて来ないかと警戒していた僕は、奴の背中が消えるのを確認すると大きくため息を付いた


「今日はもう帰って寝よう……」


 出来れば眠る前にもう一度どうしたら玲奈さんの力になる方法を考えたかったが、貴山と話して精神的にとても疲労してしまったし、こんな腹の苛立ちが残る頭では録な考えも浮かびはしないだろう。


 そう思った僕は再び重いため息を付くと、再びゆっくり帰路を歩き始めたのであった



「……尋さん、そろそろ昼休憩にしましょう」


 翌日、昨夜あまり眠る事が出来なかった影響か少しだけ眠気が残る体を堪えて、僕が皿洗いをしていると玲奈さんがそう声をかけてきた


「えっ……? でも………」


 聞かれた僕はもうそんな時間になったのかと驚き、洗う手を止めると店の柱に取り付けられた時計に目を移した


「あれ玲奈さん、昼休憩は12時からですよね……まだ、11時半ですよ?」


 が、二度、三度と確認してみても時計の針は決して頂点を指してはおらず、12時になるまでは、まだたっぷりと30分は余裕が残されており、それを疑問に感じだ僕は玲奈さんに尋ねる


「えぇ……それは勿論分かっていますよ。この時間に昼休憩を取ると言ったのは尋さん、あなたの体調を見ての事です」


 そう言うと、玲奈さんは真剣な表情をしたまま僕に歩みより、そのまま大胆にも顔を近付けてきた


「えっ……? れ、玲奈さん……!?」


 あともう少し近付けば唇が重なってしまいそうな大変危うい玲奈さんの距離に僕は大きく、動揺し慌ててその場から仰け反ろうとする。が、それより早く玲奈さんの左腕が動いて僕の右肩をそっと掴んだ


「少し、じっとしていてくださいね……」


 距離が近い為か囁くような声で僕にそう言うと玲奈さんは右の手の平でそっと僕の額に触れる


「あっ…………」


 予想していた以上に柔らかく、その上に適度にしっとりとしていてほんのり冷たい。そんな、いつまでも触って貰いたいと思えるような玲奈さんの手の感触が額に伝わった瞬間、僕は思わず声を上げてしまった


「う~ん、ほんの少しだけですが熱があるみたいですね……尋さん、昨日はよく眠れましたか?」


 と、そんな風に僕が勝手にドキドキしている間に検温を終えた玲奈さんが落ち着いた口調で僕にそう聞いてくる


「は、はい……それが、あんまり……」


 未だに明らかに近い玲奈さんの距離に恥ずかしさを堪えながら僕が答えると、玲奈さんは「やっぱり」と言ってから、僕を咎めるような視線を向けてきた


「駄目ですよ尋さん、いくらあなたが若いからと言っても体調管理はしっかりしないと……早速、皿洗いが終わったら休憩にしましょう」


「えっ……でも玲奈さ………」


 時折、頷きながら手早く話を決めようとする玲奈さんに僕が何かを言おうとした瞬間、玲奈さんの人指し指が僕の唇に添えられ、僕はそれ以上言葉を発する事が出来なくなった


「尋さん……私の頼みを聞いてはくれないのですか?」


 玲奈さんはじっと、僕の瞳を見つめながらそう、ゆっくりと僕に問い掛けてくる


「は、はい……」


 まるで聞き分けの悪い子供に言い聞かせているような玲奈さんの口調にたまらず僕は屈服するように顔を真っ赤にしながら、そう答えるのであった



「さぁさぁ、簡単な物ですが尋さんの体調を考えて作ってみましたよ」


 休憩時間に入ると玲奈さんは昼食を買いに行こうとしていた僕を止め、店の座敷に座らせ自ら厨房に立って僕の昼食を作りはじめ、僕が気のせいか普段見るより素早く、まるで踊るように包丁を動かし、腕を振るう玲奈さんの手さばきに見とれている間にあっという間に二つの料理を作り上げ、僕の前に運んできた


「どうぞ、こちらは蒸し豆腐、こっちは鶏肉と白菜の塩生姜鍋です。豆腐はだし醤油でどうぞ。二つとも熱いので気をつけて」


「い、いただきます……」


 まぶしいばかりの笑顔で進めてくる玲奈さんに少し狼狽えながら、料理の前で手を合わせると僕はまず、豆腐にだし醤油をかけると漆塗りの匙で薬味に小切りされたネギが添えられ、湯気を吹き出す蒸し豆腐を一口ぶんだけ救うと、少し冷ましてから口に運ぶ


「んぅ……っ!?」


 その瞬間、思わず僕は見開いた。僕が確かに今、食べたのは昔から食べ慣れたはずの食材である豆腐。だが、しかし食べた豆腐は口の中に入れた瞬間に最上級のシフォンケーキの如くふわりとした感触を残すと瞬時にして口の中で魔法のように消えてしまい、後には香ばしく品の良い醤油の味が口内に広がっていく


「あらあら尋さん、そんなに急いで食べると火傷しますよ?」


 気付いた時には僕はほぼ一気食いをするかのような勢いで蒸し豆腐を匙ですくって口へと運び続け、それは蒸し豆腐が入った藍色の陶器が空になり、玲奈さんに非常にやんわりと注意されるまで続けられた


「す、すいません……こんな、うまい豆腐食べたことなくて……」


 そこで僕は漸く自分がした子供のような木っ端恥ずかしい行動に気付いて顔を赤くする。


 僕は六日間の間、足羽で働かせて貰ったが殆どが午後からの仕事で、今日のように団体での予約が入って午前中から働くのはき初だ。そして、その六日間で僕は玲奈さんの料理を何品も見てきたが自分で口にするのは今日が同じく初めてであった。それを差し引いても、まさか玲奈さんの料理がこれ程までにうまいと言うのは完全に僕の想定の範囲から逸脱していたのだ


「あ、あははっ……! な、鍋の方もいただきますねっ……!」


 とにかく先程の子供っぽい自分の行動が恥ずかしかった僕は誤魔化すように笑い、勢いのまま今度は鍋へと手を伸ばして適当に鍋の中身を蓮華ですくうと何も考えずに冷まして口の中に放り込む


「んんっ……!?」


 瞬間、鶏のジューシーさ、白菜の甘さ、そして生姜の辛さがさながら奇跡のような三位一体を果たして僕の口の中でとろけ、再び僕は声を上げる


「うふふ……」


 そんな僕を見て玲奈さんは頬に手を当てながら楽しそうに笑い、食べる様子を目を剃らさずに眺め続ける。


 そして数分後……


「ご、ごちそうさまでした」


 玲奈さんが見つめてくるのが恥ずかしかったからなのか、純粋に玲奈さんの料理が素晴らしかったなのか、ともかく気付けば僕はいつもよりずっと早く完食と言う形で食事を終えていた


「ふふ、お粗末様でした」


 僕が食べ終わるって手を合わせるのを確認すると、玲奈さんはもう一度笑ってから器を下げ、流し台へと持っていく


「あ、食器くらいは僕が……」


 昼食まで世話になって何もしない訳にはいかない。そう思った僕が立ち上がり流し台へと歩きだそうとした時だった


「駄目ですよ、尋さん。あなたは体調が良くないのです。休憩時間終了までは休んでいてくださいね?」


 口調、それに視線も普段と変わらない。いや、むしろ普段より穏やかな印象すら感じる。しかし、それでもどこか妙に逆らおうと言う気にはなれず、鼓膜から背骨を通じて全身に染み渡り、確かな圧力を感じる雰囲気を纏って玲奈さんが流し台から僕に視線を向け、実に落ち着いた様子でそう告げる


「は……い……」


 玲奈さんから放たれる、どこか人外じみた妖しい気迫に飲まれた僕はまるで夢うつつのように言葉に従って巻き戻しするかのような先程まで座っていた座布団に腰掛けた


「そうそう、休憩時間中にもう一つしてあげたい事があるので、そうして待っていてくださいね……」


 僕が大人しくお願いを聞いた事で満足したのか、玲奈さんの声からは不思議な雰囲気はすっかりと消え失せており、先程までが嘘のように純粋に歌うような楽しげ口調でそう僕にそう言う


「(なんだ? 今のは一体……僕の気のせい? い、いや……でも……)」


 呆然としたまま僕は突然、玲奈さんから向けられた味わった事の無い感覚にどう対応すれば良いか分からず混乱しながらただ座って鼻唄を歌い、上機嫌に食器を洗う玲奈さんを眺める。その姿はどう見ても僕の知るいつもの玲奈さんの姿にしか見えない


「(駄目だ、分からない……。しかし、確かにあの時僕は……)」


 まるで雲を掴もうとするかの如く手応えの無い感覚に僕が思考の迷路に突入しかかった時だった


「ふふ、ちゃんと待っていてくれたのですね……尋さん」


 調度、洗い物を終えた玲奈さんが柔らかい口調でそう僕に語りかけながら僕の背後にへと回り、そっと僕の肩に手を伸ばしてきた


「れ、玲奈さん……」


「首と……肩、それから顔を揉んであげます……じっとしていて下さいね……?」


 思考を急激に中断させられ、困惑する僕が振り向くと玲奈さんはそう言いながら微笑みかけて多少強引に僕を諭すと、有無を言わさ無い勢いで玲奈さんのあの驚く程柔らかい手が僕の肩を、それから首を、そして顔を、優しくそして丁寧かつ繊細にリズムよく揉みほぐし始めた


「あぁぁ……」


「うふふ……」


 痒い所に手が届くように僕の体の凝った所をピンポイントで揉んでゆく玲奈さんの手、その余りの快感に気が付けば僕の口からは自然と快楽の声が漏れ、謎の雰囲気を放った玲奈さんに緊張していていて強張っていた僕の筋肉はたちまち解れて力が抜けてゆき、僕は次第に背中から玲奈さんにだらしなく体重を預け初め。それを玲奈さんは満足毛に見つめながらしっかりと僕の体を支えてマッサージを続けてゆき、僕の体の力は全く入らずに抜けてゆく一方であった


「う……わっ……」


 そうして僕の体が抜け続けていた結果、ついに僕の頭が床へと付きそうになり


「はい尋さん、これを枕にしてくださいな」


 その直前で玲奈さんの両腕に受け止められると、そのまま両脚の太股に僕の頭は受け止められ、真上から微笑みかける玲奈さんと共に後頭部から玲奈さんの体温が揺るかやかに伝わる


「いかがでしたか、私のマッサージは?」


 先程とは少し違い、非常に緩やかに僕の頬を揉みほぐしながら穏やかな口調で僕にそう尋ねる


「はい……すごく……気持ち良かったです……」


 与えられる連続した快楽に意識が蕩け始め、僕は自然と心の底で思っていた事を口に出して玲奈さんに伝える


「うふふ……尋さんのそのお顔を見れば、それが本当。と、言うことが良く分かりますよ……さて、次は……尋さん、体を動かして横になって寝てくださいね……?」


「はい……」


 もはや玲奈さんの言葉に逆らおうとは思わなかった、言われるがまま体を動かし玲奈さんの膝の上に横向きに寝転がる


「はい尋さん、良くできましたね。次は……これですよ」


「う……あぁ……」


 僕が体を動かすと玲奈さんは軽く微笑みながら僕の頭をそっと撫で、僕目の前に頂点に付いた梵天が特徴的な竹製の一本の耳かきを見せる


「分かってるとは思いますが、動かないでくださいね……」


 そして、やんわりと玲奈さんが僕に警告した次の瞬間、僕の耳穴に玲奈さんの耳かきが侵入し、優しく耳の内壁を掻き始めた


「うわぁ……っ、うぅっ……!」


 何の予備動作すら無く耳穴に侵入してきたのにも関わらず全く不快感は無く、それどころか耳穴を一掻きされるごとに、全身が蕩け口端から自然と涎が溢れてしまうような感覚は明らかに先程よりも快楽が上であった


「さて……尋さん、何故急に眠れなくなったのか……理由があるのなら私に教えてはくれませんか?」


 激しくも柔らか、さらに身悶えするような快楽の中、玲奈さんが僕の耳元に少しだけ顔を寄せ小声で囁き、代償の前払いとばかりにほんの少しだけ耳かきで掻く


「はい……実は……僕は昨日……」


 単なる耳かきの筈なのに、今まで味わった事が無い、冗談でも無く自慰にすら勝るような快楽の前に僕は屈服し、玲奈さんの膝の上で掻いて貰える快楽に心底歓喜しながら、玲奈さんの力になりたい事、貴山の事、自分の感じた憤り、その全てを全く包み隠さずありのまま全てを口にする


「なるほど……全てを私に教えてくれて、ありがとうございます」


 僕が全てを話終えると、玲奈さんは満足そうに笑い、そっと僕の頬に口付けをした


「れ、玲奈さん……」


 それが切っ掛けとなったように僕は快楽に包まれながら、ゆっくりとその意識を眠りの中へと落として行くのであった



「くそっ……面白くない、面白くない……!」


 日が沈んでから大分、時間が過ぎた夜の街中を歩いていた貴山梶は苛立ちながら偶々近くにあったゴミ箱を蹴り飛ばし、中に入っていた紙屑やビニールのゴミを周囲のアスファルトに撒き散らした


「あんなカスが……あんな美人と二人で仕事……? ふざけんなっ!!」


 それでも苛立ちは収まらないのか貴山はぶちまけられたゴミを蹴り付け、踏み潰し大声でどなり散らす。それを見たら通行人が遠巻きに避難の隠った視線を向けるが、それを貴山が歯を剥き出しにして睨み付け瞬間、通行人達は蜘蛛の子を散らすように足早に去っていった


「ふざけんなよ……俺が分相応の所に叩き落としてやったって言うのに……」


 梶は思い返せば初めて出会った時から、小岩尋の事が不快で仕様が無かった。顔合わせの時、明らかに自分より弱そうな見た目のくせに自分に敬語を使わない事に苛立った。大学とか言う偉そうな所に通っているのが癪に触った。自分が他の上司の目を盗んで仕事をサボって煙草を吸った程度で説教する細かさに吐き気がした。何も言わずに仕事を休んだ程度で『何故、連絡しない』と言われた時にはそのみみっちさに呆れすら感じていた


 だからこそ梶は尋を、ついでに尋に賛同するマヌケ達を昔からやっていた方法で揃って排除した。それも特に尋は後で自身がいたぶる為に絶対に自分の仕業だと気付かれぬよう細心の注意を払ってだ


 そして貶めた全員の手柄を当然の権利で総取りし、職場で自分に逆らう奴など居なくなった現在、依然に遭遇した時に散々からかい、今はカンゼンニ落ちぶれている筈の尋がどうなっているかを楽しみにして見物に言った梶だったが、そこで見た物は梶が期待していた物と大きく異なっていた。


「あんなカスクズが!! 偉そうに這い上がるんじゃねぇっ!!」


 梶の心は身勝手な怒りと憎しみに満ち、決して尋を見逃すつもり等は無く。クズの癖に生意気にも美人と二人で仕事をしている尋を、今度こそ叩き潰して這い上がれなくしてやろうと言う一つの歪んだ想いだけが心を支配しており。そして、本日それを実行出来るような『モノ』を梶は持っていた


「オイ、(いく)!! 準備は出来てんだろうな?」


 そう言うと梶は、先程から荒れる全く梶を止めず、ただ梶の背後からその様子を見ていた一人茶髪で耳に大人しい顔とは正反対の派手なピアスに黒の長いコートを女性に声をかける


「うんっ!……出来てるよ梶君!!」 


 今日、初めて梶に話しかけて貰った事が嬉しく、女性、鳥谷(とりや)幾は着ているコートの内ポケット隠したうちの一本のナイフを握ると、心底嬉しそうに梶に笑いかけながら答える。と、そこで頬を少し赤く染め


「だ、だからね……終わったら梶くん……」


「チッ……! あーあー、言ってた通りに抱いてやるよ……」


 そんな幾の態度を見ても梶は舌撃ちしながらそう面倒臭そうにそう答えた


 事実、梶にとっては『一生あなたの力になるから、ずっと側にいさせて』と言って自身にしつこく寄ってきた幾は、邪魔な奴を自分の代わりに痛め付け、ついでに顔は悪くないので自分の欲望をぶつける為の便利な道具でしか無く。幾が常人より強くなければとっくの昔に捨てていた。その程度の存在だったのだ


「いいか……予定した通り、裏口から一気に入って女をねじ伏せてから、あの野郎を刺すなりなんでもして動きを止めとけ!」


「うん……分かった」


 生意気な尋から全てを奪い取り、当然の権利として踏みにじるべく作戦を決行へと移すべく、背後に着いて歩く幾に少し声を押さえて指示を飛ばしつつ梶は表通りを外れ、人通りが殆んど無い裏路地の狭い道を歩いていく


「……あの野郎は……俺がいたぶってやる……!」


 たっぷり貯めてそう言うと梶は自身が『生意気な奴』を痛め付ける為に幾度も使用し、何人もの血を吸ったメリケンサックを懐から取り出す。依然は脅しに使っただけだが、今度はそうじゃない。あの顔面にこいつを何発も叩き込んで骨を気の済むまで折ってやる。そう、考えただけで梶の顔は自然と下品た笑顔を使っていた


「よし……行くぞ幾!」


「うん……っ!!」


 先程から妙にニヤニヤ笑ってる幾に内心でへどを吐きながら、梶は灯りも殆んど無く迷路のように入りめぐった裏路地を進み、真っ直ぐに現在、尋が働いている店、「足羽」へと向かって歩いていく。


 梶は既に足羽が予約専門の店だと言うこと、予約客がいない時は基本的には店には尋と女店主の二人しかいない事、営業中は裏口に鍵がかかって無いこと、そして現在予約客がいない事を事前に張り込む事で知っていた。だからこそ今、調子こいた尋を踏み潰してやろうと鼻息荒く梶は足羽の裏口へと向かい


「止まりなさい、一度だけ警告します。それ以上、進んだのなら容赦はしません」


「……っ!?」


 突如、目の前、灯りが無いために全く視界が聞かない暗闇の遥か奥、そこから聞こえたゾッとするほど冷たい女性の声が聞こえ、その不気味さに思わず梶は足を止めさせられた


「……っ、せーよ! 俺に指図すんな!」


 が、直ぐに梶は自分が足を止めたのはビビったからでは無く、勝手な指図にイラついたからだと内心で言い聞かせると声の聞こえた方向に馬鹿にでも分かるくらいはっきりとした苛立ちを込めた言葉と、何人もの相手をビビらせた視線で睨み付けると、先程の声を無視して大きく音を鳴らしながら一歩を踏み出す


「そうですか……今のは、本当に最初で最後の警告だったんですがね……」


 その瞬間、溜め息と共に再び女性の声が聞こえ


 ひゅんっ


 同時にそんな鋭く、風を切るような音が梶の耳に聞こえたかと思った瞬間


「えっ……?」


 闇の中から飛来してきた一本の矢が真っ直ぐに梶の右膝に突き刺さった


「うっ、うわあぁあぁぁぁぁっ!? な、何だよ!? 何だよコレぇぇっ!! 痛ぇっ!! 痛ぇぇよおぉぉっ!!」


 直後、一瞬遅れて高圧電流を直接脚に押し当てられたような暴力的な痛みが襲いかかり、梶はたまらず冷えたアスファルトの上に転倒し、脚に刺さった弓矢をどうにか抜こうと掴みながら痛みにもがき苦しんだ


「梶君っ……!! このっ……くたばれ!!」


 『梶が傷つけられた』目の前で起きたその事実に幾の怒りは頂点に達し、コートから投擲用のナイフを複数本取り出すと自身の持つ全力を持って弓が飛来して来た方角へ向けて、両手を使い凄まじいばかりの速度でナイフを次々と投擲した。が


「残念、無駄です」


 どこか余裕を感じる女性の声が響いたかと思うと、再び風切り音と空中で金属通しが激突するような高い音が聞こえ


「ぎっ……いっ……!?」


 次の瞬間には、ナイフを投擲する姿勢のままだった幾の両腕に、そして肩に、膝に、股に、腹に、胸に、喉に、無数の矢が命中して幾の体は一瞬にして針山のように変わってしまった


「そん……な……」


 小さく殆んど聞こえないながらもハッキリと絶望に満ちた一言を最後に、背後から崩れ落ち幾は確信していた。相手は『自分の投げたナイフを放った矢で全て打ち落としつつ、そのまま矢を自分に命中させたのだ』と。あまりにも次元が違いすぎて幾自身にも現実とは信じたくは無いがそうだとしか説明が着かなかったのだ


「(逃げて……梶君……)」


 力無くアスファルトに倒れ、全身から血が流れていく感覚を味わいながら意識が遠のく中、幾は最後まで梶の無事を願ってそう想っていた


「ひっ……! ひいぃ……っ」


 その一方で梶は倒れた幾には目もくれず、負傷した右足を庇いながら路地の壁を支えに必死に背中を向けてその場から逃げ出そうとしていた。と、そんな時、冷酷に風を切る音が聞こえ


「ぎゃあっ……!!」


 恐ろしい程、正確に梶の左足の太股に矢が突き刺さり梶は顔面からアスファルトに叩きつけられた


「ゆ、許してくれよ!! この通り謝るからさ! なっ!?」


 そこで梶に残されていたプライドは完全に崩れてしまったらしく、顔面を強く打った衝撃で鼻血が流れ始めているのにも気にせず負傷した足を庇うような形で暗闇へと向けて不格好な土下座をしてみせる

。すると、暗闇の向こうから溜め息を吐くような音が聞こえ



「あなたは、そうやって謝った人間を許した事があるのですか?」


「……えっ? 何で……」


 何で俺の事を知っているんだ。梶がそう聞こうとした瞬間、無数の矢が雨のように一斉に梶へと向けて飛来して来た





「ふぅ……」


 放ち終わり、剣山のような姿になった相手が崩れ落ちるのを確認すると玲奈は構えた弓を下ろし、草履を脱ぐと店の中へと戻っていく


「もう少し、私も腕を上がる必要がありそうですね……いざと言う時の為にも」


 胸当てと右の手にした弓掛けを外しながら玲奈はたかだが暗闇の中の相手二人に『30秒』も時間をかけてしまった余り成長して無い自身の腕を嘆いて溜め息を吐く


「うふふ……尋さん、よく眠ってらっしゃる……」


 が、そんな玲奈の憂鬱も弓を片付け、休憩室で軽い鼻息を立てて眠っている尋の姿を見れば簡単に何処かへと吹き飛び笑顔すら浮かべていた


「尋さん……あぁ、あなたは側にいてくれるだけで私の心を満たしてくれる……」


 仕事終りに自身がたっぷりとマッサージしたので簡単には尋は目を覚まさないとは理解しているものの、それでも玲奈は音を経てないように慎重に休憩室に上がり込むと尋を自身の胸元に抱き寄せると、うっすらと紅が塗られた自身の唇を撫でながら尋を見つめる


「あなたは誰にも傷付けさせません……例え相手が誰であろうとも、私が全ての驚異を撃ち抜いて見せましょう……そして私はあなたの心から溢れてしまう。底すら無いような愛情をあなたに捧げます……」


 尋を胸元に抱きながら玲奈はそう強く誓う、その目には暗いながらも怪しい光に満ちており、おぞましい真っ直ぐで揺るがない尋への愛情が渦巻いていた


◇数ヶ月後



「悪いな、尋君、また注文頼む」


「はい! ただいまお待ちします!!」


 足羽で働かせて貰うようになってから、それなりの時が過ぎ、本格的に店のメニューの一部を玲奈さんから任せて貰えるようになった僕は、その日、一生懸命に厨房で包丁を振るっていた。


 今夜のお客は以前も来てくれた、澄さんと志那野さん。そしてお二人の高校時代からの友達と言う団体様達。しかも参加している全員がまだ二十歳そこそこなのに結婚していると言うから驚きだ


「(結婚か……)」


 そして結婚と言うのは僕にとっても決して遠い未来の話では無い。僕は先日、玲奈さんから直々にプロポーズを受け僕は迷いながらもそれを了承していたのだ


 正直、僕の力で玲奈さんと、この足羽を支えられるかは未だに自信は無い。でも……。そこまで考えて僕は少しだけ手を止めて足羽の店内を眺めた


「だな……それで……」


「だぁぁっ!! 店内でそんな話をすんじゃねぇよ渡っ!! あと誰だ!? 牡丹に酒を飲ませた奴は!? 牡丹の奴、ずっと俺の背中にしがみついて俺の耳を舐めてくるんだぞ!」


「この甘露煮は上手いな……レシピを聞いて今度莉菜にでも作ってやるかな……」


「才蔵、食べながらで良いから志那野がどこ行ったか知らないか? さっきから見当たらなくて……あれ、そう言えば女将さんと莉菜ちゃんも……」


「ふふっ……」


 いつも以上に賑やかな足羽の店内に僕は思わず苦笑する。


 今は自身が無いがきっと、こんなに素敵なお客さん達と、玲奈さんがいてくれるなら僕は迷いながも上手くやっていける


「はい、盛り合わせの松、お待ちどう様です!!」


 そう確信した僕は、いつもより少しだけ気合いを入れて注文の品を運んでいくのであった






「先日は……本当に世話になりましたね……志那野、そして莉菜」


 皆が宴会をしている大座敷の奥、畳がしかれた小さな個室に玲奈、志那野、莉菜は集まっていた


「何、あの程度の情報のリークも、揉み消しも……私にとっては造作も無いことだ。仲間の為に動くのは普通の事だろう?」


「……玲奈は友達だから……助けるのは当然……」


 集まって直後に玲奈から頭を下げて礼を言われたが、二人は当然のようにそう言いながら揃って玲奈の頭を上げさせた


「しかし玲奈の腕も見事だ……あれだけの矢を放って二人ともに致命傷を負わせないとはね……まぁ、二人は死ぬまで病院から出れないては思うが」


「殺害しては何かと面倒ですからね……最も、私自身の憤りを押さえるのは大変でしたが……」


「……好きな人を傷付けられたら、無理もないよ玲奈」

                      

 志那野に言われると玲奈は当時の怒りを思いだしたのか少しだけ顔を曇らせ、莉菜はそれに賛同して深く頷く


「……ともかく、何はともあれ今更ながら私達は共に協力して助けあって行こうじゃあないか……今までも、そしてこれからも……それを誓って、ここで乾杯などはどうだろう?」


 と、そこで志那野が軽く咳き込むと莉菜と玲奈に向かい、透き通った日本酒が入ったガラスコップを差し出す


「勿論、これからもよろしくお願いします志那野、そして莉菜」


「玲奈も志那野も……よろしく」


 玲奈と莉菜はそれに躊躇い無く自身のコップを軽く当てて答えながら、そう答えた


「ふふ……やはり、二人こそ私の心強い仲間達だな……」


 それを見て満足そうに志那野は言うとコップに入った酒を一気に飲み干し、二人もその後に続いて酒を飲み干した


 志那野、莉菜、そして玲奈。長年続くこの三人の絆は強靭かつ余りにも理不尽な程に強邪で、殆んどの人間に気付かれぬ事無く、愛する者達と自分達を邪魔する者を抹殺すべく、その力を駆使していくのであった

 いよいよ次回は、ホラーにとっては記念すべき……と、言うべきは分かりかねますが、ともかく縁起の悪い『13』になる。13話目です。記念に恥じないよう頑張って書いて行きたいのでよろしければ、また読んでくださると嬉しいです

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