◇第八ヤンデレ タイプ(無口)
危なかった……何とか更新達成です!あ、それと次回は特別編となります。渡が主役です
俺、氷川才蔵は尾山田高校に入学して以来、いつも皆に同じような事を聞かれる。
『音川莉菜といつも一緒にいて大丈夫なのか?』
そんな時、俺はいつも苦笑しつつこう返すのだった。
「心配してくれるのは嬉しいけど大丈夫、怖そうに見えるかもしれないけど莉菜は俺の保証する限り、人よりも優しい奴なんだ」
これは神に誓って真実で、確かに言ってしまえば莉菜は女子にしては背が高く、目つきこそ鋭いものの実際には見た目よりずっと穏和で乙女な性格だと言う事を古い付き合いになる俺は知っている。
が、悲しいことに正直にこの俺の話を信じてくれた人は両手で数えられるくらいしかいない。
実際にはその倍以上、同じことを言ったのだが聞いた人々は何か早合点して『辛くて耐えきれなくなったらいつでも言えよ』と俺の肩を叩いて励ましてくる。俺はそんなクラスメイトや友人達、先輩後輩、おまけに先生達からの一方的な気遣いを無下にする事もはばかられ、これまたいつもの如く困ったように笑う事しか出来ないのだ。
……話は少し変わるが、そんな風に皆から恐れられる莉菜が現在何をしているかと言うと。
「……ワンちゃん……もふもふ……」
俺との散歩中、公園で偶然出くわした友達の田上の愛犬『小遊三』を一心不乱に撫で回しふかふかの毛皮に顔を埋め、最高に満足そうな顔をしていた。
「莉菜……いつまで犬と遊んでるんだ?もう小一時間になるぞ」
最高に幸せそうな莉菜の肩を叩いて俺はそう告げる。時間はまだ午後3時だが正直、このまま莉菜を放置していたら日が沈むまで犬を撫でていそうだ。
「小遊三ちゃん…………」
俺に肩を叩かれた莉菜は非情に名残惜しそうに犬から顔を離す。いつだってクールなその目には気のせいでも何でもなくうっすらと涙が滲んでいた。
「(まぁ、莉菜の事だ『もっとモフモフしたいよ』とか『小遊三ちゃんと別れたくないよぉ』って考えてるんだろうなぁ……)」
言葉が少ない莉菜が思ってるであろう感情を予想し、俺は思わず苦笑した。
「また、明日会えばいいだろう?な?」
「…………」
俺はまだ半泣きの莉菜にそう言ってどうにか励まそうと試みる。しかし莉菜はこれが永久の別れでもあるように目から涙を流して小遊三を見つめていた。こんな時でも表情がほとんど変わらないのは莉菜らしいが。
「仕方ないな……」
このままじゃ、いつまで立っても解決しそうに無い。そう思った俺は可哀想だとは思いながらも、莉菜の腕を引き、多少引きずるような形で莉菜を引っ張っていく。
「悪いな、迷惑かけたな田上。牡丹ちゃんもごめんな」
「あ、あぁ……またな」
公園から出る直前、莉菜の腕を引きながら俺は普段日常で見るのとは余りにもかけ離れた莉菜の姿ににまだ多少狼狽えてる小遊三の飼い主、田上。
「ふぇ…………」
そして田上に近付く莉菜に嫉妬したような表情だったが田上と同じく今は目を点にして、開いた口が塞がらない様子の田上曰く妹のような彼女、牡丹ちゃんの二人に頭を下げると、俺は公園から出ていった。
「全く……犬が好きなのは分かるけ……何してんの莉菜」
公園を出てから俺は莉菜に説教を……しようとした所で莉菜の胸に引き寄せられ、結果的に莉菜に背後から抱き締められる形になった。正直、背中から感じる柔らかさがたまらなく、危うく理性を失いそうになった。
「もふもふ……」
俺が何とか自分の欲望と格闘していると、莉菜はぼそりとそう呟き、俺の頭を一心不乱に撫で回し始めた。
「莉菜、あのな誰だって見れば分かると思うが俺は犬じゃないんだぞ?モフモフは止めて」
別に髪をセットしていたり、分け目に命をかけたりはしないからヘアスタイルが台風の直撃を受けたかのように乱れまくっても俺は構わない。だが、自分より大きな女の子に抱き寄せられて頭を撫でて貰っている、という構図は恥ずかしくてかなわない。
今も、井戸端会議中らしい主夫達に微笑ましい物を見るような目で見られていて俺の精神の耐久力は長く持ちそうに無い。
「もふ……」
が、俺の願いを華麗にスルーした莉菜は頭を撫でつつ片手では俺の顎の下や頬を撫で回し始めた。確かに柔らかく細長い莉菜の指が肌を触る感触は非常に心もちは良いが、ますます恥ずかしい。が、莉菜は止める素振りすら見せない。
「はぁ……」
結局、何も名案が思い付かなかった俺は数十分後、莉菜が飽きて俺を解放するまで周囲の視線に耐えながら撫で回され続けるのであった。
◇
一瞬、それだけで勝負は決まり、竹刀での一発で莉菜と戦っていた部員は衝撃で床にひっくり返り、そのまま試合が終了した。
「凄いな……俺は剣道のル-ルは全然分からないけど莉菜が凄いのは分かる」
そんな圧倒的とも言える我が学校の剣道部道場、そこで行われてる時期剣道部長決定戦と言う豪快な部活内での莉菜の試合の様子を見ながら正座で床に腰掛け、右手には熱い緑茶、左手に莓大福を持ちながら見物していた俺はそう呟く。
「音川の試合の見物か?才蔵」
俺が相手を対戦相手に手を差し伸べて助け起こし一礼する莉菜をぼうっとしているとそう横から声をかけられた。
「おう渡……ってか、何、勝手に食ってんだよ」
声のした方向を見てみると、そこには防具を外し胴着姿の渡が俺の隣にあぐらで腰掛け、俺が持ってきた紙袋、その中に入っていた莓大福を一つ手に取り食べていた。
「あぁ、それは悪かった謝ろう、すまんな」
俺が軽く睨み付けたが渡は全く怯まずに俺にそう言うと軽く頭を下げ、再び莓大福を口に頬張った。そんな、ある意味では堂々とした渡の態度に俺は思わず溜め息を付いた。
「全く……ところでお前の試合は?」
「ん……俺の今日のぶんの試合は、先程の試合で既に終わった。何とか全勝……と、言った所か」
俺の問いに渡は莓大福を飲み込み答える。本人は何とか、と言っているが渡の胴着や顔からは全く汗が出た様子は無く呼吸も乱れてる様子は無い事から、実際に『何とか』だったのは限りなく怪しい。
「……才蔵?」
と、俺がそう渡と会話しているといつの間にか俺の正面に莉菜が立っていた。莉菜は渡と違い防具はまだ付けているが面は外しており、淡い水色をしたセミロングの莉菜の髪があらわになっていた。
「あぁ莉菜、試合を見ていたよ。その……かっこよかったな」
「そう…………」
俺の言葉を聞くと莉菜は俺から視線を外し、首にかけたタオルで汗を拭き取りながら消え入りそうな小さい声でそう返事を返す。一見、端から見れば冷たい態度に見えるが俺はそれが莉菜の照れ隠しだと言うことを良く知っていた。
「お菓子……莓大福を持ってきたんだが食べるか?」
「…………!」
俺がそう言って、莓大福が入った紙袋を差し出すと莉菜はくわっと言った様子で目を放さず見開き音速と見間違うばかりの速度で莓大福を受け取り、即座に包みを剥がすと口に運んだ。
「……!……っ!」
莓大福を口にした瞬間から見開いた莉菜の瞳は星の如くキラキラと輝き、声にならない歓声を上げて喜びを見せた。
「ははっ……気に入ってくれて嬉しいよ」
その、外見は長身で鋭い眼差しをした莉菜からは想像出来ないほど無邪気な『女の子』の姿に俺は思わず笑みを隠しきれなかった。
「む…………」
すると莉菜はそんなクスクス笑う俺の態度が面白くないのか、いつもしかめっ面のような顔をますますしかめ、軽く俺の胸を拳で小突いてきた。
「ははっ……ごめんごめん……」
「お茶も頂戴……」
わりと痛いその拳に思わず降参すると、莉菜はぶすっとした表情のまま俺に向かって手を差し伸ばしてきた。
「はいはい」
俺はそれに従い、素直に莉菜に自前のペットボトルに入った冷たいお茶をキャップを緩めてから渡す。
「……………」
不機嫌そうな表情のまま俺から莉菜は俺からペットボトルを受けとり蓋を開くと、間髪入れず一気で飲み干した。
「ありがとう……」
「どういたしまして」
飲み干したペットボトルを無造作に返す莉菜に俺は笑顔でそう返す
「ごめん……」
と、直後、目をそらし本当に小さい声で莉菜はそう言った。
「気にしない、気にしない、俺は大丈夫だから」
そんな見た目よりずっと純粋な莉菜の姿が愛しくて俺は気付けば自然と再び笑顔を浮かべていた。
「どうやら俺はお二人の邪魔らしいから退散させて貰うよ……と」
そんな俺達の会話を聞いていたらしい渡は、何か納得しかのような顔を見せ、そう言うと急に立ち上がり持ってきた手荷物を取りって道場の男子更衣室に向けて立ち去って行く。
「あとは、許嫁(仮)の二人で仲良くしておけよ」
「んなっ……!?」
最後にしれっとした顔でそんな爆弾を俺に投下しながら。
「……………………」
恥ずかしさでどうにかなりそうな頭を無理矢理引っ張たいて横に立つ莉菜を見てみれば、莉菜は完全にフリーズし、ぴしり指先までも時間が止まってしまったのごとく硬直していた。
「莉菜!?……おい、大丈夫か?」
こういう時の莉菜は緊張の余り頭が真っ白になってしまった時だ。それを知ってる俺は莉菜の肩を軽く揺すって声をかけ、何とか意識を覚醒させようと試みる。
「あ、あう………ん」
俺が数回ほど揺さぶった時だろうか、莉菜は瞬きと共に意識を取り戻し、小さく声をあげた。
「本当に、大丈夫か莉菜?」
「…………どうして渡君が?」
調子を取り戻そうとばかりに軽く手首と足首を動かす莉菜の呟きに俺は思わずビクリと背を動かした。
思い返すのは風邪により、莉菜不在の中で行われた、田上に牡丹ちゃん、渡に志波と言った身内と偶々店に来ていた樋村姉と草部兄をも巻き込み、何が何やら分からなくなるまで澤井だ先日のカラオケ大会。そのカラオケ大会にてテンションが最高潮にまで上がった自分は酔ってもないのに皆の前で言ってしまったのだ。自分と莉菜、どちらも相手の家の家業を継ぐ必要は無いが親同士の約束で将来、自分と莉菜が結婚すると言う事を。
「…………才蔵?」
ずっと黙っている俺を疑問に感じたのか横から莉菜が不思議そうな顔で俺を見てきた。が、今の俺はそんな事を気にしてる様子は無い。
「(まずい……あのカラオケでの事が莉菜に気付かれたら絶対に莉菜は本気で怒る!)」
昔、一度だけ莉菜を本気で怒らせた事があったがあれはちょっとした悪夢だった。
表面上こそいつもの莉菜と変わらないものの、その視線は日本刀の刃のようにしか鋭く輝き、何も言うことが出来ないほどの圧倒的迫力で体に穴が空き、そのまま突き抜けていきそうな程に無言で睨み付けてくるのだ。正直、未だに思い出すだけで胃がシクシクと痛み体は無意識に小刻みに震える。
「大丈夫…………?」
「!?」
どうすれば莉菜に怒られないか一生懸命に考えていた俺は莉菜の接近に気付かず、気付いた瞬間には莉菜はそっと俺の額に自分の額をくっ付け、密着させていた。そんな不意打ちに等しい莉菜の行動に俺は声にならない声をあげた。
「お、おい、あれって……!?」
「さすが莉菜先輩……大胆……」
「なるほど……普段は強面の莉菜先輩の試合後の火照った体を……これだっ!」
その瞬間、突如、道場にいた剣道部員や観戦に来ていた生徒達のざわめきが倍以上に膨れ上がり、俺と莉菜に向けられる視線もそれに乗じて集まっていく。
考えて見れば当たり前だ、実際は莉菜はただ額をくっ付けているだけだなのだが、その距離が余りにも近いため、知らぬ人間が遠目から見れば俺と莉菜が、人が大勢いる道場でキスをしているようにしか見えない。
「熱は無いみたいだけど……」
「り、莉菜っ……!」
その事に気付いていない莉菜は俺の額から顔を離し、不思議そうに小首を傾げる。そんな莉菜に俺は次第に上昇して行く顔の熱さを堪えつつ、周囲を指差しながら必死に伝えようと試みた。
「……?…………あっ」
その瞬間、莉菜は自分がした事に気付いたらしく頬を一瞬にして赤く染めた。
「…………………っ!」
次の瞬間、莉菜は恥ずかしさに耐えきれなくなったようで、凄まじい早さで剣道場の外へと走り出していった。
次の試合は大丈夫なのか?と、呼び止めようとして壁に書かれていた本日の試合日程を見てみると、莉菜の今日の試合は先程の一戦で終了していた。慌てているようで、そこは冷静だったらしい。
「はっ……!?」
と、ふと気付けば俺と莉菜に向けられた多くの視線は俺一人に向けられ、その視線は無言で『早く追いかけろこの馬鹿』と強く主張していた。
「ま、待ってくれよ莉菜ぁぁぁっ!!」
それを感じ取った瞬間には、俺は自分でも間抜けだと感じる声で手早く荷物を取ると莉菜を追いかけて走り出した。恥ずかしくて仕方がない光景だが少なくともあの半ば殺気が込められた視線が渦巻くこの空間にいるよりはずっとマシ。俺はそう思いながら決して振り返らず足を動かし続けるのであった。
◇
「…………………」
「な、なぁ……そろそろ許してくれないか?」
放課後、元々鋭い目を平常時よりさらにつり上げ、口はむすっとした様子で固く閉ざし、おまけに俺を引きはなそうとしているのか明らかにいつもより早い歩調で前を歩く莉菜。それを俺は何とか説得しようと先程から言葉をかけている。のだが
「……………」
莉菜は一向に俺の話しすら聞いてくれず、背中に背負った竹刀入りの長い袋を許しながら黙々と帰り道であり、俺と莉菜のいつもの散歩コースである公園を歩き続ける。
こうなった原因は単純、皆の刺すような視線から逃げて莉菜と合流した俺は、慌てていたのか冷静になった今考えて見れば必死過ぎる勢いで莉菜を慰めようと奮闘し、その結果、つい隠すべきだったカラオケ店での話を口にしてしまったのだ。全く、我ながら信じがたい失態である。
「本っ当にっ!反省してるから!何でもするから……莉菜ぁ……」
何とか許して貰おうと莉菜の背中にすがり付くように俺はそう懇願する。と、その瞬間、莉菜はぴたりと足を止めた。
「反省してるなら…………」
「う、うん!反省してるって!!」
ようやく口を開いてくれた莉菜に、俺は思わずバネ仕掛けのおもちゃの如く首を縦に降って肯定する。が、次の瞬間、莉菜の口から放たれたのは想像の斜め上を行く言葉だった。
「この前みたいにモフモフ…………させて?」
「はいぃ?」
予想外過ぎる莉菜の要求に、気付いた時には先程のまでの緊張感も忘れ、俺は間抜けな声をあげていた。
「才蔵から言い出したんだよ……?」
莉菜は振り向きながら軽く挑発するように俺にそう言う。確かに勢いに任せて『何でもする』と言ったのは俺だ。でもだからと言ってこんな事を頼まれるなどと一体誰が予想出来るだろうか?
「それとも……才蔵は自分から言った事に責任を持てないような………」
「わかったよ……引き受けた」
再び莉菜が何か言おうとしていた所で俺は割り込むように話に入り込み、莉菜を止めるとそのまま肩の力を抜き、無防備な姿を莉菜に見せた。
「……………」
莉菜はそんな俺に無言で近よると、正面から胸に抱き寄せた。
「才蔵………あったかい……」
そう小さな声で呟くと、莉菜は片手で俺の髪を毛並みにそって緩やかに撫で始めた。
「おっ………おいっ!許可はしたけど何もこんな人の目につくところっ……」
慌てて俺がそう莉菜に抗議すると、莉菜は無言のまま俺の頭を撫で回しながら、つっ、と俺を運びながら動いて大小様々な木々が並ぶ近くの茂みへと入り込んだ。
「これで大丈夫…………」
気のせいか若干、得意気な表情でそう言う莉菜。いや、確かに理屈ではそうなのかもしれないが『この公園の茂みに隠れて何かをする二人』シチュエーションが非常に危うく、おまけに今、俺は莉菜に抱き寄せられてる為に顔が莉菜の胸の膨らみに押し付けられているという見かけた人に通報されても仕方が無い状態なのだ。
「……………………♪」
が、莉菜はそんな事はまるで気にしていないようで気分が良さそうに俺の頭を撫で回し、時折何が楽しいのか思春期ゆえに剃り方が良く分からず、結果俺の顎にうっすら生えてる髭や軽く怪我をしてかさぶたが出来ている頬を一心不乱に撫でている。
「(仕方ない……約束もあるし、莉菜が飽きるまで我慢しておくか)」
心底、楽しそうな莉菜を見て内心溜め息を吐きながら俺は大人しく莉菜に体を預ける事にした。
と、その時だった
突如、茂みの向こう、さっきまで俺と莉菜が歩いていた道から特徴的な荒い呼吸音と四足歩行の動物の軽い足音、そのすぐ後に二人の人間の足音と良く聞慣れた男の声が聞こえた。……この時間帯、かつこの場所、そして二人組……もしかしなくてもこれは。
「小遊三ちゃん……っ!?」
大の犬好きが成せる技か莉菜は俺より早く、近付いて来る相手の招待を見破ったらしく、我を忘れたのか軽くジャンプして茂みの中から飛び出した。
俺を抱き締めたまま
「おいっ……ちょっ……!」
俺は慌てて抗議し、何とか莉菜の腕の中から脱出しようともがくが。
「さ、才蔵に音川……お前………」
「ふわっ……大胆ですね……」
呆然としたような口調で順番にそう言う田上に牡丹ちゃん。そう、全ては手遅れだったのだ。
「ごめんなさい…………」
そんなどうしようも無い現状に今になって気付いたのか莉菜はそう言って、俺に謝った。ただ、気が動転しているのかいまだに俺を抱き締めているままだが。そして、俺は
「はっ、ははっ、ははははは………」
恥ずかしさやら何やら色んな感情が混ぜ合わされ自分でも訳が分からなくなった結果、笑ってるとも泣いてるともつかないような奇妙な声を上げていた。
「えっ……えっと……」
「ふぇ……………」
「……………………」
そんな俺をどうしたらいいのか田上も牡丹ちゃん、莉菜でさえも分からないらしく、三人ともただ俺を見ていた。無理も無い、当の俺自身でも今の感情はどう表現すべきか想像も付かないのだ。が、はっきりとこれだけは断定する事が出来る。
「(こんな体験、二度とごめんだ……)」
僅かに視界に映る沈み始めた夕日が今日は妙に滲んで見えた。
◇
「うん、俺は大丈夫……そう大丈夫なんだ……きっと」
日曜日、数日前のトラウマを何とか払拭出来るように口に出して呟きながら通学用の制服では無く、学校指定のジャージを着た俺は自宅の玄関の扉を開けて朝日が照らす外へと出ていった。
あの出来事があって以来、剣道場には行き辛かったが『部活外での予想してない怪我』で棄権しながらも全試合を見ていたらしい渡の話によると、あれから莉菜は順調に勝ち続け今日は決勝戦が朝から行われるらしい。
「さすがに決勝戦くらいは見に行った方がいいよなぁ……いくら仮とは言っても莉菜とは許嫁……って事になってるし」
そんな事を朝が早く、辺りには人がまばらな事に気付いていた俺は静かに声に出してそう口にした。
思い出して見れば莉菜との出会いは非常に唐突だった。
ようやく来年から小学校に入れるとわくわくしていた誕生日の日、父に連れられるまま見たことも無いほどに広い純和風の屋敷へと行き、通させれた汚れや綻び一つ無い和室で訳も分からずに混乱していると、襖が開き俺と同世代のくらいの薄い水色の髪を肩まで伸ばし無表情な顔をした少女が睨むような目で俺を見ながら入って来たのだ。
そして、間も置かず連発し続ける急な出来事に対応出来ずますます混乱した俺に、俺の父と少女の父と名乗った男は同時に六歳になったばかりの俺と少女、莉菜に告げたのだ。
「『この子がお前達が将来、結婚する相手だよ』……って、六歳の子供にいきなりそんな事を言うなんて、何を考えてるんだよ俺の父さんも、莉菜の親父さんも……」
過去の事を思いだし、今になっても相変わらず理解出来ない行動に思わず溜め息がこぼれる。
あの日から俺と莉菜は父の強い進めと策略で何かと顔を合わせるようになった。
そこで最初こそ父により半ば強制的に二人きりの個室で莉菜とコミュニケーションを取らされた俺は、やけくそ気味に話を交わすうちに、初対面で俺を睨んでいたように見えていた莉菜は実の所ガチガチに緊張しており失礼の無いように俺から視線を離さないように心掛けた結果ああなってしまった事を知り。クールな態度で気が強そうな莉菜の顔からは想像できない程に動物や花が好きで夢中になると自然と顔が緩み蕩けきった満面の笑みを見せるというかわいらしい部分を知り。何よりしっかり俺を気遣い思っていてくれる優しさを知り、気付いた時には父から何も言われずとも俺は毎日と言っても良いくらい莉菜と行動を共にしていた。
そして、莉菜と共に様々な事を経験した俺は莉菜に惚れていた。
「こうやって想うのは簡単なんだけど、本人には中々言えないんだよなぁ……はぁ……」
過去の記憶を呼び覚ました事で、自分が莉菜に惚れていると知って数年が過ぎようとしているのにも関わらず『好き』と伝えられていない現状を思い出して思わず俺は溜め息をついた。
「あげくの果てには躊躇してたら莉菜に先に告白されるし……」
そう、自分の気持ちに気付いたのにも関わらず、勇気が出ずにウジウジとしていた俺とは正反対に莉菜は、あくる日の放課後、人気が無くなったのを確認すると正面から俺に向かって『あなたの全てが欲しい』と少女マンガの如く(男女の立ち位置が逆ではあるけれど)堂々と告白して見せたのだ。自分の優柔不断のせいで女の子からそんな行動をさせるのはなんでも男として情けない。
「………よしっ!」
そこまで考え俺は歩きながら自分の両頬を叩いて気合いを入れる。車道のすぐ近くを歩いていた為、頬を叩くために広げた腕が通りすぎる黒い車と接触しそうになったが、そんな事は気にしていられない。
「決めた、今日!今日、莉菜に告白しよう!……り、莉菜が優勝したら」
想いの丈を口にして叫ぶ俺ではあったが、途中から臆病風に吹かれ無意識につまらない妥協をしてしまった。
「(我ながら大丈夫なんだろうか……)」
早くも暗雲が立ち込め始めた計画に不安を感じながらも俺は歩みは止めず、車道に近い道を逸れて右に曲がる。この道をあと少し行けば学校に辿り着く、時間は時計は持ってないが出掛ける時の時間から考えて多分セーフ。そう思いながら俺が足を進めた瞬間。
バチッバチバチッッ!
例えるならばそんな音が俺の頭の後ろから聞こえた。
「な……」
『なんだ一体!?』そう言いながら俺は振り向こうとしたが、音から一瞬遅れてやって来た金槌で強打されたような痛みが後頭部と首に襲いかかり、激痛で言葉は発せず、意識は飛ばされ視界は霞んでゆく。
「がっ………」
意識をはっきりと保つ事が出来ず仰向けの形で地面に崩れ落ちた俺の目に、背後に立っていた俺を襲撃したであろう犯人、黒のフルフェイスのヘルメットに同色のライダースーツ、手にスタンガンを持った大柄な男の姿が映る。さらに見てれば男の背後に駐車している一台の車、それはまさに先程俺のすぐ近くを通り過ぎた黒い車であった。
「(ごめん莉菜………)」
指一本も動かす事が出来ずどうにもならないこの状況を呪い、俺は最後に莉菜に謝罪する。その瞬間、視界はホワイトアウトを起こし俺は完全に意識を失ってしまった。
◇
「………おい、これで本当に一人、10万の報酬が手に入るんだろうな?」
「あぁ、間違いない。後はこのガキを人質にして脅迫の電話をすれば良いだけだ」
互いに確認するような二つの声が耳に入り、それが合図だったかのように俺の意識は覚醒した。
「(う、うぅ…………)」
半開きの形で目を開いてみると、目に入って来たのは所々に汚れが滲んでいる二つの座席とそれに腰掛けて会話する二人の男、一人は助手席に座るライダースーツの上から上着を羽織った細身の男。もう一人は中肉中背の体にやたら派手なピアスを耳や鼻に開けた雑に染めた金髪が目立つ運転席に座る男。そして弱い光に照らされて小さく光るフロントガラス。目に映る車の特徴も二人の男も全く記憶に無く混乱する俺だった。が
「(…………っ!?)」
直後、学校へと向かっていた途中、現在進行形で目の前で仲間らしき金髪の男と話をしているライダースーツを着た細身の男に襲撃された事をフラッシュバックのように急激に思い出し、俺は叫びそうになる声を必死に噛み殺した。
心臓の動悸を押さえ無理矢理に頭を冷静にして辺りを観察して見ると、俺は両手両足を拘束された情態で車の後部座席に寝転がされているようで、未だに俺を放置して二人で顔付き合わせて会話を続けている襲撃者である男達に気付かれないように、そっと動かしたり力を入れては見たものの俺を拘束する太い縄はしっかり結ばれてほどけそうにも切れそうにも無い。フロントガラスやサイドガラスから見える地味な色が目立つ無機質な風景から判断すると、どうやら俺と犯人達が乗った車はどこかの駐車場で停車しているようだった。
「(くっ……そ……)」
一瞬だけ目の前で話を続ける犯人達に気付かれるのを承知で助けを求めて叫んで見るのも考えたが、ご丁寧にも俺の口には猿ぐつわがされ、二つの窓から見る限り車も人の影も見当たらない。これでは叫んで助けを求めると言う手は余りにも危険すぎる。かと言ってすぐには現状を解決できるような手は思い付かず、俺は内心舌打ちをした。
「……おいっ!……待っ!?くそっ……!」
「おい、どうした?」
と、そこでイラついた様子の金髪の男が聞こえ、俺は慌てて眼を閉じ、代わりに聴覚に意識を集中させた。
「どうしたもこうしたも、このガキを拐ったって言ったた瞬間、あのガキ電話切りやがったんだよ!脅す暇すら無かったぜ」
「なんだと!?」
「(んん……?)」
一字一句逃さないように二人の話を聞いていた俺はそこで違和感を感じた。
「(『あのガキ』……?こいつらは俺の両親や学校に電話したのでは無いのか?こいつらは身代金が目的で俺を誘拐したのでは無いのか?)」
僅かに抱いた少しの違和感は見る間に膨れ上がり、あっという間に俺の思考を支配していく。
「……こちらの話が本気と取られて無いのかも知れないな」
「なるほどな……へへっ、じゃあ……」
と、その時、金髪の男のせせら笑うような声が聞こえ、嫌な予感がした俺が眼を開こうとした瞬間。
「がはぁっ!?」
「電話越しに、あのガキの大事な大事なこいつの悲鳴を聞かせてやればよぉ!俺達が本気だと分かるだろぉ!?」
腹に運転席に座る金髪の男から放たれたストレートが打ち込まれ俺は否応なしに開きかけていた目を前回までかっ広げ、一瞬、呼吸が出来なくなる程の衝撃に声にならぬ悲鳴をあげた。
「おらぁ!もっと叫べ!!あのガキが黙っ俺達の言うことを聞きたくなる程になぁ!」
「うっ……ぐあぁぁ……!」
俺の叫び声で気を良くしたのか金髪の男はニヤニヤと笑いながら、俺の顔、腹に次から次へと拳を打ち込んで行く。拘束されてる故にガードして受けることも避ける事も出来ない俺は悲鳴を上げながらエビの如く背を丸める事くらいしか出来なかった。
「へへへ……もう一発!」
「……叫び声は十分に録れた、そこまでにしておけ。死なれたら元も子も無いだろう」
と、そこでさっきから俺の叫び声を録音していたライダースーツ姿の男が金髪の男の肩に手を当てて止める。
「ちっ……分かったよ……まぁ、俺もこいつを殴ってある程度スッキリしたしな」
金髪の男は渋々と言った感じでライダースーツ姿の男の忠告を受け入れ、再び振り上げた拳をゆっくりと下ろす。と、その時だった
ガコン
「あっ……?」
突然、車の屋根に何かが当たると大きな衝撃音が響いて車は左右に揺れ、金髪の男は訝しげに車の天井を睨んだ。
「(な、何だ………?)」
俺もまた痛む体を堪えて、涙が滲む目で天井に視線を移す。さっきの音の大きさからして明らかに偶然にも何かが車の屋根に落ちてきた……と言うのは考えにくい。では一体何だ?
「……お前、ちょっと外に出て車の屋根、それから半径3mくらいの車の周囲の様子を確認してこい」
と、そこで一人、腕組みしながら何かを考えるように沈黙していたライダースーツ姿の男が左手で外を指差し、金髪の男に指示を出す。
「何だよ、なんで俺がそんな面倒くさい事しなきゃいけないんだよ」
「あのなぁ……万が一にでも金を受けとる前に後部座席で拘束されたコイツを誰かに見られてみろ。俺達は逮捕、金は一円だって手に入らないばかりか自由まで無くす。苦労しておいて、こんな馬鹿らしい話があるか?」
指示を出された金髪の男が面倒臭そうに自分の髪を弄りながら反論すると、ライダースーツの男は大きな溜め息と共に、息も付かせない程の勢いで一気にそう論ずる。が、金髪の男は話が終わっても不満そうにライダースーツ姿の音を見ていた。
「……さっき俺が言った全工程を含めても時間は五分もかからない。俺がお前のミスをフォローした時間はその十倍以上はあるはずだが?」
そんな金髪の男にライダースーツ姿の男がだめ押しとばかりにそう言うと、金髪の男は小さく舌打ちをすると乱暴に車のドアを開き、ズカズカと歩いて外の駐車場へと出ていった。
「少しは慎重に行動しろと言ってるのに……」
ドアが閉じるとライダースーツ姿の男は頭を抱えてそう愚痴を漏らす。そんな男の声を当然の如く聞いては無かったであろう金髪の男は車の周囲を特に注意や警戒している様子も無く本当にただ一周だけ歩き、車の屋根に一瞬だけ視線を映すとすぐに自分が出てきた車の運転席側のドアを開くと苛つきを隠さない様子でライダースーツ姿の男に言う。
「確認終わり!何も異常もクソもねぇよ!」
「お前っ!いい加減に……っ!!」
そんな横柄過ぎる金髪の男の態度に遂に堪忍袋の尾が切れたのかライダースーツの男が声を荒げて金髪の男に怒鳴りかかる。それに対して金髪の男も上等だと言わんばかりに拳をライダースーツ姿の男に向かって構え、今にも殴りあいの喧嘩が始まろうとした時だった。
ぷつり
「「えっ………?」」
短い音が聞こえた。そう思った時にはライダースーツ姿の男に向けていたはずの金髪の男の左手首から先が宙を舞ってた。
「「「…………………」」」
俺もライダースーツ姿の男も、そして金髪の男までもが理解不能の事態に硬直していかの如く何も動けず語ることも出来ずに、ただ放物線を描いて飛んで行く手首を見ていた。すると、やがて手首は車の屋根に当たるとそれ以上自力で飛ぶ力を失い、軽い音を立てると運転席の背もたれ部分へと着地した。
「あっ、ああぁぁっ!?ぎゃああぁぁぁぁっっ!!」
その瞬間、止められた時が再び動き出したかのように切り落とされた金髪男の腕から血が壊れたホースのように溢れ、男の悲鳴が周囲に鳴り響く。
「なっ……何が……一体っ……!……何も……『何も見えなかった』ぞ!?」
俺が目覚めた時から変わらず冷静な態度を貫き続けていたライダースーツ姿の男の声が震える。そして俺もまた、常軌を逸したこの光景を見た瞬間から冷や汗が瞬時にして全身から噴き出し、気付いた時には歯が勝手にカチカチと鳴り出していた。
そう、金髪の男の腕は確かに『何か』によって切断された。しかし俺には、そしてライダースーツの男もまた襲撃者どころが金髪男の腕を切断した物体の影すら捕らえる事が出来なかった。そして、その代わりとでも言うように気付けば周囲には濃密で息も出来なく程の殺気が充満していた。
「きっ……救急車……病院っ……!」
そんな中、金髪の男は痛みを堪え、うわ言のように呟きながら車へと歩き、大事そうに落ちた自分の左手首を車にダッシュボードに乗せる。まだ切り落とされた左手首には血が残っていたらしく、男が手首を置いたダッシュボードには小さな血だまりが作り上げられ、それを見たライダースーツ姿の男は目を見開いて小さく悲鳴を上げる。
「早く病院に行かねぇと……早く病院にっ!」
そんな事にも構っている暇は無いのか金髪男は車のキーを回してエンジンをかけてサイドブレーキを下ろすとそのまま足を一気に踏み込んで走り出そうとする。が、
「な、何で動かないんだよっ!?」
何故か車は全く動き出さず、金髪男は半狂乱になったかのようにキーを回してエンジンを空吹かし、足を無茶苦茶に動かす。
「お、お前……その足っ……!?」
と、その時、ライダースーツ姿の男が金髪男の異変に気付いて叫び、それと同時に俺は運転席の下から後部座席へと流れてくる『切られた手首から流れるにしても余りにも多すぎる血液』に気付いた。
「俺の足が!足があぁぁぁぁぁああっ!!」
耳を塞ぎたくなる程の男の激痛に苦しむ声が狭い車内に響く。余りにも酷い光景に俺は慌てて目を閉じようとしたが、それより一瞬早く俺の目に痛みのあまり運転席で激しくもがく金髪の男の異様な程に滑らかに切られ、血が止まらない足の断面から赤の中ではっきりと目立つ白い骨が覗いているのを見てしまった。
「うっ……くっそおお!!」
そこで、堪えきれなくなったのか助手席のドアが開く音がし、未だに苦しんでいる金髪の男を見捨てるかのようにライダースーツの男が外へと向かって走り出す音が聞こえた。
「なっ!?ぞっ!ん"な馬鹿な"ぁぁぁぁ……」
しかし次の瞬間にはくぐもった様子のライダースーツ姿の男の声と崩れ落ちる音、車のサイドガラスに飛び散った液体が叩きつけられる音が響いた。
「うっ……わっああああああぁぁっ!!」
そこで既に限界に近かった俺の中の恐怖は最大まで膨れ上がり気付いた時には俺は自分の鼓膜がびりびりと震える程の大声で叫んでいた。これ以上血と悲鳴が入り混じった悪夢のような音を聞かない為に、少しでもこの状況から逃れて現実逃避出来るように。
「はぁはぁ……あああぁぁぁぁっ……!!」
そんな無茶が長く続くはずも無く、すぐに俺の声は枯れ息も乱れ始めた。それでも呼吸をしながらもなお俺は叫び続ける。と、そんな時だった。
ねちょり
「うっ……ぁぁっ……?」
突如、呼吸の合間に聞こえる、弱くなってきた金髪男の悲鳴に混じってそんな鈍くて小さい、しかし聞いただけで全身の身の毛がよだち叫ぶことも忘れてしまうような不気味な音が俺のすぐ近く、後部座席の窓から聞こえてきた。
「(な、何だ……!?)」
男たちに誘拐された時とは別次元の未知なる恐怖に自然と俺は先程まで叫んでいたのにも関わらず声を押さえ、目を閉じたまま拘束された体をどうにか引き寄せて身を小さくしようと試みる。
ねちょり、ぺたっ
が、そんな俺を追跡するかのように不気味な音が再び響き、今度は窓から覗きこむように俺を射ぬく強烈な視線までもが襲いかかってきた。
「(一体なんなんだ!?こいつは一体!!)」
未知の相手に対する不安が俺の心を支配し、心臓は痛いくらいに鳴り続ける。不安と恐怖でおかしくなりそうだ。しかし、そんな状況の中、俺の心の中にある思いが浮かび始める。
「(何も言わないし殆ど動いてない……俺に視線を向けてくるだけ!?……こいつ本当に一体何者だ?奴等の三人目の仲間である事はほぼ無いとして……仮にあの二人を斬った犯人だとしても……ますます分からない!何もせずに俺を窓から見ているだけってどういう事なんだ!?何が目的なんだ!?)」
疑問だらけの現状と膨れる疑問。が、このまま未知の相手の恐怖に怯えて目を閉ざして考えても納得出来るような考えが浮かぶとは思えない。そこで俺は恐怖で枯れ果てそうな勇気を無理矢理絞りだし、ある一つの決断を下した。
「(一瞬、一瞬だけ目を開いて覗き込んでるヤツの顔を見よう!一瞬なら気付かれないだろうし……このまま怯えているだけじゃ何も変わらない!大丈夫……きっと……きっと大丈夫なんだ!)」
精一杯心の中で自分を励ます言葉を呟くと、次の瞬間、俺は先程からずっと閉じてた目を全開まで開いた。
そして、直ぐ様俺は盛大に後悔した。『目を開くべきでは無かった』と
「…………………………」
二人分の血液でまだらに赤くコーティングガラスから俺を覗いていたのは般若の面をつけ、髪を隠すように頭に手拭いを巻いた一人の人間だった。右手に握っている二人を斬った凶器らしき長刀は不思議な事に血は殆ど付着しておらず不気味に詰めたく白銀に輝き、それと反対に着ている青い作務衣は二人を切り捨てた時の返り血に染まって不気味な斑を形作っている。
そして、般若面の目の中心部分に開けられたのぞき穴から見える人間の目は瞬きする様子すら無く俺を凝視し続け、それは欲望や執着等と言った生優しい言葉では表現できないような凄まじいまでの念が込められた視線だった。
「ひっ、ひっ……あ、あぁぁ……」
まるで物語の中の悪鬼のようなその恐ろしい姿に思わず腰が抜けて声が震える。
そして、迫り来る恐怖に耐えかねた俺はそのまま気を失ってしまった。
◇
「……は、……せん。後は………です……」
「……ます……私……先生……」
どこかで誰かが話す声が聞こえる、はっきりとは聞き取れないが語調からして何か俺を思いやってくれているように感じた。手にも足にも縄の感覚は無く体は自由で痛みは全く無い。覚醒しかかった意識の中、俺がその声をどうにか聞き取ろうした時だった。
ぞわり
そんな瞬時にして鳥肌が立つ感覚が俺に襲いかかる。この気配はーー間違いないーー奴の、般若面のーー
「うっわぁぁぁぁぁぁあああぁぁぁっっ!!」
次の瞬間には俺は叫び、自分が寝かされていた病院のベッドから飛び起きた。軽く目眩がして視界がぐらつくし足は裸足だ。だが、そんな事は関係ない。足が動く、ならば奴から早く逃げなくてはならない。この場から逃げなくてはならない。早く早く早く早く早く……っ!
勢いのまま俺はベッドを飛び降り、一目散に病室の出口に向かって裸足のまま走り出す。急がなくては奴が!奴が!
「…………待って」
と、そんな俺の前に誰かが立ちふさがる。何をやってる!?奴に殺されたいのか!?じゃまするなら突き飛ばしてやろうかとばかりに俺は真っ直ぐにじゃま者に向かって全速力で走り出す。その瞬間
「落ち着いて……才蔵」
そっと包み込むように俺の体は抱きよせられ、耳元で優しく名を呼ばれた。そして、すぐ近くから漂うよく落ち着く香りに、瞬時にして俺は冷静さを取り戻した。
「り……な……?」
消え入りそうな声で小さく俺は呟く。制服姿の莉菜に優しく抱き締められた状態で発せられた俺の声はまるで俺が母親を求めるような子供に退行してしまったかのように感じた。
「……辛い目にあったんだね才蔵」
そんな俺を瞳に涙を浮かべながら莉菜は抱き締め続ける。それだけで莉菜が俺を思いやってくれている気持ちが伝わり、俺の恐怖が霧を晴らすかのように消えていく。温もりと優しさがそこには溢れていたのだ。
「もう大丈夫……私が守るから」
目元の涙を拭い、莉菜がそう俺に微笑みかけた瞬間。それが限界だった。俺は子供のように莉菜の胸元で泣きわめき、莉菜はそれを自身の服が俺の涙や鼻水で汚れるのにも関わらず、優しく包み込んでくれた。その姿はまるで聖母のようでもあり、悪夢が終わった事を知った俺は安心感でさらに泣き続けた。
「………落ち着いた?」
「あ、あぁ……ありがとう莉菜」
数分後、ようやく落ち着きを取り戻した俺はベッドに腰掛けて莉菜からのお見舞い品であるフルーツ篭。その中からの何個かを選んで莉菜が慣れた手つきでカットしたフルーツ盛り合わせを食べていた。
「もし、まだ不安ならまた……」
「い、いいって!?大丈夫だからほら!」
と、莉菜が両腕を広げて再び俺を抱き締めようとしてきたのを俺は慌てて避け、健在をアピールするかのようにフルーツを口の中にかっこんだ。
「そう………………」
それを見た莉菜は少し残念そうな顔をしながら体を引っ込め、再びベッド横の椅子に腰かけた。
「(しかし……いくら怖かったとは言え恥ずかしい所を莉菜に見せちゃったな……女の子にわんわん泣きながら抱きついてる男って……無いよなぁ)」
先程の事を思いだすと、再び俺の顔は熱をおび始めた。
「才蔵……いい?」
「わひゃい!?お、おう!いつでも!」
そんな風に油断してした瞬間、莉菜に声をかけられ俺は変な声と共に食べていたフルーツを喉に詰まらせそうになった。が、静かに俺を見つめる莉菜がしごく真面目な表情をしているのに気付き、俺は慌てて姿勢を正してフルーツ皿を置くと真剣に莉菜へと向き直る。
「……………………」
やがて一瞬の沈黙の後、莉菜は非常に言い辛そうにぽつりと語り始めた。
「才蔵が巻き込まれた今回の事件……私のせいでもあるの……」
「何だって!?莉菜のせい……ってどういう事だ!?」
莉菜の口から放たれたあまりにも衝撃的な言葉に、俺は思わずおうむ返しのように聞き返す。
「才蔵が病院に運ばれた時から…………二日が過ぎたけど…………その間に決勝戦で私と戦った相手が白状したの」
そう、一見すればいつもと変わらないような口調で俺に語る莉菜。しかし、俺は気付いた。気付いてしまっていた。
「どんな手を使っても私に勝って………部長の座を手に入れたかった……だから二人に話を持ちかけてっ……才蔵を……っ」
莉菜の目からは涙が流れていた、大量の涙は莉菜の頬を伝い、流れて莉菜の制服のスカートに小さな涙の染みを作り出してゆく。
「莉菜…………」
それは、長い付き合いの中で俺が今までで初めて見る莉菜の弱さだった。
「ご、めんなさいっ……ごめんなさい……才蔵……」
莉菜は体を震わせ必死に俺に謝り続ける。その姿はとても痛々しくて儚く今にも崩れ落ちてしまいそうで
「あっ…………」
気付いた時には莉菜がそうしてくれたように俺は莉菜を胸元に抱きよせていた。莉菜は小さく声をあげたものの抵抗はせず。俺の胸にゆっくりと莉菜の体の温もりと静かな心臓の鼓動が伝わってきた。
「馬鹿だな、莉菜が謝る必要がどこにあるんだよ……」
俺は、そっと壊さないように優しく耳元で莉菜にそう囁く。
「でも私は…………」
俺の胸に顔を埋めながら莉菜がもごもごとそう呟く。ちょっと肌に当たる莉菜の鼻息がくすぐったい。
「大丈夫だって、またこうして莉菜と会えた……。それだけで俺は満足さ」
「……ありがとう…………才蔵」
そんな莉菜の頭を撫でながら再び励ます。すると莉菜は俺に一言、そう礼を言い
目を閉じて緩やかに顔を近付けて来た
「(うっ……うえええぇぇぇっ!?)」
不意打ちに仕掛けられた莉菜の大胆な行動、それだけで今まで俺が莉菜を励ますべく精神力を全動員して保っていた虚勢の余裕は一瞬で消し飛ぶ。所詮は金メッキでお手軽に作れるような余裕でしか無かったのだ。紙飛行機が墜落するように急激に余裕を失うと、俺の心臓はあっと言う間に莉菜に聞こえるかと心配するくらいに激しく鳴り出し、汗が滲み始める。
「(い、いや……満更でも無いってか、むしろ歓迎すべきってか……ええと……その……)」
俺はそこで、混乱しきって無茶苦茶になって行く頭を叩いて正気に戻す。
「(ええい、もう!莉菜がここまでしてるんだ、ここで決めなきゃ男じゃないっ!……やるぞ!やってやる!)」
そう全力で自分を奮い立たせながら俺は、覚悟を決めて目をつむり、そっと待っていた莉菜の唇を奪い軽く吸い付いた。
「(や、柔らか……)」
鼻腔に入っていく莉菜の体臭と、記憶にある限り生まれて初めて味わう唇の感触に頭が蕩け、体の力が抜けていく。
瞬間、狙っていたようなタイミングで莉菜の舌が口内に侵入してきた。
「(んぐっう!?)」
「ん、んんんっ……」
その一撃であっと言う間に主導権は莉菜に奪われ。俺は自然とベッドに押し倒され、俺の体の上に乗りながらも舌を動かして歯を舐め回し舌を絡ませてくる。が、そんな積極的な姿勢を取りながらも一心不乱と言った感じで俺にキスを続けている莉菜の顔はやはり内心は恥ずかしいのか真っ赤だ。それが妙に背徳的で俺の心までが妙な気持ちになり、次第に身体は熱く血が集まってゆく。
気付けば莉菜はキスを中断して上着を脱ぎ捨てていた。莉菜が身に付けていた水色のブラジャーがあらわになり、やがて莉菜は俺の来ていた患者服にも手をかけ始めた。
甘い感覚に支配されてゆく俺はそんな莉菜を止めるような力は出てこず……いや、仮にあったとしても今、使う気持ちにはなれなかった。純粋に莉菜をもっと感じていたかった。そして莉菜は潤んだ目でゆっくりと俺に問いかける。
「……才蔵……あなたを私にちょうだい……?」
答えは言われるままに決まっていた
「あぁ……勿論だ莉菜」
俺の答えを聞くと、莉菜はスカートと下着をも脱ぎ捨て、まるで神話の女神を思わせるかのような一糸纏わぬ姿となると静かに俺の体に覆い被さり……
その日、俺と莉菜は一線を越えた。
◇
「……いくら何でも早すぎだろ。まぁ……俺も全く人の事は言えないけど」
「……うん、正直俺も今になってヤバいとは思ってるんだよ」
それから数ヶ月程が過ぎたある日、街中での買い物に疲れ喫茶店で休憩していた最中、俺は莉菜の数少ない理解者であり莉菜が心を許せると親友と言う樋村志那野。俺は、その志那野の彼氏であり自分も持病で苦しいだろうに誘拐された俺を田上や渡以上に心配してくれ、何かと気遣ってくれた俺の一番の親友、草部澄に莉菜からの許可を得て今までの経緯を全てを語った。
「辛い心をお互いに慰め合うのは分かる、好きだと分かって嬉しかったのは凄い良く分かる………だけど病院でしちゃうのは……と言うか、その話を俺に聞かせてどうしろと?」
「だよなぁ……ごめん。でもお前だけには言いたくて」
俺の話を聞き、対面する席の向こうで若干引いた様子の顔でそう言う澄。その言葉に反論の仕様も無く俺はただ笑って誤魔化す。それは、いつもと何ら変わらない日常だった。
あれから病院も数日で退院し、警察の人達とも話を済ませて俺は日常を取り戻した。全ては元に戻ったのだ
「(でも…………何なんだこの違和感は?)」
俺の胸の中では小さな引っ掛かりが残っていた。
俺と話をした刑事の人達によると、通報により駆けつけたあの駐車場では拘束された状態で気絶している俺以外は発見出来ず、車内には二人の人間が確かに存在した事を示す手荷物と免許証。駐車場には仮に二人分と考えても余りにも多すぎる量の血痕が見つかったのみで、俺が目撃した般若面の人間に至ってはそこにもう一人の人間が存在した証拠すら発見出来ず、まだ捜査は終わってないそうだ。
「(犯人の二人はどうしてあの場にいなかったんだ?いや……それよりも、あの般若面は一体……)」
俺はそこで思わず手元に置いた注文したアイスコーヒーを一気に飲み干す。莉菜の献身的な看護で大分マシになったものの、今でも般若面の事を思い出すだけで腕や背中に鳥肌が立ち、喉はカラカラになってしまうのだ。
「(あの般若面はあれから一度も俺の前に姿を見せてないし、気配も全く感じない……いや、待てよ)」
そこで思い出した、般若面の事を必死で忘れようとしたせいで記憶を自ら封じていたのか俺はあの事件以降ただ一度だけ般若面の気配を感じていたのだ。
「(気のせい何かじゃない、俺は病院で目覚めかけた時、間違いなくヤツの気配を感じた!)」
では、どこに奴はいたのか?病室は二階だったが窓は大きく病院の回りにも似たような高さの建物もあった。おまけに俺のベッドは窓際にあったので外から見る事も可能ではあっただろう。……いや、良く考えて見ればあの時感じた気配はもっと俺に近かったような気が……
「おい才蔵、聞いてるのか?」
と、その時、少し不機嫌な様子の澄の声が耳に入り俺は慌てて思考を中断した。
「悪い……少し考え事をしていた」
「まぁ……いいけどさ。さっきから言ってるが志那野から連絡だ『準備完了、いつでも来てくれ』だとさ」
俺の言葉を聞くと、澄は自分の携帯の画面を俺に見せながら暗記するかのようにそう言う。
実はと言うと今日、4月20日は俺の誕生日であり、莉菜と志那野そして澄が退院祝いも兼ねて一つ俺の為に祝ってくれていた。そこで志那野と莉菜はパーティ料理の準備と部屋の飾り付けを莉菜の家で進行し、俺と澄は、澄が誕生日プレゼントを買い忘れたと莉菜に伝えておいて。本来の目的を隠して出掛けたのであった。
「さぁ、早速帰ろう。無事にプレゼントも買えたしな?」
「あぁ……そうしよう」
そう言いながら荷物を取って席から立ち上がる澄に俺は手にラッピングされた小箱を持って答える。
今回の買い物の真の目的はこれ。確かに俺の誕生日祝いをしてくれるのは本当だが、俺達は俺の発案を元に莉菜に内緒で一つのサプライズを計画していたのだ。
「初めて出会った記念の指輪……上手く渡せればいいんだけどな」
澄と共に会計を済ませ、帰路へと歩き出した俺はポケットに入れた小箱を撫でつつ澄にも聞き取れないよう小さく呟く。
何の因果か偶然か俺の誕生日の日に出会った俺と莉菜。それを『初めての出会い記念』として俺が莉菜にペアリングを送る。それが今回のサプライズの正体であった
「(まぁ……落ち着いて考えて見れば、何もわざわざ辛いことや恐ろしい事を思い出さなくてもいいんだ。俺にはいつだって確実に俺の味方をしてくれる莉菜がいる……今はそれだけで十分だ)」
頭の中でそう考えると俺は、思考から般若面の事を捨て去り、頭の中で莉菜が作ってくれる料理に思いをよせながら少し先を歩く澄の後を遅れないように付いていくのであった。
◆
「ふむ……人間の体とは思っているより案外丈夫な物なのだね」
私の家にこっそりと作られた家族でもほんの数人しか存在を知らない地下牢、そこに収められた私が『報い』を与えたクズ共を一通り見終わった私の親友、志那野は顔色一つ変えずにそう言って見せた。
「志那野……私に教えて……?」
暴力は嫌いだと言う志那野には、嫌悪されるかも知れないけれど私は彼女の知識を必要としていた。
「こいつらは、どうやったらもっと苦しめられるの?」
私はそう言いながら地下牢を見渡す。
「ぎっ……ひっ……ひはっ……」
「……!…………っ!!」
「も、もうゆるし………」
そこには才蔵を誘拐した二人のクズとその計画犯たる元私の後輩の…………名前は思い出せないけど、どうでもいいか、興味は無いし。ともかく地下牢には三人を拘束していた。
「先程見たところ体へ与えられる拷問は一通り終えてるようだな……?それも発狂しないように手加減までして」
「うん……凄く大変だった」
私は志那野の話に首を縦に降って頷く。正直、連中を死亡させないのは勿論として狂わないように手加減をするのは非常に苦労した。何せこいつらは私と才蔵の邪魔をする抹殺すべきカスなのだ。拷問を一つ一つ試す最中幾度と無く殺してやりたくはなったが『死んで楽にはさせない』と自分で自分を押さえつけて必死で堪えていたのだ。
とは言え余りにも連中の悲鳴が耳障りだ。才蔵を助けるときに切った一人のように残りの二人も喉を切って声を出せなくしてしまおうか?
「分かった……丁度、澄に施してる施術も後半に入った所だ。澄に苦痛を与えないように研究した際、私が得た相手に『死んだほうがマシだ』と、思わせるような苦しみを味わせる技術……それを莉菜に教えるとしよう」
「ありがとう……志那野」
志那野は一瞬、迷いながらも私の願いを聞いてくれ、私は迷わず志那野に感謝を込めて頭を下げた。
やはり、持つべき物は友だ。志那野との付き合いで私はそれを強く実感させられた。
「なに、莉菜は私の実験に協力してくれたしね。お互いにフェアに行こうじゃないか」
私に手を差しのべながら志那野はそう笑いかける。私はその手を取りつつ、この血で汚れた地下牢の中で唯一全く汚れず綺麗な神棚、そこに安置されてる祖母の代から受け継がれ私も母から譲り受けた愛刀『海音』と素顔を隠し、愛する人を守り憎むべき相手を殺す『私』になるための般若面を見ながら改めて心に誓う。
「(私は必ず才蔵を守る……時には志那野と力を合わせて……平穏を乱す奴を一人残らず切り捨ててやる……!)」
顔を上げ、私は志那野と共に歩いて地下牢から出て階段を上っていく。もう少しで才蔵が帰ってくる、間違っても遅れる訳には行かない。今日の朝から仕込みをしていた料理は完成したし、会場となる応接間には飾り付けを終えた。あとは盛大に心を込めて才蔵を祝うだけ。あぁ、楽しみだ……
私はそう高鳴る胸で、志那野と共に地下への階段を上がりきると隠し扉を閉じた。
ヤンデレ愛劇場に挿し絵が欲しい……と、思うですが残念ながら僕には絵を書く力が全く無く……。はぁ………