第2話 掴んだ藁をも売る男
「……さて、と。」
フィンはひょいと布を摘まみ、満足げに眺めた。
「なるほど…
向こう側がくっきり見えるほど透けて、染められないほど水をはじく布ねぇ……。
お前、これを売ろうとしたんだよな?」
「はい。でも、仕立て屋に持っていったら笑われました。セクシーなランジェリーの需要があると思ったのに」
「馬鹿なのか?」
「口が悪い!?」
「すまん。疑問系じゃあなかった。馬鹿だったな」
「酷い!!」
「事実だろ。これは普通の服として使う布地じゃない。」
フィンはあっさりと断言した。
「なのに、お前はこれをただの布地として売ろうとした。それが間違ってるんだよ。」
「……?」
フィンは布を肩にかけると、さっさと玄関へ向かう。
「ちょ、どこ行くんですか!?」
「決まってる。」
フィンは振り返り、不敵に笑った。
「買う奴を探すんだよ。」
そのまま外に出ようとするフィンを、リュミスは慌ててとめる。
「ちょ…ちょっと待ってください!」
「なんだぁ?」
「なんだぁ?じゃないです!
自分の姿見えてますか!?
ーーまず、服を着てください!!」
リュミスの絶叫が街に響いた。
◆◆
リュミスはげっそりしていた。
「はは…借金が…さらに増えた…嘘…」
熊毛皮の高級外套 をまとったフィンは、ご機嫌な様子で街を歩く。
「服は大事だ。こういうところで信用が変わるからな。」
「それはそうですけど、よりによってそんな高級品を……!しかも香水まで買って……!」
外套一つで50万ガネー。香水は10万ガネー。ちなみにリュミスの服すべてを合わせた値段は5万ガネー。借金総額はざっくり5000万ガネーである。
「仕方ないだろ。成功する商人は、投資を惜しまないもんさ。」
リュミスは絶望した。
(投資って、私のお金なんだけど!?)
フィンはそんなリュミスを無視し、昼の歓楽街を見回した。
フィンは辺りを見回す。
「さてと。」
彼の目は、ターゲットを捉えた。
──
「お嬢さん、ちょっといいか?」
「……?」
街灯の下、紅いドレスを纏った女がゆっくりと振り返る。
流れるような絹に包まれたその肢体の魅力を自身もよく理解しているのだろう、にこりと笑ったその女はフィンを吟味する。
「どなたかしら?」
そしてどうやら、フィンはお眼鏡に叶ったようだった。
計算された配置に輝く小ぶりな宝石を光らせ、唇の端をわずかにあげた女は、花の匂いをふわりとあたりに漂わせる。
「俺か? ただの大商人だ。」
それに対し、フィンはにっこりと微笑み、手にした透ける布をひらりと広げた。
「今、新商品の販売中でな。少しだけ試してみないか?」
「新商品?」
「“魅せる雨避け” さ。」
「……?」
フィンは布を女の頭上に掲げた。太陽の光が透け、彼女の輪郭をぼんやりと浮かび上がらせる。
「ほら、見てみろ。」
女が驚いた顔で自分の姿を覗き込む。
「……これ、もしかして……透けてる!?」
「その通り。」
フィンは得意げに頷く。
「今日は気候がいい。こんな時は、美しく着飾って街を歩くのに最適だ。だけど、 そんな時、雨が降ったらどうする?」
「……台無しね。」
「そうだ。せっかくの美貌も、美しい仕立ての服も、厚手のマントやフードで隠れる。誰も気づかない。
ただでさえ、雨で人が出歩かないんだ。
店を開いても閑散とする。」
「……確かに。」
「でもな、この雨避けがあれば——」
フィンは布を開き、ふわりと彼女の肩に落とす。
「……綺麗」
「雨に濡れず、姿を隠さず、美しさを見せつけられる。
雨の街で、もっとも目立つのはあなただ。」
「……!」
女の瞳が輝いた。
フィンはさらに畳みかける。
「想像してみてくれ。喫茶店で雨宿りをしていた金持ちが、ふと外を見る。
暗い外套の群れが行き交う中、たったひとり、透明な外套の中で色彩を……ドレスを纏って輝く女がいたら——?」
「……!」
女の瞳が輝いた。
しかし——彼女は少し考え込む。
「でも……もう、どこでも取り扱い始めてるんでしょう?」
フィンは即座に首を振った。
「ないな。」
一拍の間もなく、即答。
まるで「そんな愚問を聞くまでもない」と言わんばかりに。
「この布はうちの商会がつい先日開発したばかりなんだ。」
フィンの言葉は100回練習したスピーチよりも淀みなく響く。
「どんな名家の貴婦人だろうと、どんな金持ちの旦那だろうと、持ってない。
なぜなら、今出来たばかりで、あなたが初めて声をかけられた人間だからだ。」
女の顔が変わる。
「今、買わなければ——」
フィンは軽く布を揺らし、視線を外す。
「次にこの布を手にするのは、他の女かもしれない。」
女は思わず手をにぎる。
それを見逃さずフィンは畳みかけた。
「その上、……もう手に入らないかもな。」
「……どういうこと?」
フィンは布をひらひらと揺らす。
「この布、特殊すぎて大量生産ができないんだ。
次いつ作れるかも分からない。」
流れるように嘘を吐いている、とリュミスはあんぐり口をあける。
それを見もしないフィンの口元は、上に持ち上がった。
「つまり、今ここにある分がなくなっちまったら——いつ手に入るかわからないってことだ。」
女の指が、僅かに震える。
まるで、今買わなければ、もう二度と巡り会えない宝石を目の前にしているかのように。
「これ、いくら?」
「そうだな……」
フィンが口元を触りながら、一瞬考えるそぶりを見せる。
「俺のこの外套の三倍…いや、五倍か。…250万ガネーだ。」
女は息をのむ。
「250万!?
……そんな大金、一晩、ううん、ひと月あって稼げるかどうかじゃない!」
「ひと月?違うな。」
フィンは娼婦の手を取る。
「一生、だ。」
その目は日光の下でも怪しく輝いていた。
「あなたは今日から一生、雨という条件下において、世界一美しい女になる。
その条件がたったの250万ガネーだ。違うか?」
女の口が、ぐっと引き結ばれる。
そして。
「……買うわ。」
「いい返事だ。」
女は、夢見るように生地をなでる。
「私がいる店に、いつ持ってこれる?」
「夕方までに届ける。夜の雨に間に合うようにな。」
──
「嘘でしょ……」
リュミスは呆然とした。
二百五十万。人一人が雇える金額である。
「さぁ、帰って作るぞ!
何を作るかはもうわかってるな!」
「な、なにを作るんですか?」
リュミスはびびりながら聞く。
フィンは満面の笑みで答えた。
「レインコートだ!」
「れいんこーとってなんですか!?!?」