人間じゃない
「もす……?一体何のこと?」
すっとぼけたようにするタカシ母の顔を見て、レイは反対に確信した。この人は何か知っていると。
「おばさんが僕から奪った毛虫ですよ。喋る毛虫」
「喋る毛虫? 何その気持ち悪いの。そんなの知るわけないじゃない。どうしちゃったの?」
「無駄な時間は使いたくありません。タカシが帰ってくる前に、事を終わらせましょう」
「……」
タカシ母はしばらく沈黙した後、靴箱の上にあるかごから鍵を拾い上げた。
「わかったわ。全て終わらせましょう。タカシが帰ってくる前に……ね」
何かの鍵だけを以てどこかへ歩き出すタカシ母、レイはその数歩後ろを恐る恐るついて行く。
(やっぱりあれは夢じゃなかったんだ……モスは実在したし、おばさんが裸になって僕から奪ったことも……)
不意にタカシ母の裸姿を思い出し、顔を赤らめるレイ。
だが今のタカシ母からは、そんな妖艶な雰囲気どころか生気すら感じられない。
しばらくタカシ母について歩いていくと、町はずれの倉庫までたどり着いた。
「ここに入って。きっとレイ君の探しているものが見つかるわ」
鍵を開錠し、硬くなった倉庫の扉をゆっくりと開くタカシ母。
「おばさんはここで待っていてください。僕が一人で探して来ます」
「わかったわ。まあ、生きてるかどうかは分からないけどね」
倉庫の中は窓一つなく、外は真昼間だというのに中は真っ暗。
入り口から離れていくほどに、一寸先も見えなくなるほど闇が深まっていく。
「モス!! どこにいるんだ。助けに来たぞ!」
スマホのライトで足元を照らしながら、一歩ずつ慎重に進んでいく。
金物屋の倉庫に使われていたのか、中はねじの入った段ボールや金属部品が散らばっていた。
「モス! 助けに来たぞ!」
しかしレイの声が倉庫内に響くだけで、どこからも返事はない。
カツンカツンと足音が響き渡る。モスも探さないといけないが、入り口でたっているタカシ母の動きにも気を付けないといけない。
「なあおい、返事くらいしろって!」
もしかしたら、もうモスは生きていないのかもしれない。そう考えれば考えるほど、焦りの気が高ぶり、足取りが早くなる。
だがもしもう命がなかったとしても、それでも亡骸くらいは持って帰りたい。
「……モス⁉ モス大丈夫か⁉」
ようやく見つけたのはモフモフした何かが入ったゲージ。
「死んでる……いや生きてる! まだ生きてるよな!」
暗がりではっきりとは分からなかったが、呼吸に合わせて体が動いているのが見える。
「よし、帰ってすぐに何か食わせてやるからな」
ゲージを抱えて帰ろうと振り返った瞬間、棒状の何かを振りかざす人影が見えた。
「危ないっ!」
顔面にゲージを持ってきてなんとかガードずるが、いっぺんに大きな衝撃を食らいよろけて倒れてしまう。
「ってぇ……なにするんですかおばさん!」
「あぁあ、一思いに殺してあげようと思っていたのに」
いつの間にか背後に立っていたタカシ母が持っていたのはハンマー。ゲージには大きく凹んだ跡ができている。
「じっとしてなさい。余計に苦しくなるわよ!」
両腕でハンマーを振り回すタカシ母。レイは必死に後ずさりしながらなんとかかわす。
「やめてください! なんなんですか!」
「レイ君が悪いのよ? 全部なかったことにしてあげようと思ったのに、変なこと嗅ぎつけてノコノコこんなところまで来るから」
「おばさん、もしかしてこいつが何なのか知ってるんですか!」
「ええ、私たちにはとっても邪魔な存在。だから捕まえて利用してやろうと思ってたの……だけど!」
再びハンマーを振り回し始めるタカシ母。レイはどんどんと壁の方まで追い詰められていく。
「早くそれを渡しなさい。せめて苦しまないよう一撃で殺してあげるから」
「そんなこと、そんなことさせるか!」
勢いをつけて立ち上がり、ゲージを抱えて突進するレイ。
「きゃぁ! 何するのよ!」
タカシ母が勢いで後ろに倒れた隙に、レイが全力で出口へと走り出す。
「逃げるぞモス!」
(運が良い、おばさんは倉庫の扉を開けっぱなしだ!)
いくらゲージを抱えているとはいえ、タカシ母が二十歳のレイの足に追いつけることはない。
(このまま出口に辿り着ければ、僕たちの勝ち——)
「なんだ、騒がしいぞ」
「えっ……」
扉をくぐろうとしたその瞬間、レイの目の前に大男が立ちふさがった。
「アケミ、こんなところで何をしてるんだ」
「あなた、早くそいつを捕まえて!」
タカシ母がそう命令した途端、大男は巨大な手でレイの頭を鷲掴みにした。
「い、痛い痛い!」
(なんて強さだ⁉ 頭がかち割れそう……!)
そしてレイは目撃した。大男の顔がぬるぬると変化していく様を。
「お前……人間じゃない⁉」
顔を覆うように巨大な複眼、小さく飛び出た触覚、ストローのように長くなった口。それはまさに、よく見かけるハエのような顔をしていた。
「こノママ、殺シちャッテいイのカ?」
徐々に人間らしい口ぶりではなくなっていく大男。そこにタカシ母も駆けつける。
「ええ、もう生かしておくことはできないわ!」
「やめろこいつ! 放せ!」
モスの入ったゲージを手放し、必死に大男の腕を振り払おうとするレイだが、その握力はあまりにも強くいくら力を入れても解放されない。
「くそっ、くそっ、くそぉっ!」
(僕はこのまま、ここで殺されてしまうのか……そうだ!)
だがその時、レイに1つのアイデアが思い浮かんだ。
(暴漢に襲われたとき、一番の対処はこれだってテレビでやってた! この化け物に効くかはわからないけど……)
「ええい、ままよ!」
レイは大男の腕をつかんで浮き上がり、右足で思いっきり大男の金的に蹴りを入れた。
「ガァァァァ⁉」
突如襲い掛かった得も言われぬ痛みに対し、思わずレイを持つ手を放してしまった大男。
「ナ、何ヲスル!」
「どいて! 私が殺す!」
またしてもハンマーを振り上げるタカシ母。
レイは間一髪でそれを交わし、再びタックルをかましてハンマーを奪い取った。
「ユルサン……コロス!」
「うわぁぁぁ!」
襲い掛かってくる大男に対し、レイはなりふり構わずハンマーを振り回した。
「あっ!」
「きゃぁ!」
ゴインッ、という音とともに、大男の頭がはじけ飛ぶ。
「あっ、そ、そんな……!」
「オイ、オレハイマ、ドウナッテイル? ナニモ、ミエナイ……」
頭から緑色の血を流し、頭がはじけ飛んでもなおしばらく動き続けた大男。
少しあたりをうろついた跡、突然倒れて動かなくなった。
「……よくも、よくも私の旦那をぉ!」
泣き叫びながらレイの身体にとびかかってくるタカシ母。
「やめてください! この人は、人間じゃありません!」
「うるさい! 私のただ一人の旦那だぁ!」
「もうやめてください!」
レイが身体を突き飛ばすと、タカシ母は倉庫の棚の角に頭をぶつけ、ゴンという鈍い音を響かせた。
「な、なんでこんなことに……」
頭から真っ赤な血を流して動かなくなったタカシ母。
(僕は……僕は人を殺してしまった……)




