近づく距離
「……は?」
目が覚めると、目の前にあったのはプルンとした唇。そこから吐息が直にレイの顔に吹きかかる。
「あ、あれ⁉ なんでリンカさんが……」
するとリンカも目を開き、ふふっとレイに笑いかける。
「起きた。おはよう」
「お、おはよう、ございます……」
どんどん顔が赤くなっていくレイ。
「な、なんでリンカさんが僕と同じベッドに?」
「なんでって、昨日のこと忘れちゃったの?」
布団から起き上がったリンカは、薄手のシャツにショートパンツ姿。襟のズレたシ首元からブラ紐がちらりと見えている。
「あんなに一緒に楽しんでたのに、忘れちゃうなんてひどい」
意味ありげな表情でレイを見上げるリンカ。レイはそれを見て必死に昨日の記憶を漁り始める。
「い、いやいやいやいや!」
(正直昨日のことはお風呂に入って以降覚えてない! たしかリンカさんが買ってきてくれたご飯を食べて……その後、その後は?)
「昨日はレイ君からベッドに誘ってくれたんだよ?」
(嘘だろ⁉ 僕はもしかしてやってしまったのか? 昨日あんな事件に巻き込まれたばかりのこの人と……⁉)
嬉しいような焦るような、複雑な汗を流すレイ。
その姿を見たリンカは急に大笑いし始めた。
「あははははっ! 冗談だよ。手なんて出されてないよ」
「か、勘弁してください……」
「一人で寝るのが怖いから一晩ここにいさせてって言ったら、じゃあリンカさんがベッド使ってくださいって、レイ君が言ってくれたんだよ」
「ああ、そういえばそうですね……」
そこでようやく昨日のことを思い出したレイ。
「でもなんか申し訳ないから一緒に寝よって言ったら、こっちに来てくれたんじゃん」
(そんな積極的なことしたかな……寝ぼけてたのかな)
「そ、そういえばモスは?」
「モス君ならそこで寝てる。あの子もすっごい疲れてたんだろうね」
よく見るとテーブルの上に毛布でくるまれた何かが置いてある。そこからちらりとモスの角のような物が見えた。
「そんなことより!」
「わっ! ちょっと」
リンカはガバッとレイの身体に抱き着き、起き上がろうとしていたレイをベッドに引き戻す。
「今日は大学休みだって。もうちょっとゆっくり寝ていようよ」
「あ、その……はい」
まさか憧れていた先輩とこんな時間が過ごせるなんて、少し前のレイには夢にも思わなかったことだろう。
(はあ……一生こんな時間が続けばいいのに)
だがそんな時に限って、余計な邪魔ものが入ってきたりするものである。
レイたちが再び眠りにつこうとした瞬間、玄関チャイムの鳴る音がした。
「誰だろう? こんな時間に」
「宅配なんて頼んでないし……昨日の水嶋さんかな?」
レイが立ち上がり、モスを机の下に隠して玄関の方へ向かう。
「如月さん! 如月レイさん! いないんですか!」
(誰だろう? 知らない人の声だ)
レイが玄関扉を開くと、その声の主は隙間に手を挟み込んでグイッと顔を入れ込んできた。
「わぁ! びっくりした」
現れたのは30代くらいの女性。横には20代くらいの男性も立っている。
「お騒がせしてすみません。わたくし、水成社の兵動カナエと申します。そしてこちらが」
「笹倉シモンです。これ、名刺です」
「は、はあ……」
戸惑いつつも2枚の名刺を受け取るレイ。
「あのぅ、水成社っていうのは」
「聞き覚えがありませんか? 週刊誌の文芸水成を手掛けている出版社ですよ」
「ああ、そういえば電車の広告で何度か……そんな方々が一体何の御用で?」
「実はわたくしども、昨日発生した大学立てこもり事件を調査していまして」
「えっ……」
兵動はズバリという風にレイに手を向ける。
「あなた、昨日の立てこもり事件の被害者である如月レイさん、ですよね?」
(この人たち、昨日の事どこまで嗅ぎつけてるんだ……? とにかく水嶋さんに言われた通り、ボロを出さないようにしないと)
「まあ、そうです。昨日は大変な目に遭いました」
「ちなみに如月さん、犯人の名前はご存じですか?」
「えっと……秋山カナタって人でしたよね」
すると兵動は目を瞑ってうんうんと頷いた。
「えぇえぇ、表向きはそうなっていますねぇ」
(まさかこの人……すでに何か気づいている⁉)
すると今度は笹倉が前に出て話し始める。
「我々も調べたのですが、この秋山カナタという男、どう探っても身辺情報がでてこないんですよ」
(か、感づくのが早い!)
「それに昨日、事件現場の大学から何か大きなものが、大学の研究施設に運ばれて行きました」
「そ、そうなんですね」
「ズバリ、わたくしどもはこの事件、何か隠されていることがあるのではないかと考えているのです!」
「そ、そんなこと言われましても……」
「しかし警察にいくら取材を依頼しても門前払い。仕方なく被害者である如月レイさんの元まで、馳せ参じたというわけです」
「いや、僕から話せることは何も——」
すると部屋の奥からリンカが顔を出す。
「レイ君、大丈夫?」
「あっリンカさん。今はちょっと下がって——」
しかしその顔を兵動は見逃さなかった。
「あなた、一緒に立てこもり事件の被害を受けた斎藤リンカさんですね! まさか同じ屋根の下で暮らしている仲だったとは」
「あっ、ちょっとやめてください!」
部屋に上がろうとしてくる兵動たちを必死に止めるレイ。
その時、兵動と笹倉の後ろに大きな影が現れた。
「被害者の方の自宅に突撃するなんて、やはりマスコミの行動は理解できませんね」
「こ、この声は……」
兵動と笹倉が振り返ると、そこにはムスンとした表情を浮かべる水嶋が立っていた。
「兵動さん、またあなたですか」
「み、水嶋刑事こそ、この事件の担当だったんですね……」
水嶋の姿を見た途端に勢いを失う兵動。どうやらこの2人には何か因縁があるらしい。
「これ以上如月さんのお宅に上がろうものなら、不法侵入としてこの場で逮捕いたしますが?」
その言葉を聞いて、急に兵動と笹倉の2人は引き下がった。
「な、なるほど。では今日はここまでにしておきましょう。如月レイさん、なにかあればいつでも、名刺に書かれた電話番号にご連絡ください。ではっ!」
兵動と笹倉はそう言い残して逃げ去っていった。
「……ありがとうございます。水嶋さん」
「いえ、ある程度マスコミが動くのは想定済みです……それより」
水嶋はレイとリンカの方を交互に観る。
「急を要する事態になりました。少し一緒にご足労願えますか?」
———恋は人類特有の感情? 完———