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蒼黒のオーレリア  作者: 桐島ヒスイ
第一部 出逢い編

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6/13

3、エリス――銀青――2




 馬車は来た道を戻って行く。

オーレリアにとっては初めて見る景色だ。離宮の周りには広大な森が広がっており、森を抜けた後は一面見渡す限りの草原だ。羊や山羊の群れがのんびりと草を食んでいるのどかな光景にオーレリアは頬を綻ばせた。

草原は所々起伏があり、平らではない。その間を一本の道が通っており、馬車はそこを進んでいる。前方に緩やかな丘を越えた先に広がる街が見えた。全体的に柔らかなオレンジ色で統一されており、美しい。その街の中心部に小高い丘があり、その頂きに優美な城が見える。王城だ。

 町に近付くとエリスがオーレリアに話しかけた。

「殿下。この先の貧民街へは馬車を降りて向かいます。貧民街を通る馬車は目立ちますので。幻惑の魔術でお姿を変えさせていただきます」

 オーレリアはそんなことが出来るのかと内心驚きつつ頷いた。

「わかった」

 エリスは王女が素直に従ってくれたことに薄く笑んだ。

 エリスがオーレリアに手を翳すと銀色の光がオーレリアの身体を包み込んだ。

 オーレリアは視線を落として自分の手足を見て驚いた。

 少し成長して十歳ほどになっているのだろうか。服装はボロボロの半ズボンにボロボロの上着。足は裸足だ。

 幻惑の魔術は人の目に映る姿を眩ますものなので実際に裸足になるわけではない。だがオーレリアはなんとなく心許なく感じた。

「殿下は今から少年オーレンです」

 目の前が銀色の光に包まれたのを感じて顔を上げると、そこには見知らぬ老人が座っていた。

「…………エリス?」

「はい、殿下」

 老人がしわがれた声で返事をする。自分の声もいつもとは違うようだ。

 オーレリアは感心した。幻惑の魔術を使える者は滅多にいない。姿だけでなく、声まで変えられるとは。

「声は風の魔術の応用で変えています」

 人が生まれ持つ魔力はその髪色と瞳の色によって大体系統が決まっている。紅い髪の者は炎の魔術使い、水色は水という風に。髪色と瞳の色の組み合わせで様々な魔術の応用があるという。

黒は全てを呑みこむ色だ。すべての系統魔術を使えるとも、すべての魔術を撥ね退けるともいう。

オーレリアはまだ自分の魔力を知らない。それどころか制御も出来ないのでしょっちゅう熱に侵されている状態だ。

エリスは自分より年上とはいえまだこどもなのに完璧に魔力を使いこなしている。

(妾も見習わなければ)

 オーレリアがそんなことを考えている間に目的地に到着したようだった。

 馬車が止まって扉が開かれた。コリンは中を見て固まった。

「え……、な」

 幻惑の術に度肝を抜かれたようだった。

「コリン、妾だ」

 小汚い少年に名を呼ばれて思わずじっと凝視する。

 綺麗な碧色の瞳。

「…………まさか、姫さま?」

 灰色の髪の少年がこくりと頷く。

「―――」

 コリンは天を仰いだ。

「コリン殿。中に入ってください」

 老人に言われてコリンは眉根を寄せた。

「そちらはエリスさまですか」

 老人は当然というように頷くと目線で中に入るよう促す。コリンはいろいろな感情を呑みこんで一先ず言われた通りに動く。

扉が閉まるとエリスは何も言わずにコリンに手を翳した。

「おぉ」

 オーレリアは感嘆の声を上げた。

 コリンは町娘の姿になっていた。栗色の髪をお下げにして、顔にはそばかすが散っている。そして何故か腰元の帯にネギを差している。

「ネギは剣です」

 触ってみると確かに剣の感触だが、見た目はネギ。

「町娘が剣を持っていては不自然ですから」

「…………。なんで俺、町娘なんですか……」

「いざという時、囮になってください」

「…………。…………はい」

 やはりコリンに拒否権はないのだった。


 馬車が止まったのは下町の賑やかな大通りを一本中に入った通りの角だった。

 大通りを逸れるだけで途端に寂れ、人通りもない。馬車を降りるには都合がよかった。

 コリンは先に降りて下町の道具屋で背中に背負う籠を調達させられた。腰にネギを差しているのは不自然だからという理由でだ。コリンが籠を背負って戻ってきたところでオーレリアの貧民街探検が開始されたのであった。


 三人は大通りには戻らずそのまま路地を奥へと進んだ。

 次第に大通りの喧騒も届かなくなり、辺りは昼間とは思えない程ひっそりと静まり返っている。石造りの建物は所々石が崩れ、薄汚れている。建物が密集しており日光も差し込まず薄暗い。


 歩きながらオーレリアはドキドキしていた。右手はしっかりとコリンの左手と繋がれている。そうでなければ怖じ気付いて引き返していたかもしれない。

(ここが貧民街…………)

 どことなく饐えた臭いが漂っている。オーレリアは眉根を寄せた。気分が悪い。

 通路を曲がった先に、何かが転がっていた。

「…………!」

 人だった。

 壁に凭れるようにして足を投げ出し、地面に座っている。ボロボロの黒ずんだ服から突き出た手足はガリガリにやせ細り、頬はこけ、薄く開いた瞳は焦点を結ばずぼんやりと空を見つめている。ぴくりとも動かないので生きているのかどうかも定かではない。

 思わず足を止めてしまったオーレリアの手をコリンがそっと引く。

「あの者は…………」

「…………行くところも帰るところも持たない者です」

 オーレリアは半ば放心状態で引き摺られるようにしてその場を後にしていた。小さな王女には刺激が強かった。焦点を結ばない虚ろな瞳が恐ろしかった。後ろからあの目が自分を見つめている気がして振り向けなかった。


 角を曲がってその姿が視界から消えると、オーレリアは無意識に安堵の吐息を漏らしていた。

「……殿下、怖かったですか?」

 老人姿のエリスが小声で問うてきた。

 オーレリアが顔を上げると、冷ややかな青い瞳が自分を見下ろしていた。

「わ、妾は……」

 その青い瞳が自分を責めているように感じる。

「…………………………」

 オーレリアはその瞳に耐えきれず俯いた。無意識にコリンの手をぎゅっと強く握り締めた。

「姫さま。帰りましょう」

 コリンは優しくオーレリアの小さな手を握り返した。

 オーレリアは躊躇った。帰りたい。けれど、なんのためにここへ来たのかと頭の片隅で声がする。まだ何も見ていない。わかっていない。今帰ることは逃げることだと。

 小さく首を横に振る。とても弱々しい動作だったけれど、まだ帰れないと碧色の瞳がはっきりとコリンに告げた。

 コリンは軽く息を吐くと気持ちを切り替えるように目を閉じた。一拍後には笑顔でオーレリアを見つめる。

「……では、もう少し行きましょうか」

 オーレリアは束の間自分の手と繋がっているコリンの手を見た。足が動かない。先へ行くことを拒んでいる。心に先ほどのやせ細った人の姿がちらつく。あの人を見過ごしていいのかともう一人の自分が訴える。

「……コリン。あの者は」

「…………先ほどの男ですか。あれは……」

 言い淀むコリンに変わってエリスが何の感情も交えずに淡々と言う。

「生きることを諦めた者の瞳をしていましたね。放っておけば早晩、命を落とすでしょう」

 咄嗟にオーレリアはコリンの手を振り切って踵を返していた。

「姫さま!」

 通路を駆け戻って男の前に立つ。先ほどコリンが男と言うまでオーレリアにはこの者が男なのか女なのかも分からなかった。男の瞳は相変わらず焦点を結ばず、目の前にオーレリアが立っても身動ぎもしない。

脊髄反射で動いたのでこの後どうするかは考えていなかった。ただ、目の前の者に死んで欲しくなかった。上がった息を整えて男の前に膝を付く。

「……死ぬな」

 小さな呟きに返事はない。オーレリアは男の瞳をじっと見つめた。虚ろで何も映さない、その虚無のような底なしの穴のような瞳にぞっとする。怖いと思ったが、同時に哀しいとも思った。

 オーレリアは先ほど自分の手を握っていてくれたコリンの手を思い出す。

(誰かに手を繋がれると、勇気が出る)

 心細さが薄れた。前に進むことが出来た。だから。

オーレリアは男の手を取った。

「姫さま……」

 コリンは息を飲んだ。

「妾はどうしたらいい?どうしたらそなたの瞳に光が戻るのだ」

 ふと男は顔を上げた。その瞳が目の前の少女に焦点を結ぶ。

 男のこれまでの人生では一度もお目にかかったことのない上質なドレスを纏った、幼いながらも美しい少女が泣きながら自分を見ていた。

 滑らかな白い肌、艶やかな黒髪。整った容貌はよく出来た彫刻か、絵画から抜け出してきた天使のよう。とても現実のものとは思えなかった。

 少女の綺麗な碧眼から流れ落ちた涙は冷たい男の手には驚く程温かく感じられた。

 男は陶然と少女を見上げて笑んだ。

「ありがてぇ……、天使様が迎えにきてくださった」

 男が喋ったことにオーレリアは驚いた。ぱちくりと瞬くと大粒の涙がぽとりと零れ落ちた。

 その瞬間、男は気絶するようにぱたりと倒れた。

「え!?」

 死んでしまったのかと蒼褪めるオーレリアにエリスが微笑んだ。

「眠らせただけです。……心配いりません。今はこれしか持ち合わせがないので」

 言って男の手の中に銀貨を一つ握りこませる。

 エリスの行動を呆然と見つめていたオーレリアはふと自分の身体が元に戻っていることに気付いた。

「魔術が解けてる」

「俺が解きました」

 にこりと笑うエリスにオーレリアは不思議そうに首を傾げる。エリスはそんなオーレリアに手を翳すと素早く幻惑の魔術をかけ直して少年姿に戻す。

「少し面白かったですね」

 オーレリアは益々分からないという表情になった。何が面白かったのだろう。

 コリンは半眼でエリスを見遣った。

「危険過ぎですよエリスさま…………」

「この男にはいい気付け薬になったのですからいいではないですか。…………殿下、お見事です」

「?妾は何もしてないぞ」

「いいえ。殿下の涙がこの男の死んでいた心を蘇らせたのですよ」

 そう言ってオーレリアを見つめるエリスの瞳は柔らかく細められ、その眼差しは温かかった。





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