表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/15

15話 『先生眼鏡とお守りバッジ』


 ふう、と肺の底まで詰め込んでいた空気を細く吐き出す。

 長い石段を登り切った俺は、学園の正門の前でしばし足を止めた。石造りのアーチには光の蔦のような紋様が走り、朝の二つの太陽を受けて淡く瞬いている。門の向こうには尖塔が重なりあう校舎群、その手前を行き交うのは色とりどりの制服を纏った女生徒たち。風が抜けるたび、道の両側に並ぶ木々のピンクの葉がさらさらと音を立てた。


(この木……桜、みたいで桜じゃない。色味は近いのに、葉の形が少し違う)


 そんな的外れな観察をしてしまうのは、頭のどこかでずっと現実感を探しているからだろう。額を袖で拭うと、指先にうっすらと汗が張りついた。


「はぁ、はぁ……やっぱり運動不足だな。受験勉強で机に向かってばかりだったもんな」


 石畳に残る自分の影は、二つの太陽の角度のせいでうっすら二重になっている。影を見つめて気持ちを整えていると、背後から控えめな声が飛んだ。


「あの、もしかしてテンリュウ先生ですよね?」


 振り向けば、見覚えのない二人組の女生徒。肩までの髪をリボンでまとめた子と、前髪をきれいに流した子。二人とも制服の襟をきちんと整え、上履きのかかとも踏まずに揃えている。礼儀正しい――が、頬は興奮で少し赤い。


「あ、ああ。そうだよ」


 そう返した瞬間、二人の間に小さな歓声が弾け、視線で何かをやり取りする。


「き、昨日のテンリュウ先生、とってもかっこよかったです! よ、よければ、その……握手、してもらえますか!」


「え? あ、握手?」


 口が間抜けに開いた。生まれてこの方、見知らぬ女の子から握手を求められた経験なんて一度もない。脳が一瞬空転する。俺の沈黙に焦ったのか、もう一人が袖を引いた。


「ほら、やっぱり攻めすぎだって……。精霊魔導士様なんだし、失礼だったらどうするのよ」


「で、でもでも……!」


 消え入りそうな声が混じる。このまま固まっていても余計気まずい。俺は慌てて手を差し出した。


「い、いや。俺でよければ、いくらでも」


 ぱぁっと表情が明るくなる。小さな掌が両手分、重ねるように触れてきた。彼女らの掌は少しひんやりしていて、緊張のせいか汗も薄く滲んでいる。その分だけ、握り返す圧をやわらげた。


「ありがとうございます!」


「え、えっと……わ、私も握手いいですか!」


 二人はきちんと頭を下げ、何度も礼を言ってくる。その姿を見ると胸のどこかがむず痒くなった。


(……良心が痛む。彼女たちは精霊魔導士である人物の影を見ている。しかし俺は“本物”じゃない)


 浮かれかけた心が、現実に足を戻す。だが二人は、まだ何か言い淀んでいたような顔をしていた。立ち去らずに足をもじもじさせているのが視界の端に残り、居心地の悪さに、こちらから口を開く。


「どうしたの? 他にも用が?」


「その……昨日の事件のこと、ですけど」


 来た。胸の中で鈍いベルが鳴る。


「先生の召喚獣、あれって本当に“冥界の龍神”なんですか?」


 言葉と同時に脳裏へ蘇る、赤い目、黒い翼、空気そのものを軋ませる圧。喉が勝手に乾く。二人は続ける。


「学園中で、意見が分かれてて。『冥界の龍神』だった派と、似てるだけで『別の龍』派で……」


「ちょ、ちょっと! そんなのを本人に聞くのは非常識じゃ――」


「で、でも気になって……!」


 好奇心と躊躇のせめぎ合い。二つの視線が、きらきらと期待を載せて俺に注がれる。


(待て。ここで下手なことを言えば、ボロが出る。俺は“冥界の龍神”なんて知らない。下手に答えたら、次の質問で詰む)


 口を開きかけた、そのとき。


「これはテンリュウ先生。おはようございます。昨日はよく眠れましたか?」


 後ろから、落ち着いた女性の声。副校長が、書類の挟まった薄い革フォルダを片腕に抱え、いつもの涼しい笑みで立っていた。


「副校長。おはようございます」


 二人の女生徒も慌てて頭を下げる。副校長は手を“パン”と軽く打ち鳴らし、柔らかくも有無を言わせぬ調子で告げた。


「お二人も、ほら。教室に急ぎなさい。テンリュウ先生もお困りでしょう」


「は、はい! 失礼しました!」


 風が通り、二人のリボンが揺れて遠ざかっていく。肩の力が少し抜けたところで、小声で礼を言った。


「助かりました」


「構いません。我々にとっても、貴方の“秘密”が露見するのは望ましくありませんから」


 副校長は踵を返し、正門の内側を指で示す。わずかに差す香草のような清涼感――副校長の常用する香りだ。


「では、学園長室へ。朝のうちに済ませておきたい話が幾つかあります」


 俺は一歩、彼女の背を追う。


     ◇


 学園長室の扉は重厚な木で、金の取っ手は手の体温を吸って少し冷たい。中は相変わらず広く、高い天井からは透明な光球が幾つも吊られ、柔らかい光を落としている。窓の外に見える湖面には、さきほど乗ってきた風絨便が豆粒のように漂っていた。


「ホッホッホッ。昨日はよく眠れたかの、テンリュウ先生、女子寮暮らしは初めてでしょう?」


 出迎えた学園長は、相変わらずのふかふかの椅子から身を乗り出し、猫の耳をぴくりと揺らす。尻尾も椅子の背からのぞいて、ゆっくり左右に揺れた。表情は温厚、声は太い。


「まぁ……そうですね。それなりにゆっくり眠れました」


 本当は途中、何度もあの黒い影で目が覚めた。だが責める気にはなれない。学園長も俺を匿うために色々と苦労をしているのは想像に容易い。


「慣れぬ世界での暮らしじゃ。いろいろと不便もあるはず。じゃが、しばらくは我慢してくれい」


「いえ。今はこうするしかないと、俺も分かっていますから」


「ふむ。さすが精霊魔導士、心も太っ腹じゃ。ホッホッホッ!」


(前言撤回。やっぱりあまり苦労してないのでは?)


 そこで副校長が小さく咳払いし、空気を整える。


「本題に入る前に、一つ忠告を。――当面、『冥界の龍神』の話題は学内で口にしないこと。私たちも調査を進めていますが、情報が錯綜している現状では、不要な混乱を招きます」


「そ、そうですね。似ている別の召喚獣、ということにしておきます……」


 学園長が、眉を少しだけ下げて頷いた。


「うむ。それがよかろう、ここでは『冥界の龍神』は、君の想像よりずっと“大きな名前”なのじゃ。歴史、宗派、政治――いろいろなものに繋がっておる。だからこそ、慎重に扱いたいのじゃ」


 “宗派”という単語に、背筋が冷える。軽々しく触れていい札ではない。


「――では、もう一つの本題へ」


 副校長は机の引き出しから細長いケースを取り出し、パチンと蓋を開けた。中には、見慣れた形の眼鏡。今の俺のものとほぼ同じ、細身のフレーム。


「テンリュウ先生。こちらを今後、授業の際は身につけてください。デザインはお手持ちのものと同じにしてあります」


「眼鏡を……替えるんですか?」


「ええ。理由は、かければ分かります」


 よく分からないが、ここで突っぱねるのは悪手だ。俺は持っていた眼鏡をケースにしまい、新しいそれをかける。フレームの肌あたりは軽い。レンズの度数が微妙に違うのか、縁が少し歪んで見えたが、すぐに慣れた。


(……とくに変化は……いや)


 副校長が、何気ない調子で問いを投げる。


「この学園からずっと南、ナザード地方。そこの名産品はお分かりになりますか?」


「は――?」


 問われて答えられるはずがない。俺は昨日今日、この世界に放り込まれたばかりだ。

ーーだが次の瞬間、視界のすみ――空中に、薄く半透明の板のようなものがふわりと“現れた”。そこに文字列が走る。地図の簡易図、その脇に箇条書きの説明。


「……ユーズ、と呼ばれる川魚。干物と、香草油に漬ける保存食が主力。――で、す」


 自分の声に自分で驚く。副校長は満足げに小さく拍手した。


「素晴らしい、完璧です。これで効果は理解できたでしょう?」


 俺は眼鏡を外して、レンズ越しにレンズを覗くという無意味な行為をしてしまう。


「……答えが“見える”。質問の答えが……画面のようなものが浮かんでる……」


「その眼鏡は『千里千算せんりせんざん眼鏡』。希少な魔道具です。初等部から大学部にかけての一般教養――学園の授業範囲に限り、問いに応じて参照情報を提示します」


(カンニングペーパーを越えたカンニング眼鏡……! 受験生時代に出会っていたら、俺は今ここにいないッ……なんて夢のようなアイテム)


「もちろん、万能ではありません。参照範囲外――高度な秘術、門外不出の術式、最新の研究成果などは出ませんし、複数の解釈がある問いには複数候補が表示されることもある。ですが、あなたが“教師としてふつうに授業を回す”には、ほぼ十分だと思います」


 学園長が、尻尾をぽふりと膝に乗せ直す。


「その眼鏡は“教えるための杖”じゃ。杖に頼ってよい時と、離れるべき時を、見極めるのも先生の仕事よ」


「……はい」


 嘘の肩書でここにいる俺にとって、これは命綱とも言える道具だ。今の俺には魔導書や翻訳指輪と並ぶべき必須アイテムだ。


 そのとき、塔のどこかで銀の鐘が一度鳴った。学内の空気がゆっくりと“始業”へ傾いていくのが肌で分かる。


「では、そろそろ――」


 学園長室を出ようとしたところで、副校長が「あ」と小さく声を上げ、引き止めた。


「渡し忘れがありました」


 掌に小さなピンバッジが置かれる。円形の中央に、風車のような紋。縁は細い三重の線。金属は手の熱をすぐ吸って、少しだけ温かくなった。


「教員バッジです。見える位置に」


 胸元のジャケットの襟に留める。ピンが布を抜ける感触と同時に、ごくわずか――本当にごくわずかだが、胸骨の奥が温かくなる。


「……なんだか、他の方のバッジと少し違うような?」


 学園長と副校長にもそれぞれバッジが見える。装飾が、俺のものは一段だけ多い。


「ええ。あなたのは特別仕様。――“お守り”の意味も兼ねています」


「お守り?」


「具体は追って。ともかく、外すのはおすすめしません」


 副校長の声色は、いつになく強かった。俺は頷き、バッジに触れた指をそっと離す。


「では、テンリュウ先生」


 学園長が少しだけ身体を乗り出し、ふかふかの掌で机を“ぽん”と叩いた。猫の耳が、楽しそうに、しかしどこか心配げに揺れる。


「今日からが本番じゃ。君は君のやり方で、まずは『安全に』『無理なく』そして『慎重に』……くれぐれも、気をつけなさい」


「はい。――行ってきます」


     ◇


 学園長室の扉を閉めて廊下に出ると、光が一段明るくなる。長い回廊の両側には、歴代の功労者の肖像画が並んでいて、その幾つかは絵の中の人物が小さく会釈を返してくれた。

普通、絵が動いたら、大声を出し、驚き腰を抜かすかもしれないがここは俺の理解の超えた魔法世界。


(魔法世界じゃなきゃ怪談レベルだな……)


窓の外では、湖面を渡る風が白い波紋を走らせる。遠くから生徒達の笑い声、靴音、ページをめくる音、どこかの教室で唱えられる短い呪文。すべてが、この学園の「朝」を形作っている。


 胸元のバッジに触れると、さっきの温かさがまだわずかに残っていた。


(偽物でも、立ち止まってはいられない。見栄でも、教師は教師だ)


 正面の大階段に差しかかる。下の踊り場では、女子生徒たちが小さく礼をして左右に分かれた。その一人が、「先生、おはようございます」と囁くように声をかける。思わず、


「おはよう。今日も頑張ろう。」


 自分の声が、思ったより穏やかに出たのが可笑しかった。階段の手すりを滑るように風が撫で、ピンクの葉の木が窓の外でまたさらさらと鳴る。


 教室のある棟へ向かう途中、廊下の突き当たりの大きな窓から中庭が見えた。芝には何やら小さなゴーレム達が数体、凸凹な地面を補修している。おそらく昨日の事件の後始末をしているのだろう。


(校舎の窓ガラスも綺麗に直ってるし、このゴーレム達が直してくれたのかな?)


そんな事を考えつつ歩き出す。


俺はこの世界のことを何も知らないがそれでも昨日より足取りは軽い気がする。

おそらく昨日、一日を無事乗り越えたのである種の心の余裕ができたのかもしれない。


(ははっ……案外何とかなるんじゃないか?)


ーーしかしこの世界は俺の常識の枠には当てはまらない。この教師生活、トラブルに次ぐトラブルが待ち受けているとは知らずに……

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ