公になる事実 ならない事実
「こ、これは……」
目の前で倒れている巨大なハエ型エイリアンの姿を見て、警察官たちも戸惑っているようだった。
「か、確認しておきますが、これは演劇のための作り物では」
「ないです。断じてないです」
リンカが警察の対応をしている間に、レイはモスが見つからないようカバンの奥に詰め込む。
やがて学生会館全体が封鎖され、溜まっていた生徒もみんな追い出される。
演劇サークルの部室には多数の警察官、そしてレイとリンカの2人だけが残された。
「しかしこれが動いていたとは信じられないなぁ。集団幻覚が起こっていたのでは?」
「幻覚じゃありません! 本当に、幻覚じゃあ……」
自信なさげにするリンカ。こんな現実があるはずないと思い込んでしまうのも、人間として当然のことかもしれない。
それに対しレイがゆっくりと近づき、落ち着いた口調で反論する。
「幻覚なんかじゃありません。それはこの死体を調べて貰えばすぐにわかることだと思います」
「まあ一応、鑑識もすぐ来ますけど……」
部室には未だ続々と警察が集まり、偉いさんと思われるスーツ姿の男たちも現れる。
「しかし私には、作り物にしか見えませんねぇ」
「そう思うなら、勝手にそう思っていてください!」
(もう少し話ができる人はいないのか? これじゃあ僕たちが嘘つきみたいに——)
すると一人のスーツ姿の男がレイたちに近づいてきた。
「捜査一課、刑事の水嶋リョウヘイです。この度は、大変な事件に巻き込まれたようで」
そう言って警察手帳を見せてくる水嶋。巨大なエイリアンの死体を見たというのに、あまり驚く様子も慌てる様子もなく立っている。
「刑事さん、信じてください! 私たちはホントにこの怪物に襲われて!」
「落ち着いてください、斎藤リンカさん。ここではまだこの物体が生き物であるかどうかという判定はできません」
その時、警察とは違う服装をした男たちが数人入って来た。
「鑑識が来たようです。少し場所を変えましょう」
おもむろに廊下の方へと歩き出す水嶋。レイもカバンをお腹に抱え、リンカとともにそれを追いかけた。
「それで、いくつか確認しておきたいことがあるのですが」
水嶋はポケットから手帳とペンを取り出し、ロビーの椅子に足を組みながら座った。
「まず、この怪物はどこからこの部屋に侵入してきたか分かりますか?」
「私が空きコマの間に部室の鍵を開けて入りました。換気しようと思って窓を開けたら、そこから突然入り込んできて」
「部屋に立てこもったと」
ガリガリとペンを走らせる水嶋。その姿に威圧感すら感じる。
「それで、如月さんはどうしてこの部屋に?」
「僕は、リンカさんに連れられてこの部屋まで——」
「連れられて? 斎藤さんはこの部屋を抜け出したのに、如月さんを連れてわざわざ怪物のいる部屋に戻って来たというわけですか?」
「そうです。怪物にレイ君を連れてくるように言われて」
「言われた? この怪物は日本語を喋ったのですか?」
「は、はい……」
大きく息を吐く水嶋。明らかにこの話を信じていないふうに見える。
「……まあそれが幻覚かどうかはさておき、斎藤さんは如月さんを連れて部屋に戻って来たと」
「はい……」
「ところでお二方は、どのようにしてあの怪物を倒したのですか?」
「レイ君がお香を投げて怯ませた隙に、私たちがワイヤーで首を絞めました」
(よし、モスのことは上手く隠してくれているな)
あのエイリアンは大きすぎるから隠すことはできないし、もう死んでいるから解剖にされようが知った話ではない。
しかしモスという生きたエイリアンが発見されると、ほぼ確実に隔離され様々な調査、あるいは実験台にされる可能性もある。
すっかりモスとの生活が馴染んでいたレイは、モスがそんな目に遭ってしまうのは納得のいかないことだった。
「お香……確かにあの部屋はハッカの匂いが強かったですね」
「はい。たまたま怪物がハッカの臭いに弱かったおかげで、生き残ることができました」
「レイ君の機転がなかったら、私たちあのまま殺されていました」
すぐわきを通る警察官の数がどんどん増えている。ただ事ではないということにようやく気付いたらしい。
そんな中、一人の刑事が水嶋のもとに近寄り、何かを耳打ちした。
「……なるほど。ではその方向性で」
水嶋が合図すると、その刑事は少しレイたちに会釈をして部室に戻っていった。
「あの……なんの方向性が決まったんですか?」
「申し訳ないのですが、今回の事件は口外厳禁ということでお願いしたいのです」
「それってつまり……ここで何があったか話しちゃいけないってことですか?」
「はい。あなたたちのおっしゃった通り、あの怪物が部屋中を歩き回っていた痕跡が見つかりまして」
(なるほど、それでエイリアンが動いていたことが分かったのか)
「あのような怪物が人間の暮らす地域に生息している。この事実が公になれば、あらゆる場所でパニックが起こります」
「わかってます。僕たち以外の人には絶対言いません」
「話が早くて助かります。まるで同じような事件に巻き込まれたことがあるかのようですね」
「……っ!」
(ただの偶然か? それとも何かを知ってるのか?)
水嶋は新しい手帳のページを開き、勢いよくペンを走らせる。
「……今回の事件の首謀者は秋山カナタ、48歳男性」
「ん? なんの話ですか?」
レイの言葉も気に留めず、水嶋が何かを書きながら続ける。
「如月レイに個人的な恨みを持ち、友人である斎藤リンカを利用して演劇サークルの部室に呼び出した。部室内で取っ組み合いに発展し、危険を感じた斎藤リンカと如月レイによってワイヤーで首を絞められる。秋山は意識を失った後、警察によって逮捕された」
「えっと、さっきから何の話を——」
すると水嶋は、パタンと勢いよく手帳を閉じてレイたちの方を向いた。
「今回の事件はそういうことだった、ということになります。ニュースでも容疑者は秋山カナタだと報道されるでしょう」
「ああ、身代わりの事件内容ですか」
「お二方もこの設定をしっかり頭に叩き込んでおいてください。くれぐれも、喋る怪物にあったなどと余計にな事を口走らないように」
「はい、わかりました……」