月食い金魚
月の光を食べると竜になれるらしい。そんな話が、魚たちの世界でひそかに言い伝えられていた。
観賞魚売場の金魚たちは、隣の水槽のメダカたちからその話を聞いた。
金魚たちのうち数匹はやがて、庭先の睡蓮鉢で金魚飼いをやっている老人に、仲間たちと共に買われていった。家の中で飼われたならば、月の光を浴びる機会さえあるまい。幸運な数匹だった。
金魚たちは夜な夜な月の光を食べようと、水面から顔を出し、口をぱくぱくさせた。だが、月の光が口に入ってくる気配は、まるでない。
そのうち一匹の金魚が、水面にむらがる仲間をしり目に、水底にもぐってみた。
水面の陣地争いに敗れたというのが、正直なところだ。この金魚は、この睡蓮鉢の中でも一等体が小さく、餌をとるにも、つがいを見つけるにも、他の金魚から追い払われてばかりだった。
だが小さな金魚は、老人の撒く餌が、よく落ちる場所を知っていた。
水面で餌とり合戦に敗れたら、水底の残飯を探しにいけばよい。もしかしたら月の光も、水面などはつらぬいてしまって、存外水底に見つかるものかもしれぬ。
水底を探索しながら、小さな金魚は、水面を見上げた。
風のない夜だ。周囲の木々の影も、水上のトクサも揺れない。月の位置は睡蓮鉢の真上。ここからだと、水面は白っぽく光って見える。
仲間の金魚たちの黒い影だけがぐるぐると、いつまでたっても口に入らぬ月の光を求めて、むなしく泳ぎ続けていた。
小さな金魚は、そのとき思いついた。
月の光は、水上の空気の中にも、水底にも得られまい。
珍しく他の金魚を蹴散らす勢いで、小さな金魚は水面に向かい、泳ぎまわった。月光探しに飽き飽きしていた仲間たちは、思いのほかすんなり場所をゆずった。
小さな金魚は、水面の水をがぶがぶ飲みはじめた。そこに月の光は溶けこんでいた。
みるみるうちに力がみなぎる。ちっぽけな体がふくれあがり、鱗があかあかと輝きだす。
トクサが揺れ、周囲の木々が揺れた。
それが自分の起こした風だと気づいたとき、金魚だった者は、睡蓮鉢の上空にいた。
睡蓮鉢に残された仲間たちが、残りの月光を探し、水面を右往左往している。だが月の力はもう、食いつくされたあとだった。
翌朝、睡蓮鉢の中に小さな金魚を見失った老人は、近いうち屋内に入れ、いじめっ子どもから離してやろうと思っていたのに、と肩を落とした。
そのころから、この町ではときおり、赤く輝く竜が月夜の空を横ぎることがある。