27 ロイモンド王子殿下の恋(2)
また呼び出しだ。ジョアンナは無意識にため息をつく。
特例侍医を拝命している以上、王族からの予告外の呼び出しに応じるのは、もちろん職務と心得ている。
それにしても、最近、緊急呼び出しがあまりに頻繁ではないだろうか。
もともと、ジョアンナは侍医としては、王族でもほとんど女性を担当している。彼女たちは、月のものや妊娠出産に関わる問題など、女性特有の繊細な問題を抱えており、魔術治療と通常治療の技術を兼ね備えた、かつ女性である自分が重宝されるのはよく分かる。
自分としても、特別な役職を創設までしてくださった王族の方々の期待にお応えするために、日々修練を怠らず、一流の腕を保っている自負はある。
しかし最近、ジョアンナの担当患者リストに、新たに、男性王族が一人加わった。
これまで、成人されてからはほとんど侍医の診察などはお受けにならないお方だったので、担当が決まっていなかったのだ。
おそらく面識があったためだろう、初めての往診依頼に、自分が指名されていた。そのために、彼は自分の担当患者になってしまったのだ。
この方が、また厄介な患者なのである。
これまで、ひと月で3回もの呼び出しを受けた。はじめは胸が痛い、だの眠れない、だのと、それなりに妥当性もあろうかという内容だったが、今回の呼び出しの内容は、耳を疑うものだ。
曰く、サボテンのトゲが刺さった。
医者の往診を依頼する内容ではない。ジョアンナとて暇ではないのだ。
しかし、侍医が王族の依頼を断るなど不可能だ。
ジョアンナは深くため息をつき、馬車へと乗り込む。植物園までの道のりを揺られながら、車中で彼女は、ロイモンド王子殿下はもしや、心の病の疑いがあるのではないか、と考えていた。
*
殿下はにこやかに出迎えて下さった。
その左手を拝見し、ジョアンナは微かに眉をひそめる。刺さったトゲの状態は、想像した以上にひどかった。
びっしりと細かな棘の生えたサボテンが、手入れをしていた職員に倒れかかり、殿下は素手でそれを受け止めてしまったらしい。
無数に刺さったトゲを、ひとつずつ抜き出しては消毒していく。表面に頭を出していないものや途中で折れた恐れのあるものは、針を使って掘り出すしかない。
相当な苦痛を伴う作業のはずだが、殿下はピクリとも動かず、呻き声一つ上げなかった。
「……終わりました」
念のために巻いた包帯をしげしげと眺め、殿下は薄く微笑まれる。
「ありがとう」
それから、いつものように東屋でお茶に誘われた。
不思議な方だ、東屋で向かいに座った美しい人を眺め、ジョアンナは思う。
頭脳明晰、体躯にも恵まれ武術も巧みであられるというお方だが、親族の問題が多く、幼少より心労が絶えなかったと聞く。結局難しい立場に立たれ、王位継承権放棄、ほぼ隠遁の人生を選ばれた。今はこの植物園でひっそりと生活されている。
しかし極端な人嫌いとのうわさであったその方は、今、目の前で、にこやかにお話をされている。なぜかわからないが、これまでの3回の二人のティータイムの話題は、決まって筋肉についてである。今日は、僧帽筋の起始停止について。
医者でもない殿下が、解剖学から神経学まで、よく勉強されているものだと感心する。
「自分は、武道の心得があるので」
と、はにかみながらお話されるが、よほど鍛錬がお好きなのだろうか。
それから、なぜか、殿下は目の前で薪割りをして見せたいと言い出し始めた。
ジョアンナは心底困惑した。
東屋の優雅な空間に、さっと斧と薪割台、そして薪が運び込まれる。
ジョアンナはお茶をいただきながら、殿下が右手一本で黙々と薪を割っておられる姿を見学する。
確かに、この鍛え上げられたお身体の方の薪割り姿、大殿筋のラインや、まくり上げた二の腕の筋肉、眼福ではある。
片手でこれほど見事に薪を割られるのも、見事としか言いようがない。
しかしこれは、一体何の時間なのだろう。
もはや若干ホラーである。
やはり、殿下の心には何か変調があることは間違いない。詳しい検査をお勧めするか、ジョアンナは、マクシムに相談することを心に決めた。
*
「ぶほ」
特務部隊技術開発班第一研究室に、上品とは言えない音が響く。
お茶を噴き出し盛大にむせるマクシムの背中を、イーサがあわててさする。そのイーサの耳は、異常に赤くなっていた。
「……驚くわよね。とにかく、ここひと月の殿下のご様子は、奇行と言って差し支えないと思うの。あまり表立って噂になる前に、何とか対処を考えないと」
「……な、るほど」
マクシムは何故か少し遠い目をしている。
「ロイ。報われないというかなんというか。いや、それにしてもぶっとびすぎだろ……」
「私の責任です……」
イーサがなぜか真っ赤になってうつむいている。
「先生が、筋肉がお好きと、殿下にお話してしまったので……」
「……え?」
それからジョアンナが聞かされたのは、信じがたい話だった。
困った。
マクシムの研究室からの帰り道、車内でジョアンナは深くため息をつく。
ロイモンド王子殿下が、とにかく男女関係一般に無関心、という話は、王族や王宮の女官など、様々なところから散々(おもに相手にされなかった面々から、愚痴として)聞かされた。そのため、殿下が自分にそんな興味を持たれているかもしれないなど、本当につゆほども考えていなかった。
ジョアンナとて、自分の容姿が優れている自覚はある。これまで異性からアプローチを受けたこともなくはないが、この性格と能力を前面に出して予防線を張り、逃れてきた。
しかし王宮には、目が覚めるような美しい人が大勢いる。殿下が何をもって自分に関心を持たれたのかも、疑問だった。
そもそも、ジョアンナは恋愛に関心がない。というか、自分の人生には必要がないと思っている。
異性は、完全に観賞用として楽しむもの。いつかは結婚し子供をもうけなければいけないかもしれないが、その時は見合いで適当に割り切った相手を見つけようと考えていた。
でも、殿下のあまりに不器用なアプローチは、思い出すだけでもさすがに、胸がざわついた。
どうしたものかしら、夕暮れに沈む車窓の景色を見るとはなしに眺めながら、ジョアンナはぼんやりと思案する。




