11、ガイと貧民街3
狭い路地裏に入ると、途端に日が陰って薄暗くなる。
オーレリアは心細く感じた。
壊れかけた建物の角に数人の男たちがたむろしていた。その瞳は暗く荒んでいる。
中の一人と目が合った。その途端、男は口元ににたりと嘲るような笑みを浮かべた。
「見ねぇ顔だな。俺たちの縄張りに無断で入って来るとは無礼だな」
その声にオーレリアは聞き覚えがある気がした。
貧民街に知り合いなどいない。だが訪れるのは二度目だった。そしてはっとしてガイを見ると、ガイの顔からは完全に表情が抜け落ちていた。
(やはりあの時ガイを嬲っていた――)
オーレリアはすぐさまガイの手を引いて踵を返した。
「姫さ……」
ガイは男たちを目にした途端、怒りで一瞬目の前が真っ赤に染まった気がした。沸騰した怒りはどろりと凝ってむしろ冷え冷えと胸を凍てつかせ、身体から熱を奪っていった。そんなガイを正気に戻したのは小さな温かい手だった。
意識が温かい手に向けられ、隣に立つ少年を視界に捉える。目に映るその姿には違和感しかないが、触れている手は自分の知る少女のものだ。怒りがするりと解けて頭に上っていた血がゆっくりと降りてゆく。
(そうだ、俺は姫さまを守るんだ――)
ガイは導かれるままに走った。
男たちは面白いおもちゃを見つけたと言わんばかりに舌なめずりして追いかけてきた。
「おいおい、逃げるなよ」
「アーネスト!」
オーレリアはアーネストの横を通り抜けざま強めにその名を呼び男たちへの怒りを伝えた。アーネストは艶然と微笑んだ。
エリスが横道へと素早くオーレリアとガイを引っ張り込んだ。
その直後、追いかけてきた男たちの足音が一斉に消えた。次いでどさりという重い音。
オーレリアがそっと脇道から顔を覗かせると、アーネストが悠然と歩いてきた。後ろには男たちが転がっている。
(一瞬で何が起こったのだ)
オーレリアが目を白黒させていると、アーネストがオーレリアの前に跪いて微笑んだ。とはいえ今のアーネストは幻惑の術で顔色の悪い、落ち窪んだ眼窩の痩躯の男なので少々不気味だ。
「ご期待に沿えましたでしょうか、殿下」
「……う、うむ。……何をした?」
「昏倒させただけです。地面から魔力を放出して」
剣を軽く地に打ち付けるようにして魔力を放出し、地を這わせ男たちの足元から脳天へと雷撃を与えて痺れさせたのだ。アーネストは事もなげに言うが、一瞬で男たちの位置に正確に狙いを定め、魔力を気絶する程度に抑えて放出する技術は卓越している。
「さて。こやつらをどうなさいますか」
オーレリアは眉根を寄せた。彼らはニーナを攫って売ろうとしていた。ガイには暴力を振るった。放っておけばまた同じことを繰り返すだろう。
王都の警備を担っている守備隊の目が貧民街にまで届いていないのが現状だ。
このまま放置は出来ない。
「人身売買の根を絶たねばならぬ。……彼らの知っていることを聞き出したい」
「そうですね。離宮には地下牢もありますのでひとまず連行して尋問しましょう」
「……この者たちに心を入れ替えさせることは可能だろうか」
「……難しいかもしれませんが試してみましょうか」
アーネストはにっこりと微笑んだが、その笑顔は獰猛だった。ガイはぶるりと震えた。
エリスも面白そうに笑っている。楽しいおもちゃを見つけたこどもみたいな表情だ。
ガイがどこかから手押し車を見つけて来て彼らを乗せ、エリスが五人を幻惑の術で荷物に変えた。
アーネストの攻撃で数時間は意識を失っているだろうとのことなのでそのまま運ぶ。
下町で一台馬車を借りて五人をそこへ押し込める。オーレリアたちを後方から護衛していた騎士二人に見張りを頼み、離宮へと移送する。
それを見送ったあと、オーレリアたちも馬車に乗った。だが、ガイの様子が少しおかしいことに気付き、オーレリアはガイの袖を引いた。
「ガイ?……大丈夫か」
ぼんやりと貧民街を見つめていたガイははっとしてオーレリアに焦点を合わせた。
「俺、ここに住んでたことが遠い昔のことみたいだって思った。でもついこの間のことなんだよな。……俺とニーナは本当に運が良かったんだ。姫さまに見つけて貰えて。……でも」
ひと月前と何も変わっていない町の風景を目にしてガイは苦しそうに眉根を寄せた。
「自分だけ……いい思いをしていいのかって」
ああ、ガイは優しいのだなとオーレリアは思った。
自分だけ幸せになることを良しとせず、他人のことでこんなにも胸を痛めている。
オーレリアはガイの綺麗な紅い瞳が辛そうに細められているのは嫌だなと思った。
ガイの手をぎゅっと握る。
「……ガイ。妾は貧民街をなくす。おまえやニーナのように親を亡くしたこどもでもまっとうに生きていける町にする」
ガイの瞳が見開かれた。
「だからガイは後ろめたく思わなくていいのだぞ。ガイは一番目なだけで、他の者も順番に幸せになるのだから」
オーレリアは賢いとはいってもまだ子供で、この時の気持ちに偽りは一つもなかったけれど、それがどれ程大変なことかは実はあまり良く分かっていなかった。
だからこそ気軽に約束出来たのだろう。
それでもその時のガイにはその言葉は救いだった。
オーレリアの無邪気で綺麗な笑顔にガイは見惚れた。
「ガイも手伝ってくれるな?」
「……はい、姫さま」
オーレリアにとってもこの時ガイと交わした約束はずっと後も自身を奮い立たせる大切な標となった。




