9 二人の外出(1)
「いらっしゃいませ、ハイドロフト様。お見限りでございましたこと」
「久しいな、ムン夫人。世話になる」
はじめに馬車で連れていかれたのは、どこかの邸宅のような場所だった。女主人と思しき上品な雰囲気の美しい女性が、微笑みを浮かべて出迎えてくれる。そのまま通された室内の明らかに場違いな雰囲気に、イーサはただただ縮こまる。
「あら、素敵なお連れさま」
「……イーサさんと言う」
「お初にお目にかかります、イーサ様。――本日は、どのように」
「街歩きと、堅苦しすぎない食事用で頼む。見栄えより、身体の負担にならない服がいい。小物も一揃いで。買い上げる」
「ありがとうございます。いくつかお見繕いしますか?」
「そうだな。彼女にも好みを聞いてくれ」
「承知いたしました。小物はお二人でコーディネートは致しますか?」
「必要ない」
イーサはあっけにとられて、マクシムさんと美しい女主人の流れるような会話を聞いていた。
マクシムさんは促されたソファにゆったりと腰かけ、優雅に足を組む。そのままシャンパンに口を付ける姿は、この場に馴染んでいる、というか、この場を支配していると言ってもいい。いつもの彼とは、明らかに違う。イーサは初めて、彼が非常に美しい人であるということを認識した。
イーサはマクシムさんと別れ、大きな鏡のある部屋に案内される。部屋には、次々に大量の服が運ばれてくる。女主人はものすごい手際の良さで、あっという間にその中から数点を選んで並べて見せた。
「いかがでしょう、イーサ様のお身体のおサイズと、お肌、髪色にはこの辺りがお似合いかと」
どれもイーサが間近で見たことのないような美しい服だった。イーサからすれば、いわゆる一張羅のドレスにしても過分に思える。お姫様のドレスのようだ。
「お好みに合いますでしょうか?」
女主人は優しく微笑んでイーサの顔を見つめている。
そこまで圧倒されて流されるままに服の前で立ち尽くしていたイーサは、そこではっと我に返った。
「あの、私、帰ります」
とても、イーサの手が出るような店ではない。女主人は困ったように微笑んだ。
「あらあら。マクシム坊ちゃんは、お嬢さんを攫ってきたのでしょうか」
「攫って……」
イーサは返答に窮した。突然訳も分からず店らしき場所に連れ込まれたのには困惑しているが、彼の不名誉になるような言動をするのもはばかられる。
「あの方が、この店にいらしたのは10年ぶりでしょうか。女性を連れていらしたのは、初めてですわ。ずいぶん張り切って、取り澄ましたお顔をされて。できれば、付き合ってあげては下さいませんこと?」
女主人が静かに合図をすると、並べられた服は、一斉に下げられていった。
「私は、あの方のお屋敷で長く衣装係としてお勤めをしていた者なのです。ほんのお小さいころから、あの方を存じ上げております。あの方がここへ連れてこられたのが、こんな綺麗な目をされたお嬢さんで、わたくし少々、浮かれてしまいました」
女主人は微笑むと、一旦失礼します、と別室へ姿を消した。
しばらくしてもう一度現れた彼女の手には、一枚のシンプルなワンピースが掛けられていた。
「凝った装飾はありませんし、色味も抑えられていますが、お身体のラインがきれいに出て、イーサ様なら十分素敵に着ていただけると思います。気を付ければ、水洗いできる素材ですし、こちらでお洗濯も承ります。長く着られると存じます。どうか、お袖を通していただけませんか」
イーサは、差し出されたワンピースを、軽く撫でた。
とても綺麗なワンピースだった。
何とかイーサの気持ちを和らげようとする女主人の、マクシムさんへの想いが暖かくて、少し涙ぐみそうになる。
ワンピースを着て鏡の前に立った自分は、別人のように見えた。
「お肌がとてもお綺麗でらっしゃるし、お気兼ねでしょうからアクセサリーはよしましょう。お靴は、良い物を選びませんと足を傷めてしまいます」
「分かりました。お任せします」
靴選びは、足に合うものを見繕うまでに少し時間がかかった。最後に軽くお化粧をされながら、この邸宅が、いわば会員制のブティックで、都にお忍びで遊びに出られる尊い方々の変身のお手伝いをすることが多い場所である、と教えてもらった。本当に坊ちゃんは、イーサ様に何も話していないんですね、と、女主人は呆れていた。
髪をハーフアップに結い上げてもらって、イーサの準備は終わった。
初めの部屋に戻ると、とっくに自分も着替え終えていたらしいマクシムさんは、イーサを見て軽く目を見開いた。
「その……とても似合っているよ」
「ありがとうございます」
口ごもる様子は、いつものマクシムさんだ。イーサは思わず笑ってしまう。
そんなイーサの顔を見つめ、マクシムさんはほうっと息を吐いた。
「良かった。こんな強引なことをして、不愉快な思いをさせていたらと心配だったんだ」
「馬車の中で、あれだけ宣言をしておいてですか」
頭をかいて腕を差し出すマクシムさんの腕に、イーサは軽く手を絡めた。教えられてもいないのにそうするのが自然だと思わせるほど、彼のエスコートは完璧だった。
「もう、大分日が高い。お昼ごはんにしよう。俺のコネパワーを存分に味わわせてあげる」
二人は笑いあいながら、日差しの降り注ぐ大通りへと歩き出した。
今週からしばらく、月・水・金曜日投稿としたいと思います。
進行が遅くなり申し訳ありませんが、よろしければ引き続き、お付き合いいただけますと幸いです。