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28 チェックメイト(1)

 いよいよチェックメイトが近い、と、イーサがマクシムから聞かされたのは、秋も深まったころだった。


 魔術師連合の不祥事告発の件だ。

 ここまで、十分な証拠を集めてはいたものの、司法や行政をつかさどる役職へ食い込んだ連合側の根は予想以上に深く、正当な審理を受けられない危険性があり、告発は保留となっていた。


 秘密裏に進めていた、それらの連合の協力者への対応――マクシムは詳しくは話さないが、真っ当な交渉からきな臭いやり口まで、様々な手を尽くしたのだろう――があらかた完了し、連合内の有志からの告発という形で、事実が明らかとされる日はもう間近だという。


 常に気がかりを抱え、表に裏に細かく動いていたマクシムやルカ達は、ほっとした表情を見せていた。


 

 その日、魔術師連合の大規模会合の場で、事態は「仕上げ」を迎える予定だった。マクシム、解析班長のルカ、実働班長ハンスなど、主だったメンバーは、早朝から特務部隊を発ちどこかへ詰めていた。


 イーサは一人、研究室で魔術史の本を読んでいた。


 今日は休暇でもよい、と言われたのだが、やはりイーサも落ち着かない。一人で街へ出かけても、あまり楽しめないような気がして、どうせなら、と留守番をすることにしたのだ。


 そこへ、王立植物園の園長、ロイモンド王子殿下から、イーサへの書簡が届いた。


 園内の紅葉が最盛となり、今日は園が無料開放となる。軽食の屋台や大道芸人なども入園し、楽しい催しものとなっているので、特務部隊員たちと覗きに来ないか、と言う内容だった。


 ひとり研究室内でそわそわとしていたイーサは、せっかくなので植物園へお邪魔することにした。一般開放日ならば、黙って他の人たちに混じって入園して楽しんでくれば、殿下の手を煩わすこともないだろう。


「これは、イーサさん。よく来てくれたね。連絡してくれれば、桟敷席を用意しておいたのに」


 入り口の門で、しかし顔見知りの門番は、イーサを見るとさっさとロイモンド殿下を呼びだしてしまった。いつもより華やかな服装をしたロイモンド殿下が、穏やかな笑顔で出迎えに来て下さる。


「事前の連絡もなしでお伺いしてしまい、申し訳ありません」

「いいや、構わないよ。君はいつでも、大歓迎だ」


 いつもの優しいバリトンで答えて微笑みながら、殿下はイーサに腕を差し出して下さる。人出が多い様子なので、イーサは恐縮しながらも、その腕に右手を添えた。


「君たちは、数日後にでも閉園日にご招待しようと思っていたんだ。祭りの日もにぎやかで良いけれど、紅葉を楽しむには慌ただしいからね。イーサさんは、何で祭りのことを知ったのかな?」

「え――」


 遊歩道を歩きながら尋ねられ、イーサは戸惑ってロイモンド殿下の顔を見上げた。


「あの。殿下から、ご招待のお手紙を、いただいたのですが……」

「私から?」


 殿下の目が細められた。

 次の瞬間、いきなり殿下の動きが静止し、イーサも慌てて立ち止まる。


「殿下?」


 ロイモンド殿下の目は閉じていた。そのまま、彼の身体はゆっくりと前倒しになる。


「殿下!!」

 叫ぼうとしたイーサの視界がいきなり暗転する。

 全く身体の自由が利かなくなり、イーサもその場に倒れ込んだ。


(何、が……)


 多くの悲鳴と、周辺を駆けまわる足音が聞こえている。

 やがて遠くから金属の混じった重い響きが近づいてきて、近衛兵たちが叫ぶ声が聞こえた。


「殿下、殿下!!」


「――がしゃがしゃ騒ぎ立てるな」


 ふいにイーサのごく近くから、低くしわがれた声がした。

 周囲に戦慄が走るのが分かる。


「誰だ貴様は、殿下とその女性に何をした!」

 近衛隊長の声がする。


「わめくなと言ってるだろうが。それ以上そのわしの頭にギンギン響く大声を出してみろ、まずはお前たちの殿下・・の頭を潰してやる」

「な」


 ギイインと、金属と何かのぶつかる耳障りな音がした。


「剣戟など無駄だよ。今(わし)たちの周りには、魔術師連合の最高の術者が張った結界が3重に巡っている。これを破れるものは、この世に存在せん」

「なに……何が目的だ。このようなことをしてただで済むと……」

「もちろん、破滅は覚悟の上さ。いや、すでにわしらは破滅している。どうせすべてを失うなら、憎きあやつにも、同じように全てをなくしてもらう……」

「一体何を言っているんだ。要求はなんだ」


 しわがれた声が低く笑うのが聞こえた。

 イーサの側頭部に痛みが走る。蹴られたのだ、衝撃と埃臭い臭いから分かった。


「どこぞにいる、この娘の連れに伝えろ。マクシム・ハイドロフトとかいう、異端の術使いのごろつきに。お前の大事な女は預かった。これからゆっくりと料理してやるから、見学したいなら、さっさとここへ来いと」


 しわがれた声は、心底愉快そうに話し続けている。

 逃げ惑う人々の声や足音は遠くなっていた。残ったのは、微かに金属の触れ合う複数の音。やがて駆け去る重い足音と、馬のいななきが聞こえる。

 おそらく、近衛兵がどこかへ伝令を飛ばしたのだろう。


 イーサは必死に、何とか現状を把握しようとする。

 身体の自由は全く利かないが、聴覚を含む感覚は無事だった。呼吸は問題ないようだ。意識も、自覚の上でははっきりしている。


(殿下は、ロイモンド殿下は無事だろうか。今、周りはどうなっている)


 イーサは必死に目を開けようとするが、身体はピクリとも動かない。

 どくん、どくん、と、頭の中で拍動が大きくなる。


 やがて自分の身体の近くを歩き回る気配がした。イーサの周囲にいる人間は一人ではない。足音から読み取れる範囲では、3人程度。鎧などの武装はしていない。


 先ほどのしわがれ声の話の内容から、犯人が何者で、何をしようとしているのか、イーサには大体のことは予想できた。魔術師連合の、告発対象の幹部が、破れかぶれでイーサたちを襲ったのだ。


 自分はおそらく、無事では済まない。ただ、巻き込まれたロイモンド殿下は、何とか無事に切り抜けていただくことはできないだろうか。


「女。言っておくが、この結界の中では、術を結んだ者以外の魔術は無効になる。あがこうとしても無駄だ。そこに転がって、ゆっくりと、痛みも意識もある身体を料理されるのを待っておくことだ」


 先ほどとは違う、冷酷な男の声。イーサに意識があることは、ここの魔術師には分かっている様子だった。


(どうする。このまま、私が人質になっていたら、呼び出されたマクシムたちもきっと、無事では済まない。何とか、何とかしないと)


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