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37 結婚式

「お支度が整いました」


 穏やかな声に案内され、部屋に一歩足を踏み入れて、姿見を背に立っているイーサの姿を目にしたマクシムは、息を飲んだ。


 すこし恥ずかしそうに微笑む、白いドレス姿の彼女は、天から舞い降りたばかりの天女のように、神々しくさえ感じる無垢な美しさをたたえていた。


「……」

 思わず言葉を失って立ち尽くすマクシムに、イーサの傍らのムン夫人が笑みを含んだ声をかける。


「まあまあ、そんなところでもじもじしていないで、マクシム坊ちゃま。昔から、きれいで触りたいものにほど近づけないのは、お変わりありませんね」

「……失敬な。ちょっと驚いただけだ」


 もにょもにょと口の中で言い訳をしながら、マクシムは大股でイーサに歩み寄る。


「イーサ、とっても、綺麗だよ」

「……ありがとう。マクシムも、とても素敵よ」

「普段の君も美しいが、今日の華やかな化粧けわいも、とても似合う」

「そうでしょうか。自分じゃないみたいで、何だか、落ち着かなくて……」


 イーサの両手を取り、マクシムは微笑む。そこで、背後のドアがばん、と開いた。


「いーざぢゃ―ん……どっでも、ぎれいよお……」


 背後から聞こえてくる声に、マクシムはうんざりした顔をする。


「母上、いい加減にしてください」

「だっで、うれじぐで……」


 マクシムは振り向き、そこでハンカチを顔に当ててグジグジと泣き崩れる母親と、その肩を抱き無言で機械人形のように首をうなずかせている父親を見やる。


「朝からずっと泣きっぱなしじゃないですか。干からびますよ」

「久々に再会した肉親に、相変わらずひどい言いようだな、マックス」

「兄上……」


 二人の背後から現れた青年は、素早くイーサに目礼する。


「これはこれは、本当にお美しい花嫁だ」

「いーざぢゃーん……むずごを、よろじぐねえ……」


 はあ、とため息をつき、目を戻すと、目の前のイーサは困ったように笑っていた。その目にうっすらと涙が浮かんでいるのを見てとり、マクシムは胸を衝かれる。



「少し不愉快な思いをさせるかもしれない」


 結婚式の前日、マクシムは微かに眉を寄せてイーサに告げた。


「俺は、特務部隊を作った9年前に名実ともに家を出てから、両親にも兄にも一度も会っていない。結婚の報告は書面で済ますつもりだったが、どこかから伝わってしまったようだ。明日、支度部屋に訪問したいと、先ほど連絡があった」


 魔術師連合を脱退し、警備団特務部隊を立ち上げると決めた時、家名や肉親たちへの悪影響を避けるために、マクシムは元家族とのつながりを完全に断っていた。


 もともと、家族仲は良好で、マクシムから見たところでは、両親の人柄も悪くはないと思う。しかし、王族に近い立場の彼らが、平民の生まれで自分の妻となるイーサにどんな態度をとるのか、マクシムには予想がつかなかった。


 イーサは、ただ微笑んでうなずいていた。


 蓋を開けてみれば、ムン夫人の邸宅を訪れた両親の反応は、母親は初めからうれし泣きし続けているし、父親はひたすら笑み崩れている、という、マクシムの想像を超えたものだった。


「イーサさん、弟は、小さいころから体が弱くて。体質で毎日のようにひきつけを起こしては病院に担ぎ込まれて、無事に育つのかと、家族一同それはそれは心配したんだ。少し大きくなってからは、体質から、人と親しく交わることができなくなって……。俺たちはみんな、この子には一生、結婚どころか恋愛も無理だろうと諦めていた。あなたのような方がこの子の前に現れて、こんな日が来るなんて、本当に、夢のようだ……」


 公爵家現当主であるマクシムの兄も、話しながらかすかに声を詰まらせる。


「もう犬猫でもいいから何かを愛する経験をさせてやれないものかと、ジョアンナちゃんにはよく相談していたものよ……」

 ぐじぐじと鼻を鳴らしながら、母親はつぶやく。


「そんな相談を……」

 マクシムはやや脱力したようにつぶやいた。


「不出来な息子だけれど、よろしくね。私たちも陰ながら、あなた達を見守らせていただきます」


 イーサとマクシムが、式場への馬車に乗り込む間際、ようやく貴族らしい品格をのぞかせて、マクシムの母はイーサの手に何かを握らせた。


「あの」

 開きかけたイーサの手を、マクシムが押さえる。


「母上、父上、兄上。……ありがとう」

 マクシムの深い声を残して、馬車は邸宅を後にする。



 滑るように式場への道を走る馬車の中で、イーサはそっと、手を開いた。そこにあったのは、美しい淡い水色のサファイアのペンダントトップだった。


「俺の家系の伝統で、子供が生まれた時、その子の眼の色の宝石を手に入れるんだ。それを、将来の配偶者に、継承する……」

 マクシムは、抑えた静かな声で言った。イーサのてのひらの中で、マクシムの瞳の色の宝玉がゆらゆらと揺れる。


「私、一生、大事にします」


 イーサは、そのひんやりとした宝玉を握りしめる。

 マクシムは、黙って前を向いたまま、イーサの肩を抱いていた。





 マクシムとイーサの結婚の誓いは、王都の王立植物園から移動陣を使って、イーサの故郷の村、現在の王立実験果樹園の一隅で行われた。


 初めに、イーサとマクシムは、二人だけで、イーサの家族の眠る塚の石板に花を手向けた。

 二人は黙って手を取り合い、石板に向かい目を閉じる。立会人たちは、少し離れたところから、それを静かに見守った。


 誓いの儀式の場所は、ロイモンド殿下の裏庭の鉢植えから果樹園に移し植えられた、イーサのリンゴの若木の前だった。

 第一立会人であるロイモンド王子殿下が式を取り仕切り、それ以外には、ルカ、ハンス、ジョアンナだけが、その場に立ち会う。


 二人が向かい合い、マクシムがイーサの左手の薬指にキスを落とすと、そこに美しい金色の指輪が浮き出す。イーサは、ごく普通に、リングピローから取り上げた指輪をマクシムの薬指に滑らせた。


「今この時をもって、二人は夫婦となる」

 朗々としたロイモンド殿下のバリトンの響きが、秋の初めのリンゴ畑に響き渡る。


「誓いのキスを」


 促され、マクシムはそっと、イーサの唇に口づける。

 瞬間、彼の身体から、ぶわりと透明な泡が沸き起こった。


「……!!」

 心得顔のすべての臨席者が、即座にその泡から身をかわす。マクシムの感情球は、秋の日の光の中を、きらきらと揺れながら上空へと飛び上がっていく。


 だれもが感慨を込めて、そのきらきらと輝く泡の行方を見つめていた。




 そこに突然、イーサとマクシムを包み込むように、七色のシャボンのような泡玉が大量に湧き出した。

 立会人たちは目を見張る。


⦅イーサ、マクシム、おめでとう⦆⦅お幸せにね⦆

 泡の中の二人にだけは、あたたかな祝福の声がはっきりと聞こえた。


(サリューさん、アルミラさん……)


 イーサは泣きそうになりながら、虹色に光る泡にそっと手を伸ばす。


 やがて、その泡玉たちは、風に乗ってふわふわと周囲を漂いながら、ゆっくりゆっくりと消えていった。





 結婚報告の宴は、日を改めて、『煉瓦亭』で行われた。

 マクシムのたっての希望で、その日の出し物は、「魔法不使用」という条件が付けられ、特務部隊の面々は、準備段階から大苦戦していた。


 結果、ハンスは『玉すだれ』という新たな自分の特技を開拓し、ルカは皆が驚くほどの美声を披露することとなった。


「相変わらずだな」


 結局、酒が進むといつも通りにワイワイと飲み騒ぎ始めた賢人会の面々を眺め、アレクシスは楽し気につぶやく。


「まあ、予想通りだ」


 その隣でやはり仲間たちを眺めながら、マクシムも微笑んで答えた。


「――アレク、やはり俺の居場所はここだ」


 マクシムの静かな声に、アレクシスは横顔のままうなずく。


「俺は特務部隊の一部であり、特務部隊も俺の一部なんだ。おそらくそれは死ぬまで変わらない。――俺は外から、お前達連合が“自浄”していく様を見守らせてもらう。できることがあれば、協力するよ」

「――よく、分かった。これからもよろしくな、マックス。……よーし、飲もう!」


 アレクシスはグラスを取り上げる。


「君と奥さん、二人の未来に乾杯!」


 二人は笑い合いながら、今日何度目かの乾杯をした。


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