10、オーレリアとアーネスト
オーレリアはもう一度貧民街へ赴きたいと考えていた。
エーギルのヒントは「貧民街を気に掛けろ」だった。一度行っただけでは気に掛けたことにはならないだろう。
何をすればいいのか未だによくわからない。けれども胸の奥がもやもやとして何かをしなければと焦燥感を掻き立てられていた。
勿論自分の未来が破滅から免れるようにとの気持ちもあるが、それだけではなかった。
(エーギルは妾に貧民街のことを考えろと言っているのだろう……。妾は考えねばならぬ)
親の愛情が足りないと言って我儘放題だったが、貧民街を見て自分がいかに贅沢をしていたか理解した。大勢の使用人や立派な屋敷、美味しい食事。それらを用意してくれたのは両親だ。なかなか会えないけれど、愛情は痛いくらい注がれているのだ。既に親を亡くしているガイやニーナを思えば我儘など言えなくなった。
嫌いな野菜も残さず食べるようになった。
貧民街へ行ったことは確実にオーレリアに影響を与えていた。
秋も深まり黄色い葉が絨毯のように地面に敷き詰められている。
踏みしめる度にざくざくと音がする。柔らかい感触が気持ちいい。
ガイやニーナと出会ってひと月が過ぎていた。
毎朝アーネストと共に屋敷の周りを歩くようになり、最近では一周2.5キロをゆっくりとだが走れるようになってきた。
当初の目的は無断外出の罰――のための準備運動だったが今ではすっかり日課になっている。まだ3周を走り切れていないのでオーレリアの罰は継続中だが散歩は気持ちがよく、罰という認識は薄れていたが、無断外出をしたために始まったということは覚えていた。心配をかけてしまったことへの罪悪感もある。
朝のランニングを終えてオーレリアはアーネストに話しかけた。
「……アーネスト。……近いうちにまた貧民街へ行きたいと思っている、のだが」
「お供致します」
間髪入れずにいい笑顔で返答されてオーレリアはたじろいだ。
「……わ、わかった。またエリスの魔法で姿を変えていく」
「承知しました」
反対されなかったことにほっとするが、やはりアーネストも付いてくるのかと思うと溜息が零れそうになる。
オーレリアが物心つく前からアーネストは離宮の警固責任者だ。
彼が自分を大切にしてくれていることはわかっている。けれどなんというかその大切にする加減が尋常じゃないというか、はっきり言って異常なのだ。
離宮に野良犬が迷い込んで来たことがあった。オーレリアが三歳くらいの頃だ。
オーレリアが無邪気に近寄って手を出したところ、犬は驚いたのか噛みつこうとした。その刹那、アーネストがオーレリアを抱き上げて犬を蹴り飛ばした。
お蔭でオーレリアは噛みつかれずに済んだのだが、アーネストは犬がオーレリアに噛みつこうとしたこと自体が既に赦せないらしく犬を殺そうとしたのだ。
ただ、幼いオーレリアにとっては噛みつかれる寸前だったのでその認識はなく、犬を撫でようとしたのをアーネストが遮ったようにしかみえない。
犬に魔術を放とうとして冷酷な表情を浮かべるアーネストに怯えてオーレリアは泣き出してしまった。泣き出したオーレリアに驚いてアーネストは魔術を解除したが、戸惑いながらもオーレリアを離そうとはしなかった。犬はその隙に逃げた。
「殿下。もう怖くないですよ」
犬が怖かったわけではなく、容赦なく蹴り上げたアーネストが怖かったのだが、まだ幼かったオーレリアはうまく自分の気持ちを説明することが出来なかった。アーネストはずっと震えるオーレリアの小さな背中を撫でてくれた。
次第にオーレリアの興奮も収まっていき、オーレリアはアーネストの腕の中で眠ってしまった。
怖いけれど優しい。優しいけれど怖い。
アーネストが頼りになる存在であることは理解しているし、彼がオーレリアに対して掛け値なしに優しいことは疑いようがない。
それでもオーレリアはなんとなくアーネストが苦手だった。
自分以外に向けられているとわかっていても冷酷な表情が怖かった。今よりもっと幼い頃はそれが分からず余計に怖かったのだろう。その時の印象が強すぎて未だに怖いと感じてしまうのかもしれない。
そして無意識に彼が自分に向ける感情が親愛と呼ぶには濃すぎると幼心にも感じているのだった。逃げなくては、と思わせる何かがあるのだ。
それと同時に単純に、過保護過ぎるアーネストがいるとオーレリアの行動範囲が狭まるという閉塞感もあった。だが彼を置いていくという選択肢はない。置いていったら今度こそアーネストはコリンやガイをどこかへ追いやるだろう。それは絶対に嫌だった。
オーレリアは多少の不自由は仕方がないと割り切るしかなかった。




