25 夏祭り
遠くで雷鳴が轟くのが聞こえた。
思わず空を見上げて、手元のスカートを握りしめるイーサに、優しい声がかかる。
「大丈夫、雷雲は遠い。今夜はこの辺りには、雨は降らない」
サリューはそっと、イーサの頭に手を乗せる。
「イーサは心配性だな」
「ふふ、それは心配もしますわよ。マクシムさんの晴れ舞台なんですから。ねえ、イーサちゃん」
「アルミラさん……からかわないでください」
「ふふふ」
3人の目の前には、王宮の前の広場を埋め尽くす人の群れが海原のように続いている。押し合いへし合いしている人々の頭上で、ふわふわと浮いている絨毯に座っているイーサは、みんなには見えていない、とサリューに言われても、やはり何だか落ち着かない。
3人は、王都の夏の一大行事、「夏祭り」の会場にいた。
*
遡ることひと月前。
「技比べ、か」
マクシムの声は苦々しい。
「そうだ。連合から吹っ掛けてきやがった。厄介なのは、国王以下王族の方々が、夏祭りの余興としてこれ以上のものはない、とか何とかのたまって、ひどく乗り気なことだ」
「……陛下はなんだかんだお祭り好きだからな……」
アッシュブロンドの髪をかきあげて、マクシムはふう、とため息をついた。
「受けない訳にもいくまい。奴らに匹敵する実力を示し続けねば、いつ特務部隊は取り潰しになるか分からない。逃げたなどと陛下に吹き込まれたら、厄介だ」
「だよな……」
マクシムの研究室。デスクに座って腕を組むマクシムの向かい側で、ルカとハンスも腕を組み唸った。
「どんなルールを提示してきているんだ」
「あらかじめ魔術の4属性から2つを選び、当日は交互に演技していく、という提案だ」
「代表二人か」
マクシムは軽く目を閉じ、それから正面を見据えて言葉を発した。
「分かった。ハンスと俺が出よう」
「お前が?」
「ルカの土属性は演技としてはあまりにも地味だ。水のハンスと、火の俺で何とか構成を考えるよりあるまい」
「……ムカつくけど、まあ、事実だな……」
こうして、夏祭りの一月前から、特務部隊の演習場では二人の極秘練習が夜毎行われてきたのだった。
*
王宮前の広場、通常は王族のお目見えの際に人々が詰めかけるその場所の上空が、技比べの舞台だった。
先陣を切ったのは、連合の若手と思しき見目の良い青年だ。
王宮のバルコニーに、正装で現れた魔術師に、どよめきが上がる。赤銅色の長髪をなびかせた彼は、やや硬い表情ながら、余裕をもってぐるりと民衆を見回した。
青年の右手の杖が、頭上に掲げられる。同時に、民衆の頭上に、いくつもの炎の輪が現れた。湧き上がる歓声。
炎の輪は広がったり縮んだり、分裂したり鎖のように繋がったりと、複雑な動きを繰り返しながら様々に色を変えていく。
その壮麗な光景に、イーサは息も忘れてひたすらに見入っていた。
やがて、無数の光の輪が上空を覆いつくし、ふいに掻き消える。暗闇。一瞬静まり返った広場は、次の瞬間、大歓声に包まれる。
「場慣れした術だな」
サリューのつぶやき。
次にバルコニーに現れたのは、ハンスだった。彼は、いわゆる軍服に近いシンプルな特務部隊の制服に、夜目にも輝く銀板を散らした布を頭部に巻きつけ、背後に長くはためかせている。意外な出で立ちに、群衆からはどよめきが上がった。
ハンスの顔には、底知れない笑みがある。
(すごい、ハンスさん、楽しんでる。私なんかドキドキしちゃって全然だめなのに)
イーサは、震える手を胸元で握りしめながら、堂々としたハンスの姿を見つめていた。
彼が、す、と右手をかざすと、広場の上空に、いくつかの巨大な水球が浮いた。
目を戻すと、ハンスの手には銀色に輝くクロスボウがある。
ハンスはクロスボウを構え、ひとつの水球に向かって矢を放つ。
ひょう、と飛び立った矢は、銀色のきらめく尾を引きながら水球を貫いた。広場に氷の霧が降り注ぎ、辺り一面がきらめきで真っ白になる。
(すごい)
次の瞬間、ギイイン、と金属音が響いた。
バルコニーから飛び出したハンスが、自らの放った矢に向かいまっしぐらに剣を振り下ろしていた。激しい剣戟に火花が散る。
反動で身体を返し、空中で捻りながら、次に彼が繰り出したのは、ぎらつく氷の鎖鎌だった。それが水球に絡みついた、と見えた瞬間には、すでにハンスの体は反転している。
ハンスは回転しながら、水球を次々に足で蹴り砕いていく。彼の動きを追うように、流れるきらめく布が美しい軌跡を描く。
そして最後に、ハンスは空中で全身に水を纏いながら拳を打ち出し、最後の水球を打ち砕いた。
とん、とバルコニーに彼の足がつくと、会場は割れんばかりの歓声に包まれる。
(ハンスさん、かっこいい……!!)
思わず両手を叩きながら、イーサも歓声を上げる。
次に現れた連合の魔術師は、やはり正装だった。
彼は水流を巧みに操り、広場の上空には巨大な水の竜が舞った。そのまるで生きているかのような生き生きとした動き、気高さ、美しさ。皆が我を忘れて見入っていた。
そして最後に、マクシムがバルコニーに姿を現した。その姿を目にしたとき、イーサは思わず息を飲む。
(綺麗……)
魔術師の正装、白の長衣に金の帯、金の縫い取りのある額当てを付け右手に杖を持ったマクシムは、まごうことなく今夜最も美しい魔術師だった。
アッシュブロンドの長髪が風になびき、アイスブルーの瞳は僅かに不思議な輝きを帯びている。彫像のような完璧な造形を成す鼻梁、唇にはほのかな笑みが浮いていた。
「これはこれは、本気のよそ行き顔だな」
笑いをこらえたサリューのつぶやき。
観衆の歓声にゆったりと手を挙げて答えた後、おもむろに彼は右手の杖を上空にかざす。
ひゅるひゅるひゅる、と笛のような音が広場に響き、無数の小さな火球が上空へと昇っていくのが見えた。
そして次の瞬間、空は一面まばゆい光で覆いつくされた。
無数の白い火花が夜空全体に飛び散っている。それは花びらのように広がり、やがてその花びらの先を中心に再び火花が飛び散る。はじけ続ける光の海。白銀と桃色の、光の海原だ。
誰もが声もなく、ぽかんと口を開けてただその光景を眺めていた。
やがて、はじけ続けていた光の花は、ゆっくりと尾を引く輝く軌跡を残しながら、ほろほろと夜の闇に消えて行った。
そして、広場には割れんばかりの拍手と大歓声が満ちる。マクシムは薄く微笑んだまま、手を挙げてその歓声に応えている。
こうして、魔術師連合と王国警備団特務部隊の夏祭りの技比べは、大盛況の中幕を閉じた。
*
「イーサ?」
軽く右手を引かれ、イーサは我に返った。
右手の先には、振り向いて微笑むいつものマクシムがいる。すでに髪をまとめて町民の平服に着替えた姿は、先ほどのバルコニーでの光を背負ったそれとは別人のように、群衆に溶け込んでいる。
せっかくだから夜店を見て行こう、と、サリュー達からイーサを引き取ったマクシムがいうものだから、二人は今、広場から放射状に延びる通りの一本の、露店が並ぶ一角にいた。
「何が食べてみたい?」
イーサの耳元でささやくマクシムの声はいつも通りなのに、イーサはまだ、先ほどの技比べの興奮が尾を引いていて、やたらドキドキしてしまう。
人ごみをするりするりと抜けていくマクシムに連れられて、何とか果実水と串焼き、飴細工を買う。こんなににぎやかなお祭りは、イーサは生まれて初めてだった。
「……疲れたかな。馬車に戻ろうか」
お行儀悪く串焼きを食べ歩きしながら、二人は馬車を止めさせてもらっているムン夫人の邸宅までゆっくりと歩いた。
帰りの馬車の中でも、イーサはなんだかふわふわして胸がいっぱいで、うまくしゃべることもできなかった。
マクシムは緩く笑って、そんなイーサの目をのぞき込む。
「俺の術は、お気に召したかな」
「……すごかったです。とっても、すごかったです」
自分の語彙のなさが恨めしい。
「気がついたかな。あれは、あの時のリンゴの花をイメージしたんだ」
「え……」
そういえば、光の海は、白と桃色でできていた。
「今日の演技は、君に向けて演じたんだよ」
「……」
かあっと、イーサの首の後ろが熱くなる。うつむいた彼女の右手を、マクシムはそっと取り上げると、その指にキスを落とした。
ふわり、小さな白い光の花が、イーサの指に灯る。
「きれい……」
「これは、君だけのための花」
その光の花は、イーサの指の上でしばらく光ると、ゆっくりと消えて行った。
マクシムは、イーサの指に自分のそれを絡ませる。
「……人を喜ばせるためだけの魔術と言うのは、俺はこれまで演じたことがなかった。あそこまで組み上げるのには大分苦労したけれど、こんなに喜んでもらえるなら、甲斐があったというものだな……」
そっと引き寄せられ、マクシムの肩に頭をもたせ掛けながら、イーサはゆっくりとうなずく。
胸も指先も、ほんのりと温かい。
二人はそのまま黙って、夜道を滑るように進む馬車に揺られていた。




