1、ウィルフレッド――双黒――
オーレリア姫の遊び相手として選ばれた公爵令息ウィルフレッドはオーレリアによく似た黒髪と、漆黒の黒曜石のような瞳の整った容貌の少年だった。
ウィルフレッドは毎週金曜日から日曜日まで泊りがけでオーレリアの暮らす離宮へとやってくる。
ウィルフレッドの離宮滞在中はオーレリアが始終くっついて離れない。
ウィルフレッドは一人っ子だったので、妹が出来たみたいでわりと嬉しかった。オーレリアは可愛い。王女もくっついてくるだけで、ウィルフレッドにはそれ程我儘を言わないのだ。
馬車が着くと同時に待ちきれないというようにオーレリアが飛び出して来る――はずだった。
「…………?」
いつもなら「ウィル兄さま!」と言って満面の笑みで抱き付いて来る頃合だ。しかし馬車を出迎えたのはずらりと並ぶ使用人たちのみ。
使用人たちが出迎えているということは、今日ウィルフレッドが来ることは分かっているはずだ。というか毎週同じスケジュールなので間違えようもないのだが。……では、考えられることは。
「……リアの具合が悪いのか?」
執事に訊ねると、頷かれた。
「申し訳ございません、ウィルフレッドさま。殿下は体調を崩されまして」
それもよくあることだった。
ウィルフレッドは鷹揚に頷く。
「いい。僕は適当に本でも読んで過ごす。いつでも呼んでくれ」
執事は丁重に礼をした。
ウィルフレッドは勝手知ったる離宮の自分に宛がわれている部屋へとすたすたと向かう。オーレリアの見舞いに行きたかったが、彼女の体調次第だ。
オーレリアの体調が急に悪くなることは度々あった。遊び相手として派遣されているウィルフレッドにはそのこともよく説明されていたため、それで怒ったり苛立ったりすることはない。
むしろオーレリアがいつもくっついてくるから感じなかったが、オーレリアが寝込んだ時など、一人にされると、途端にこの離宮が広くて寂しいところなのだと気付いた。そしてオーレリアが自分にくっついてくるわけにも納得がいった。
(これは、寂しいよな…………)
週末前にオーレリアが寝込んでしまい、どう頑張っても週末いっぱい遊べなさそうだとわかっても、ウィルフレッドは離宮を訪れることに決めている。それは少しでも近くにいてオーレリアが寂しい想いをしなくて済むようにと願ってのことだった。
病気の時ほど心が弱るからだ。
離宮には沢山本がある。オーレリアのために国王夫妻が用意したものと、姫が寝込んだ時に無聊を慰めるためウィルフレッドが持ち込んだものがあるからだ。
ウィルフレッドは書斎へと向かい、適当に本を選んで一人掛けの椅子に腰かけると、ゆっくりと頁を捲った。
「…………兄さま、来た?」
高い熱に苦しみながら、オーレリアは侍女に問う。侍女ははいと、優しく頷いた。
オーレリアは近くにウィルフレッドが居てくれることが嬉しかったが、同時に熱を出して会えなくなったことにほっとしてもいた。
(…………兄さまを、追いかけるなと、エーギルは言った…………)
朦朧としながらも、占術師の予言を噛みしめる。
眦から涙が流れる。――ウィルフレッドは運命の相手ではない――。
(妾には……兄さましかいないのに…………)
オーレリアはウィルフレッドが大好きだ。その漆黒の髪も瞳も、優しくオーレリアの頭を撫でてくれる手も。
一つしか歳が違わないのにとても大人びて見える。背も高い。常に難しい本を読んでいて頭もいい。
オーレリアはウィルフレッドに甘えた。毎週会いに来てくれる彼は今や両親よりも近い存在だ。本当の兄のよう。
けれどあの占術師は言ったのだ。このままではそのウィルフレッドに自分は嫌われてしまうと。それだけは嫌だった。怖くて哀しくて、寝具の中でぽろぽろと涙を零す。
(妾は、兄さまを追いかけたりしない……)
もう、今までと同じことは出来ない。してはいけない。
オーレリアは熱に浮かされながらも、一つの決意を固めたのだった。
翌日になってもオーレリアの熱は下がらなかった。
昼のほんの少しの時間だけ、ウィルフレッドはオーレリアの見舞いに訪れた。生憎とオーレリアは眠っていたが、顔を見られて少し安心した。
優しい光が差し込む寝室で一人、オーレリアは眠っていた。頬が少し紅く、目元に涙の痕がある。
「……夜、泣いたのか……?……呼んでいいのに」
ウィルフレッドはオーレリアの目尻をそっと撫でた。頬は熱を孕んでいた。
一人、寂しかったのだろうと思うと、側に居てやればよかったと悔やまれる。何も出来なくても、手を握っていてあげることくらいは出来る。
ウィルフレッドは枕元に置かれた椅子に座ると、持ってきた本を開いた。オーレリアが目覚めるまで側に居るつもりだ。
「ウィルフレッドさま、お風邪が移ります」
心配する侍女に笑って首を横に振る。
「大丈夫だ。僕は鍛錬しているから多少の風邪など撥ね退ける」
実際にはオーレリアの症状は人に移る類のものではないが、侍女はそれを知らない。ウィルフレッドも言うつもりはない。
侍女は困ったようにしていたが、ウィルフレッドが動かないことを悟ると、静かに頭を下げて退室した。
「何かありましたらお呼びください」
ウィルフレッドは頷いて持っていた本に視線を落とした。
ぱらり、ぱらりと静かに頁を捲る音がする。オーレリアが目覚めると、近くに端正な顔立ちの少年がいた。
「に……さま……」
その声に、少年はふと顔を上げてオーレリアを見つめた。そうしてふわりと微笑む。
「リア。具合はどう?」
手を伸ばしてオーレリアの額に触れて熱を測る。
「さっきよりはいいかな」
そして優しく額の髪を梳かす。
オーレリアはきゅっと目を閉じた。ウィルフレッドの指の感触が気持ちいい。
「何か飲む?オレンジジュース?」
ウィルフレッドは波打つオーレリアの髪の感触を楽しむように優しくその小さな頭を撫でた。オーレリアが触れられることを望んでいると知っているからだ。
「…………ずっと、いたの?」
「ああ」
その一言にオーレリアの心は天にも昇るほど浮き立った。嬉しそうに笑うオーレリアに、ウィルフレッドは微笑んだ。
「リアが寂しがり屋なのは知ってるから」
「兄さま、手、繋いでいい?」
少し熱に火照った頬は赤く、瞳は潤んでおり、頼りなげで、ウィルフレッドは守ってやりたいと思った。どんな願いでも叶えてやりたいとも。
「……仰せのままに、我儘お姫さま」
その言葉には親しみが籠っていて、ウィルフレッドは別にオーレリアの我儘を咎めたわけではない。けれどオーレリアは目を見開いたまま凍り付いたように動きを止めた。ウィルフレッドは驚いてオーレリアを見つめた。その瞳が静かに感情を殺して、心を閉ざすのをはっきりと見た。
「リア」
「…………兄さま、ごめんなさい。…………アンナを呼んで」
侍女の名を呟くと、オーレリアは目を閉じた。
「……具合が悪くなったのか?」
ウィルフレッドの問いに軽く頷く。ウィルフレッドは一度ぎゅっとオーレリアの手を握った。
「リア。なんでも言え。苦しいとか辛いとか、欲しいものとか、なんでも。夜寂しかったら僕を呼べ。すぐに来るから」
オーレリアは泣くのを必死に堪えた。そんな風に甘やかされたら、勘違いしてしまう。甘えてしまいたくなる。際限なく我儘を言ってしまいそうになる。
こくりと小さく頷くと、ウィルフレッドは安心したように微笑んで侍女を呼んでくれた。
結局その週末はそれ以降オーレリアの体調が回復せず、ウィルフレッドは1回会っただけでまた城下の公爵邸に戻ることになった。
また四日後まで、この淋しい離宮にオーレリアは独りぼっちだと思うと、ウィルフレッドの顔に憂いの色が浮かぶ。
いくら三十人の使用人がいるとはいえ、王女に友人や家族のように接してくれるわけではない。
(ああ、でも……。来週は陛下がご訪問されるか)
オーレリアが寝込んでいるため、どこかひっそりとした離宮を見つめて、来週にはオーレリアが回復しているといい、とウィルフレッドは願った。




