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第6章:現代に生きる童話

 春の日差しが差し込む研究室で、薫子は一冊の本を手に取った。表紙には『銀河鉄道の夜』と記されている。


「これが……宮沢賢治の童話?」


 千春はコーヒーを入れながら、穏やかに微笑んだ。


「ええ。でも、本当にこれは子供のための物語なのかしら?」


 薫子は本を開き、最初の一節を読み始めた。銀河ステーション、不思議な切符、そして主人公ジョバンニの深い孤独。それは確かに童話の装いを持っているが、その奥には計り知れない深さが潜んでいる。


「なんだか……大人が読んでも難しそう」


「そうね。実は、それこそが現代童話の一つの到達点なの」


 千春は窓際に歩み寄り、外の桜並木を眺めながら続けた。


「私たちが『童話』と呼んでいるものは、実は三つの大きな革新を経て、今の形になったのよ」


「三つの革新?」


「ええ。まず、アンデルセンによる『創作童話』の確立。次に、宮沢賢治による『科学と幻想の融合』。そして、現代の作家たちによる『重層的な物語』の試み」


 薫子は急いでスマートフォンを取り出し、メモを取り始めた。


「例えば、アンデルセンの『人魚姫』を見てみましょう」


 千春は古い画集を開いた。


「これは一見、美しいファンタジーに見える。でも、その実、アンデルセン自身の苦悩や、当時の社会への痛烈な批判が込められているの」


「批判? でも、こんな美しい物語に?」


「そう。人魚姫の『声を失う』という設定には、社会の中で声を奪われた人々の痛みが込められている。『歩くたびに千本の針を踏むような痛み』は、自分の居場所を見つけられない人々の苦しみの象徴なの」


 薫子は息を呑んだ。今まで何度も読んだ物語が、突然、新しい光を帯びて見えてきた。


「じゃあ、賢治の『銀河鉄道の夜』も……?」


「ええ。表面上は不思議な汽車の夕方を描いた童話だけど、その実、生と死、科学と信仰、個人と社会……深遠なテーマが織り込まれているわ」


 千春は本棚から別の本を取り出した。


「例えば、この場面。ジョバンニとカムパネルラが天の川を旅する場面。これは単なるファンタジーじゃない。実は賢治の持っていた仏教思想と、当時最新の天文学の知識が見事に融合しているの」


薫子は『銀河鉄道の夜』のページを静かにめくった。そこには確かに、童話という形式を超えた何かが息づいていた。


「でも、お姉ちゃん。こんな難しい物語を、子供が理解できるの?」


「面白い質問ね」


 千春は椅子に腰掛け、遠い目をして言った。


「実はね、それこそが現代童話の真骨頂なの。子供の時は子供なりの理解で楽しめて、大人になってから読み返すと、また違う発見がある。そういう重層的な読みを可能にする物語」


「重層的な……?」


「例えば、ミヒャエル・エンデの『モモ』を見てみましょう」


 千春は別の本を取り出した。表紙には、不思議な少女の姿が描かれている。


「これは一見、時間泥棒と戦う少女の冒険物語に見える。でも実は、現代社会が抱える『時間の喪失』という深刻な問題を扱っているの」


 薫子は目を輝かせた。


「私も読んだことある! 確かに子供の頃は単純に面白いと思ったけど、今読むと……なんだか現代の働き方とか、SNSの問題にも通じる気がする」


「その通り! エンデは意図的にそういう重層性を作り出したのよ」


 千春は嬉しそうに続けた。


「現代の童話作家たちは、もっと大胆な試みをしているわ。例えば、上橋菜穂子の『精霊の守り人』シリーズ。これは壮大なファンタジーでありながら、環境問題や民族の対立、権力の本質といった現代的テーマを探求している」


 薫子は自分のスマートフォンに表示された原稿を見つめた。そこには「お菓子の家の魔女」の構想が記されている。


「私の物語も……そういう重層性を持たせられるかな?」


「どんなことを考えているの?」


「うーん、例えば魔女の家に逃げ込む子供たちの描写で、現代の子供たちが抱える『居場所のなさ』みたいなものを表現できないかなって」


 千春の目が輝いた。


「それ、とても素敵なアイデアよ」


「でも、重すぎない? 子供が読んで怖がったりしない?」


「ねえ、薫子」


 千春は窓際に立ち、桜の花びらが舞う外の景色を指さした。


「あの桜の木を見て。子供たちは、きれいな花びらが舞うのを純粋に楽しむ。でも大人は、その儚さに人生の無常を感じるかもしれない。どちらが正しいわけじゃない。むしろ、そういう多様な読みの可能性こそが、現代の童話が持つ豊かさなのよ」


 薫子は深く頷いた。


「じゃあ……書いてみていい? 私なりの、重層的な童話」


「もちろん! でも、その前にもう少し現代童話の例を見てみない?」


 千春は新しい本を取り出した。それは村上春樹の『ふしぎな図書館』。


「これなんて、子供向けの怖い物語に見えて、実は現代人の無意識や不安を描いているの。特に図書館という空間の比喩的な使い方が……」


 陽が傾きかけた研究室で、姉妹は現代童話の持つ可能性について、夢中で語り合い続けた。窓の外では、春の風が桜の花びらを舞い上げ、それはまるで物語が永遠に形を変えながら生き続けることの象徴のようだった。


「お姉ちゃん、他にも現代の童話って、どんなのがあるの?」


 薫子の目は好奇心に輝いていた。研究室の夕暮れの空気が、二人の会話を優しく包み込む。


「そうね。例えば、角野栄子の『魔女の宅急便』。これは表面上、魔女の少女の成長物語だけど……」


 千春は本棚から一冊を取り出した。


「実は現代社会における伝統と革新の葛藤や、若者の自立の問題を扱っているの。キキが抱える悩みは、まさに現代の若者たちが直面している課題の象徴なのよ」


「へえ……そう言われてみれば、私も魔法が使えなくなるシーンとか、すごく心に響いた」


「それに、アメリカのケイト・ディカミロの『エドワードという名の象』も素晴らしい例よ」


 千春は熱を帯びた声で説明を続けた。


「陶器でできた象の人形が、様々な人との出会いを通じて『愛すること』を学んでいく。一見、単純な物語に見えるけど、その実、現代人の孤独や、他者との絆の大切さを深く描いているの」


 薫子はスマートフォンで熱心にメモを取りながら、ふと思い出したように顔を上げた。


「そういえば、お姉ちゃんが好きだった『かいじゅうたちのいるところ』も、ただの子供向けの絵本じゃなかったよね?」


「ああ、モーリス・センダックの! よく覚えてたわね」


 千春の顔が柔らかく綻んだ。


「あれこそ、現代童話の傑作の一つよ。子供の抱く怒りや寂しさ、そして愛情への渇望を、決して取り繕うことなく描いている。でも、それでいて希望を失わない」


 薫子は窓の外を見やった。日が落ちかけ、街灯が一つずつ灯り始めている。


「私も……そんな物語が書けたらいいな」


「どんな物語を考えているの?」


「えっと……お菓子の家の魔女の物語で、SNSでのいじめから逃げてきた子とか、成績のプレッシャーに押しつぶされそうな子とか。でも、単に現実逃避するんじゃなくて……」


「うんうん」


 千春は熱心に頷きながら聞いている。


「魔女の作るお菓子には、一人一人の子供の心を癒す不思議な力があって。例えば、友達との関係に悩む子には、少しずつ溶け合って一つになるキャンディとか……」


「素敵なアイデアね!」


 千春の声には、心からの感動が滲んでいた。


「そして最後には、その子たちが自分で自分の物語を語れるようになって……お菓子の家は、物語が生まれる場所になるの」


「まさに現代の童話ね。形は伝統的なおとぎ話だけど、その中身は現代の子供たちの抱える問題に深く寄り添っている」


 研究室の薄暮の中で、薫子の目が輝きを増していく。


「ねえ、もっと書いてみない? 今の気持ちの続きを」


「うん!」


 薫子は急いでスマートフォンを操作し始めた。指が画面の上を踊るように動く。


「でも、お姉ちゃん。これって本当に童話になるのかな? だって、結構重いテーマだし……」


「大丈夫よ」


 千春は優しく微笑んだ。


「現代の童話に必要なのは、むしろそういう誠実さなの。子供たちを『守る』という名目で、現実から目を背けさせるのではなく、彼らの抱える問題にしっかりと向き合う勇気」


 春の夕暮れが、研究室の窓を赤く染めていく。そこには確かに、新しい物語が芽吹こうとしていた。


薫子は熱心にスマートフォンに向かいながら、時折顔を上げては千春に質問を投げかける。


「お姉ちゃん、他の現代作家たちは、どんな工夫をしてるの?」


「そうね……例えば、デイビッド・アーモンドの『スケリッグ』を見てみましょう」


 千春は本棚から一冊を抜き出した。


「これは一見、不思議な生き物との出会いを描いたファンタジーに見える。でも実は、主人公の妹の病気や、引っ越しによる環境の変化など、現実の重いテーマが織り込まれているの」


「現実とファンタジーの境界があいまいってこと?」


「その通り! 現代の子供たちが直面する現実の問題と、空想の要素が見事に溶け合っている。それによって、読者は現実を新しい視点で見ることができるようになるの」


 薫子は自分の物語のプロットを見つめ直した。


「私の『お菓子の家の魔女』も、そんな風にできるかも」


「どんなふうに?」


「例えば……魔女の作るお菓子は、食べる子供によって味が変わるの。自分の本当の気持ちに気づくまで、どんなに甘いお菓子も苦くて食べられない。でも、心を開いていくと、少しずつ本来の味を感じられるようになって……」


 千春の目が輝いた。


「それ、素晴らしいわ! 現実の問題を、ファンタジーの要素を通して描く。まさに現代童話の真髄ね」


「でも、もっと具体的な例も欲しいな」


「じゃあ、こんなのはどう?」


 千春は新しい本を取り出した。


「シャロン・クリーチの『水色の花』。これは表面上、庭作りの物語なんだけど、実は喪失や癒し、コミュニティの再生といったテーマを扱っているの」


「へえ……」


「面白いのは、ファンタジー要素をほとんど使わずに、現実の出来事の中に『魔法』のような瞬間を見出していることよ」


 薫子は急いでメモを取る。夕暮れの研究室に、タイピングの音だけが響く。


「あ! それなら私の物語でも……」


「どんなアイデア?」


「お菓子の家の魔女が作る『魔法のお菓子』も、実は特別な材料を使ってるわけじゃないの。ただ、子供たちの気持ちを本当に理解して、心を込めて作られたお菓子だから、不思議な力を持つように見える……みたいな」


「その発想、とても素敵よ」


 千春は満足げに頷いた。


「現代の童話に必要なのは、そういう繊細さなの。単純な善悪の対立ではなく、現実の複雑さを受け止めながら、それでも希望を見出していく物語」


 研究室の窓の外では、街灯が一つ、また一つと灯りを増やしていく。その光は、まるで物語が持つ無数の可能性のように、闇の中で輝いていた。


「ねえ、お姉ちゃん」


「ん?」


「今の子供たちに、本当に必要な物語って、どんなものだと思う?」


千春はしばらく沈黙し、窓の外の灯りを眺めていた。その表情には、いつもの研究者としての冷静さの中に、どこか切実なものが混じっている。


「それはね……」


 千春はゆっくりと言葉を選びながら話し始めた。


「きっと、『あなたは一人じゃない』というメッセージを、押しつけがましくなく伝えられる物語。でも同時に、『違っていても良い』という安心感も与えられる物語」


「それって、矛盾してない?」


「いいえ。現代の子供たちが最も必要としているのは、そのバランスなのよ」


 千春は本棚から、また新しい本を取り出した。


「例えば、パトリック・ネスの『怪物はささやく』。この物語は、癌で死にゆく母を持つ少年の物語なんだけど……」


「えっ! それって重すぎない?」


「でも、この作品が多くの子供たちの心を捉えたのは、現実の厳しさから目を背けないからなの。その上で、深い慰めと希望を見出している」


 薫子は自分の物語のプロットをもう一度見つめ直した。


「私のお菓子の家の魔女も……単に子供たちを『守る』だけじゃなくて、自分で立ち向かう勇気を育てる存在にしたいな」


「それ、とても良いアイデアね」


 千春の声が温かく響く。


「現代の童話に求められているのは、まさにそういうバランスなの。現実から逃げ込む場所を提供するんじゃなくて、現実と向き合う力を育む場所を作ること」


 研究室の灯りが、二人の影を壁に映し出している。


「具体的には、どんな展開を考えているの?」


「えっとね……」


 薫子は少し躊躇いながらも、言葉を紡ぎ始めた。


「最初は逃げ場所として魔女の家にやってきた子供たち。でも、お菓子作りを手伝ううちに、少しずつ自分の気持ちを言葉にできるようになって。そして最後は、自分たちで『新しいお菓子の家』を作ることを決意する」


「新しいお菓子の家?」


「うん。学校の空き教室を改造して、悩みを抱える子供たちが集まれる場所を作るの。そこでみんなで手作りのお菓子を作って分け合う。魔法なんかなくても、気持ちを込めて作ったお菓子には、心を癒す力があるって気づくんだ」


 千春の目が、感動で潤んでいた。


「薫子……それは本当に素晴らしい物語になりそう」


「でも、大丈夫かな? こんなリアルな問題を扱って」


「ええ、むしろ必要なことよ」


 千春は静かに、しかし力強く言った。


「現代の子供たちは、私たちが想像する以上に多くのことを理解している。彼らが求めているのは、自分たちの抱える問題を理解し、共に考えてくれる物語なの」


 外の闇が深まり、研究室の明かりがより一層温かく感じられる。薫子の指が、スマートフォンの画面の上を躍るように動いていく。


「あ、そうだ!」


 千春が突然、思い出したように声を上げた。


「最近読んだ面白い研究があるの。現代の子供たちの読書傾向について書かれたもので……」


 千春は机の引き出しからファイルを取り出した。


「この研究によると、子供たちは『SNSや学校でのストレス』『家族との関係』『自己肯定感の低下』といった現代特有の問題に触れた物語を、むしろ積極的に求めているそうよ」


「へえ……逃避的な物語ばかりを求めているわけじゃないんだ」


 薫子は意外そうな表情を浮かべた。


「そうなの。例えば、リュドミラ・ペトルシェフスカヤの『とびらの向こうの物語』なんて、現代ロシアの暗い現実を童話の形式で描いているんだけど、子供たちの間で広く読まれているのよ」


「でも、それって怖くないのかな?」


「面白いことに、子供たちは物語を通じて『自分だけじゃない』という共感を得ることで、かえって勇気をもらえるみたい」


 薫子は自分のスマートフォンの画面を見つめ直した。


「じゃあ、私の物語にも、もっと具体的な現代の問題を描き込んでいいのかな」


「例えば、どんなこと考えてるの?」


「うーん……例えば、SNSでの誹謗中傷に悩む女の子が、最初は『世界中から消えてしまいたい』って思って魔女の家に来るの。でも、同じように悩む仲間と出会って、お菓子作りを通じて少しずつ自分を取り戻していく」


「その子が作るお菓子は、どんな特徴があるの?」


「そうね……最初は真っ黒な(チョコレートで覆われた)クッキーしか作れないの。でも、少しずつ気持ちが前向きになるにつれて、中からカラフルなクリームがにじみ出てくるような……」


 千春は嬉しそうに頷いた。


「素敵な表現ね。視覚的にも分かりやすいし、象徴的な意味も持っている」


「あとね、成績のことで追い詰められている男の子は、型にはまらない不思議な形のマカロンを作るの。最初は『失敗作』だと思うんだけど、食べた人がみんな笑顔になる」


 研究室の時計が、静かに時を刻んでいく。外は完全に暗くなり、街の明かりが星のように瞬いている。


「ねえ、お姉ちゃん」


「ん?」


「こんな風に、現代の問題を描きながら、でも希望も描けるのって、やっぱり童話だからできることなのかな?」


千春は穏やかな表情で、椅子の背もたれに寄りかかった。


「そうね。童話には独特の『魔法』があるの」


「魔法?」


「現実の苦しみを、ファンタジーの力を借りて昇華する魔法。でも、それは決して現実逃避ではなくて……」


 千春は机の上の本を手に取りながら、言葉を続けた。


「例えば、ダイアナ・ウィン・ジョーンズの『ハウルの動く城』。ソフィーが老婆に変えられてしまうっていう設定は、現代の若者が感じている『自分らしさの喪失』を象徴しているの」


「へえ……そんな読み方もできるんだ」


「でも、物語は単にソフィーを若返らせることで問題を解決しようとはしない。彼女は老婆としての経験を通じて、新しい自分を見つけていく」


 薫子は急いでメモを取り始めた。


「私の物語でも、そういう展開ができるかも。例えば、魔女の家に逃げ込んだ子供たちが、単に元の生活に戻るんじゃなくて……」


「うんうん」


「お菓子作りの経験を通じて、新しい自分に生まれ変わる。そして、今度は自分が誰かの支えになろうとする」


 千春の目が輝いた。


「そう、それこそが現代童話の持つ力よ。『魔法』は問題を一瞬で解決する便利な道具ではなく、内なる変化を促すきっかけになる」


 研究室の窓の外で、夜空に星が瞬き始めていた。


「ねえ、お姉ちゃん。もう一つ聞いていい?」


「なに?」


「どうして童話は、これだけ時代が変わっても、人の心を動かすことができるのかな?」


 千春は窓際に立ち、星空を見上げながらゆっくりと答えた。


「それはね……」


「それはね……童話が持つ『変容』の力に秘密があるのよ」


 千春の声は、夜の研究室に静かに響いた。


「変容?」


「ええ。童話は時代とともに形を変えながら、でも本質的な何かは失わない。それは人間の心そのものが、時代を超えて変わらない部分を持っているからなの」


 薫子は椅子から立ち上がり、姉の隣に立った。窓の外では、街の明かりと星空が美しく溶け合っている。


「例えば、『小さな裁縫師』という現代童話を知ってる? コーネリア・フンケの作品なんだけど」


「ううん、初めて聞いた」


「これはね、裁縫が得意な少女が、言葉の代わりに針と糸で気持ちを表現していく物語なの。表面上はファンタジーだけど、実は現代のコミュニケーションの問題を鋭く描いている」


 薫子はふと、自分の物語のことを考えた。


「私のお菓子の家の魔女も、言葉じゃなくてお菓子で気持ちを伝えようとするんだ……」


「そう! それって、とても普遍的なテーマよ。言葉にできない思いを、別の形で表現すること。それは原始時代の洞窟壁画から、現代のSNSに至るまで、人間の根源的な欲求なの」


 千春は熱を帯びた声で続けた。


「だからこそ童話は、形を変えながらも生き続ける。人間の魂の深いところで、私たちは今でも『変容』の物語を必要としているの」


「変容の物語……」


 薫子は小さくつぶやいた。星明かりに照らされた彼女の瞳が、深い思索に沈んでいるようだった。


「そう。人は誰でも、自分が変わることを恐れながら、同時に変わることを求めている。童話は、その矛盾に寄り添ってくれる特別な存在なのよ」


 研究室の静寂の中で、二人は夜空を見上げ続けた。そこには確かに、永遠に形を変えながらも、決して消えることのない物語の星々が、まばたきを送っていた。


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