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5 契約と仕事始め

「この椅子におかけいただけますか」


 ひと月ぶりに顔を合わせたマクシムさんの応対は、とても丁寧だった。彼の部下、あるいは使用人のような立場でこの研究室に雇われるはずなのに、まるで自分は賓客で、もてなされているような扱いだ。


 研究室には、今日も大きな窓からいっぱいの日の光が差し込み、部屋は明るく温かく、そしてデスクの上は、相も変わらず雑然としている。


「ご協力いただけること、感謝いたします。申し入れの際は、あなたの事情も顧みず強引にお話をしてしまい、申し訳ありませんでした」

「いえ……こちらこそ、ご無礼を働いていたようで」

「無礼?」

「あ、の。お手紙を、いただいていたと」

「問題ありません」


 食い気味に返答され、イーサは軽く目をまたたいた。

 マクシムさんは何故かはっとして、それから困ったようにわずかに眉を下げる。


「ああその。あなたの事情は、うかがいました。とても反省しました。俺は相変わらず、何て考えなしなんだろうと……」

「そんな……」


 マクシムさんが心から言ってくれているようなので、イーサは困惑する。


「それについては、考えがあります」


 マクシムさんが、机の上から紙片を取り上げた。そこに一行書かれた文字に、イーサの身が固くなる。


「お手をお借りしても、良いですか」


 マクシムさんは、軽く首を傾けて、左手のひらを上に向けてイーサに差し出してくる。彼の目は軽く伏せられ、口の中で何かをつぶやいているようだった。イーサはおずおずと、そこへ自分の右手を乗せる。

 すう、とマクシムさんが軽く息を吸う。ふいに自分の右手にだけ、涼しい風が当たったような感触がした。

 

「この紙に、右手を当ててみてください」


 しばらくして、重ねていた手を離すと、マクシムさんは、左手に先ほどの紙片を乗せてイーサに差し出した。イーサはおそるおそる、言われた通りにその紙片に右手を触れた。


⦅イーサ・ドアンさん、我が研究室へようこそ⦆


 突然耳元で響いた声に、思わず手を引っ込める。


「……聞こえましたか」

 様子を見ていたマクシムさんが、やや心配そうな顔つきで、イーサをのぞき込んだ。


「はい」

 紙が、しゃべった。イーサは驚きを隠せない。


「何と聞こえましたか」

「ようこそ、と……」

「良かった、成功だ」


 マクシムさんは軽く息をつき、にっこりと微笑んだ。淡い水色の瞳がキラキラとして、とても綺麗だ。


「これから、あなたと文書でのやりとりが必要な時には、今回のように術を仕込んでおきます。右手で文字に触れてくれれば、あなたの耳に音として届くでしょう」


 まずは、契約書から。

 つぶやきながら、マクシムさんはびっしりと文字の書かれた紙の束を取り出した。事前に書き上げてくれていたようだ。


 イーサが一枚一枚の紙の言葉を聞き取っていくのを、マクシムさんはじっと首をかしげて、真剣な面持ちで見つめていた。


 この人が本来、契約書を手書きするような事務作業をする立場ではないことぐらい、イーサでもわかる。


 本当に自分にそんな能力があるのか、実感はないけれど。イーサは思う。

 この人の気づかいに何とか報いられるように、これから死ぬ気で勉強して、お手伝いをしなくては。


 書類の最後に拇印を押しながら、イーサは固く決心していた。



 目の前の箱からは、虫の羽音を大きくしたような、聞きなれない音が低く響いている。


 契約書を取り交わした後、まず初めに、と連れてこられた部屋は、マクシムさんの研究室の比ではないくらいにごちゃごちゃしていた。

 分析室、と呼ばれているらしいその部屋は、イーサは足を踏み入れるのははじめてだ。掃除係の通常のローテーションには、入っていなかったように思う。特定の掃除人が専任で配備される、特別に機密性が高い部屋がいくつかある、と聞いたことはあるが、その一つなのかもしれない。それにしても、このぎっしりと並んだ金属の箱に、床を這いまわる色とりどりの紐。掃除はなかなかに大変そうだ。

 

「この隙間に、右手を差し込んでみてくれるかな」


 あちこちのつまみをひねったり、目を細めて何かの画面を眺めたりと忙しく動き回っていた解析班長のルカさんが、突然、イーサに向かって指示を出した。


「これは……」

「ああ、簡単に言うと、魔力量を測る装置、かな」

「魔力量……」


 突然、するりと背後から手が伸びて、イーサの前の機械に差し込まれる。

 ブイイイン! と機械の振動がひときわ大きくなり、ルカさんが慌ててその手を跳ね上げた。


「おいマクシム、いきなりやめろ! お前の魔力量に対応した設定じゃないんだぞ。振り切れて故障したらどうしてくれる!」

「……すまん。危ないものではないと、示したかっただけだ」

「まったく……」


 ぶつぶつ言いながら再びツマミの調整に戻ったルカさんに頓着せず、いつの間にかイーサの背後に立っていたマクシムさんが、静かな声で説明してくれる。


「君の村では、魔力の検査は、行われなかったのかな」

「はい、なかったと、思います」

「そうか。国土の大半はカバーされていると思っていたが、抜けがあるんだな。この王国には、国内を巡回して、人々の魔力の有無、性質、量などを測定する機関がある。最もメジャーなのは、魔力測定の術式を入れ込んだ水晶球に、手をかざしてもらい判定する方法だ。他にも、直接接触して相手の魔力量を測る、測定士と言う特殊技能を持つ魔術師もいる。いずれにしても、測定はそれぞれの術者の個人技に属している。この機械は、その技術を、術者の技量に頼らずに再現しようとしたものだ」


 もう一度、目の前の機械は低い唸り声をあげ、金属板が向かい合った隙間の空間に、ほのかな青白い光が満ちるのが見えた。


「はいよ。ゆっくり、手をかざしてみて。熱くも痛くもないはずだよ」


 ルカさんの言葉に、イーサは恐る恐る、その光る隙間に右手を差し込んだ。

 特に、手には何も感じない。しばらく箱の振動音が高くなり、やがてゆっくりと落ち着いた。


「はい、終わり。出していいよ」


 ルカさんは目を細めたまま、ガラス板を立てたような表示板を腕組みをして見つめている。


「魔力量は」

「中の下、と言うところかな。波動も特別変わったところはない。魔術学校には入れるが、特待生にはならないくらいのレベルかな」

「なるほど」


 マクシムさんとルカさんは、腕組みしたまましばらく、表示板を見つめていた。


「やはり術式の構成が特殊なんだろうか」

「現時点では、分からんな。これは、研究しがいがありそうじゃないか」


 笑いを含んだ表情で、ルカさんの目がイーサを向いた。


「イーサちゃん、こいつの研究はとにかく細かくてねちっこいけど、何とか付き合ってやってね。これでも研究者としては、一流の奴だからさ……」

「余計なお世話だ」


 さっさとドアを開けイーサを促そうとするマクシムさんの背中に、ルカさんの愉快そうな声がかかる。


「そうだ、今日、イーサちゃんの歓迎会しようぜ。とりあえず賢人会のメンツを集めるよ」

「当日だぞ。あいつら都合がつくのか」

「任せとけって」

「分かった。……イーサさん、急だけれど、今晩予定は大丈夫だろうか」

「はい」


(けんじんかい……て、何のことだろう)


 そのまま背後にひらひらと手を振り歩き出すマクシムについて廊下を進みながら、イーサは胸の中で首をかしげていた。

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