10話「伝説とクッキーと、始まりの夜」
『はぁ……ほんとうに何がどうなってんだか……』
俺は大きなため息を吐き、ソファへと身を投げ出した。力の抜けた両腕から、赤い魔導書が滑り落ちそうになる。慌てて抱え直すと、その表紙に刻まれた金色の龍の紋様が鈍く光を返した。
(……さっきのアレは何だったんだ?)
本は静かだ。まるで何事もなかったかのように沈黙している。あの広場で、あれほど眩しく輝いていたのが嘘のように。
ーー冥界の龍神。
そう呼ばれていた、あの異形の竜の姿が脳裏に焼きついて離れない。巨大な翼、紅く輝く双眸、天地を震わせる咆哮。……思い出しただけで、背筋に冷たい汗が流れる。
『クゥーン……』
ふと視線を落とせば、俺の前で翼の生えた犬のような生き物が首を傾げていた。副校長が呼び出した召喚獣で、ここまで俺を案内してくれた「道先案内人」だ。
「ああ、ごめんごめん。すっかり忘れてた。ここまで連れてきてくれてありがとな。助かったよ」
『ワフッ!』
短く吠え、尻尾を振ると、その体はふわりと光に包まれ、空気に溶けるように消えていった。
(……召喚獣、か)
思わず呟く。ペットみたいな愛嬌ある姿だったが、頭をよぎるのは別の存在――そう、あの冥界の龍神だ。
俺が呼んだのか、それとも本に呼ばされたのか……正直、今でも区別がつかない。ただ一つ言えるのは、あれは絶対に「普通じゃない」ってことだ。
もしあの時、俺の指示に従ってくれなかったら。もしあのブレスがゴーレムじゃなく、俺たちに向いていたら。……今ごろ、学園は跡形もなかったかもしれない。
「くそっ……」
窓辺に立ち、青空を仰ぐ。雲ひとつない蒼天が広がっていた。ついさっきまで曇天だったのに。俺が原因で、こんな景色を生み出してしまった。
ーーあの後は本当に大変だった。
空を裂く咆哮の余韻に、生徒も教師も言葉を失い、誰もが呆然と空を見上げていた。だが次の瞬間には、地鳴りのような大歓声が広がった。……アイドルライブか何かと見紛うほどの熱狂。俺はただ茫然と立ち尽くすしかなかった。
当然のように周囲は大騒ぎになり、アニムス学園以外の周辺学園からも教師や魔法警ら隊が駆けつけてきた。まさに学園都市を巻き込んだ大事件。
『こ、これは一体何事じゃ!』
ドタドタと学園長が駆けつける。慌てふためき、髭がピンと跳ねていた。
『が、学園長、この本が勝手に……って、今まで何やってたんですか!』
俺が混乱したまま問い返すと、副校長が代わりに答えた。
『この学園都市ではトラブルは日常茶飯事ですので、いつもの事かと……ですが、どうやら今回は規模が違いますね』
冷静に周囲を見渡す副校長。その眼差しは、わずかな困惑すら見逃さない鋭さを帯びていた。
人々のざわめき。恐怖と興奮がないまぜになった異様な熱狂。副校長はすぐに状況を察したようだ。
『……どうやら、とんでもない事が起きてしまったようですね』
『とりあえず、この場は私たちで収めます。あなたは一旦ここを離れて待機してください。後ほど伺いますので』
『離れろって……一体どこに?』
副校長は迷いなく短い呪文を唱え、さっきの犬型の召喚獣を呼び出した。
『この子について行きなさい。目的地は教えてあります』
『ワフッ!』
元気よく吠える召喚獣。その声に押されるように、俺は広場を後にした。
振り返った時、人混みの中でシリカの姿が見えた。ミラルトとリディに肩を支えられ、足を引きずっている。彼女の視線が、一瞬だけ俺に重なった気がした。
(……大丈夫、だったんだな)
安堵と同時に、胸の奥に奇妙なざわめきが残る。
⸻
今はこうして、学園から少し離れた宿舎の一室で休息を取っている。部屋は簡素だが整えられており、机と本棚、窓際には古いランプが揺れている。
ベッドに身を投げ出すと、全身の疲労が一気に襲ってきた。始業式で盛大に“天才魔導士”と持ち上げられ、銀髪の生徒に勝負を挑まれ、ゴーレムが乱入し、挙げ句の果てに冥界の龍神まで召喚してしまった。
(これ……まだ一日目だよな?)
現実味なんて欠片もない。俺は両手で顔を覆い、声にならない笑いを漏らす。
「はは……どうすんだよ、これから」
足は震え、心臓は落ち着かず、けれど瞼だけは異様に重い。意識が徐々に暗闇に沈みかける。
最後に頭をよぎったのは、さっき広場で見た銀髪の少女――シリカの姿だった。
気づけば口元に、ほんの少しの笑みが浮かんでいた。
ーーそして俺は、深い眠りへと落ちていった。
ーー夢を見た。
幼い頃の記憶。なんてことのない、ありふれた日常の一場面だ。
俺には少し歳の離れた妹がいる。
その妹が俺を見つめていた。無邪気で、真っ直ぐな眼。
……誰かに似てる。
そうだ。あの子、シリカの眼と重なる。
⸻
『ーーー先生。テンリュウ先生。起きて下さいますか』
僅かに肩を揺らされ、意識が現実に戻る。
『ーーはッ!』
勢いよく上半身を起こすと、そこには副校長と学園長が立っていた。
しまった……寝落ちしてた。
『随分と疲れが溜まっておった様じゃのぉ。ぐっすり眠っておったわい』
『話はその場に居た生徒や教員から伺いました。体力を消耗して当然ですね』
心配そうに覗き込む二人。その表情が本当に温かく見えたのは意外だった。だが、今の俺にとってもっと気がかりなのは別のことだ。
『そ、それで……あの後はどうなりましたか? それに、この魔導書はいったい……』
『ええ、順を追って説明しましょう』
副校長が静かに椅子を引き、俺の前に腰掛けた。
『まず、貴方が離脱した後のことですが――生徒や教員には教室に戻るよう指示を出しました。他校の教師や警ら隊には“大学部の実験失敗によるゴーレムの暴走”と説明し、そして“それを精霊魔導士であるテンリュウ先生が鎮圧した”と伝えました』
『君の肩書きのお陰で、皆すんなり信じてくれたぞい。ホッホッホッ』
学園長がのんきに笑う。だが副校長は眼鏡を押し上げながら、厳しい声音を加えた。
『ただし学園内では、貴方が“伝説の龍神を召喚した”という噂でもちきりです。このままでは学園都市全体に広がるでしょうね』
『そ、それなんですよ! どうしてそんな伝説の竜が……! 他の魔法も異常なほど威力が高かったし! この魔導書、いったい何なんですか⁉︎』
思わず声が荒ぶ。だが返ってきた答えは、拍子抜けするほど静かだった。
『……申し訳ありません。分からないのです。我々にとっても、予測を超えた事態でした』
『その本は確かに“魔力のない者でも魔法を扱える”珍しい品。しかし、扱えるのはせいぜい上級魔法まで。最上級魔法の精霊魔法や――ましてや“冥界の龍神”を呼ぶなど、本来ありえない』
(じゃあ……あの時感じたのは何だったんだ? 本の意思のようなものに導かれたのは、気のせいじゃなかったはずだ)
『目撃者の証言に“本が光っていた”というものもあります。この件は私が調べましょう。すぐに答えは出せませんが、それでご容赦を』
『……はい、お願いします』
それしか言えなかった。俺には選択肢がない。偽りの肩書を背負ってでも、ここに留まるしかないのだから。
⸻
『それと、もうひとつ伝えることがあります』
『え、ええ? もう今日は驚き疲れましたよ。これ以上何を聞かされても驚きませんよ、ははっ』
『今日からこの部屋――二年A組女子寮に住み込みで、担任として勤務していただきます』
『ええェェェェ!!』
恐ろしく速いフラグ回収。俺じゃなきゃ見逃しちゃうね……。
『手頃な部屋がここしか空いていないのじゃ。いつまでも宿直室という訳にもいかん。仮にも精霊魔導士の教師なのじゃぞ』
『では、そういうことで。 ーーあ、そうでした。明日もクラスに行く前に一度、学園長室にお越しください』
俺の抗議も空しく、二人は颯爽と部屋を後にした。
『おいおい……女子寮って……しかも担当のクラスの寮じゃないか……』
今日何度目かの「マジかよ」が出た。
⸻
夜がふける。
窓の外に広がる空には、地球とは違う色を帯びた星々と月。虫の音さえ異国の旋律のように響き、不安を煽る。
(明日から本格的に……“偽教師”として生きるのか)
今日訪れた教室の顔ぶれを思い出す。
銀髪の少女――シリカの姿が、頭から離れなかった。
コンコン。
控えめなノック音。学園長か副校長が戻ってきたのかと思いながら扉を開けると――
『こんばんは……』
そこに立っていたのは、シリカ本人だった。
『シ、シリカちゃん!?』
『こんな夜遅くにすみません。今日のこと、どうしても伝えたくて……』
言葉を選ぶように視線を落とす彼女。決闘を挑んできた時の勇ましさとは全く違い、年相応の少女の顔だった。
『今日はごめんなさい! 先生に失礼なことばかり言って……勝手に勝負を挑んで……』
『……シリカちゃん……』
『それに、ゴーレムの時も……私が無茶したせいで、先生にまで迷惑を……』
俯いた横顔は、自責の念に押し潰されそうだった。
(強気な面しか知らなかったけど……素直で、不器用な子なんだな)
『頭を上げて。大丈夫、気にしてない。教師が生徒を守るのは当然だし』
口にした瞬間、胸に小さな痛みが走る。自分で自分に嘘をついている後ろめたさか。
『……ありがとうございます。あと……呼ぶ時は“シリカ”でいいですから』
照れながらも、少し嬉しそうに笑う。
そして差し出されたのは、小さな箱。
『これ……もしよければ、貰ってください』
中には色とりどりのクッキー。だが形は歪で、焦げているものもある。
『な、ナナセと一緒に作ったんです! ナナセって言うのは友達で!……見た目は悪いですけど……あ、味は大丈夫だから!』
慌てて弁解する様子に思わず笑いそうになる。
『ありがとう。丁度小腹も減ってたし、ありがたく頂くよ』
素直に受け取ると、彼女は耳まで真っ赤にして踵を返す。
『……明日から、よろしくお願いします』
その一言を残し、駆け足で廊下を去っていった。
手に残ったクッキーを一口かじる。
――美味い。形なんて関係ない。温かさが伝わる味だった。
(……初めはどうなるかと思ったけど。やるしかないか)
窓の外を見上げる。
星空は同じ異世界の空のはずなのに、さっきよりも少しだけ優しく見えた。
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