◇第九ヤンデレ タイプ(男装女子)
遅れながら更新です!なお、今回の話は少しだけ最近のヤンデレ愛劇場からは昔の話。その1となります
「どうした翼、元気が無いみたいだな」
昨夜、自宅へとかかってきた電話の内容が気掛かりてでよく眠れず、おぼつかない足で通学路を歩いていると、背後から軽く肩を叩かれながら声をかけれた
「もし、困ってるなら何時でも相談してくれ、オレに出来うる限りの力を持ってお前の力になろう。親友のオレならそれが当然の事だ」
僕、翼こと岡崎翼の肩に手を当て、さながら白馬の王子様のような言葉を恥ずかしげもなく言って見せると、僕と同じ中学指定の男子用の制服を着た人物。赤池金和は微笑を浮かべてせる。天然でありながら色鮮やかでまるで金髪であるかのように見える美しい頭髪を持ち、なおかつ中性的で非常に整った顔を持つ金和から作られたそれは身内評価を差し引いても非常に絵になるような美しさと爽やかさを醸し出しており、事実、金和が僕に向けて微笑んで見せた瞬間、通学路を歩いていた我が学校生徒の女子達からは熱の籠った黄色い声が上がった
「金和……実は、昨日の夜に電話がかかってきて……」
そんな金和が放つ独特の雰囲気に飲まれ、気付いた時には僕は自然と金和に悩みのその全てを吐露していた
「なるほど、友達が入院してしまったのか……。それは心配になるのも無理は無い」
全てを話し終えると、共に歩きながら注意深く僕の話を聞いていた金和は納得したようにそう言うと深く頷いた。
「命に関わるような怪我じゃあ無かったらしいんだけどさ……。場所がここからは遠いし、すぐにはお見舞いには行けないから、やっぱり心配でさ」
「何、お前がまさに今、そうやって心配してくれているのならばその友達、田上と言ったか……。彼もそれだけで幾分か心が救われるはずさ。少なくとも、オレはそう思う」
入院した俺の友達『田上』の事を思い出して僕が深いため息を付くと、金和はそう言って励ましてくれた。
田上こと田上太郎とは俺が5年ほど前に暮らしていた町で偶然に出会い、ちょっとした会話から友達になった人物であり、自分で言うのは何だとは思うけど非常に良い付き合いをさせて貰っていた。その田上と田上の友達の少年が不慮の事故に巻き込まれて共に入院したとの知らせを、昨夜自宅の電話で僕は聞き、田上とその友達の少年が無事だと言う情報を知っていても気が気では無く、良く眠らなかったのである
「励ましてくれてありがとう……金和」
「ふっ、どういたしましてだ翼」
そんな僕を気遣ってくれた金和に改めてお礼を言うと、金和は得意気ながらも嫌味を感じさせない不思議な笑顔を浮かべると。胸を張って見せ
その瞬間、年相応に実った胸が僅かに揺れた
そう、中性的な顔立ちや、クラス全体で見ても高めの身長、寸法バッチリの男子制服姿の金和を美少年と間違える人物もかなりの数がいるのではあろうが答えは違う。金和は正真正銘、男ではなく赤池家の長女たる立派な淑女なのだ。
五年前にどうにかこうにか希望していた中高一貫の入学試験に合格し、両親と暮らしていた実家から遠く離れたこの街へ一人で引っ越してきた僕はそこで同じ学校に通い家も近かった金和と出会い、転校してきた僕を金和が何かと面倒を見てくれた事から、たまに金和の家で食事をご馳走になったり、時には一泊したりと行った今の付き合いがある。のだが
「金和さぁ……いつも思うんだけど、なんで男装なんかしてんの?」
そう、金和は初めて僕と出会ったその時から女子なのにも関わらず男子の制服を着て、なおかつ中性的な口調で話す。と言う俺の十年そこらの人生で初めて見るタイプの、あんまりな言い方をすればいささか奇妙なスタイルだった。そして、相談に快く乗ってくれた金和に自分でも気付かない程に心を許していたのか、次の瞬間には僕は金和に五年近く間、心で思っていた事、そのままを直球で尋ねていた
「オレが男装している理由……か……」
「あっ……こ、答えたくないならいい! いくら、何でもぶしつけ過ぎたかな」
僕がその質問をした瞬間、金和の表情が僅かに曇る。その様子にハッとした僕は慌てて制するように両手を金和に向けて自分の発言を撤回した
「いや、構わない。むしろ翼が疑問に思うのは当然の事だな……」
金和はそう小さく苦笑しながら自身に向けられた手をそっと握って僕の腰元へと下ろした。
「簡潔に言うと、この姿はオレの一族に伝わる風習、半ば決まり事みたいな事なんだよ」
「決まり事?」
僕がオウム返しのように金和の言葉にそう返事を返すと、金和は、ああ、と言って小さく頷いた
「夫婦の間で初めて産まれる子供は男の子で無くてはならない。仮に女の子が生まれたなら次に男の子が産まれるまで、その子は男として生きなくてはならない……そんな決まり事だよ」
「じゃあ金和、君はそのせいで今……」
「……………………」
予想だにしていなかった事情を知り、思わず僕は息を飲み金和に視線を向ける。すると、金和は無言のまま真剣な顔でじっと僕に視線を返し
「……まぁ、もう弟が生まれたから正確にはオレがこんな格好をする必要は無いんだけどな」
「へっ?」
突如、からかうような口調と顔でそう言って来たため僕は面食らい、妙な声を上げてしまった
「さっき言った事も嘘じゃない。嘘じゃないが、今のオレがこんな姿や口調なのは好きでやってるだけで、特に深い意味は無い……そう言う事さ」
「…………………………」
そう、いたずらを成功させた子供のような無邪気な笑顔で僕に言う金和。そんな金和に圧倒されて呆然としていた僕ではあったが、胸の中では沸々と何かが込み上げており、時と共に次第に大きくなっていたそれは、すぐに限界点に達した。
「おい、かな……!!」
「少し冗談が過ぎたか……悪かった、許してくれ翼」
思わず感情のまま、沸き上がった感情を金和へとぶつけようとした瞬間、僕が動くより早く金和の手が伸び俺の頭を優しく撫でた
「……翼、お前がこの冗談で怒ると言う事は、本当にオレの事を思っていてくれるんだな。ありがとう翼……心からそう思うよ」
「別に…………」
僕が放とうとした怒りのエネルギーが、心の底からそう思って言っているのだろう金和の真っ直ぐな言葉の前に風の前の塵のごとく消え去ってしまい、かと言って素直に認めるのも癪だった僕は結果、顔を金和からそむけながら出来るだけ平静を装ってそう言う事しか出来なかった。頬が熱い気がして、更にはそんな僕を見て金和が笑ってる気がするのだが我慢して無理矢理堪える
「さてと……あまり校門前でウロウロしている訳にはいかない、そろそろ行くか」
金和は僕のそんな様子を一通り眺めて楽しんだかと思うと、頭を撫でていた手を下ろしごく自然な動きで僕の手を取ると、手を繋いだまま学校の玄関へと向かって歩きだした
「……普通、こう言うのは男がやるもんじゃない?」
「ならばオレは『男なら細かい事は気にしないものだろ?』と、返しておこう」
朝っぱらから周囲の目も気にせず男女が仲良く(金和は男装しているが)、手を繋ぎながら登校すると言うあまり心臓によろしく無い光景に僕は抗議したものの、それを一秒の間もおかずに金和に論破されてしまい。僕は諦めのため息を付きながら金和と共に校舎へと入っていくのであった
◇
「金和……一体いつまで手を繋いでるんだ?」
「ふふっ……翼が言うまでずっと繋いでるつもりだったさ」
教室へと到着し、既に互いの席へと座って荷物を下ろしても僕の手を離そうとしない金和に抗議すると金和は冗談っぽく笑うと僕の手を解放し、名残を惜しむように軽く手のひらを一撫でするとすると手を自身の座る日光が差し込む僕の隣の席へと引っ込めた
「お、おはようございます!! 岡崎先輩! 赤池先輩!」
と、そんな僕と金和の背後から元気の良い、しかし何処か空回りするような声がかけられる
「ああ、おはよう久遠」
「おはようだ、雛」
僕と金和が同時に振り返りながら、こちらに向かって丁寧にお辞儀をしている後輩である、しっかりと揃えたお手本のような校則通りの髪型をした一年生の少女、久遠 雛の苗字と名前をそれぞれ呼びながら挨拶をした
「早速だが雛、今日の報告はどうだ?」
「はい、赤池先輩、こちらになります!! 岡崎先輩もどうぞ!」
落ち着いた態度で尋ねる金和に、久遠は敬礼をしてから仰々しく細かく丁寧な字で書かれた一枚の書類を渡し、僕にはそのコピーらしきものを渡す
「ふむ……大方は問題なし。が、グラウンドのゴミは問題だなぁ……」
鞄から眼鏡を取り出してその書類にじっくりと目を通しながらじっくりと思案してそう呟いた
言うのが遅れてしまったが僕と金和、そして久遠は生徒会に所属しており、金和が生徒会長、僕が副委員長(と、言う名の金和の話し相手&暇潰し相手)、そして久遠が雑務担当であり、久遠は金和の指示の元こうして毎日のように生徒達から寄せられる意見を報告しに教室に訪れているのだ
「丁度いい、今日は予定が無くて暇だったはずだ。翼に雛、あと残りの生徒会メンバー全員で今日はグラウンドの清掃作業だな……意見は?」
「うーん……僕は、ないかな」
「私もありません、赤池先輩!」
書類を全て読み終え、眼鏡を外した金和が僕と久遠に確認するように尋ね、僕は今日のスケジュールを頭の中で思い出しながらゆっくりと、久遠はどこにそんな力があるんだと思ってしまうような大声で返事を返して遅刻しかけて慌てて教室に入ってきたクラスメイトの一人を驚かした
「こら雛、皆がいる教室なんだ少しは声を押さえろ馬鹿」
「す、すいません赤池先輩……つい」
大声を出したことで金和に軽く睨み付けられて注意されると、久遠は先程の正反対のような小さな声で顔を歪ませ体を小さくさせると金和に向かって頭を下げた
「まぁまぁ金和、まだ一度なんだから、ここは許してあげたらどうかな?」
そんな久遠の様子がどこか雨に降られて濡れた捨て犬を思わせ、放置してはいれなくなった僕は思わず助け舟を出していた
「……翼が心配しなくても怒ってない。次からは気を付けろ雛」
僕がそう言った瞬間に、一瞬だけ目を合わせると金和は再び久遠の前に向き直り警告するようにそう告げた
「ありがとうございます赤池先輩……!」
久遠は迷わず金和に押さえた声量でそう返事をし、金和に気付かれないよう、こっそりと僕に向かって感謝のアイコンタクトを送ってきた
「(気にしなくてもいいよ、僕は一応先輩だしね)」
「………!」
久遠に声を出さずに口の動きだけでそんな返事を返すと久遠は嬉しそうに頷いた。こんな素直な反応が久遠の持つ魅力なのだろう。そう、この目で確かめて僕は改めて実感した
「……………………」
そんな僕と久遠を金和が無言で見つめる。久遠に視線を向けていた僕は久遠に向けられる金和の視線が異様な程に冷たい物だった事には、この時には知るよしも無かった
◇
「……よし、それでは決めた通りに、散れ!」
『はい!!』
放課後、グラウンドに全員集合した我らが生徒会メンバーは体操服へと着替えた金和の一声に、大きな声で返事を返すと一斉に話し合いで決めた持ち場に動き出し、僕もまた自分の持ち場へと付いた
「こりゃ、中々骨が折れそうな……終るまでいつまでかかる事やら」
自分の持ち場に広がる風に乗って飛んできたのであろう無数の紙ゴミやビニール袋や包装紙を見て僕は思わず軍手をした手で頭を掻きながら深くため息を付いた
「まぁ、そうぼやくな翼。確かに量こそ多いが生ゴミは無いのは救いじゃあないか?」
そんな僕の呟きに僕のすぐ隣が持ち場である金和が、はさみ火箸で足元の空き缶を広って手持ちの篭に入れながら答える。
「それは、そうなんだけどさぁ……」
金和の言葉は正しい、確かに正しいとは思うのだが、目の前に広がるゴミの数々を見るとどうしてもやる気は失せてしまう。結果、僕はため息を付きながら掃除をする事になった
「おい、嫌なのは分かるが、仮にも副会長がそれでは……そうだ」
そんな様子を呆れたようにように見つつ、自分自身は僕の2倍程のゴミを回収していた金和は一端掃除をする手を止め、たった今思い付いたかのようにそう言うと、にやりと笑った
「翼、お前が今日頑張って掃除をしたのならば、今夜はオレの家でお前に海鮮丼をご馳走してやるぞ?」
「ほ、本当っ!?」
自分の事ながら楽々と僕は金和の言葉に釣られ、『海鮮丼』と言う言葉に分かりやすい程、ガッチリと食らい付いた。
何故なら金和の祖父、更に言うのならば金和の父方のおじいちゃんは現役の漁師であり、しょっちゅう金和の家へと新鮮な魚介類を届けてくれるらしく、それを金和の家で勉強を教えて貰っていた時に金和自身に教えられる形で知った僕は、その新鮮な魚介類で作ったと言う海鮮丼をご馳走になりその文句なしに絶品と言える味に舌鼓を打っていたのだ
「勿論、今回は鮭とイクラを貰ったんだ……絶品だぞ?」
誘惑するような金和のその言葉に僕は気付けばごくりと喉を鳴らして口内に溜まった唾液を飲み込んでいた
「さて……翼、お前はこれからどうする……?」
たっぷりと間を置いてからそう僕に問いかける。それに対する僕の返答は? そんな物はとっくの昔に出来ていた
「よっし、ここは僕に任せて! 見違える程、綺麗にして見せるから!」
そう僕は宣言すると、自分の中にある体力を総動員して次へ次へと散乱しているゴミを回収してはゴミ袋へと詰め込んでゆく。勿論、ゴミの分別だって忘れない
「釣り針を放ったのはオレだけど、翼は相変わらず、分かりやすい……。ま、そこが魅力だけどな」
苦笑しながらそう言う金和の声も聞き流し、僕は一心不乱にゴミの片付けを続けるのであった
◇
「うぅ……無茶をし過ぎた……。腕が痛い……と、言うかもはや熱い」
グラウンドに散らばっていたゴミの片付けを全て終わらせ、アパートにある自宅へとたどり着いた僕は、下手に気合いを入れすぎた為に発生した筋肉痛に苦しみながら、焼けるような痛みがじわじわと疼く腕に湿布を貼っていた
「明日には治ってるといいけど……無理だよね流石に……とっ」
自分でやった事なのでさほど後悔はしてないものの、止みそうに無い痛みに思わず僕がため息を付く。と、その瞬間をまるで見計らっていたようなタイミングで携帯電話が鳴り出し、僕は携帯電話を取ると反射的に発信者も見ずにそのまま電話に出た
「もしもし、翼か?」
「その声……田上か!? もう、電話に出れるのかい!?」
電話からどこか懐かしいその声を聞いた瞬間、体に溜まった疲労は忘れてしまい、思わず勢いのまま立ち上がってしまった
「あぁ……ええと、俺を診てくれた先生の腕がよくてな、退院も早くなりそうなんだ。うん、だから翼、無理して見舞いになんて来なくていいからな?」
僕の問いかけに何故か田上は若干どもりながら答え、一息付くとそう落ち着かせるように告げてきた
「ともかく……田上、君が元気で、こうして電話してくれて嬉しかったよ」
そんな田上の態度に何処か引っ掛かる物を感じてはいたが、ひとまず田上の無事を喜ぶ事にし、そう安堵の一息を付いた
「いや、本当に迷惑をかけたな翼……とりあえず俺は本当に大丈夫だから安心してく……! い……ってて」
電話越しにそう田上は僕に謝罪すると、自身の健在さをアピールするかのように大声を出し、直後、小さく痛みを堪えるかのような声を漏らす
「……田上、いくら君がそう元気だとは言っても今は入院中だろ? 無理はするなよ」
「は、はは、正論過ぎて返す言葉もねぇや……」
僕の指摘を受けると電話からは少し力の無い苦笑するような田上の笑い声が聞こえてきた。と、その時
「ねぇ、お兄ちゃん大丈夫?」
「うおっ、牡丹!? いつの間に来てたんだ!?」
突如、電話の向こう側から明らかに田上の物とは違う少女の声が響いてきた。それも明らかに田上や僕より年下と思える甘々の可愛らしい声。そして決定的なのは田上は一人っ子で妹がいない
「……えー、まぁ性癖や趣味は田上の自由だし、僕は君を信頼しているし……法律や人権に触れない限りなら、好きにしたら良いと僕は思うよ? うん」
慎重に言葉を選びながら僕はそう田上に出来る限り優しい口調で言った。心から信頼していた友達が『そっち』の道に行ってしまったのは残念だが、その道を選んだのは田上自身であり、それを僕に否定する権利など何処にも存在しないのだ
「ちょっ……翼!? 何か誤解しているみたいだけど、多分それは違うからな!? 多分確実に絶対にお前の想像とは違うからな!?」
「良いんだ田上……分かってる。大丈夫、僕は君を否定しないから」
僕がそう言った瞬間、非常に慌てた様子で田上が弁解せんとしてきたが僕はそれをそっと制する
「じゃあ田上、お大事に……どうか逮捕だけはされないでね……」
「おいおいおいおい、俺の話聞いてる!? だから俺はロリコンじゃ……!」
今日一日ではこれ以上、変わってしまった友人の姿を受け入れるのは僕には耐えられない。そう思った僕は名残惜しくは思うものの、後日改めて話すと決めてそこで電話を切り、深くため息をついた
「……背負いきれない変化って、あるもんだなぁ……」
「翼、何でパンツ一枚でたそがれてるんだ?」
「おおおうぅっっ!?」
僕がそう呟いた瞬間、少し呆れた様子の声が室内に響き、僕は声を上げ、手をばたつかせて盛大に慌ててしまった
「か、金和…………なんで僕の部屋に……」
何度か深呼吸を繰り返す事で何とか話す事が出来るレベルにまでには落ち着きを取り戻した僕は震える声で、狭い我が家の玄関に立っている私服姿の金和にそう尋ねる
「部屋の鍵が空いてたぞ……少し無用心じゃないか?」
すると金和は協調するように、ついさっき自信が入ってきたドアのドアノブをつかんでドアを開き、再び閉じて見せた
「そう言えば鍵を閉めた記憶が……でも、どうして金和は家に?」
「どうしてだって? 夕食の準備が出来たら迎えに来る……って、オレが学校で言っただろう。忘れたのか?」
僕の問いに翼はそう答えると、僕の部屋の壁掛け時計を指差す。つられて時計を見てみると、時計の針はいつの間にか学校で別れ際に金和が告げてきた時間へとなっていた
「えっ? もう、そんな時間なの……?」
湿布を張りながら愚痴を言ってた時間で消費したのか、はたまた田上との電話でなのかは分からなかったが、ともかく僕は自分で気がつかないうちに時間を使い過ぎてしまったようだ
「ご、ごめん、金和……」
「……何、気にするな翼、こんなミスならば誰にでもあることさ早く行くとしよう。 !……と、言いたい所だったが……」
ともかく僕のせいで迷惑をかけてしまった以上、謝罪しない訳にはいかない。そう思って僕が金和に頭を下げると金和は気にしてないと言うように軽く笑みを浮かべながらそう言い、ふと僕の体に視線を向けた瞬間、金和の目は限界まで見開き、頬が一瞬で真っ赤に染まった
「つ、次からは、人が来たら何か着てくれ。そ、その……すまん……見えてるよ……」
金和にしては珍しくらしく無い、曖昧な物の言い方に最高に嫌な予感がした僕は慌てて自分の体に視線を移し
「……っ!? !? う、おおおおおぉぉぉっ!?」
履いていたパンツの横から自分の息子が顔を出していた事に気が付き、僕は羞恥心のあまりに奇声をあげながらとっさに私服を収納しているタンスの中から柄や色も関係無く一枚のズボンを取り出して履き、素早く金和から距離をとると家具の物陰に隠れた
「ご、ごめん金和! 何て言ったらいいか分からないけど……本当にごめん! とにかくごめん!」
家具にぴったりと背中を付けると僕は勢いよく頭を下げながら金和にそう息も付かせぬ勢いで次々と謝罪する
「そ、そこまでお前が謝る必要はないよ……うん、大丈夫だその……オレは初めて男性のアレを……見たからつい……緊張してしまって……も、もっとオレがスマートに言うべきだったな……」
僕の言葉に慌てて、しかし今まで一度も聞いたことが無い程にうろたえた様子の金和の声が返ってきた
「(うっ……こ、これは……)」
その時、僕は正直に言えばこの状況、普段はいつも冷静沈着で落ち着いている金和が誰にだって分かるほど盛大に取り乱している様子の声を聞いて、良くない事であると理解しながらも胸の高なりと、小さな興奮を覚えていた。はっきり言えば凄くそんな金和を見てみたい、その慌てた姿をこの目にじっくりと焼き付けてみたいと強く思う。が、ついさっき、故意では無いとは言え自身の恥部を見せてしまった女性にそう簡単に、何事も無かったかのように顔を、その姿を見せれるだろうか?少なくとも僕には出来ない。結果、僕はそうやって悩みながら
「翼、もうオレは大丈夫だから出てきてはくれないか?」
「う、うん…………」
すっかり何時もの調子を取り戻した金和に説得されてモジモジと出てくるまで、行動どころが家具の後ろで身動き一つも録に取ることが出来なかった
◇
「ふぅ~なんにせよ、食べた、食べた……お腹一杯だよ……」
「ふふっ……ならオレは『お粗末様』と、でも言っておくか」
すっかり日が沈んだ夜の町を歩きながら膨れた腹を軽く叩いてそう言う僕を見て、並んで歩く金和はクスクスと笑いつつ、どこか爽やかな笑顔でそう返事を返した。
一時間程前、少しトラブルで予定していた時間を若干タイムオーバーしながらも金和の家へとたどり着いた僕は自身のこっ恥ずかしい失敗を決して思い出さないよう、全神経を本日の金和家での夕食であると言う、金和のお母さんお手製のサーモンとイクラたっぷりと海鮮親子丼に集中させ、某グルメ漫画もさながらと言う勢いで味わいつつも米一粒も残さずに食べきっていった。
と、そこで僕のその食べ方を見ていた金和のお父さんに何故か僕が気に入られてしまい。お代わりとして僕は新たな海鮮親子丼を丼一杯新たに貰った。ここまでは良かったのだが、それで止まらずアルコールが入った事により更に浮かれてしまった金和のお父さんは、終いには酔った勢いで父公認の仲としてそのまま付き合ってすらいない僕と金和の結婚までも勝手に決めてしまいそうになって、僕と金和、二人の顔を同時に真っ赤にするなどの被害をもたらすと、最終的に金和のお父さんは妻の『いい年した大人が何をやってるんです、少しは落ち着きなさい』との一言と共に放たれたハリセンでの一撃で気絶して畳に崩れ落ちた
「き、今日はいろいろあったけど……とりあえず一番云いたいのは父が調子に乗って悪かったな翼。翼は余り見たことは無いのかも知れないが……父は酒を飲むといつもああなってしまうんだ」
今日の出来事を振り返り僕の部屋での出来事を思い出した為か、ほんのり頬を染めながら、しっかりといつも通りに見える声と表情で金和が小さく僕に頭を下げてきた
「な、なぁに、気にして……いないよ。僕もね」
そんな金和の態度に吊られてか僕もまた、あの羞恥プレイに近い僕の自宅での出来事を思い出して少し呂律が回ってない言葉で答える。と、そんな風な会話を金和と繰り返しているうちに気が付くと僕の自宅があるアパートへとたどり着いていた。
「じゃあ、オレはここまでだ。また、明日だな翼」
「……うん、また明日だね金和」
金和は共にアパートへと入り、僕を自室まで見送ると、そこで別れを告げると踵を返し、僕もそんな金和の背中に向かって返事を返す。と、その瞬間、突如金和は足を止めるとくるりと回れ右をして僕へと視線を向ける
「……そうそう、楽しいのは分かるが余り深夜ラジオを聞くのに熱中し過ぎて、一昨日のように寝坊するなよ? では、おやすみ」
「言われなくても、そんな事くらい分かってるよ……おやすみ金和」
と、最後に若干お節介な金和の言葉に僕は少しふてくされながらそう言うと部屋のドアを閉じた
「……全く……金和は良い奴だけど、たまにお節介が過ぎるんだよなぁ……少し僕を子供みたいに扱ってる節もあるんじゃあ無いのかな?」
廊下から小さく響いていた金和の足音がしなくなった事を確認すると、僕はドアを背にして寄りかかるようにして大きく溜め息を付きながら金和には聞こえぬように、一言文句を口走った
。
「いや……待てよ……?」
と、文句を言い終わり少しスッキリとし、立ち上がろうとしていた僕は先程の金和の言葉に僅かな違和感を感じ、立ち上がりかけた体制のままピタリと動きを止めた
「一昨日は確か金和は学校を法事で休んでいた……じゃあ、どうして金和は僕が遅刻した事やその細かい理由まで知っているんだ? ……そもそも僕、金和に深夜ラジオを聞いてるなんて話した事があったかな?」
そう考えた瞬間に、胸がざわつき心臓の鼓動は緩やかなペースで上がり、さほど暑くも無いのに額や腋からは汗が滲み始めた
「……まさかね、単なる偶然だよ。ラジオの事だって単純に僕が金和に言ったことを忘れてしまっただけさ」
胸にトゲの如く刺さった違和感を誤魔化すように、自分自身に言い聞かせるように僕はそう言うと気合い注入とばかりに自分の膝を叩いて一気に立ち上がり
「……ん?」
部屋に備え付けの郵便受けに『岡崎 翼様へ』とどこか見慣れたような字で書かれた飾りっ気のないピンク色の封筒を見つけた
◇
翌日、僕は何時ものように朝起きて通学路で待っていてくれた金和と合流して学校に通い、授業を受けて金和と話をし、放課後には何時ものように金和が効率良く動けるようにサポートに専念しながら生徒会の業務を終わらせ、金和と並んで帰宅して。家に帰れば何時ものように冷蔵庫の中身を見て適当に夕食を作って食べて後片付けをして風呂に入り寝巻きに着替え、後はテレビを見て布団に入りながらラジオを聞きながら寝る。と、言うのが僕の日常だった。
「よし、覚悟は決めた……行くか……!」
が、今日の僕は風呂から上がっても寝巻きに着替える事は無く、数少ない手持ちの服の中で最も気に入っているかつ高価だった私服に着替え、髪型をばっちり整えるという。明らかにこれから部屋でゆっくり寛ぐのだとは誰も思わないであろう自己採点で出来る限り満点に近付けた気合い十分の姿をしていた。
この時点で既に察する方も当然いるとは思うが僕がこんな格好なのは、当然、昨日僕の部屋に届いた差出人の名前が書かれていなかった封筒に原因がある
『岡崎翼様、短刀直入で無礼極まりない話で、私をはしたない女と思われるでしょうが、私は学校で初めてお会いした時からずっとあなたの事をお想いしていました。当初はこの気持ちを誰にも言わずに私自身の胸の中に留めておこうと思っていましたが、やはり日に日に疼き続ける翼様への想いを押さえることは出来ません。もし、こんな私の身勝手な言葉に耳を貸してくれるのならば明日の午後9時、翼様の在籍している教室でお待ちしております』
封筒の中から出てきた二つ織りの二枚の便箋には、やはりどこかで見たような気がしてならない達筆な字でそう丁寧に書かれており、これもやはりと言うべきか二枚の便箋の隅から隅まで見てみてもこの手紙を書き、封筒を送った人物の名前は確認出来なかった。が、しかしだ
「これを送ってくれた子は女の子……誰かは知らない、でもこの文章……その子は勇気を振り絞って僕の家の郵便受けに手紙を送り届けてくれた……。それはしっかりと伝わる。だったら僕も全力でその子とぶつかってみよう!」
昨夜の夜、手紙を何度も読み返し、布団の中で散々悩んでそう決めた僕はそう心に決めて今、行動に移してしてるのだ
「……問題はもし、行く途中で金和に見つかったらどう言い訳するかだけど」
玄関を出て鍵をかけると、僕はあり得ないとは思いながらも金和がいないか確認する為に周囲を見渡し、姿を確認すると音が出ぬように小さく溜め息を付いた。
まだ夜は始まったばかりの時間とは言え、こうして夜中に何かを決意したような顔でとバッチリと決めた私服で出歩く僕。……うん、端から見ればありもしない誤解を受けてしまいそうだ。特に学校の校則では保護者同伴以外の夜外へ出ることは原則禁止されている為に、金和に見つかってしまったなら、一時間は事細かく詰問と説教をされてしまいそうだ。
とにかく僕は金和や学校のクラスメイト達に気付かれぬよう警戒しつつ慎重に、かつ足早に体を動かして指定された時間に間に合うよう学校へと向かって動き出したのであった
◇
「うぅ……学校まで来たのは良いけど……やっぱり夜の校舎は気味が悪いな……」
無事に誰とも遭遇する事も無く学校へと辿り着いた僕は、予定通りに夜でも空いている校舎の裏口から懐中電灯の灯りを頼りに指定された教室へと進んでいた……のだが、僅かな光に照らされて浮かぶ見慣れた気色のはずなのに全く違う雰囲気を漂わせる校舎に少し尻込みをし始めていた
「全く………時間なら放課後とか、夜でも場所でも公園とかなら分かるのに、何でわざわざ夜の学校なんかに……」
心の中に生まれた恐怖心はいつの間にか手紙を書いた誰かへの愚痴と言う形となって、恐る恐る廊下を歩く僕の口から零れていた
「おとと……駄目駄目、こんな事を言ってちゃ……」
そんな家を出る前に抱いていた決意を踏みにじるような愚痴と、弱気な今の自身の気分を吹き飛ばす為に僕は懐中電灯を持っていない手で頬を叩いて気合いを入れ直した
「手紙を書いてくれた子だって勇気を持って来てくれたはず……だったら僕がいつまでも……んん?」
更に自分に活を入れるべく言葉を続けようとした僕はそこで言葉を止めた
「教室の電灯が灯ってる……」
僕の視線の先、20m程先の手紙に指定された場所であり、僕が在籍しているクラスのある教室の窓からは廊下に向けて眩い光が漏れていた。この時間ならば警備員さんはもう見回りを済ませたから、電気の消し忘れとは考えにくい。と、考えるのならば結論は一つ
「先に来ていたのか……少し急ごう」
今更、大した違いは無いと思いつつも灯りが見えた事で恐怖心が吹き飛んだ僕は足を早めて教室の扉の前にまで向かった
「……入るよ」
いざその場に立つと緊張で震える手で僕は、しっかりと三回ノックしてから、少し上ずった声でそう言うと扉を開いて教室の中へと入った
「あっ………………」
外に光が漏れないようにしているのか室内のカーテンが全てきっちり閉ざされた教室で僕の使っている机に腰掛けていた人物は僕に気が付くとすぐに机から降りると僕へと近付いてきた
「君か…………君が僕を呼んだのかい?」
歩み寄ってくる相手に僕は、確認するようにそう問いかける。彼女をこの教室で見た瞬間から手紙を読んだ時に抱いた予感の正体は既に分かっていた。しかし、それを理解しててもなお、僕は聞かずにはいられなかったのだ。そんな、僕の心を知ってか知らずか相手は口角を吊り上げて笑みを浮かべ
「はい! そうです、私が岡崎先輩に手紙を書きました!」
そう毎朝見慣れている笑顔で、僕を教室で待っていた相手、久遠は礼儀正しく僕に美しい角度でお辞儀をした。
「それで……あの、ですね岡崎先輩……」
「んん……?」
と、僕にお辞儀をしていた顔を上げると、急に先程の元気が消えてしまったのか、もじもじとした口調で久遠が僕にそう言ってきた
「私の書いた手紙……ちゃんと見てくれました?」
「う、うん……もちろん」
「本当ですか!? 良かったぁ……」
僕がいつもとは様子が少し違う久遠の質問に面食らいながらも答えると、途端に久遠は表情をぱあっと明るくさせた
「そ、それでですね……手紙の通り、私、先輩と初めて会ったときからずっと先輩に想う事がありまして……」
何とか勇気を振り絞るようにして静かに言葉を紡ぎながら久遠はゆっくりと僕に近付いてきた。その
真剣な態度に押されて僕は何も言えず、ただ更に距離を縮めていく久遠を見ることしか出来ない
「先輩……お願いしますっ!」
初めて体験するマンガのようなシチュエーションを前にして冗談のように僕の心臓の鼓動は早くなり、顔を真っ赤に変えていく。
そして次の瞬間、久遠は口を開き
「先輩の痛みと苦しみでもがく顔、私に見せてくれまけんか?」
表情だけは何時もと変わらない優しい笑顔を浮かべながら、冷たく、触れた全てのものを凍てつかせてしまいそうな声でそう言うと、隠し持っていたカッターナイフを取り出して服の切れ間から除いてた僕の肩に迷い無く刃を刺し混んだ
「えっ? あっ……う、うわあああぁぁぁぁぁぁっ!!」
一瞬、何が起きたのかを理解出来ていなかった。そして次の瞬間、暴力的に襲いかかった激痛で無理矢理僕は自分に起こった現状を理解させられた
「あぁ……先輩、素敵です……その表情です……」
そんな僕を片手に持った携帯のカメラで撮影しながら、カッターを持った手で傷口を広げながら久遠はうっとりとした表情でそう言った
「がっ……あああぁぁぁっっ!!」
「あぁ、駄目ですよ先輩……傷口がボロボロになっちゃいます。折角、綺麗に傷口を付けたのに」
激痛から逃れようともがく僕に対して、久遠は全く慌てた様子も無くカッターを引き抜くと僕の足を軽く払った。タイミングをバッチリと合わせられた足払いに僕は全く抵抗出来ずに床に叩きつけられ、肺からは吐き出すように息が零れた
「じゃあ次は、今みたいに先輩に暴れられないように両手と両足の腱を切りますね? ふふ……先輩の苦しむ顔、沢山見せて下さいね……」
倒れた僕の上に馬乗りになり、にこやかな笑顔で久遠はそう言う。その瞳には狂気に満ち、ほとんど僕に対する悪意は感じられない。それが逆に骨の髄まで凍り付いてしまいそうな程に恐ろしかった
「さぁ……先輩、覚悟はいいですか?」
「ひっ……! うっ………あああ……」
そんな笑顔を浮かべたまま久遠が再びカッターを構える。僕はそんな久遠を振り落とそうと必死で暴れようとするが僕の体は嫌らしい程にしっかりと拘束されており、身動きさえもままならない
「それでは最初は右手から……!」
「………………っぅ!!」
そんな僕に向かって容赦なく久遠はカッターを降り下ろし、僕は直ぐに迫り来るであろう痛みから少しでも逃れようと目を固く閉じた瞬間
「いぎっ!? ……い、いがぁっ……!」
ぐちゃり
文字にすればそんな感じの生々しい音と共にくぐもった久遠の悲鳴、そしてやたらに鉄錆び臭い液体が僕の体にシャワーのように降り注いだ
「なっ……い、一体何が……!?」
そんな余りにも異様な音と感覚に思わず恐怖で固く閉じていた瞳を開くと
「ひ、ひだっ………いた……痛いいぃぃぃ!!」
かっ、と目を見開き吐血して涙を流しながら痛みに全身を痙攣させて震えている久遠
「……やっぱり男装なんかして、徐々に心の隙間を埋めて行くなんて駄目ね。じれったすぎるし、何よりその間にこんなのを近づけちゃうなんて……全く、断末魔までうるさいったらありゃしない」
そして、そんな久遠の後頭部に手斧を叩き込み、フリル付きの上着に青のミニスカートと言う女性らしい服装、そして『女言葉』で忌々しげにそう語る金和の姿だった
「か、金和……?」
そんなあまりにも知っている姿とは違う金和に、教室の電灯の光に照らされ怪しく輝く血染めの手斧を持つ金和に、そして目の前であっさりと久遠に致命傷を負わせた金和に、僕は震える声でそう尋ねた
「そうだよ翼、私は金和よ、赤池金和。良く知ってるでしょ?」
血溜まりの中で崩れ落ちている久遠を見ていた金和は僕の声に反応して振り向き、斧を手にしたままいかにも女性らしい口調と目付きでそう言った
「ふふ……それとも翼はオレのこの口調の方が好きなのか?」
そんな金和に僕が何も言えずに呆然としていると、金和は咳と共に口調をいつもの中性的な物へと変化させると薄く笑った
「な、何でここが……」
「それは勿論、私はいつも翼の事を見ているからだよ。知ってるよ? 翼が昨日の夜に手紙を押し付けられた事とか、ここ最近夕食をインスタントじゃなくて手作りしている事とか、ラジオに投稿する物を考える時はお風呂で考える事とか、月に一度は前のお友達と話している事とか、私とか他の誰かが家に来るとき以外はいつも同じ服を着ている事とか、全部……私は知ってるよ翼?」
「ひっ…………!」
僕の問い掛けに金和は妖しい笑みを浮かべ、そう息を吐くようにそう言い、金和の言葉はその全てが正確に的中していた。その余りの異質さに、底が見えない程の不気味さに、気が付いた時には僕の口から恐怖の声が出ていた
「だが翼、オレがそれだけ知ってても、オレが翼に耐えず近付いいてもやはり邪魔者は出てくる……なら、強行策に出るしか無い……お前なら分かるだろ?」
金和は歌うように、囁くように交互に口調を入れ換えながらそう言いって、体が震えて動けない僕に歩み寄り、屈むと、そっと手を伸ばして僕の顎を引き寄せ、嫌らしく滑らかな手付きで撫で始めた
「い、一体……っ! 一体何をする気なんだよ……僕にっ……!」
恐怖に駆られ出来る限りの力と迫力を込めて僕はそう言おとするが、隠すことも無く僕に快楽を与えんとしている金和の手付きに、こんな異常状態でありながら何故か体は意思に反して興奮してしまい、結果、僕は子犬が鳴くようなまるで迫力の無い弱々しい声しか出すことは出来なかった
「何をするかって? それは当然、私の翼を奪われないに、翼が汚されないように守るためだよ?」
そんな僕を今にも口付けをしそうな程の近距離でうっとりと見つめながら金和は答え、背後に回していた斧を正面に持ってきて再び構えた
「ま、まさか……っ!!」
その瞬間、僕が今まで感じた中で最悪の予感が走りサァッと一気に顔が青ざめるのを感じた
「大丈夫だ翼、オレはあいつとは違う。お前を下手に苦しめたりなんかするもんか。お前を絶対に殺したりなんかはしない……ちょっとの間、痛みを我慢してくれればそれでいい」
斧に付着した久遠の血を懐から取り出した布で必要に拭き取りつつ、金和は笑顔で僕に告げる。その目は黒く、いっそ純粋なまでに黒く澄んでおり一切の迷いを見せずただ僕に対する狂気的な程の愛情をぶつけていた。
「あ……あっ……」
その目を見た瞬間、僕は察してしまった。先程久遠の見せた狂気など今の金和に比べれば子供騙しに過ぎないのだと、目の前で笑う金和こそがどうしようも無く壊れているのだと
「それじゃあ、しばらくの間、おやすみ? かな、翼」
「や、やめろっ……! やめてくれぇえぇぇぇっっ!!」
僕の悲鳴と共に次の瞬間、金和が自身の頭上まで振り上げていた斧を僕の右脚に向かって振り下ろした
「うっ……ははっ……あはははっ……!!」
僕の肉と骨が絶たれる衝撃と振動、悲鳴すら出せなくなる程の地獄のような激痛の中、僕の視界に最後に映ったのは溢れ出す僕の血液を一滴すら勿体無いと言わんばかりに化粧品のように全身に塗り付けて狂気的に笑う金和の姿だった
◆
……………あれからどれくらいが過ぎたのだろう。僕は自分の首に付けられた首輪の鎖を意味も無く鳴らしながら乾きそうな心でそう思った。
僕が今、閉じ込められている場所は内部が僕の部屋の広さ程の小さな建物ながらも金和の家の、それも金和専用の別荘で、人里から少し離れた所にありながらその管理もほぼ完全に金和に任されている。らしい
現に既に何十、いや既に何百と助けを求めるメッセージを片足を失い、鎖に繋がれた状態の中送り続けてはいたが、そもそも届いていないのか無視されているのか一考に助けは来る気配は見せず、外との繋がりが窓から眺める景色でしか無い今では外界で何が起こっているのかも全く分からない。むしろ、助けを呼ぼうとしていた事を金和に気付かれ、『お仕置き』と称して食事を抜かれ、金和から泥の底より深く淀んだ一方的な愛情を体と心に刻まれてしまうのが現状だ。
もはや僕の精神が持ちそうに無い、こんな絶望だらけで、いくら声を枯らさんばかりに必死に助けを求めても誰も僕を助けに来てはくれない、歯車が回るだけのような単調な一日、そんな毎日が続くのならば……
「翼、今帰った。お、今日は助けを呼ばなかったか……ふふ……懸命な判断だ」
と、そんな時、金和がドアを開いて姿を現した。金和は僕の様子を見ると明らかに上機嫌になり、僕の頭を撫でて頬ずりを始める。その動作には一点の曇りが無い僕への溢れるくらいの愛情が込められていた。
「なぁ……金和……」
そんな金和に僕は
「僕を、思い切りお前の好きなようにしてはくれないか……?」
僕はそう言って自らの手で金和に屈した
「……!! そう……翼がそう言うのなら……あ、はははは……」
僕がその言葉を口にした瞬間、金和の表情は淫らな物に変わりたちまち僕の頭を撫でていた手はゆっくりと下へと降り僕の体を淫らな指の動きでまさぐり始めた
「翼……オレの……私の……だけの翼だ……あはは……絶対に誰にも……誰だろうと渡すもんか……」
辛抱たまらないと言った様子で金和は僕をそのまま押し倒し、服を剥ぎ取るとゆっくりと肌に舌を這わせていく。今の金和が僕を押さえ付けている力はさほど強くはなく、僕が暴れれば十二分に金和を振り払う事が出来るだろう。しかし、僕はそれを放棄して金和にされるがまま体を任せる
「(苦しみばかりの毎日が続くのなら……僕はもう諦める。……この魂を、命を、心を全て金和に捧げてしまって快楽を手に入れよう……)」
自分で考える事を止め、夢中で僕を貪る金和の姿を何処か愛おしい目で眺めていた
その日、魂の代償に手に入れた快楽はあまりにも甘美で
それは僕を二度と戻らない程に壊すには十二分だった
次回は少し過去、その2をお送りいたします。