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エピローグ ある晴れた朝

「おはよう、マクシム」

「ん、イーサ、おはよう」


 丁寧に、いつもの朝のお茶を淹れながら、イーサは夫の横顔にちらりと視線を走らせた。


「マクシム、疲れてない? 昨日もずいぶん、帰りが遅かったわよね」

「……うーん、そうかな。アレクの奴、人使いが荒すぎなんだよ……」


 魔術師連合からの外部監査依頼の件だ、イーサは合点する。

 椅子に腰かけたマクシムは、すん、と鼻をうごめかして笑顔になる。


「でも、君の淹れてくれるお茶があれば、すぐにしゃっきりするよ」


 それから、目の前のテーブルにカップを置くイーサを悪戯っぽく見上げた。


「後は、ちょっと、元気を補充して……」


 そう言うと、おもむろにイーサを引き寄せ、そのお腹にぐりぐりと顔を押し付ける。

 彼の肩口辺りから、桃色の泡がひとつぷくりと湧き出し、身動きのできないイーサにぶつかると、⦅愛してる⦆とささやき消えて行った。


「……マクシム?」

「うん?」

「今の、わざとでしょ」

「うん」

「まったく……」


 イーサは夫のアッシュブロンドのさらりとした髪を、そっとなでる。


「私も、愛してるわ」


 瞬間、ぽぽぽん、と、マクシムの肩口から桃色の泡がいくつも湧き出した。


「マクシム!」

「……これは、わざとじゃない……」


 イーサのお腹に顔を押し付けたまま、マクシムはつぶやく。


「ふふ、そっか。……さあ、今日も、お仕事頑張りましょう。今日は多分、美味しいお土産があるわよ」

「それは楽しみだ」


 マクシムは顔を上げ、イーサはかがんで夫の顔をのぞき込む。それから二人はそっと口づけ、笑いあった。



 王立植物園の空気は、夏の力強い緑の香りに満ち溢れている。

 イーサは、朝の気持ちの良い空気を胸いっぱいに吸い込みながら、ロイモンド王子殿下の私邸近くの移動陣へと早足で向かう。

 今日は、北の実験果樹園で、今年初のリンゴの収穫の予定なのだ。


 移動陣に近づいた時、殿下の私邸から、人影が歩み出してくるのが見えた。


「ジョアンナ先生!」

「ああ、イーサちゃん。おはよう!」

「おはようございます。先生、それ……」


 大きくなったお腹を突き出すように歩きながら、ジョアンナ先生は両腕の上に、何冊も分厚い本を積み上げている。


「先生、お持ちします」

「いいのいいの」


 その時、先生の背後に大きな人影が現れた。ジョアンナ先生に歩み寄って来たロイモンド王子殿下は、先生が振り向く間もなく、その腕の上の本をひょいと取り上げる。


「ロイ! 大丈夫よ。妊婦も動ける範囲で身体を動かした方が……」


 ロイモンド殿下はジョアンナ先生をじっと見つめると、黙って首を横に振る。そしてイーサにちらりと微笑みかけると、そのまますたすたと歩き出した。


「もう、ロイったら……」


 夫を見やるジョアンナ先生の頬が膨らんでいる。他の人には絶対に見せない先生の少し甘えた表情を、イーサはまぶしい思いで眺める。



 移動陣を抜けた先には、それぞれの色の実をたわわに実らせたリンゴの木々が広がっていた。

 イーサの周りに、一斉にリンゴの木の精たちが群れ集い、くるくる飛び回りながら出迎えてくれる。


「ふふ……」


 かわいらしい彼らのダンスに、思わずイーサも笑顔になる。


「シャーリー」


 黒犬を呼び出して放ってやると、犬ははしゃいでリンゴ畑を駆けまわる。その周りを、リンゴの木の精たちが楽し気に飛び回った。


 イーサは、極早生のリンゴの木の前に立つと、パチリ、とはさみでひとつ実を切り取る。そしてゴシゴシと表面を拭うと、その実にかじりついた。


 もぎたてのリンゴの実は甘酸っぱく、芳香が鼻に抜ける。力強い、生命そのものの味がした。


(おいしい。いい出来だわ。そうだ、あとでサリューさんたちにも届けてあげよう)

 思わず一人微笑みながら、イーサは胸の内でつぶやく。




 夏の盛りのリンゴ畑には、ほのかに甘い香りを乗せた、優しい風が吹きぬけていく。


 その下では、黒い犬とたくさんの精霊たちが、いつまでも飽かず楽し気に、きらきらとダンスを踊っている。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。少しでも楽しんでいただけたようでしたら幸いです。

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