32 慰労会
『煉瓦亭』の貸し切り部屋は賑わっていた。世間に大っぴらにはできないが、警備団特務部隊による、魔術師連合へのいわゆる祝勝会である。
入れかわり立ちかわり酒を注がれているマクシムの隣で、イーサはちびちびと果実酒を飲んでいた。
「イーサちゃん、怪我、もういいの」
いつもの朗らかな声がして、マクシムと逆側の隣にふわふわの茶色の髪が揺れた。
「ハンスさん、ありがとうございます。おかげさまですっかり」
「……役立たずでごめんね……」
ハンスはあまり元気がない。イーサの警護は実働班が担っていたため、責任を感じているようだ。
「そんな。私がうかつに誘い出しに乗ってしまったから……」
イーサは首を振る。
あの日、ロイモンド殿下の名を騙った書状を送って来たのは、やはり襲撃者の魔術師たちだった。受け取りの場にマクシムか他の特務部隊の幹部がいれば、書状の不自然さに気づけたかもしれないが、イーサは王族の書状がどんなものかも知らなかった。文字が読めるようになったことがある意味災いしたとも言えた。
王立植物園は王族であるロイモンド殿下の管理する施設であり、保安の責任は近衛騎士団が負っている。殿下の好みもあり、魔術師は園の保安には関わらず、代わりに園の周囲に不可侵結界が張り巡らされている。
そのため、イーサの信号が途絶えたことも不自然ではなかった。そのせいで、特務部隊実働班の警護担当の初期対応が遅れてしまったのだ。
綿密に計画された襲撃だった。
「なんかもうさあ、あのあと無力感に苛まれてさあ……」
ハンスはグイッとビールを呷る。
「とりあえず、体鍛えてる」
「……」
何と答えていいものやら、イーサは戸惑う。
「そうよそうよ、とりあえずここの皆はもっと体を鍛えるべきよ!」
「先生!」
「ごめん、遅くなって」
いつものように華やかな空気を引き連れて登場したジョアンナは、にこにことハンスの隣に腰かける。
「よう、ジョー先生」
「……もう一回それを言ったら口を縫い閉じるわよ」
突然ジョアンナの声が低くなる。先生の耳が真っ赤になっていて、イーサは胸の内で首をかしげる。
「ふへへ」
ハンスはニヤニヤと、隣に座った女傑を眺める。
(おもしろかったなあ、あれ)
王国警備団特務部隊の幹部が、「慰労」の名目でロイモンド王子殿下の茶会に招待されたのは、数日前のことである。先の襲撃事件での活躍をねぎらって、とのことだったが、ほどんど役に立たなかった認識しかない特務部隊の面々は戸惑った。
まあしかし、殿下もあの事件について、当事者たちと腹蔵なくお話されたいのだろう。何となく納得し、マクシムと共に、解析班長のルカ、実働班長のハンスは、謹んでお招きをお受けした。
その席での殿下は、ひどく上機嫌なご様子で、その巧みな話術は、人嫌いとの噂は何なのかと思わせるほどだった。
そこに、遅れて呼ばれていたらしい特例侍医のジョアンナ女史が現れた。
殿下の笑みが深くなる。
「やあ、ジョー。よく来てくれたね」
ぴしり、場が凍る。
「ええと、ロイモンド王子殿下……」
「ロイ」
「……ロイ……」
引きつった顔のジョアンナと殿下のやりとりが聞こえた時、その場の人間すべてが、この茶会の目的を理解した。
(謹んで承りました、殿下)
その場の班長2人は、目顔ですかさず殿下にお返事する。殿下は満足そうだ。
ジョアンナの唇はひくひくと動いていた。
(王族の牽制球ってのは、豪速球だよなあ。当たったら死ねるわ)
学生時代から、誰もが手を出すことをためらった豪傑を真っ赤にさせて黙り込ませる殿下はやはり只者ではなかった。
思い出すだけでハンスのニヤニヤは止まらない。
*
あちこちで、皆が思い思いに盛り上がっていた室内に、ふと波のように静けさが広がった。イーサも皆の視線を追って、部屋の入り口にたたずむ人影に目をやる。
そこに立っていたのは、イーサには見覚えのない人物だった。やややせ型の平均的な身長で、濃い茶色の短髪はきっちりと後ろになでつけられている。同じ茶色の瞳をもつ細い目は、黒縁の眼鏡に覆われていた。
全体に着崩した感じが多い特務部隊の面々と比較すると、きっちりと着こなした服装はやや浮いている。全体的に、真面目なお役人のような人だな、というのがイーサの印象だった。
そしてその胸元に目をやった時、イーサはぎくりと身を強張らせた。そこに光っていたのは、「魔術師連合」の紋章だった。
静かに、イーサの隣のマクシムが立ち上がる。そして、ゆっくりとその男に歩み寄った。
「アレクシス」
名を呼ぶマクシムの声には、深い響きがあった。マクシムとその男はがっしりと握手を交わし、それから抱き合い肩をたたき合った。
静まり返っていた室内に一気に喧騒が戻る。
「アレク! お前、ほんとに久しぶりだな! 相変わらずくそダサいかっこしてんな」
「えらく出世したんだろ、ああ? そのバッジの色見せてみろよ!」
賢人会のメンバーは口々にわめきながら、二人の周りに群がっていく。
「あいつはアレクシス・ラドクリフ。魔術師連合のトップ組織『長老会』のメンバーで、俺たちの、元同級生だ」
もみくちゃにされているアレクシスを、イーサの隣で眺めながら、ハンスが説明してくれる。
「俺たちが揃えた証拠から、内部告発の段取りをつけて、実際に今回の告発人の代表になったのはあいつだ。今の魔術師連合の、影の統率者と言ってもいい。特務部隊ができた時、あいつは一人、魔術師連合に残る決断をした。俺たちが直接会うのは、それ以来だな」
ハンスの声には、抑えきれない感慨がにじみ出ていた。
「組織を変えたいなら、面従腹背でいるべきだ。のし上がって、内側から、上から変えるんだ、って言ってな。あの時の俺たちには、あいつの言っていることは悠長過ぎてイラつくだけだった。腰抜けだのなんだのと、散々言い散らかしたもんだけど、……あいつは、一人で、やり遂げて見せたよ」
それぞれの戦い方で、たくさんの人が戦っていた。イーサは改めて実感していた。
*
「――いつぶりかな、こうして並んで酒を飲むのは」
「最後にふたりで飲んだのは、俺が魔術師連合に脱退届を出した夜だ。もう、8年近くになるな」
「お前は、ずいぶん変わったようだな」
「そうか?」
「ああ、ずいぶん表情がまともになった。彼女のおかげかな」
「……お前は、連合のタヌキらしい顔つきになったな。一枚皮をかぶっているようだ」
「お前にそれを言われるとはな」
マクシムの隣で前を向いたまま、アレクシスは喉の奥で笑った。
「――やっと終わったな」
「いいや、これからだ。連合内部の自浄作用を高める構造づくりに、歪んでしまった術式や定義の、根本からの見直し、修正。連合内でやることは山のようにある。――なあ、マックス、連合に戻ってこないか」
「……」
「魔術師連合の腐敗を正すという、お前が特務部隊を作った目的は達成されたはずだ。これからは、連合の内部から、俺と共にこの国の魔術を支えてくれないか。――それに」
そこでアレクシスは、マクシムをちらりと見る。
「連合の一員になれば、お前を目の敵にしている連中も黙るだろう。俺たちも目を光らせてはいるが、危険は少ないほどいい。お前だけでなく、お前の大事な人の、安全を守ることにつながるとは、思わないか」
マクシムはため息をついた。
「お前はいつもいつも、人の痛いところを突くな」
そしてグラスのウイスキーを呷り、口元に苦い笑みを浮かべる。
「考えておくよ」
「ああ。――飲むか」
「そうだな」
この夜、マクシムは8年ぶりに深く酔った。
*
「マクシム、大丈夫?」
「もちろんだよ。なんだか、イーサ、ずいぶんキラキラしているな」
「……お水、飲みますか?」
「うん……」
「イーサちゃん、こいつ、顔色変わらずにべろんべろんになるから、今たぶん、大分やばいよ。俺たちが送って行こうか」
「いえ……、しばらく様子を見ます」
「そう?」
研究室のソファに横たわり、自分の手をつかんで離さないマクシムを、イーサは軽く息をついて眺める。
「イーサ……」
「はい。マクシム、大丈夫?」
「……大丈夫じゃない。……俺はどうして、戦えないんだろう」
「? ……マクシム、ずっと、戦ってきたでしょう?」
「いや。俺は君が襲われていても、何もできなかった。これからも、君を襲う相手でさえ、俺は倒すことができない。特務部隊が君に危険を与えるとしても、俺は、君を、守れない。……すまない、俺は、無力だ……」
「マクシム……」
マクシムはほとんど無意識のように、朦朧とつぶやいている。
これが、いつも冷静に自分の力量を見極めているように見える彼の、心の内の本音なのだろうか。
イーサは黙って、ずっと、自分の手を握りしめる彼の右手をさすっていた。
マクシムは翌日の朝、慰労会の後半の記憶をきれいさっぱり失って目を覚ました。
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