お菓子の家の魔女
都会の片隅に、不思議なお菓子の家がありました。
表通りから一本入った路地の突き当たり。古い洋館の窓からは、いつも温かな明かりと甘い香りが漂っています。でも不思議なことに、この家を見つけられるのは、本当に心を痛めている子供たちだけでした。
この家に住んでいるのは、魔女のリリアです。でも彼女は、昔話に出てくるような意地悪な魔女ではありません。溢れ出る茶色の髪を後ろで束ね、いつも小麦粉で白くなったエプロンを身につけている若い魔女です。
リリアは、心に傷を負った子供たちのために、特別なお菓子を作ります。でも、そのお菓子には普通の材料しか使いません。砂糖、小麦粉、バター、そして……愛情。ただそれだけです。
でも、不思議なことに、リリアの作るお菓子には魔法がありました。それは食べる人の心の中に、小さな光を灯すのです。
「お菓子作りは、心を込めることが一番大切なの」
リリアはいつもそう言います。その言葉の裏には、彼女自身の切ない思い出が隠されていました。
実は、リリアも昔は傷ついた子供の一人でした。両親の期待に押しつぶされそうになって、家を飛び出したことがあります。そしてある日、迷い込んだ古いお菓子屋で、優しいおばあさんと出会ったのです。
「あのおばあさんは、私の心を救ってくれた」
リリアは、窓辺でお菓子の型を拭きながら、時々そうつぶやきます。窓ガラスには、彼女の幼い日の面影が映り込んでいるような気がします。
今日も、新しい子供がやってきました。
ミキと言う女の子。中学二年生です。スマートフォンを強く握りしめ、目に涙を浮かべています。
「いらっしゃい」
リリアは、すぐに彼女の心の痛みを感じ取りました。
「少し、お菓子を作るのを手伝ってくれない?」
ミキは最初、戸惑った様子でした。でも、温かいキッチンに入ると、少しずつ肩の力が抜けていきます。
「今日は、特別なマカロンを作りましょう」
リリアは優しく微笑みました。
ミキは、おずおずとスマートフォンを置き、エプロンを身につけます。画面には、SNSの書き込みが並んでいました。「消えればいいのに」「誰も相手にしないよ」……。
「マカロンって、とても繊細なお菓子なのよ」
リリアは、アーモンドパウダーを計りながら説明します。
「でも同時に、意外と強いの。失敗しても、形を変えれば、また素敵なお菓子になる」
ミキは黙ってうなずきました。目に浮かんでいた涙が、少しずつ乾いていきます。
その日、二人で作ったマカロンは、不思議な色に仕上がりました。外側は漆黒のチョコレート色。でも、一度かじると、中から七色のクリームが溢れ出してきます。
「このお菓子、誰かに食べてもらいたいな」
ミキは小さな声で言いました。その目には、新しい光が芽生え始めていました。
お菓子の家には、他にもたくさんの子供たちが訪れます。
テストの点が悪くて、もう頑張る意味がないと思い込んでいた男の子は、型にはまらない不思議な形のクッキーを作りました。出来上がったクッキーは、まるで小さな星座のよう。それを食べた人は、自分らしい輝き方があることに気づくのです。
両親の離婚で心を閉ざしていた女の子は、二色のゼリーを作りました。最初は混ざり合わない二つの層が、時間とともにゆっくりと溶け合い、新しい色を作り出します。
リリアの家に来る子供たちは、みんな少しずつ変わっていきます。お菓子を作りながら、自分の気持ちを言葉にできるようになります。そして、誰かにお菓子を作って贈りたいと思うようになるのです。
ある日、ミキが久しぶりにお菓子の家を訪れました。
「リリアさん、私たち、学校の空き教室で『放課後お菓子クラブ』を始めることになったんです!」
その声には、確かな自信が宿っていました。スマートフォンの画面には、クラブ活動の企画書が映し出されています。
「素敵ね」
リリアは心から嬉しそうに微笑みました。
「でも、お菓子作りの先生として来てもらえませんか?」
ミキの言葉に、リリアは少し考え込みます。そして、ゆっくりとこう答えました。
「ごめんなさい。私は、ここで待っているべきだと思うの」
「え?」
「だって、まだ誰かが、このお菓子の家を必要としているかもしれないから」
ミキは少し寂しそうな顔をしましたが、すぐに明るく頷きました。
「分かりました。でも、私たちが作ったお菓子、時々持ってきてもいいですか?」
「もちろんよ。とても楽しみにしているわ」
その日の夕暮れ、リリアは窓辺に立って、帰っていくミキの背中を見送りました。空には、優しい夕焼け色が広がっています。
お菓子の家の魔女は、今日も誰かの心の傷を癒すお菓子を作り続けます。その優しい魔法は、決して派手なものではありません。でも、確実に心の中に小さな灯りを点すのです。
もし、あなたも心に深い痛みを抱えているなら、路地裏のお菓子の家を探してみませんか? きっと、あなただけの特別なお菓子が、あなたを待っているはずです。
(おわり)




