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夏海さんと僕

作者: はやはや

 知らない女性が僕に向かってはにかむように微笑む。黒い艶づやとしたショートカットにパーツの整った顔。パーカーつきのもこもこしたワンピースをきている。いわゆる部屋着というやつだろう。

 う〜ん……誰だっけ? 頭を捻り思い出そうとするも思い出せない。彼女が微笑みかけてくれているのに、無視するのは悪いような気がして僕は愛想笑いを返した。


 ☆


 スマホのアラームが鳴り、今のが夢だったのだと気づく。手探りでスマホを取りアラームを止める。「うぅん」と背伸びをした時に、枕元に気配を感じた。そちらに目をやった瞬間、僕は「ひっ!」と悲鳴を漏らした。

 知らない女性が立って僕を見下ろしていたのだ。この部屋には一週間前に引越してきたばかり。彼女はいない。そんな僕の悲鳴を聞いて彼女が口を開いた。


「驚かせてすいません。私、月影夏海つきかげなつみと言います」


 黒い艶づやとしたショートカットにパーツの整った顔。パーカーつきのもこもこしたワンピースをきている。そこで、はっと気づく。


「あの……さっきまで夢に出ていましたよね?」


「はい。起きて見ず知らずの女性が枕元に立っていたら気味が悪いだろうと思ったので。でも、やっぱりびっくりさせてしまいましたね」


 そりゃそうだと言いかけて現実に戻る。僕は出勤直前まで寝ていたいタイプなのだ。だから、起きてからは一分一秒たりとも無駄にできない。でも、今朝は夏海と名乗る女性と言葉を交わしているうちに五分のロスをした。これは痛い。


「ちょっと時間ないんで!」


 僕はなりふり構わず身支度を整えマンションを出た。


 ☆


 駅まで歩きながら「そういうことか」と納得する。朝、突然現れた見ず知らずの女性を家にほったらかしたまま出勤している僕はおかしな人だろう。でも、僕は平気だ。

 仕事中でさえ今朝の出来事を忘れていて、昼休憩の時に一度だけ「あ、そういえば彼女どうしてるんだろ?」と思っただけだった。


 二時間残業しマンションの自室に帰ったのは午後八時半過ぎだった。いつも通り鍵を開け電気をつける。


「お帰りなさい」


 と部屋の中から声がして、僕は再び「ひっ!」と悲鳴を漏らした。そうだ夏海さんがいるんだった。今朝と同じように僕のベッドの枕元に立っている。

 ソファに鞄を放り出して、いつも通りスウェットに着替えようとして、はたと止まった。今朝は慌てていて何も気にしていなかったけれど、女性が部屋にいるのだ。

 これまでみたいに下着だけで部屋をうろうろするなんてできない。そんな僕の様子に気づいたのか夏海さんは言った。


「あの、遠慮せず着替えて下さい。壁の方見ているので。それと、ここはあなたの部屋なので、いつも通り過ごして下さいね」


「……いつまでいるんですか?」


「わかりません。多分、私自身が納得したらいなくなります」


「そこからは動けないんですか?」


「はい」


 夏海さんはそう言うと壁の方を向いた。その間に手早く着替える。夏海さんの気配をすぐ側に感じながらも僕はカップラーメンで夕食を済ませて、風呂に入り、いくつか動画を見てベッドへと入った。


 これからは夏海さんに見守られながら寝るのか。恥ずかしいような緊張するような妙な気分だ。でも、そんなことを意識するより先に僕は眠りに落ちた。


 ☆


 スマホのアラームを止めると同時に水滴のように澄んだ声が天井から降ってきた。


「おはようございます」


「……おはよ、ございます」


 一瞬、昨日の記憶が飛んで夏海さんのことを認識するまで時間を要した。ワンテンポ遅れて挨拶を返す。夏海さんの瑞々しい声とはちがい起きぬけの僕の声は掠れていた。


 その日は前日より仕事中に夏海さんのことを思い出し「今頃どうしているかな、ってあそこに立ったままか」と自分でツッコんでいた。

 帰宅時にいつもより足取りが軽いことに気がついた。「お帰りなさい」と言ってくれる人が家にいる。しかも女性。本物の()()ではないけれど、夏海さんが僕を迎えてくれるのが嬉しい。


 鍵を開け部屋に入り電気をつける。


「お帰りなさい」


 柔らかい声を聞いて頬が緩む。彼女がいて同棲していたらこんな感じなんだろうか。


「ただいま」


 と答える声は自分でも恥ずかしくなるくらい弾んでいた。


 ☆

 

 夏海さんが僕のもとに現れて一週間が経った。その間に変化があった。夏海さんの輪郭がぼやけていくのだ。それに比例して声も小さくなった。

 今朝「おはようございます」と挨拶してくれた夏海さんの声はほとんど消えかけていて、姿も目を凝らさないと見えないくらい薄くなっていた。


 今晩、帰宅した時には夏海さんはもういないかもしれないと思った僕は、仕事でミスをしまくった。取引先を間違えて電話し、その電話で噛みまくったり、データーを保存するのを忘れたり散々だった。

 先輩から「お前大丈夫か?」と本気で心配された。

 これから先、彼女ができて別れたり、結婚して夫婦喧嘩をしたりした日には、僕はこんな風になるのかもしれない。

 今日の足取りは重い。でも、疲れた体は自分の部屋を求めている。鍵を開けドアを開く。しん、とした静けさが漂う。電気をつけると。


「お帰りなさい」の声はなかった。

「ただいま」と言った僕の声だけが部屋に落ちた。






〜一ヶ月前〜


「この地域ですとワンルームでも七万円は無理ですね」


 僕は不動産屋のカウンターに座っていた。不動産屋はパソコンをカチカチ操作しながら言う。


「築年数が古くてもいい」

「駅から遠くてもいい」

「洗濯機が共同でもいい」


 といくつか譲歩してみたものの、該当する物件にはこれまで出会えなかった。この不動産屋で三件目だった。パソコンを操作していた不動産屋は徐に机の下をガサゴソし、ファイルを取り出した。


「ご提案だけはできるんですが」


 ファイルに目をやるとそこにはワンルームの間取りと築年数、家賃六万円と書いてあるのが見えた。

 何だ粘ればあるんじゃん! とうきうきする僕を一瞥して不動産屋は口を開いた。


「こちら築十年のワンルーム。六万円。どういうことかお察しですか?」


「……もしかして、事故物件ってやつですか?」


 僕の答えを聞いて不動産屋は頷いた。前住人は若い女性で病死したこと、特別清掃とお祓いはきちんと済ませていることを話した。

 仕事の都合でどうしてもこの地域に住む必要があった。自殺や殺人現場ならさすがに怖いけれど、病死なら地縛霊とか浮遊霊になる可能性は低いんじゃないか。そう思い僕はその部屋を契約した。


 そして現れたのが夏海さんだった。夏海さんは夜中に急性心不全で亡くなっていた。

「自分が死んだなんて信じられない!」と神様に告げると、「最期を迎えた場所をしっかり見てくるがいい」と言われて僕のベッドの枕元に立ったという訳だ。


 それにしても神様。僕だからよかったものの、夏海さんを受け入れられない人がこの部屋に入居していた場合はどうなっていたの?

読んでいただき、ありがとうございました。

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