宮廷占術師の予言
峻嶮な山脈に囲まれた神秘の島国、黒曜国の第三王女オーレリアは生まれつき身体が弱く、幼い頃から郊外の空気の良い離宮で育てられた。
両親である国王夫妻は離れて暮らす幼子を不憫に思い、どんな我儘も許した。
姫は身体の不調が齎す不快感を癇癪で発散させる。
どんな我儘も願いも叶えられるけれど、たった一つ、孤独だけは拭えなかった。
姫の周りにいる使用人たちでは、姫の欲する愛情は与えられなかったのだ。
そんな姫のために公爵家の令息が離宮へ遣わされる。姫の遊び相手としてであった。
公爵令息ウィルフレッドは王弟の息子で、姫には従兄弟に当たる。
歳は姫の一つ上。初めての歳の近い相手に姫は夢中になった。
どこへ行くにもウィルフレッドの後をひよこのように付いて回る。
幼い頃は妹のように可愛がっていたウィルフレッドも、次第にオーレリア姫が成長してくるとその執着に辟易するようになる。
身体が弱く外の世界を知らないオーレリア姫にとって、ウィルフレッドはただ一人の相手だった。それに反して貴族の子女を集めた学院に入学して世界を広げたウィルフレッドは、徐々にオーレリア姫の元へは通わなくなる。
ウィルフレッドはオーレリア姫の婚約者候補の筆頭だったが、彼は学院で出会った低位の貴族の娘と恋に落ちる。
それを知ったオーレリア姫はその娘との仲を裂こうとウィルフレッドを追いかけて学院に入学し――。
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宮廷占術師エーギルは眠りから覚め、見た夢を思い、重い吐息を零した。
オーレリア姫は現在六歳。
報告によると随分と我儘に育っているらしい。このままでは拙い。予知夢の通りになってしまう。
エーギルは姫と面会することに決めた。
離宮は王城から馬車で三時間ほど郊外に位置する、白亜の美しい建物だ。
それ程遠いわけではないが、毎日通うには些か面倒になる距離ではある。そのため多忙な国王夫妻も隔週の週末に訪れる程度だという。
エーギルを出迎えたのは三十人の使用人。
たった一人の王女のために用意されたその人数は国王夫妻の愛情と罪悪感を表していた。
王女を放置することに対する贖罪だ。
執事に案内された応接室には不機嫌そうなオーレリア姫が一人掛けの豪奢な椅子にちょこんと座って待っていた。
オーレリア姫は波打つ漆黒の艶やかな髪と宝石のように煌めく見事な碧眼の美少女だった。ただし今はその眉間に盛大な皺がよって、かなりの仏頂面だったが。
「何の用じゃ。妾はそちなど呼んでおらぬ」
具合が悪いのか、顔色が悪い。
エーギルはほんわかと微笑んだ。
「これは姫さま。ご機嫌ななめの所にお邪魔してしまい申し訳ありませんなあ。けれど大切なお話があって参ったのです。姫さまの将来に関わる予言です。一度しか申しませんので、どうかこの老いぼれの話をお聞きください。姫さまが欲するものが手に入るかもしれませんよ?」
エーギルの言葉にオーレリア姫の表情がぴくりと動いた。以前国王である父親から占術師の予言は絶対だと聞いたことがあった。
好奇心にかられて話を聞きたいのが丸わかりだが、それを素直に言うのが気に入らないのか、ぐぬぬと唇をへの字に曲げて葛藤している。
「姫さま。ここは素直に聞いてみては如何ですかな。こどもは素直が一番ですぞ」
エーギルが好々爺然として穏やかに水を向けると、姫はむむと尚も臍を曲げた様子だったが、ぷいっと顔を背けると仕方なさそうに言った。
「……話くらいきいてやらぬこともない」
エーギルは微笑んだ。
姫君の多少の臍曲がりなど可愛いものだ。
「ありがとう存じまする。…………それでは予言を申しましょう」
エーギルの言葉にオーレリア姫が顔を戻した。その瞳は好奇心にきらきらと輝いている。エーギルは内心笑いを噛み殺しながら、表情は至って真面目に朗々と宣言する。
「姫さまはウィルフレッド殿に執着してはなりませぬ。追いかけてはなりませぬ。姫さまが十六歳になられた折に運命の殿方との出会いがございましょう。けれど今のままでは未来に待ち受けるは身の破滅。…………どうか視野を広く、寛大なお心をお持ちくだされ。そして何があっても諦めたり絶望したりせず、懸命に生きられよ」
オーレリア姫はぽかんとしてエーギルを見つめた。
エーギルは微笑むと話は終わりとばかりに立ち上がった。
「では姫さま、ご機嫌よう。これ以後お会いすることもありますまい」
その言葉にオーレリア姫ははっとして、咄嗟に立ち上がるとエーギルの腕を取った。
「まて!今の話はどういう意味だ。くわしくおしえろ」
「姫さま。予言はあまり詳しくは語れないものなのです。ただわしは姫さまにお幸せになって頂きたい。それが今のままでは叶わぬから、こうして参ったのです。どうかこの爺の言葉をよく考えて、これから先のことをお決めください」
オーレリア姫は我儘な姫だった。そんな言葉だけでは納得できなかった。
「ジョナサン、この者を捕えよ」
執事に命じてエーギルを捕獲すると、椅子の上に立って女王さまのように見下ろした。
「くわしくはなせ」
「………………………………」
エーギルはやれやれと重い息を吐いた。
***
宮廷占術師は王の羅針盤と言われる特別な地位にある。いくら王女といえど、そのエーギルに命令することは出来ない。執事たちもそれは知っていたため王女の命令で捕えても、それ以上は手出し出来なかった。
王女もまだ六歳なので、拷問までは考えが及んでいないというところもあった。
「はーなーせ!」
幼い王女は地団太を踏んで癇癪を起こしている。
それはまだまだ幼いこどもの態度で、可愛らしいといえば可愛らしい。けれどエーギルは甘やかすつもりはさらさらなかった。
「仕方ありませんなあ、姫さま。そのような態度では誰にも好いてもらえませぬぞ?運命の殿方にも嫌われてしまいますぞ?」
途端にオーレリア姫の頬がぷくっと膨らむ。暫くして心配そうに聞いてくる。
「…………ウィル兄さまにも?」
エーギルは「おやおや?」と可笑しそうに笑う。
「……なんでも思い通りにはいかないものです。それが世の常というものですぞ、姫さま。現に姫さまは本当に欲しいものが手に入っていない」
オーレリア姫の顔がぐっと歪んだ。泣きそうな表情だ。
エーギルは微笑んだ。
「相手の心が欲しいなら、その人の望むことをしてあげることです。相手の気持ちを考えなされ、姫さま」
今まで我儘は叶えられても、こうして諭してくれる人はいなかったのだろう。姫は初めて聞いた言葉だというように大きな瞳を見開いてエーギルを見つめた。
「…………。ではエーギルはこれ以上話すつもりはないのだな?」
「御意。そろそろ縄を解いてはもらえませんかな?老いぼれにはちときつうございます」
「………………。…………」
オーレリアは悔しそうに俯いて唇を噛んだが、暫くして諦めたのか、ちらりと目で執事に合図を送った。執事が心得たように頷いてエーギルの縄を解いてくれた。
エーギルはこの執事は優秀だが主への仕え方が間違っていると思った。
「……それは国王陛下にも問題があるから、仕方ないのかのう……」
独り言ちて姫を見遣ると、どこかしょんぼりしている。初めて我儘が叶わず気落ちしているのだろうか。
エーギルは姫を憐れに思った。
「…………ほんの少しだけ、ヒントを差し上げましょう。姫さま、貧民街をお気に掛けなされ」
「!」
エーギルの言葉に、オーレリア姫はぱっと顔を上げた。
「エーギル……」
「これ以上は申せませぬ」
「…………!ありが、とう」
エーギルは知らなかったが、それは姫が初めて目下の者に感謝の言葉を贈った瞬間だった。宮廷占術師の地位は正確にいうと王と同等とされ、王女にとって決して目下の存在ではないのだが、王女がそれを理解しているはずもない。
執事たちは驚愕と感動と己らの至らなさに落涙した。六年間姫の側に居て、一度も姫を諫めることが出来なかったのだ。
帰り際、オーレリア姫はエーギルの袖を掴んでじっとその瞳を見つめた。
「…………。…………もう会えぬのか」
エーギルは幼い姫が、自分がこれ以後会うことはないだろうと言ったことをきちんと理解していたのだなと少し驚いた。
エーギルがそう言ったのは、姫が自分と会うことなど不快だと思うだろうと慮ってのことだった。
「…………姫さまが望んで下さるのであれば、たまにはお会いできましょう」
そう言うと、オーレリア姫はぱっと嬉しそうに瞳を輝かせた。だが恥ずかしかったのか、次の瞬間にはつんと横を向いてその表情を消してしまったのが少々残念だった。
「……妾も、いそがしいからな。た、たまになら、呼んでやる」
尊大に言われたが、エーギルはふぉふぉと、柔らかく笑った。
「それはありがとう存じまする。では姫さま、それまでどうぞ息災で」
皺々の手で綺麗な黒髪を撫でると、姫がびっくりした表情をしたのが面白かった。とても愛らしい。
オーレリア姫はエーギルの乗った馬車が見えなくなるまで見送ってくれた。
「思ったよりも可愛らしい姫さまじゃったな。……未来が変わるとよいが」
未来を変えるためにはあともう一つ二つ、予言をしなくてはならないだろう。
あの小さな姫が破滅する未来など見たくはない。そう、エーギルは思った。




