31 チェックメイト(4)
「イーサ」
目を開いたとたんに聞こえた低い声に、イーサはゆっくりと目を瞬いた。
声の方に顔を向けると、不安げにゆがめられた、見慣れた美しい薄水色の双眸がある。
「――」
「声を出しては駄目だ」
息を吸い込んだとたんに、あわてた声で制止される。
マクシムはイーサの左手を両手で握り、ひどく辛そうな顔のまま言葉を絞り出す。
「すまない。俺の注意が足りなかったばかりに、こんな目に……」
イーサは身じろぎする。軽く動かす分には、体には特に痛みはない。横になったまま首をかしげる動作をすると、マクシムの指がイーサの頬に触れた。
「覚えているかな。首を、絞められたんだ。しばらく、声を出さない方がいいと、医者が……」
話しているマクシムの肩あたりから、綿毛のような白いふわふわが湧き出していた。ごめんなさいの色だ、とぼんやりとイーサは思う。
「俺は詰めが甘いと、いつもサリューに説教されるが、本当だな」
ひどく自分を責めている様子のマクシムの気持ちを何とか楽にしてあげたいが、声を出せないのがもどかしい。
イーサはそっと、マクシムのこめかみに指で触れる。マクシムは、イーサのその手に頬ずりし、それから手のひらに口づけたまま、動かなくなった。
イーサの胸が疼く。
(私は、大丈夫ですよ。こんなに心配してくれて、ありがとう。――大好きです)
思いを込めて、もう一方の手でマクシムの頭をなでるけれど、マクシムはやっぱりしばらく、動かなかった。
私も感情球を出せたらいいのに。
マクシムの頭をなで続けながら、イーサはそんなことを思っていた。
*
少し落ち着いたところで、イーサの手を握ったまま、静かな声でマクシムが、魔術師連合の告発の顛末について話してくれた。
魔術師連合の総会の場で行われた、連合幹部による大量虐殺疑惑という、前代未聞の告発劇は、驚くほどにスムーズに進んだ。
「まあ、ある意味、当然かな。告発対象者以外のほとんどの面子には、事前に話をつけてあった。そこまで行くまでに、密告者まで出る始末で、なかなか難渋したわけだけれど……」
告発によって、連合の長である「大魔術師」、そして意思決定機関「長老会」のメンバーの8割はその座を追われることとなった。
彼らの罪状は人道に関わる重罪であり、王家より、厳正なる審査・処罰の履行につき特に念を押す勅令が出された。今後彼らは、魔術師の特例待遇を全て廃止された形での裁きを受けることとなる。
「通常、魔術師の犯した罪については、魔術に関わるものはその印の剥奪や国外追放となることも多いが、今回は、獄に繋がれる対応となるだろう。死罪もあり得る」
特に、王族を襲撃した2名に関しては、苛烈な懲罰が課せられるであろうとのことだった。
「こんなことで、君や君たちの家族、そしてそのほかの多くの、奴らに踏みにじられた人々の無念が晴れる訳ではないかもしれないが、これが俺にできる、この国の魔術師として、同胞の非道の行いを防げなかったことへの贖罪だ」
イーサは黙ってうなずいた。
「また今回多くの罷免者が出たことで、魔術師連合内での要職は、若い革新派が多数を占めることになった。魔術の多様性に対する『異端』というあまりに偏狭な現状の認識は、即刻改めることが決定された」
マクシムはイーサを正面から見つめる。
「君が、君の継承した魔術によって、今後、魔術師連合から『異端』として追われたり、安全を脅かされることはないことを約束する」
それから、マクシムは目を落とし、苦い顔をする。
「とはいえ、特務部隊に敵意や反感を持つ者は多い。今回その全てが捕えられたとは断言できない。……それでも、この先君は、俺と共に研究を、続けたいだろうか」
イーサには、考えるまでもなく、自分の答えは分かっていた。
黙って、彼の首に両腕を回す。
「……ありがとう」
耳元で、マクシムの小さな声が聞こえた。
*
元「大魔術師」アンガス・スカンランは、何かの気配に目を開いた。瞬間、息を飲む。
「どうも、こんばんは」
目の前に、暗闇に黒光りする双眸が在る。
(……っ!!)
声を上げようとするが、はくはくと口が動くだけで全く息を吐き出せない。
「まあ黙っとけや、なあ爺さん」
目の前の男はにやりと笑い、ぺちぺちとアンガスの頬を叩いた。体も全く、動かない。
男は、ベッド上でアンガスを跨いでしゃがんでいた姿勢から立ち上がり、ぐるりと室内を見回した。
「いやそれにしても、景気のいい国ってのは、留置所まで豪華なんだなあ。ちゃんとした木のベッドに、穴も開いてない毛布。便所まで別にあると来た。――看守の囚人の扱いも、さぞかし上品なんだろうなあ、あぁ?」
男はそこでふわりと浮き上がり、アンガスの胸の上で胡坐をかいた。
「本当にこの国はお上品だよ。お上の法律も、魔術師同士のお仕置きも。俺たちの故郷の流儀とは、大違いだよなあ」
男の漆黒の瞳がもう一度、アンガスの目をのぞき込む。
「俺の恩人たちはさ、クソまじめで曲がったことの出来ねえ奴らだから、そんなお上品なお仕置きでなんとか満足しようとしてるみたいだけど、なあ?」
男が喉の奥でくっと笑った。
「足りねえよなあ――」
男の視線と声の冷酷さに、アンガスの背筋に冷たいものが走る。
「俺は野蛮な国の名前もねえような野蛮な術使いだからさ、それなりのやり方でお礼をさせてもらうよ」
「……!!」
瞬間、アンガスの身体を灼熱が襲う。
それはじりじりと肌を焼き、徐々に熱を増していく。喉元にも熱が迫り、息を詰まらせ、やがて全身を覆いつくす。皮膚が、喉が、焼けただれていく。耐えがたい痛み、息苦しさ。
しかしアンガスの意識は失われず、身体はピクリとも動かせない。
「生きながら焼かれるってのは、どんな感じなんだろな。何百人もの人間に味わわせた感覚、もちろん、あんたも、自分で体験したいよなあ」
アンガスの目の前に、さらに漆黒の双眸が迫る。
「今晩から毎晩、あんたらが嬲り殺しにした一人一人の味わった感覚を、順番にたっぷり味わわせてやるよ。心配するな、気を遣ることも正気を失うこともないように、ちゃーんと面倒を見てやる。大丈夫、お仲間の調べはついてる。一人一人、みーんな平等に、おんなじだけ楽しませてやるからさ」
見開かれたアンガスの瞳に、男はゆっくりと告げる。
「お前の寿命が尽きるまで、毎晩毎晩、味わわせてやるよ。――早いこと死罪になれたら、運がいいことだよなあ」




