8、ウィルフレッドVSエリス2
テラスに用意されたテーブルには三段に重ねた銀のトレーに色とりどりの一口サイズのケーキやサンドイッチが並べられていた。
ウィルフレッドは既に席で待っていた少年に目を留め、黒瞳を細めた。サラサラの銀の髪に鮮やかな青の瞳。青の侯爵家の神童。
オーレリアは二人を紹介した。
「兄さま、こちら妾の家庭教師のエリス。エリス、こちらは妾の従兄弟のウィルフレッド兄さまだ」
「……貴殿がリアの家庭教師か」
「初めまして、黒の公爵家の若君。……エリスと申します」
エリスは慇懃無礼に頭を下げた。口元には皮肉気な微笑みが浮かんでいる。ウィルフレッドも笑顔を浮かべるが目が笑っていない。
「………家庭教師は水曜までと聞いていたが」
「常駐することにしました。その分三日間に詰め込んでいた授業を五日間に分散しているのでオーレリア殿下のご負担も軽減されております」
にっこりと笑顔で説明するエリスの隣でオーレリアはその分課題が増えている気がすると思ったが賢明にも無言を守った。言ったら課題を倍にされそうだからだ。
「……課題がとても多いと聞いたが?」
オーレリアの心を代弁するウィルフレッドの言葉に思わずオーレリアがこくりと頷くとエリスはちらりとオーレリアを見つめた。その視線にオーレリアは固まった。
「殿下は大変ご聡明でいらっしゃる。殿下ならこなせると思うからこその分量です」
冷たい視線とは裏腹にエリスの口から紡がれるのはオーレリアを褒める言葉だった。
ちょっと嬉しそうにするオーレリアにウィルフレッドは内心呻いた。
(待て、リア。手懐けられるな。確かにリアは聡明な子だが……こいつは明らかに僕と引き離すためにわざと課題を増やしている)
含みを感じるのだ、視線や言葉の端々に。
「エリス、兄さまも妾と授業を受けたいと言っている。構わないだろう?」
オーレリアの発言にエリスが目を細めてウィルフレッドを見た。一瞬エリスとウィルフレッドの間に火花が散った……ようにオーレリアには見えた。
(……なんだ今のは)
目をパチパチさせるオーレリアに構わずエリスはにこりと笑んだ。
「……構いませんが、不遜ながら授業の間は私のことは『先生』と呼んで頂きます」
「……………わかった」
ウィルフレッドの顔に一瞬苦虫を噛み潰したような表情が浮かんだが、オーレリアが瞬きをする間ににこやかな笑顔になっていたので見間違いかなと思う。
そこでオーレリアはふとあることに気付いた。
「エリス。妾は授業の時エリスのことを『先生』と呼んだことがなかった。妾もそうするべきだな?」
ウィルフレッドは心中でエリスを罵った。
(……誰も『先生』なんて呼んでなかったんじゃないか!)
エリスはそれはそれは楽しそうに笑ってオーレリアと視線を合わせた。
「……いいえ、殿下はエリスとお呼びください。……ですが、そうですね、授業中は教え子ということで殿下のことはリア、とお呼びしても?」
「構わぬぞ」
「それと二人きりの時も」
エリスはオーレリアの耳元に唇を寄せて囁いた。
「……婚約者候補として」
「!」
オーレリアの頬が紅く染まるよりも早くウィルフレッドが後ろからオーレリアを抱き上げて一歩下がった。
「に、さま!?」
「リア。そこの不埒な家庭教師には無闇に近寄ってはいけない」
すとんと降ろされ背中に庇うように囲われる。
エリスの片眉が上がったが口元には相変わらず皮肉気な笑みを湛えている。
「心外です。家庭教師としては適切な距離を保っています」
「貴殿には一生家庭教師以外の立場はない」
「そういうウィルフレッド殿下は一生『兄さま』の立場では?」
バチバチバチと激しい炸裂音が聞こえるのはきっと気のせいだ。二人とも笑顔なのに背筋が凍るのも。
オーレリアはなんだか重い空気を変えようとテーブルに並べてあったマカロンを摘まむとウィルフレッドの口元に宛がった。
「兄さま、あーん」
ウィルフレッドは虚を突かれたようにむぐむぐとマカロンを咀嚼した。
その間にオーレリアはエリスにもマカロンを突きつけた。背が高いエリスの口元には手が届かないので胸元に差し出す形だ。
「エリスも」
エリスはちょっと苦笑して少し膝を曲げるとぱくりとオーレリアの手からマカロンを食べた。
空気がふわりと柔らかくなってオーレリアはほっとした。
「お茶にしましょう」
二人の手を取って椅子に座らせると、彼らは素直に従った。……が。
「……あの……。二人とも……手を離してほしいのだが」
オーレリアを真ん中に挟んで座る二人の手はオーレリアのそれぞれの手を握ったまま離さない。両手を塞がれたオーレリアはお茶を飲むことも出来ない。
マカロンを飲みこんだウィルフレッドはお返しとばかりにピンク色のマカロンを摘まむとオーレリアの口元に持ってきた。
「リア。食べさせてあげる」
「……んぐ」
「リア、お茶を」
反対側からエリスがカップを差し出して来る。
「……今は授業中じゃないぞ」
呼び捨てにするなとウィルフレッドがエリスを睨み付けるがエリスは涼しい顔で嘯く。
「今は婚約者候補としてリアに接しています」
ガタンと音を立ててウィルフレッドが立った。そんな彼にエリスは容赦なく言った。
「貴方も婚約者候補の一人に過ぎない。でも今の貴方は俺の敵ではありません。俺は既に侯爵家の跡継ぎとして収めるべき知識は得ていますし、社交界へも顔が利きます。だが貴方はただのこどもだ。王位継承権を持つ者の一人ではあるけれど貴方が継承する見込みはほとんどない。その程度の肩書でリアの婚約者として選ばれるとは思われないことです」
エリスの辛辣な言葉にウィルフレッドは怒りを覚えた。その言葉が正しいだけに余計に腹立たしい。
だが正しいとしてもエリスに言われる筋合いはない。
「……たかが侯爵家の者が王族に無礼な」
ウィルフレッドから黒い魔力が靄のように溢れ出る。
「――ウィル兄さま!!」
とん、と腹部に衝撃を受けて視線を下ろすとオーレリアがウィルフレッドの腰に抱き付いていた。
「ダメです、それは」
泣きそうな表情にウィルフレッドの昂ぶっていた激情がすっと引いた。
「……リア」
黒い靄が薄くなり消えてゆく。
黒い魔力は力の強い王族が持つ特別な力で、魔力の弱い者や持たない者が浴びると精神を病む確率の高い厄介なものだった。
ウィルフレッドは己が怒りのままにエリスにその力を振るおうとしていたことに気付き、衝撃を受けた。彼は自分を理性的だと考えていた。それなのに衝動のまま忌むべき力を行使しようとしたことに対して自尊心が大きく傷付いたのだった。
「……すまない」
ここで自らの非を認められなければ堕ちる一方だと感じ、踏み止まるべくエリスに向き直り謝罪を口にする。するとエリスはふっと微笑んだ。
「いえ。俺も言い過ぎました。――ですがもし本当に黒の魔力が発動していたら、返り討ちにしてやろうと思っていましたので……少し残念です」
にやりと唇の端を吊り上げて笑うエリスにオーレリアもウィルフレッドも唖然として言葉を失った。
(――エリス、兄さまを試していたのか!?……どれだけ怖いもの知らずだ……というか、エリスが怖い――!!)
道理で妙に喧嘩腰だったわけだ。
蒼褪めるオーレリアの横でくっと小さくくぐもった声が聞こえて、次いで吹き出すようにウィルフレッドが笑い出した。
「……ははっ、あはは」
「え……兄さま?」
オーレリアは再度唖然とし、エリスもきょとんとしてウィルフレッドを見つめている。
「僕を試すなんていい性格しているな、青の侯爵家の神童」
「……お褒めに預かり光栄です、黒の公爵家の若君」
二人はにやりと笑い合った。オーレリアはなんとなく疎外感を覚えた。
(……な、なんだろう……先ほどまでは険悪だったのに、いつの間にか仲良くなっているのか…?まぁ仲が悪いよりはいいが……解せぬ……)
眉間に皺を寄せてオーレリアが考えていると、ウィルフレッドに抱きしめられた。
「わ!?」
「……リア、さっきは止めてくれてありがとう」
見上げると照れくさいのか、ウィルフレッドは目を逸らしている。そこには先ほどまでの禍々しさはない。オーレリアはよかったと思って微笑んだ。ふわりと花が開くようなその笑みにウィルフレッドの視線が吸い寄せられ、つられて笑顔になる。その瞳は優しく、愛おしむように少女を見つめていた。
ウィルフレッドがエリスの授業に参加するのは来週からとなった。
午後は午前中に出された課題にオーレリアが一人で取組み、分からないところをエリスに質問するという形式のためだ。
ウィルフレッドはオーレリアの隣に座ってオーレリアが勉強するのを見守っていた。エリスは少し離れた肘掛椅子に座って軽く呆れた様子でウィルフレッドを見ている。
ウィルフレッドがオーレリアの自習を見学したいと言ったのだ。
オーレリアが課題に取り組む間、ウィルフレッドは暇になる。それに単純にエリスとオーレリアを二人きりにするのが癪に障るからでもあった。
オーレリアは数学の問題に取り組んでいた。
ちらりと見るとかなり高度な計算式と方程式に挑戦している。時折鼻の頭に皺を寄せて唸る姿はとても愛らしい。
思わずウィルフレッドが腕を伸ばしてオーレリアの波打つ黒髪を撫でると、オーレリアがびっくりしたようにウィルフレッドを見つめた。
「兄さま?」
「頑張ってるリアが可愛いなと思って」
「………!!」
柔らかく微笑むウィルフレッドに、オーレリアの頬が紅くなる。
「……ウィルフレッド殿下。リアの邪魔をしないでください」
これ見よがしの溜息とともにエリスが冷たく言うとウィルフレッドはむっとしたように言い返した。
「励ましているんだ」
「邪魔です。リアの気が散っている。叩き出しますよ」
再び二人の関係が険悪になる。オーレリアは立ち上がって二人を宥めた。
「兄さま、この問題を教えてください。エリス、兄さまに教えてもらうから大丈夫だ」
しかしこれは逆効果だったようだ。エリスが不機嫌そうに言う。
「それなら俺が教えます。ですがリア。いつもならもう少し自力で頑張るのに、すぐに教えて貰おうとしてますね。やはりウィルフレッド殿下は邪魔ですね」
勉強に関してエリスは厳しく容赦ない。オーレリアは自分の甘えに気付いて落ち込んだ。
「もう少し自分でやってみる……」
でもオーレリアは少し心細かったのでウィルフレッドの袖を掴んでしまった。
「兄さま……頑張るから、見ててね?」
邪魔をしないように退室した方がいいかと考えていたウィルフレッドの思考があっさりと反転した。
「わかった。……見てるよ」
にっこりと柔らかく微笑まれてオーレリアは勇気づけられた。
「うん……!」
エリスも毒気を抜かれたようにふっと口元を綻ばせて座り直すと背もたれに寄りかかって手元の本の頁を捲った。
それから一時間程、室内にはかりかりとペンの音だけが響き、オーレリアはなんとか自力で課題をやり遂げたのだった。




